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nothing to lose title

act.84

 レイチェルは、紙袋の中からステラお手製の健康メニューを取り出し、ベンチシートの上に並べていく。マックスは、容器の蓋を取りながらレイチェルの顔色を窺った。
「レイチェル・・・言っておきたいことってなんだい。言っておくけど、今やっていることをやめるつもりはないよ・・・」
「バカね、そんなことじゃないわ。そんなこと言うつもりだったら、こんなもの持ってくる訳がないじゃない」
 オーガニックティーが入っているポットを掲げてレイチェルが言う。
 レイチェルは苦笑いを浮かべた。その表情には、諦めが半分・・・といったところだろうか。
 ウォレスがマックスの元を去って、そしてマックスが決意を固めるまで、彼女はずっとマックスの側にいた。
 仕事の合間を見つけては病院に顔を出し、入院生活のマックスの世話をかいがいしく見てくれた。彼女にこんな家庭的な一面があったなんて、マックスが驚いたほどだ。
 だが、少しの間で彼女は随分と老け込んだ。以前の天真爛漫な雰囲気がなくなり、今回の一連の事件で彼女の中でも何かが変わりつつあることを感じさせた。
 彼女もまた、多くの大切なものを失ったのだ。
 昔は恋人だったこともある友人の死。実の弟のように可愛がっている従弟の身に降りかかった悲劇。そして、そのことにより自分の恋人との決別を密かに決めたこと・・・。
 今回の事件でマックスの最愛の人は彼の元から去っていたが、レイチェルは自ら最愛の人から去ることにしたのだ。
 レイチェルが肌身離さず持っている数枚の写真と古いアパートメントの鍵。
 まるでケヴィン・ドースンの形見のようになってしまったこれらの品は、明らかに事件の重要な証拠品だった。
 誰のためにそれを自分の懐に隠してしまったのか、彼女自身よく分からなかったが、その品を警察に届けることはできなかった。今も持っている。この瞬間も。
 だからこそ、セスと別れなければと思った。
 このことがばれてしまえば、いずれセスにも迷惑をかける。
 セスは、この事件の捜査の中枢にいる人間だった。
 最愛・・・最愛か。
 付き合っているころは、そんなこと思ってもみなかった。ところ構わず「愛しているよ」と言ってくるセスに対して、レイチェルははっきりと意思表示をしたことはなかった。傍目から見ると、セスの思いの方が大きいように見えた。
 だけど・・・。
 セスの元を離れることを決めてから、心の空虚感が意外なほど大きいことに彼女は戸惑った。ドースンや他の男達と別れた時には決して感じなかった程大きな感情・・・。
 だが今更どうしようもない、どうしようも。
 そう思っていた矢先、マックスの決意を聞いた。
 自分自身、涙が枯れるまで深く傷ついたマックス。彼が立ち直ることは遠い先になる。私が支えて上げなくては・・・そう思っていたのに、彼は今までレイチェルが見たことないような一人前の男の顔つきをして、愛する人を追いかけることを決めた。
 レイチェルにとって、そんなマックスが眩しくて仕方がなかった。
 自分には持てない勇気を、いつまでも頼りないと思っていた従弟の中に宿っていると感じた時、自分の方法は間違っていると思った。彼らを離すことは無意味で残酷なことだと。ウォレスからマックスを離すことで彼の安全が確保されることは大切だが、それによってマックスの心が死んでしまっては、何の意味もない。彼らは、お互いの心が死んでしまうほど、愛し合っている・・・。
 レイチェルはどういう結果になろうと、マックスの気持ちを大切にしてやろうと思った。
 自分には叶えられない気持ちを託すように、マックスを応援していこうと・・・。
「あんたには、本当に悪いことをしたと思っているの」
 レイチェルは静かにそう言った。
「・・・レイチェル」
 マックスはレイチェルを食い入るように見た。レイチェルは少しだけ鼻を啜った。
「私は汚い手を使った。そうやって、彼があんたの元から離れるようにし向けた。彼があんたを心の底から愛していると知っていたから。彼なら、きっとそうすると分かっていたから。・・・あたしは、彼を脅したのよ。この写真を使って彼を脅した」
 レイチェルはマックスの前に例の写真を出した。
「許してもらえるとは思わないけど、あんたの身の安全を考えてしたことなの。それだけは分かっていてほしい」
 写真を持つレイチェルの手は震えていた。
 その手を、マックスの温かい手がそっと支える。
「バカだな・・・俺の従姉殿は」
 レイチェルが、涙を溜めた目を見開いてマックスを見る。
「レイチェルが、俺のことを一番に思ってくれていることは十分分かっているよ。そうでないと、こんな危険なデリバリー、レイチェルに頼むと思うかい?」
 マックスは、さっきレイチェルがして見せたようにポットを手に取るとコミカルに翳して見せた。
 やっとレイチェルの顔に、素直な笑みが浮かぶ。
「レイチェルには、本当に心配ばかりかけてる・・・。でもこれだけは止められないんだ。自分でも」
 レイチェルは涙混じりの笑みでコクコクと二回頷いた。
「あんた・・・ホントに強くなった。小さい頃、女の子にケンカで負けてきてベソかいてただなんて嘘みたいよ」
「やだな、いつの話をしてるんだよ」
 マックスがあからさまに顔をしかめる。レイチェルは、声を潜めながらも笑い声を上げた。彼女独特のあの耳につく笑い声。マックスは、しばらくぶりに聞くその笑い声にほっとした。レイチェルにはやはり、あの溌剌とした笑い声が似合う。
「早く食べちゃいなさいよ。誰か来るとマズイでしょ」
「ああ」
 マックスは、ボリュームのあるホットサンドイッチを頬張りながら、容器の先に見える数枚の写真に目をやった。
「これ? 例の犯人の日記とやらは・・・」
「ええ、そうよ」
「本物?」
「ええ、間違いないわ」
 ポットのオーガニックティーを注ぎながらレイチェルが言葉を返す。そんなレイチェルの表情を見ながら、マックスは訝しげな表情を浮かべた。
「こんなもの・・・どこで?」
 レイチェルは一呼吸置いた後、答えた。
「言ったでしょ。ケヴィンが持ってたって。新聞社のケヴィンのデスクに隠してあった。古ぼけた鍵と一緒に」
「鍵?」
「そう」
 レイチェルは懐から鍵を取り出す。マックスの前に、取っ手に赤錆がこびりついた鍵が差し出された。
「随分古い鍵だね。何の鍵?」
「さぁ、私にも分からない。どこかのアパートメントの鍵だろうけど。ケヴィンが家の他に部屋を借りている話なんてきたこともないし・・・おそらく今回の事件を調べているうちに借りたんでしょう。多分そこに、事件の資料が眠っているわ。ケヴィンは自分が掴んだネタに対しては本当に用心深い人だった。同僚の記者のことも信用していなかったし、スクープだと感じたネタは、同僚からも注意深く隠していたものよ。事実、爆発して燃えたケヴィンの家からは、事件に関するネタは何も出てこなかった。これは事実よ。何も出てこなかったということ自体、彼が他に秘密の部屋を借りていたという確かな証拠になるわ。この写真は、夜に私がケヴィンに声をかけた時、慌ててデスクの引き出しに隠したものだったの。そんなことがなければ、きっとこれも彼の隠し部屋にあったはずよ」
 マックスはレイチェルの台詞を聞きながら、マジマジと証拠の品を見つめた。
 事件の謎の断片を匂わせる唯一の証拠・・・。
 マックスはそのことを思って、ハッとした。
「レイチェル。こんなもの持っていて大丈夫なのかい? もう警察には事情聴取されたんだろ?」
 レイチェルは少しだけ肩をすくめた。
「警察は知らないわ。この写真のこともケヴィンが隠し部屋を借りていただろうことも。私は何も話さなかった」
「レイチェル?!」
 思わずマックスの声が大きくなる。レイチェルが言ったことが何を意味しているのか、マックスにもすぐ分かった。
 レイチェルの行為は、証拠隠滅に当たる・・・。
「駄目だよ、レイチェル。もし隠していることがセスにばれたら・・・」
「セスにはばれないわ。セスには、ばれないの」
 レイチェルは一際しっかりとした声でそう言った。彼女なりの決意が伺えた。
 マックスは、眉間にしわを寄せる。
「レイチェル・・・?」
 マックスがその先を続ける前に、レイチェルが口を開いた。
「これを警察に渡せる訳がないじゃない。よく見なさいよ、これを」
 レイチェルが一枚の写真を取り上げて、マックスの前に突きつけた。
 写真の中央にはっきりと写る、ジム・ウォレスの姿・・・。
「これが警察に渡れば、ミスター・ウォレスに捜査の手が伸びる。それが彼にとってどんなに危険なことか、あんたが一番知っているでしょう?」
 マックスは思わず口を噤む。レイチェルは続けた。
「例えこの事件に関してジムが何も関わっていないとしても、彼の身辺は隅々まで調べられる。彼があんたの病室で口に出したことも全部。・・・私は、彼があんたにどういうことを話したかは全て知らない。他の誰も、皆そうよ。でもあんたは聞いた。そうでしょ? 彼の素性を・・・」
 マックスの耳の奥に残る、ウォレスの声・・・。
『私の名は、アレクシス・コナーズ。私はIRAの戦闘員としてたくさんの暗殺計画に加担してきた・・・』
 過去の罪を背負いつつ、表舞台から隠れるように生きてきたジム。
 彼の犯した罪は大きいが、そのため彼が負った傷はもっと大きい。
 犯人の日記を見る限り、犯人はジムの素性を知らないでいる。勝手な妄想に明け暮れ、のめり込んでいるのだ。結果的に、『愛する』ジム・ウォレスを窮地に陥れていることにも気づかずに・・・。
 マックスの心に、深い憎しみの気持ちが生まれた。
 人をこんなに憎むことが出来るのかと思うほど、それは強い感情だった。
 今だに、この犯人は日の光の下を堂々と歩いているのだ。
 そして今も、ジムに対して歪んだ愛情を抱いている・・・・。
 早く、早くここから抜け出さなくては・・・。
 マックスはじれったさに歯ぎしりをした。

 

Amazing grace act.84 end.

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編集後記

またまた昼ドラの話になっちゃいますけど(かなりはまっているのがお分かりかと・・・)、安川ちゃん、血反吐吐いちゃいましたね(汗)。命かけてまで悪人社長を愛していたなんて・・・(涙)。最終回を迎えることなく画面から消えることが確実な安川ちゃんに乾杯(滝涙)!
それはそうと、国沢またも仕事が過密スケジュールになってまいりました。実は今日も家への帰還が午前3時でして(汗)。
来週更新もできるかどうか・・・。ちょっと状況が分からないので、分かり次第掲示板でお知らせいたします。ほんとごめんなさい。たはは、仕事人の辛いところです。明日も仕事が入っていて、メールのレスポンスが悪くなりそうです(というか既に悪くなっているのですが・・・)。重ね重ね、ごめんなさい。
安川ちゃ~~~ん!!! カムバァ~ク~~~~~!!!(あれ?)

[国沢]

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