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nothing to lose title

act.12

 セスが爆弾事件の捜査に追われているのと同様に、レイチェルもまたその事件に追われていた。
 時として、都市の発展性を見極めるひとつの手段として、発生する犯罪の性格を取り上げることがある。C市も例外ではなく、ここ数年の間に凶悪快楽殺人事件も発生するようになった。しかし、今回のような爆弾を使用した無差別殺人未遂事件は初めてであった。過去、爆弾が使用された事件は幾度もあったが(その度にレイチェルも、セスの身を案じなければならなかった)、標的や動機が不透明なものはひとつとしてなかった。それに比べ、トレント橋の爆弾事件はまったく違っていた。テロリストの犯罪のような犯行声明も出されず、しかるべきところに対する金の要求もない。この事件は、事件が発生すること自体が犯罪の動機にあたるような、愉快犯的な様相を呈していた。レイチェルは、この手の犯罪が一番始末に負えないことを知っている。幸い爆発の規模が小さかったために死者こそは出なかったが、50人近い人間が何らかの被害にあっている。
 事件発生の一報を聞きつけ、カメラ片手に現場に急行したレイチェルは、現場の生々しさに一瞬息を飲んだ。爆発に誘発された玉突事故のせいで、辺りはけが人のうめき声とヒステリックに騒ぎながら逃げまどう人々でごった返していた。街中から集まってきた救急車も、2度目、3度目の爆破の危険性を心配する警察によって思うような救助活動が出来ずにいた。混乱する現場の中、レイチェルはセスの姿を確認することはできなかったが(爆弾の設置場所だと思われている場所は既に黄色いテープによって遥か離れた場所から立入禁止にされていた)、レイチェル自身、突然の不幸に出くわした被害者の痛みの方に気を奪われていた。レイチェルはシャッターを切り続けた。この状況を余すところなく記録するつもりだった。だが、ある少女の姿がファインダーに入ってきた時、レイチェルはついにシャッターを切ることはできなかった。少女は、潰れた車の助手席に挟まって身動きが取れずにいた。彼女の母親は既に救出されていたが、少女の救出は難航しているように見受けられた。救急隊員の持つ数々の重機に囲まれつつ呆然とした表情の少女の顔は割れたガラスで酷く傷つけられ、いくつかの深い裂傷からは血が吹き出し、顔中が真っ赤に濡れていた。恐らく、一生消えることのない傷を背負ってしまったその少女を見て、レイチェルは現場で初めての涙を流したのだった。


 一方、C・トリビューン社の社内も、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。いく人もの記者が社外や社内で情報収集に明け暮れ、編集長のケリガンは久しぶりに興奮した様子で編集員に激を飛ばしていた。
 電話は鳴りっぱなし。コーヒーメーカーは焦げくさい臭いを編集室に充満させ、部屋の中央に置かれたドーナツの山も減ることはなかった。
 写真を取り終え帰社したレイチェルも、朝刊の差し替えのための写真現像作業に追われた。徹夜は確実だったが、そんなことは問題ではなかった。またひとつ、許されざるべき犯罪が発生したのだ。レイチェル自身、自分の叔母を無差別爆弾テロによって殺されて以来、この手の事件は許すことができなかった。
 レイチェルが現像室からいきおいよく飛び出すと、出会い頭に社員の一人とぶつかった。今印画紙に焼き付けたばかりの写真が床に散らばる。
「すみません、大丈夫ですか」
 癖のあるアクセントで男はそう言うと、床に広がる写真を拾い集めた。
「ごめんなさい、私の方がいけないの。部屋から飛び出したりしたものだから」
 尻餅をついた腰をさすりながら、レイチェルは肩を竦めた。
「これは・・・、爆弾事件の写真ですね」
 男は、拾い上げた写真をまじまじと見つめてそう言った。その目が余りに執拗に写真を眺めていることに気づいたレイチェルは、男の全身をさっと観察した。なぜなら、社内で見かけたことのない男だったからだ。男はデニム生地の着古したシャツとカーキ色のワーキングパンツを履いており、お世辞にもきれいな格好とはいえなかったが、その胸ポケットにはC・トリビューン社の社員である証のパスが挟まれていた。ベン・スミス。配送係と記されてある。道理で見ない顔だと思った。レイチェルも、地下にある新聞の配送センターには行った試しがない。しかしこのスミスという男には、それ以外にもレイチェルの第六感に引っかかる何かを感じさせた。薄い色の金髪とぎょろりとした大きな瞳。彫りの深い岩のような顔つき。こんな大都市の新聞社に務めているような男には見えなかった。そして、凄惨な事件現場の写真を執拗に見つめるその瞳・・・。
 なぜか不気味なものを感じたレイチェルは、「写真を拾ってくださってありがとう」と慌ただしく言うと、男の手から写真を取り、男の返事も聞かずに編集室に向かった。知らぬ間に腕には鳥肌が立っていた。こんなことは、まったくレイチェルらしくなかった。


 レイチェルが編集室に戻ると、警察署に行っていたケヴィン・ドースンが帰ってきていた。
「レイチェル!」
 レイチェルの姿を見ると、ドースンは手を上げて彼女に近づいてきた。そのドースンが、レイチェルの顔を覗き込む。
「どうした、レイチェル? 顔色が悪いぞ」
「別に、どうもしないわ。それより、いい記事は取れたの?」
 ドースンはレイチェルの写真を覗き込みながら肩を竦めた。
「どこの記者もお手上げって感じだったよ。警察はまるで報道規制を引いたように口を閉ざしている。恐らく、警察も戸惑っているんだな。こんな不気味な爆破事件は今までなかったから」
 ドースンの不気味という言葉を聞いて、レイチェルは一瞬先ほどの男を思い起こした。ドースンはレイチェルにお構いなしに話を先に進める。
「警察署にはマットが残ってる。何かあったらすぐさま連絡が入ると思う」
「それで? どうしてあんたは戻ってきた訳?」
 最初にレイチェルに声を掛けてきた時の表情からすると、ドースンが何かを掴んでいることは明らかだった。ドースンはレイチェルの肩に軽くて手を起き、近くの空いた席に腰掛けさせた。
「これは直接爆弾事件と関係ないとは思うんだが・・・」
 ドースン自身も側の椅子を引き寄せてレイチェルの向かいに腰掛けると、レイチェルが予測したように、話の口火を切りだした。
「いつものように事故処理担当部署のヘイゼルに袖の下掴ませて、今日の事故発生状況のリストを見せてもらったんだ。爆弾事件に関することで何か掴んでやろうと思ってね。そしたら、それとは関係のない事故で意外な名前にぶち当たった。誰だと思う?」
 まるで子どものようなドースンの目に見つめられ、レイチェルは舌打ちをした。
「ケヴィン。私には時間がないの。この写真だって、早くデスクの元に届けなけりゃならないのよ」
「分かった、分かったよ!」
 ドースンがレイチェルを宥めるように、両手を顔の横に上げた。降参のポーズだ。
「シンシア・ウォレスだ」
 レイチェルが眉間に皺を寄せる。レイチェルには、その名前にどんな意味があるかさっぱり分からなかった。未だにからかわれていると思ったレイチェルは、思わず席を立つ。 「wow wow!」とドースンがレイチェルの肩を掴んだ。早口でまくし立てるように言葉をつなげる。
「ジム・ウォレスの娘だよ! あのミラーズ社の!」
 レイチェルが振り返ってドースンを見やった。
「何ですって?」
「諦めないで食い付けって言ったのは君の方だろ、レイチェル」
 ドースンは肩を竦めてみせる。
「どういう事なの? ・・・・ねぇ、どんな事故だったの? 彼女は無事なの?」
 レイチェルが畳み掛けるように問いただすと一瞬怯んだドースンは再び椅子に座り込んだ。
「落ちつけよ、レイチェル」
 ドースンの台詞に、レイチェルは一瞬カッときた。
 落ちつけ? 落ちつけですって?! 人にそんな話ふっかけといて、何言ってのよ、こいつ!
 もう少しで得意の癇癪を爆発させそうになりながらも、レイチェルは何とか自分を抑えた。
 レイチェルは、ウォレスに娘がいることを知っていた。既にマックスから聞き出していたのだ。だが、マックスからウォレスの会社内での評判や態度などを数多く聞き出しても、その大部分が謎に包まれていることは変わりなかったし、ウォレスには生活の臭いすら感じることができなかった。
 ウォレスのことを諦めるなとドースンにハッパをかけたのは、確かにレイチェルだ。こんな面白いネタを逃す手はない。ドースンもマックスから伝えられたウォレスの人物像に引かれていることは明らかだった。だからこそ彼も、通常の仕事の合間を縫っては情報を拾っていった。中にはマックスからは手に入れることができなさそうな情報もあったが、この数週間の収穫は少ないと言えるだろう。かえって謎が増えていると言った方がいい。
 取ってつけたような経歴、ある日突然ベルナルト・ミラーズの影のように現れてからのミラーズ社の発展。大都市ボストンから当時はまだ寂れた片田舎でしかなかったこの街に会社の拠点を動かしたのも、ウォレスの采配であることは明らかだった。
 答えはまだ何も出ていない。ウォレスが一体何者で、どんな人生を歩んできたのか。どうして今のような状況の中に身を置いているのか。一人娘をウォレスに残して死んでいったと言われているウォレスの妻は、一体どういう風にして二人の前から消えてしまったのか・・・。
 その謎の一部であるウォレスの娘が事故にあったという。レイチェルは、ウォレスをとりまいている実体のない靄のひとつが、ようやく現実として触れることができたような気がしてならなかった。
 レイチェルは、側を通った編集員を捕まえて写真をデスクの元に届けてもらうように頼むと、改めてドースンに向き直った。爆破事故のことも大切だったが、ドースンの話も聞かずにはおれなかった。
「それで、どうなの」
「トレント橋で爆破事故が起きた約10分後、ミラーズ社の目と鼻の先でシンシア・ウォレスは事故にあった。ひき逃げだ。犯人と思われる車も人間もまだ見つかっていない。右腕を骨折して病院にかつぎ込まれている。幸運なことに彼女、たまたま側を通った医者に命を助けられたんだ。事故直後、ショック状態で心臓が止まったらしい。今は命も取り留めて、セント・ポール総合病院に入院している」
 レイチェルはその病院の名を聞いて眉を寄せた。マックスが前に務めていた病院だったからだ。
「事故の状況からして、彼女は命を狙われんだと俺は思うね」
 ドースンが声を潜めて言った。
「犯人は彼女を狙ったんだ。車は、急発進して彼女を跳ねた。警察は単なるひき逃げ事件だと処理しているようだが、俺はそうは思わない。警察のやつらも爆発事件でてんてこまいだからそんな扱いになってしまったんだろう。しかも犯人は素人だ。犯行はずさんで隙間だらけ。ナンバーを読まれなかったのは幸運だったといえる。ひょっとしたら犯人は、この間のW&PC社に関するトラブルに関わっていた誰かかもしれない。しかも、ウォレスが黒幕だと知っている人物だ。そんな人物は数少ない。何かありそうだとは思わないか?」
 確かにドースンの言う通りだった。何か臭う事故だ。レイチェルは考え込んだ。
「・・・トレント橋の爆破事件との関連はないのかしら? ミラーズ社とトレント橋の現場は、そう遠くないわ。橋での爆発を見届けた犯人が逃げる際に彼女を跳ねたとは取れないの?」
「それはないな。車は急発進する前は路肩に縦列駐車していた。逃げる車がそんなところに止まってると思うかい?」
「そうね・・・。時間的には犯人が事故現場を通ってもおかしくない状況だけど・・・」
「とにかく、この事故についてはもうちょっと調べてみる価値はある。君の従兄弟にもよろしく言っといてくれ。娘が事故にあった後のウォレスの様子が知りたい。じゃ」
 ドースンはニヤリと笑ってレイチェルの肩を2回叩くと、編集室を後にした。
 レイチェルは暫く呆然とドースンが出ていった方向を見つめていた。人の不幸に飛びつくのが記者の本能だとはいえ、罪悪感がないといえば嘘になる。だが、レイチェルとて好奇心は抑えられなかった。果たしてウォレスは、娘の事故を聞いた時動揺したのだろうか。ドースンの調べからすると、親子関係はあまりうまくいっていないらしい。冷徹な顔を見せるウォレスが、娘の命の危機を聞いてどんな顔を見せたのか・・・。
「ハートさん! デスクが呼んでます!」
 ふいにそう声がかかり、レイチェルは席を立った。気持ちを切り替えなければならない。
 レイチェルは深呼吸をひとつすると、編集長の部屋に向かったのだった。

 

Amazing grace act.12 end.

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編集後記

公開当時(2007年)は11話と12話一度にまとめてアップロードしていましたが、2015年のサイト改訂を期に2つに分けたので、1話分が短くなってます。思えば、アメグレ書いてたの8年も前のことなんだな〜としみじみ思う2015年正月です。

[国沢]

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