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nothing to lose title

act.36

 マックスは、聞き慣れた携帯電話の呼び出し音が遠くで聞こえたような気がして、うっすらと目を開けた。
 オレンジ色の光がブラインドの間から差し込んでいる。
 視界の傍らには、ウォレスの広い背中があった。ベッドに腰掛けたまま、電話で話している。
「・・・だから、何なんだ一体。電話で言えない事って、どういう・・・」
 彼にしては珍しく、神経質な声だった。
「判った。判ったよ。もう少ししたら、そちらに向かう。ああ、ああ。判っている」
 誰だろう・・・。シンシアだろうか・・・?
 ぼんやりとそう思っていたら、ウォレスが振り返った。目を覚ましているマックスに一瞬驚いた表情を浮かべた。
「シンシア?」
 マックスが訊くと、ウォレスは苦笑いした。
「すまない。本当は夜まで一緒にいようと思ったのだが」
 マックスは、ベッドの上に身体を起こした。
 俯きながら首を振るウォレスの髪の毛を、いらずらっぽく掻き乱した。
「そんな顔をしないでくださいよ、ジム。俺はそんなに聞き分けのない恋人にはなりたくない。俺もあなたも互いに仕事を持っている身だし、それぞれの家族や取り巻く環境も違う。高校生の恋愛とは違って、俺らぐらいの世代になると、いろんな柵がついてくる。でもそれ全てが大切な事なんだ」
 ウォレスが溜息混じりの苦笑を浮かべる。マックスはその頬を右手で包んで続けた。
「俺は、よき仕事人であり、よき父親でもあるあなたのことが好きです。だから、そんな顔はしないでください。あなたらしくない」
「すまない」
 マックスが声を上げて笑った。ウォレスが怪訝そうにマックスを見る。
「昔は、俺の方が謝ってばかりだったのに、今じゃジムの方が謝る回数が増えてる」
「・・・・。そうか・・・。そうだな・・・」
 ウォレスも顔を和らげた。
「早く。待っているんでしょう?」
「ああ、すまない」
 ウォレスは再び口をついて出た台詞に動きを一瞬止めると、ふいにふきだした。身体を折ってクククと笑っている。その少年のような表情にたまらなく惹かれながらも、マックスはクローゼットから洗い立てのシャツとスーツを出した。サイズはほぼ同じなので、大丈夫なはずだ。
 下着を着け終わったウォレスにハンガーごと手渡す。
「すまないは、言わないでください」
「判ってる。すまないね」
 今度はわざと言っている。これにマックスがふきだした。
「すみませんが、それやめてください」
「いや、すまん」
「いいえ、いいえ。こちらも気がきかなくてすみません」
 互いに『sorry』を連発して笑い合い、玄関からウォレスを送り出した。
「何だか、ガキみたいだな。俺たち」
 マックスはドアの前に立ったまま、そう呟いた。また少し笑って窓の方へと振り返る。
 向かいのアパートメントのカーテンがふいに開いて、おばあさんと視線が合った。
 最初は無言で見詰め合っていた二人だったが、やがておばあさんの視線が下に下がっていくのに気がついて、ハッとした。
 は、裸のままだった!
 マックスはソファーに置いてあるクッションを取って股間を隠す。
 誤魔化すようにだらしない笑顔を浮かべると、おばあさんも微妙な笑みを浮かべてきて、手を振ったのだった。


 濃紺のセダン車に乗り込みながら、ウォレスは少し空腹感を感じていた。
 思えば朝、マックスと朝食をとってセックスをしてから、そのまま眠り込んでしまった。携帯電話の呼び出し音に気がついて目を覚ますと、日はすでに西に傾いていた。
 マックスにははっきりと言えず、はぐらかしてしまったが、電話の相手はシンシアではなかった。電話の主はティム・ローレンスである。
 「話したいことがある」と言う彼の声は、非常に緊迫していて、彼らしくなかった。
 何かあったのだろうか。
 ローレンスがあんな声でしゃべるのは、よっぽどのことだ。
 まったく嫌な気分だった。


 C・トリビューン新聞社の記者、ケヴィン・ドースンは、その日も例のパブが上からうかがえる位置で何か動きがないか見張っていた。その口には、キャンディーバーを咥えながら。
 元IRAのテロリストだったティム・ローレンスの店がよく見渡せるこの部屋は、パブの向かいにある崩れかけのアパートメントの一室で、昨日格安でドースンが借り入れたばかりである。室内は埃まみれでねずみの糞が転がっており、備え付けのクローゼットがひとつ部屋にあるだけのガランとした空間だった。天井には、雨漏りの沁みが世界地図のように広がっている。
 ドースンのこの行動は、もちろん新聞社には秘密にしてあるので、ポケットマネーから家賃を捻出した。だが、C市のスラム街であるクラウン地区のアパートメントなので、家賃は驚くほど安く、驚くほど簡単に借りることができた。
 ドースンはここに厚手の毛布と寝袋、家のガレージの奥に突っ込まれてあったキャンプ道具一式を持ち込んでここに寝泊りしている。
 幸運なことに今週末、ドースンは休日にあたっていたので、思う存分自由に時間を使うことができた。妻も丁度、アルコール依存症克服セミナーに参加しているので、その点も気兼ねする必要がない。
 暖房設備が何もないこの部屋は、夕方になる頃から俄然冷え込んでくる。日当たりも悪いのでコートを着た上から更に毛布を巻きつけないと、夜は過ごせない。
 キャンディーにカタカタと歯の先が当たる音をさせながら、ドースンは窓の下を見下ろした。
 今日、ローレンスの店は週末だというのに店を閉めている。
 先日のセス・ピーターズとイギリス大使館の領事とかいう男が言った言葉が、ローレンスを激しく動揺させた。どうやらそのことが響いているのだろう。
『彼が追っているのは、ジェイク・ニールソンだ』
 ドースンは、セス・ピーターズが言った言葉を思い起こしていた。
 その言葉が出た途端、あの司祭のような穏やかさを湛えた老バーテンの顔色がみるみる悪くなっていった。
 ローレンスは、男達からジェイク・ニールソンが英国で殺人を犯して、この街に潜伏しているかもしれないことを訊き出すと、深く気分を害したらしく、男達を店から追い出してしまった。そしてしばらくの間、ぼんやりとテレビのサッカー中継を見つめ(といっても、その表情からして、まるで頭の中に映像が響いていない様子だった)、突如店を閉めると言い出した。
 ドースンや他の客も飲みかけの酒を持ってポカンとしたが、ローレンスはその酒代もキャッシュバックまでして、とうとう店を閉めてしまった。
 ジェイク・ニールソンという名前に、どれほどの意味があるのか・・・。
 ここに持ち込んでいるノートパソコンでインターネットの検索をかけたいところだが、あいにくパソコンの調子がおかしく、まったく使い物にならなかった。よく見るとコードがねずみに齧られていた。
 話を盗み聞く限りでは、ジェイク・ニールソンは犯罪者であるらしい。自分のパソコンが駄目になった今、知り合いのハッカーの部屋に押しかけるのが得策だろう。休み明けにでも行こうと思っていた。犯罪関係の話なら、自分でネット検索をかけるより、大型通信会社のマザーコンピューターをハッキングして、銀行の残高を操作してやったと喜んでいるパソコンオタクに任せた方が、いい情報が得られるかもしれない。イギリスの大使館員が登場してくるのなら、世界的に指名手配が掛かっている男だろう。FBIのデータベースにでも侵入させれば、有効な情報が転がっているはずだ。
 ドースンが、我ながらいいことを思いついたをひとりで意気揚揚として、再び窓の下に目をやった時である。
 明かりのついてないローレンスの店に近づく人影を見つけた。どうやら男らしいが、どんな人物かは、遠くて判りにくい。
 ドースンは、大きな望遠レンズがつけられたカメラを慌てて構えた。
 ピントを合わせる。
 その人物の顔がはっきり見えた時、ドースンの口からキャンディーバーが零れ落ちた。
「おいおい・・・。そんな、嘘だろう・・・」
 ドースンが思わず呟く。レンズの中の男は、そんなドースンの呟き声など、当然気づきもせず、店の裏口から素早く中へと消えていった。
「なんてこった・・・」
 驚きのあまり、シャッターも押せなかった。
 ドースンはしばらく呆然としてしまう。
「一体、どんな関係があるんだ・・・」
 ドースンがそう呟くのも無理はなかった。
 客を一切受け付けない筈の店に、入るのが当然といった風情で裏口から入っていった男。
 それは、ドースンが密かに追っていたミラーズ社の主席社長秘書、ジム・ウォレスに他ならなかった。

 

Amazing grace act.36 end.

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編集後記

メール配信あけての更新です。皆様、いかがお過ごしでしょうか?(なんだ、この挨拶・・・)
国沢はといえば、また急に土日のお休みが返上になってしまいました(汗)。うわ~ん、これで三週間ぶっ通しで勤労人間決定です(大汗)。
うわ~・・・ストックのない状態でこれは、かなり厳しいっすよ~。まじで赤信号だ。特に「触覚」。
限りなくローテンションですが、これじゃいけませんね。
テンション上げていきましょう!!
う~~~~~~~ん、呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃじゃ~ん!!!
・・・。
いいのか、国沢、そんな締めで。
(最近自分の人格に責任がもてなくなってきつつある国沢です)

[国沢]

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