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nothing to lose title

act.114

 セスからレイチェルの携帯電話に連絡があったのは、一時間ほど前のことだった。
 セスがよく使っているイタリアの家庭料理を出すレストランに二時でという連絡を受けていた。
 最近、レイチェルは写真撮影だけでなく、再び記事を書く仕事にも復帰しているので、午前中は他愛のない地域ネタやピッキングの被害の取材などで時間が潰れてしまった。
 レイチェルは、一眼レフの入った重い鞄を肩に担ぎなおしながら、走った。
 時計屋の軒先にある時計を見ると、後五分で約束の時間だ。
「大変だ、遅れちゃう」
 季節はいつしか、冬を越え小春日和の時期も過ぎようとしている。ジャケットの中がしっとりと汗ばむのを感じながら、レイチェルは指定の店を目指した。
 ランチの時間は終盤を迎えていたが、店内には今だたくさんの人がお昼の一時を楽しんでいた。家庭料理を出しているせいか、ざっくばらんな大衆食堂のような大らかさがある店だ。レイチェルもセスに連れられてディナーの時間によくきていた。
 レイチェルはセスを探し、店内を忙しなく見渡した。
 セスは長身だからすぐに見つかるのに、その日に限って見あたらない。
「時間を聞き間違えたのかしら・・・」
 額の汗を手で拭いながらレイチェルが溜息をついていると、ふいに横から声を掛けられた。
「あの・・・レイチェル・ハートさんですね」
 巷は春の到来に明るい色の服を挙って身にまとっているというのに、その男は頑ななまでのブラックスーツでそこに立っていた。はっきり言って、この店の雰囲気の中では完全に浮いてしまっている。
「あなたは・・・」
 レイチェルはその男の名を知っていた。
 男は、セス以上に『ジェイク・ニールソン』生存説を信じている男だった。
 英国大使館員ジョイス・テイラーである。
 一時期、マックスが入院している時によく見舞いに来てくれた。前々からセスを通じて見知ってはいたが、まともに会話を交わし始めたのは病院からだ。
「こんなところで油を売っていて大丈夫なんですか?」
 無理矢理セスにひっぱり出されたことを承知で、レイチェルはそう訊いた。テイラーはバツが悪そうな顔をしてみせる。
「実は、英国の捜査当局からも捜査の打ち切りを打診されていて。今日は休暇を取ってきたのです」
 テイラーの立場は微妙だった。
 大使館の職員であるテイラーが捜査を継続するにも限界があった。なぜなら、米国と英国の間での違法行為に関して、大使館職員がたった二人で関係データの処理をしなければならないし、テイラーがちょくちょく大使館を抜けるせいで、これまで同僚にも大分迷惑を掛けてきた。当然、大使館の中での風当たりも厳しくなり、大使館に帰ると決まって嫌みを言われもした。
 そして何より、本国の捜査熱が褪せてきてしまい、ニールソンの騒動はすでに過去のニュースとかしてきつつあった。本来なら、ニールソンに殺害されたと見られる会社員から、国家機密漏洩の恐れを心配していた本国であったが、数カ月経った今でもその影が微塵も見えないとなって、緊張の糸も緩んだのであろう。
 大使館員の職員として日頃から行わねばならない仕事に加え、茶番なゴシップネタに貴重な人手を割くのがバカバカしくなってきた、ということだ。
 テイラーとて、飛行場の防犯カメラの映像やこれまで調べた情報を本国に送って直接報告もしたが、幹部の反応は薄かった。彼らは、あわよくばインターポール(国際警察)に尻拭いをしてもらおうという匂いも香らせた。
 あれだけ最初はまくし立てておいて、いい加減なものだ。
 しかし、テイラーの中では引き戻れない重い感情が芽生えつつあった。
 自国の暗い歴史が、異国の地で罪のない人々を傷つけている。苦しめている。
 自分が万が一ニールソンを捕らえることができて、何が変わるのかは分からないが、今目の前にいる人々の傷を癒すことはできるのではないか・・・。
 この国に来て、様々な人々に出会うことがあった。
 大使館の関係で出会う人々は俗にセレブリティーと呼ばれる人達であり、普段の職務で出会う人間は犯罪者やその関係者であることが多かった。
 本当の友として対等のつき合いが出来始めたのは、この街を訪れてからだと感じ始めていた。そうでなければ、セス・ピーターズの突然の呼出にも休暇まで取ってほいほいやってくるなどと、以前のテイラーなら考えつかなかったことだ。もっとも、そんなことは口が曲がっても表に出すつもりはないが。
 しかしそれにしても、まさかセスの鼻持ちならない恋人と、行動を共にすることになろうとは・・・。
 たまに、というか大体が暴走する達だから、気を付けてやってくれよ。
 警察署の裏で落ち合った時、セスにはそう言われている。
 会った途端に出た嫌みな一言にもそつなく答えるテイラーに、レイチェルは構っても無駄だと思ったらしい。肩を竦めると「それで」と口を開いた。
「本当なら、セスが例の物を持ってきてくれる筈だけど・・・」
 テイラーが昼食を取っていたテーブルにレイチェルは座ると、周囲を気にしながらそう呟いた。
 テイラーは漆黒色のスーツの懐から、見覚えのある鍵をスッと取り出した。
「オーケー、分かったわ」
 レイチェルは注文を取りに来た店員に、注文はしないと手で合図しながら席を立った。
「君、昼食はいいのか」
「そんなの食べてる暇はないわ。時間がないの」
 午前中に取材した記事を纏める作業が残っている。それを考えると、あの部屋にどれだけの時間が費やせるか分からない。
 レイチェルは道路に飛び出してタクシーを止めると、テイラーと共に慌ただしく乗り込んだ。


 用心に用心を重ねて、あのアパートあるブロックから距離を置いてタクシーから降りた。
「ここからは歩きよ」
 レイチェルは、鞄から取り出したチープなウィンドブレイカーを少しラフなパンツスーツの上から羽織った。そしてハタと後ろを振り返る。
 目にするだけでお堅い職業だということを雄弁に語っている真っ黒いスーツを見て、レイチェルは溜息をついた。
「これじゃ、いくらアタシが貧乏人装っても、全然効果なしね」
 テイラーは自分の姿を見下ろし、憮然とした表情を浮かべる。
「そんな話は一切聞かなかった」
 よくも悪くも役人ねぇ・・・。
 レイチェルは意識しないようにして、足を進めた。
「この通りを曲がったところよ」
 レイチェルが先に立って角を曲がった時、思わずレイチェルはあんぐりとした表情を浮かべ足を止めた。
 レイチェルが急に足を止めたため、危うくテイラーがぶつかりそうになる。
「ど、どうした?」
 テイラーの質問にもレイチェルは答えることができず、呆然としたまま一歩二歩と足を進めた。
 だがしかし、レイチェルが問題の部屋があるアパートメントにまで近づくことは適わなかった。
 なぜなら、そのアパートメントの前には消防関係の車両が止まり、三階にある例の部屋の窓は真っ黒に焼け落ちて見る影もなかったからだった・・・。

 

Amazing grace act.114 end.

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編集後記

ぬひょ~、お元気ですか?(←壊れ気味?)
熱いです(汗)。蒸し暑いです。ここは亜熱帯なのか(亜脱臼でなく!!)。
いやぁ~、ベッカム来ましたねぇ。いきなりミーハーなネタですが。 やっぱオットコマエには弱いですよ、ええ!
今回サムライヘアで来日した彼ですが、国沢的好みから言えば、ワールドカップの時のスーツにソフトモヒカンがよかったっすね。
スーツに短髪!これがいいっすよっ!やっぱ!
しかしそれにしても・・・。奥さん、色黒いっすねぇ~・・・・。(ヒサロ通い?)

[国沢]

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