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act.97

 レイチェルは、職場に復帰することにした。
 マックスが順調に快復していることもあり、セスが仕掛けた例の件のお陰で、警察から疑いの目を向けられることがなくなったからだ。そしてもっと重要なのは、レイチェルの手元に残った『鍵』のことがあった。
 今、その鍵はセスに預けてある。警察の目を逃れるためには、重要な証拠品である鍵を彼らの手に渡さねばならなかったからだ。
 だがセスの予想通り、その鍵は証拠品が収められる倉庫の棚に並べられただけで、そこから出されることはなかった。今まで取ってきた捜査方針をすぐにひっくり返す訳にはいかず、捜査本部は今だに不信人物の身元調査つぶしに当たっており、捜査のスポットが当てられている事件は、マックスが襲われた最新の事件に変わりなかった。捜査本部はかつてない人手が投入されていたが、今まで起こった一件ずつを等しく調べることは不可能だった。
 だがレイチェルは、その状況に甘んじているつもりは全くない。
 セスもレイチェルも一番重要だと思っていたのは、ケヴィンの事件だった。
 なぜなら、ケヴィン・ドースンこそが唯一犯人を知り得た男だったからだ。
 レイチェルにとっても、マックスの事件を含めケヴィンの事件が一番思い入れ深い。今になってはケヴィンは命を奪われ、そしてひょっとすれば自分が彼を救えるチャンスがあったかもしれなかったのだ。
 もう少しケヴィンの行動に気をつけていれば。ああなる前に、彼の暴走をくい止めることが出来ていれば・・・。
 悔やめば切りがない。
 そして新聞社には、事件の糸口になるかもしれないものが眠っている可能性だってあるのだ。
 新聞社には、今だケヴィンのデスクとロッカーが残されていた。
 その中のものは一通り警察の連中が調べていった後が伺えたが、殆どのものは私物として元通り返ってきていた。
 ケヴィンの同僚は、彼に敬意を表して、この事件が解決するまでは彼のデスクとロッカーをそのままにしておくことを決めていたのだった。
 レイチェルが編集室に姿を見せると、女性記者のリサが涙を浮かべてレイチェルを迎えた。しっかりと抱き合う。
「よかった・・・。元気そうよ、あなた。少し痩せたみたいだけど」
 見事な白髪のベテラン記者リサは、まるで品のいい母親のような微笑みを浮かべた。レイチェルも笑顔を浮かべる。
「随分みんなに迷惑をかけたわ。こんなに休んでしまって」
「確かに、君がいないと豪勢な写真で紙面を飾れないから、編集長が機嫌悪くって」
 レイチェルの後輩カメラマン・フェリーや他の連中も、編集室にいる者皆がレイチェルを温かく迎えた。
 一番最後に、顰め面の編集長が現れる。
「編集長、すみません。ご迷惑をおかけしました」
「うん。・・・なぁおい、さっき、フェリーが言ったこと、誤解するなよ。俺はそれほどお前の写真は・・・」
「何言ってるの。この際素直に認めたら」
 再び返ってきたレイチェルの毒舌に、編集長はオーバーに肩を竦めて見せた。皆和やかな笑い声を上げる。
「ねぇ、ところでデビットいない? ちょっと聞きたいことがあるのよ」
 レイチェルは、ケヴィンと同期の記者デビット・ファーガソンを目で探した。
 熊のようなのっそりとした姿が見えない。
「彼は今取材に行ってるわ。もう30分したら戻ってくると思うけど」
「そう・・・」
 じゃ仕方ない、それまでケヴィンのロッカーの中を見てみるか。
 レイチェルがロッカールームに姿を消そうとした時、編集長がレイチェルを呼び止めた。
「ところで・・・お前の従弟の独占取材を・・・」
 レイチェルが振り返って、じっとりと編集長を睨み付ける。
「分かった! 分かったよ」
 編集長は降参の白旗を上げるように両手を上げたのだった。


 ジェイクは、自分が今まで残してきた軌跡を一つ消していく作業に追われていた。時には人を土の下に埋めることもあったが、埋めるところを吟味しているせいか、犯罪が露見することはなかった。街中は今やジェイコブの起こした爆弾事件で戦々恐々としており、誰も気にかけない様な人間が一人や二人消えたからといって、気にする余裕はないらしい。 
 証拠を全て消し終わったら、最後にジェイコブを消して街を出るつもりでいた。何人かを埋めたことにより、少ないながらも現金を手に入れることに成功していた。その金額は、余所の街に移動する資金と少しの間働かずとも暮らしていけるぐらいの金額だった。自分は逃亡者だ。それにしては、まずまずの資金調達ができた。そうと決まれば、この街に居る必要もない。もっと人口の多い街に移った方がいいだろう。
 そこでジェイクははっとした。
 履歴書。
 新聞社の配送係に働くため、無理にその場で書かされた履歴書が、まだあの事務所の引き出しの中にあるはずだ。
 しまった。俺としたことが。すっかり抜けていた。
 この甘ったるい国に来てからというもの、俺もどこか腑抜けになってしまったらしい。
 緊張感が緩む時が一番危険なんだ。
 そんなことは百も承知だった。
 だから、時にはあの頃のようにどこかに忍び込んでみるのもいいだろう。
 ジェイクは、すぐさまいとも簡単に新聞社に潜り込んだ。潜り込んだといっても、元々つい数週間前まで働いていた会社だ。何食わぬ顔をして人通りの多い瞬間に正面玄関から入った。誰にも止められない。
 履歴書はすぐに手に入った。元々隙だらけの事務所なのは先刻承知だ。
 さぁ、一階に戻ってまた表玄関から出るとするか・・・。
 と引き返したジェイクの耳に、聞き覚えのある名前が飛び込んできた。
「ドースンの使ってた情報屋?」
 長身の男と小柄な女が廊下の柱の陰で立ち話をしていた。
 ドースンと聞いて、ジェイクは立ち止まり、段ボールの積まれた廊下の陰に実を潜める。ドースンとは、自分が爆弾を足に巻き付けて吹き飛ばしてやった男の名前だ。
 荷物の陰からは、彼ら二人の姿はあまり伺うことが出来なかったが、どちらもその身なりからして編集部の者だろう。
「何でも屋のラリーやテッド・マコーミックとか、ケヴィンの手帳に書いてあった情報屋は全てあたったの。でもあの事件の前、彼らはケヴィンと接触してなかった。別のルートがあると思って。デビットは、ケヴィンと同じ情報屋をよく使ってたでしょ。何か知らない?」
 特徴のある女の声だ。甲高く鋭い声。長身の男の陰から、肩口で切り揃えられた癖のない栗色の髪が見える。ジェイクは、いつか廊下でぶつかったあの女のことを思い出した。現像液のツンとする臭いを漂わせていた女は、本当に素晴らしい写真を手に持っていた。まるで、母国のジェイクがよく親しんだ血と惨劇が映し出された写真。こんな田舎の新聞社のカメラマンにしておくのはもったいない。彼女が戦場に行けば、もっといい写真が撮れるだろう。
 ジェイクは、相手が女であることも考量に入れながらも、彼女の仕事を心の中で賛美した。本当にあれはいい写真だったのだ。ジェイクの中の血を奮い立たせてくれた。
 デビットと呼ばれた長身の男が唸り声を上げる。
「実はなぁ・・・。俺とケヴィンが共通して使っていた情報屋には、既に確認したんだよ。俺も気になってさぁ。皆、さっき君が言ったのと同じ状態だった。ケヴィンはホンキで何かを調べてたんだ。あいつのことだ、ピューリッツア賞を狙うとかなんとか、浮かれてたんだろう。馬鹿なやつだ・・・」
 デビットがスンと鼻を鳴らす。
「そうなの・・・」
 女が落胆した声を上げた。男が、「君も怪しいと思っているんだね」と続ける。
「アイツは、犯人に近づき過ぎたんだ。そうなんだな」
 少しの間沈黙が流れる。二人の表情は見えない。
「ケヴィンは、独自で調べたようなネタは、いつも自宅ではないどこか他の場所によく隠してた。しかも毎回用心深く、場所を変えて。今回もそうだと思うの。彼の荷物の中から、見慣れない鍵が出てきたから」
 なんだって?
 ジェイクは思わず聞き返しそうになった。
 アイツが、証拠を隠す部屋を自宅の他に構えていただって?
 ジェイクにとっては、驚愕の事実だった。
 まさか、あの馬鹿記者が、そんな芸当をしているとは思えなかった。
 なんてことだ。
 ジェイクは、猛烈に苛立った。
 その部屋の中の者を消し去らない限り、痕跡を消したことにはならないじゃないか。
 またやっかいな仕事が増えてしまった・・・。
 ジェイクはとにかく自分を落ち着かせ、
「・・・そういや、一度だけ奴の幼なじみとか言うファットマンに会ったことがあるよ・・・」 
 と話しを続ける二人の様子に、注意深く耳を傾けたのだった。


 マックスは、迷いの日々を送っていた。
 あの日ミゲルに言われたことは、マックスの心を底の方から激しく揺さぶった。
 マイクにそのことを相談すると、マイクはミゲルの提案に賛成をした。確かに。この危険な街を離れるのはマックスにとっていいことだと考えたのだろう。ただし、ウォレスについては、マイクは何も返してはくれなかった。彼にとっても返事するには難しい問題だったからだろう。マイクは、マックスがどういう人間なのかも十分過ぎるほど分かっている。だからこそ、今のマックスに何か言うのは酷なことなのだと彼は判断したのだった。
 まっすぐな自分の気持ちを消し去りたくはない。
 彼を今の状況から救い出したい。
 その思い自体が彼に対して大きな負担になっているのだとしたら?
 事実それが負担になっていると気づかせたのは、ミゲルだった。
 自分は、どうすればいい・・・。
 快調に動く身体とは裏腹に、頭の中だけは重たく同じところをぐるぐると回った。
 答えなんて、出せない。
 そう思っていた矢先、意外な人物がマックスの病室を訊ねてきたのだった。
 ゆっくりとした動作でドアを個室のノックして入って来たその人を見て、マックスは驚きを隠すことが出来なかった。
「あなたは・・・・」
 そう呟いたマックスの視線の先に、優しげな笑顔があった・・・。

 

Amazing grace act.97 end.

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編集後記

うひ~。ちょっと土曜更新ぶっちぎっいちゃいました。そして、謎の人物は、また来週までお預け(笑)。一体だれなでしょ~?←知ってるくせに。
更新遅れた理由はズバリ、温泉宿テレビを見てタカラ(汗)。すみません・・・。国沢の中で、温泉宿、今ブームなんです・・・。
といっても、ちっともいけませんが、仕事が忙しいのと、お金がないないのとで。わはは。
だから、テレビ見て行った気になってんの。あはは。
国沢、海外旅行とかに行けずとも、そこの観光パンフとか雑誌とか見ただけでそこに行った気になれる、トラベルロマンサーな人間なんです。(つまりどこにも行けないけど堪らなく旅行好きな人間)ということで、国沢の家の本棚には、無意味にいっぱいトラベル関係の本や雑誌が多いです、行ってもないのに、妙にバリのホテルとか詳しかったりします(汗)。本当に安上がりな人間です。

[国沢]

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