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nothing to lose title

act.100

 ハロルドはその時、解凍した3個目のランチプレートに食らいつこうとしていた。
 けたたましくチャイムが鳴らされる。
 大学を卒業してからアパートメントの一室に引きこもっている彼には、何とも憂鬱な音だった。
 ハロルドは顔を顰めながら、メインに使っているパソコンのキーボードを数回叩いた。プレイガールも真っ青のダイナマイトボディーを誇るCGガールが踊るオリジナルのスクリーンセイバーが消え、スケジュールが表示される。
「ふん・・・」
 やはり今日は、客が来る日ではない。
 ハロルドを訊ねてくる人間と言えば、ハロルドがデリバリーを頼んでいる業者の人間とハロルドの作ったソフトやコピーしてきたデータ(違法なものも含まれる)をハードメディアに落としたものを受け取りに来る客ぐらいだ。以前、時々忘れた頃に現れる幼なじみのケヴィンは、死んでしまった。
 居留守を決め込んだハロルドだが、チャイムは鳴りやまない。
 やがてドアの外から、「いることは分かっているんだから!」という女の声が聞こえてきた。ドンドンと扉を叩く。
 ハロルドは目に見えて身体を飛び上がらせた。
 小太りな身体を揺らしながら、魚眼レンズを覗き込む。
 栗色のセミロングヘアに小振りな顔。プラム色の口紅をつけた唇が、ガムを噛みしめる度に歪む。長い睫に彩られた大きな瞳は、コケティッシュだ。
 ハロルドはその女のことを知っていた。
「うわぁ、どうしよう・・・」
 ハロルドの顔から冷や汗が吹き出す。
 訳もなくハロルドは、ドアの前でぐるぐると歩き回った。
 レイチェルだ。レイチェルが来た。
 女は、ケヴィンの彼女だった人だ。
 2回ほどケヴィンについてここ前まで来たことがあるが、2回ともアパートの前までで中には入ってこなかった。
 ハロルドは、窓から彼女の姿を見ただけだ。
 それでも、ハロルドにとっては心ときめく女性だった。
 年は自分とそう変わらない筈だが、ベビーフェイスなところがいい。そしてあの気の強そうなところも。
 今日初めて声を聞いたが、この甲高い独特の声も想像通りだった。
「早くここを開けて!」
 更にチャイムが鳴らされ、ドアが叩かれる。
 ハロルドは、ボザボザの髪を手で撫でつけ、はみ出したシャツの裾をズボンの中に突っ込みながら、ドアを開けた。チェーンがかけられているので、全部開かない。
 ドアの間から見えたレイチェルの大きな瞳が、ふてぶてしくチェーンを見上げた。ハロルドは慌ててチェーンを外す。
「や、やぁ。君は・・・」
「レイチェルよ。レイチェル・ハート。あなたは知らないでしょうけど、私実はここに2回ほど来たことがあるの。その時は車を降りなかったけれど。ケヴィンの友達よ」
「き、き、君のことはよく知ってるよ」
 素早く答えるハロルドに、レイチェルは目を見開いて小首を傾げる。
「あ、あの、ケヴィンにいろいろ聞いていたから」
「あ~、なるほどね」
 レイチェルが頷く。
「入ってもいいかしら」
 高圧的に言う彼女に、ハロルドは慌ててドアを広く開けた。
 部屋に入ってきたレイチェルは、物珍しそうに宇宙船のコックピットのような室内を見回している。
「ケヴィンからは聞いていたけど。凄いわね」
 ハロルドは、ドアを閉めて鍵をかけると、素早くチェーンをかけた。その様子をレイチェルが振り返って見ている。
 再び、ハロルドの顔から冷や汗がどっと流れた。
「あああ、あの、これには深い意味はないから・・・」
 あたふたとしているハロルドをじっと見つめて、レイチェルは一言言った。
「落ち着いて、ハロルド」
 ハロルドが動きを止める。レイチェルは、ハロルドが今し方まで座っていた椅子を目で指した。
「座ったら」
「あ、ああ。そうだね」
 ハロルドは、椅子に座って一息つくと、ランチプレートの隣にあったコーラを一気飲みした。ゲプっと喉が鳴る。
 ハロルドが顔を真っ赤にして再び汗をダラダラと流すのを見て、レイチェルは頭をがりがりと掻き、ハロルドの家の冷蔵庫からコーラの缶を勝手に取り出した。
 プルタブを開けたレイチェルは、ハロルドのようにコーラを一気飲みすると、ハロルドが出したゲップより更に大きくて長いゲップを出した。
 ケタケタとレイチェルが笑う。
 その頃になってハロルドもやっと落ち着いてきた。声を上げて笑うレイチェルについて、ハロルドもへらへらと笑う。
 レイチェルは、キッチンにあった椅子を勝手にハロルドの前に移動させると、そこに腰を据えて足を組んだ。
「さぁ、ハロルド。聞かせてちょうだい。ひょっとしたら私の勘違いかも知れないけれど、あなた、ケヴィンが死んだ以前に彼に会わなかった?」
 ずばり確信を突かれた質問に、ハロルドは顔を取り繕うことができなかった。十中八九レイチェルの策略に填ったことにハロルドは気が付いた。
「会ったのね。まさか、幼なじみのあなたが、ケヴィンの情報屋もやっていたなんて気づかなかったけど、記者仲間からファットマンの名前を聞いた時、あなたの顔が浮かんだわ。あなたには悪いけど、痩せぎすのケヴィンの身の回りで太ってる人って言ったら、あなたしかいない」
 レイチェルの目は、確信に満ちていた。
 そしてハロルドの姿を真っ直ぐ捕らえて離さなかった。
「教えてちょうだい。ケヴィンとあなたの間で、どういうことがあったのか。心配しないで、例え何があっても悪いようにはしないわ。私はただ、真実が知りたいの」


 女は、アパートメントの前でうろうろとしていた。
 女は、目の前のアパートメントに入る隙を窺っているようだった。
 標準的なこのアパートには入口にブザーがあって、正面ドアにはロックがかかっている。女は決してブザーを鳴らさず、アパートの入口が開くチャンスを窺っているようだ。
 女がなぜそうしているのかは分からなかったが、女は上手い具合に老人がアパートメントに入るのに合わせて、自然にアパートの中に入って行った。
 ジェイクはジャケットの襟を立て、通りを走る車を手で止めながら、通りを渡った。
 アパートメントの入口ドア前に立つ。周囲に目を配りながら、ドア鍵を見た。
 なんてことはない鍵だ。
 ジェイクはポケットからボールペンを取り出す。それをジャケットの陰で解体して、二本の細長いピンを取り出した。
 ドアが開くまで、ものの30秒とかからない。
 ジェイクが中にはいると、ひとつ上の階からドアをドンドンと叩く音が聞こえた。
「早くここを開けて!」
 耳に付く独特の声。あの女の声に間違いなかった。
 ジェイクは足音を忍ばせて階段を上がる。
 ガチャガチャとドアが開く音に続き、バタンとドアが閉まる音がした。
 残念ながら、階段の端から様子を窺っていたジェイクには、どのドアが閉まったのか確認が出来なかった。
 待つしかないか・・・。
 ジェイクは、二階の廊下の陰に身を寄せ、そこに腰を据えることにした。


 マックスからミゲルに電話がかかってきたのは、昨夜のことだった。
 マックスは、忙しいミゲルのことを気遣って、電話であの時の返事を伝えようとしてきたのだが、ミゲルがそれを断った。マックスの顔を見ながら返事が聞きたかったからだ。
 ミゲルはその日の晩のうちに翌日のスケジュールを変更した。またマックスに会えると思うと、心が騒いだ。
 マックスには、あの日あまり言わなかったが、正直ミゲルはマックスに夢中だった。
 あんなにひたむきな人間をミゲルは今まで知らない。表面的にも確かにマックスは美しかったが、ミゲルがここまでマックスに本気になったのは、マックスの心根が本当に美しく思えたからだ。
 彼が今抱えてしまった傷から立ち直る為なら、何でもしようと思った。
 早く彼の笑顔が見たい。
 そう思ってミゲルが病院についたのは、翌日のお昼過ぎのことだった。
 飛行機のチケットを取るのに手間取ってしまった。
 逸る気持ちを抑えつつ、マックスの病室に向かうと、その途中の廊下でマックスとミゲルは鉢合わせをした。
「やぁ、ミゲルさん」
 ガラス越しに差し込む柔らかい光の中、穏やかな笑顔を浮かべながら廊下を歩いてくるマックスを見て、ミゲルは目を丸くした。
「・・・マックス・・・。随分短く髪を切ったね・・・」
 ミゲルが思わず足を止めてそう呟くと、マックスはすっかり短くなった前髪を摘みつつ、照れくさそうに笑った。
「伸ばしたい放題になってたから、病院にある床屋でカットしてもらったんですよ。一昨日に切ったばかりで」
 襟足も短くカットされていて、濃いブロンドの毛先があちらこちらに向かって跳ねている。びんたは少し長目だ。ブリティッシュの若者の間で最近流行っているような髪型。
 つい先頃までの艶のある長い前髪とは全く雰囲気が違い、より男っぽい印象だ。
 それはそれで若々しくとても似合っていたが、フェミニンなルックスが好みなミゲルには少し名残惜しかった。
 なんでマックスは、今になってこんな無造作な髪型にしたのだろう。
「寝癖がね。寝癖がついても様になる髪型にしてもらったんですよ。面倒くさがりだから、俺」
 廊下に置かれたカウチに座りながら、マックスは明るい笑顔を浮かべた。
 明らかにこの前あったマックスと様子が変わっていた。
 会わなかったほんの少しの間に、何かあったことは確かだった。
 マックスの表情は、その髪型も相まってどこかさっぱりしており、酷く男っぽく感じた。
「何かあったの・・・?」
 ミゲルはマックスの変わり様に思わず疑問の声を上げる。
 マックスはミゲルを見つめると、笑顔を浮かべてコクコクと二回頷いた。
「ふっきれたんだ。そうなんだね」
 ミゲルがそう言うと、マックスは更に笑顔を浮かべて再びコクコクと二回頷いた。
 その表情を見て、ミゲルは今日のマックスの返事がどういうものであるか分かったような気がした。ミゲルはため息を吐くと、壁にもたれかかり、天を仰いだ。
「まさか君の恋がここにきて再燃するとはね」
「すみません。あなたに言って貰ったことは、本当に嬉しかった。警察の人にも相談しましたが、確かにその方がいいっていう意見も多くて。本気で迷いました。でも・・・」
 ミゲルが、マックスに視線を戻す。
 マックスは、ガラス越しに見える中庭の風景をじっと見つめていた。
 その精悍な横顔は、覚悟を決めてもう迷いがないことがはっきりと分かるような、清生とした表情だった。
 彼は、こんなに逞しい表情をしていただろうか・・・。
 ミゲルが今まで見たことがあるマックスの顔は、いつもどこかドタバタとしていて、時に不安げで時に頼りなげで。それが彼の新鮮な魅力と感じていた。
 それがどうだろう・・・。今目にしている彼の雰囲気といったら・・・。
 ミゲルはマックスの穏やかでそれでいて逞しいオーラに、背中をゾクリとさせていた。
 自分は今まで、ほんの少しの彼しか見ていなかったのだ。
 なんて自分は浅はかだったのだろう。
 今この瞬間をカメラに収めることができたなら・・・。
「俺はこの街に残ろうと思います。確かに危険だし、いろんな人に迷惑をかけるかもしれないけれど、ここが俺の生きる世界だ。そして、俺の心にいる人も、ただ一人なんです。ようやく・・・本当にようやくそれが分かった。あの人は、俺が思うことで苦しむかもしれないけれど、その苦しみはやがて喜びに変えることができる。信じれば、そうできると思う。そう思うことにしたんです」
 マックスは立ち上がると、ギブスの填められた右手を派手にブンブンと振り回した。
「今日ギブスが取れます。来週には、病室ともお別れです。俺は、生まれ変わる。生まれ変わります!」
 マックスは、さっきまでとは対照的に少年っぽい笑顔を浮かべて、その場で飛び跳ねた。
 その様子を見て、ミゲルは思わず笑い声を上げる。
「ローズさん! ここをどこだと思っているんですか?! それにあなたはまだ怪我人なんですよ?! 無理をしないでください!」
 騒ぎを聞きつけた婦長が、怒鳴り声を上げる。マックスとミゲルは、同時に自分の口を覆い、肩を竦めると、互いに目を合わせてひっそりと笑いあったのだった。

 

Amazing grace act.100 end.

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編集後記

あ、ごめんなさい。ちょっと土曜日ぶっちぎっちゃいましたね(汗)。
今週、もうすぐカウンタ15万だぁ~と思って全然勘違いしていた国沢なんですが(汗)←15000も足りませんでした。
老人力まっしぐらですね!もう数字もきちんと読めません。そんな感じなので、アメグレ100回っつってもいまいち信じられない国沢なんですよ。いや、ほんとマジで。(かなり痛切)
なんだか今週は騒がしかったです。掲示板も突如不具合に見回れるしね。これは無事書き込みだけはきちんとできるようになりましたが。幸い、掲示板使ってるのが国沢だけなので、被害は少なかった模様・・・(←この辺、ちょっと複雑だけど。ざぼ~ん)
でもいいんです!うちのお客様はシャイな方が多いから、皆様の愛情は、メールでしっかり頂いておりますので、ひしひし感じておりますよ!!それはきっと国沢がシャイだからねv・・・・。あれ?ひいてますか?
ざぼざぼ~ん。

[国沢]

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