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act.14

 マックスが叔母のパトリシアの家から新しいアパートメントに引っ越したのは、12月に入ってすぐのことだった。
 マックスが新しい住処に決めた部屋は、会社からは地下鉄の駅で3つほど離れた古い住宅密集地だった。古びたアパートメントが立ち並ぶこの一角は、C市が現在の繁栄を築く依然からこの街を見つめ続けてきた地区だ。郊外の閑静なベッドタウンと違って、街中に近い分騒がしいのも事実だったが、朝が苦手なマックスにとっては、なるだけ会社に近い方がゆっくり眠れるという利点は見逃せなかった。マックスの選んだアパートメントは、なにせ地下鉄の駅まで5分とかからない。しかもその間に24時間営業のコンビニエンス・ストアもあるから何かと便利そうだ。
 アパートメントは4階建てで、ワンフロアに部屋が3つ並んでいる。マックスは幸運なことに3階東の端の部屋を借りることができた。階段は西の端に付いているので少し歩かねばならなかったが、日当たりがいいことには代えられない。マックスが入る以前は女性が暮らしていたらしく、古い部屋ながらも室内は小綺麗に使われていた。
「ふ~ん、いい部屋じゃない」
 オーク材のドアから部屋を覗き込み、シンシアが言った。
 マックスは彼女の横をすり抜けながら、持っていた段ボールをリビングの床に置いた。そしてシンシアを振り返る。その顔は明らかに困惑した表情を浮かべている。
「いいのかい、こんなところにいて」
「なにが?」
 シンシアはまるでお構いなしといった風に部屋の中に入ってくると、リビングの片隅でまだビニールに包まれているソファーにゴロンと身体を横たえた。
「なにがって・・・」
 マックスはそこまで言ってから溜息をつく。
 退院したてのシンシアが「引っ越しを手伝いにきた」とパトリシアの家に押し掛けてきたのが今朝のこと。彼女はやっと骨がついたばかりの右腕をかばう素振りも見せず引っ越しの荷物を運ぼうとするので、まずはそれを止めさせるのに小一時間かかった。ベッドやソファーなど、大きな家具については先日すでにマイクと共に運び入れていたから良かったものの、そうでなければベッドの片方を持つと言い出す勢いだ。
 どうやらシンシアは、すっかりマックスに懐いてしまったらしい。入院中、会社帰りに度々マックスはシンシアを見舞った。それもシンシアのリクエストに応えてのことだったが、彼女が素直に心を開いていく様がマックスにも分かった。マックスは、ウォレスと態々時間を外して見舞いに訪れたが、どうやら彼女とウォレスも今回の一件で親子の絆を取り戻すことができたらしい。
 父親と同じ会社で働いていながら、父親と別々に姿を現すマックスに、シンシアが疑問を感じているのが伺えたが、これはマックスのパーソナルな部分の問題なので、あえてはぐらかした。
 実は、ウォレスとの食事の誘いも、同じようにはぐらかしている。
 理由については、マックス自身も自分に対して上手く説明がつけられていない始末である。ただ、「このままじゃ、まずい」という思いだけが強くて(このままというのがどういう状態を表していて、なにがまずいのか、マックス自身も分かっていない)、最近ではマックスが逆にウォレスを避けているという奇妙な状況になっている。
 だだ、こうして自分を慕ってくれているシンシアを無碍に扱うのも可哀想だし、結局断りきれずに新しいアパートメントまで一緒に来てしまったという顛末だ。
 しかし少々勝ち気なシンシアが、マックスの私物にあれやこれやと批評する度、まるで新しい小姑ができたかのような気分にマックスは陥った。しかも、若いが目の肥えたシンシアのいうことは大抵的を射ているのだから始末が悪い。ある意味、シンシアはレイチェルによく似ていた。マックスはつくづく積極的なタイプの女性に縁があるらしい。
「大事をとって自宅で療養するようにって、病院の先生からも言われてるだろ? こんなとこでまた無茶をして怪我が悪くなったらどうするつもりだい? そんなことになったらウォレスさんに会わす顔がないよ」
 マックスは、衣類の入った段ボールをリビングの左側にある寝室に運び込む。シンシアも後を付いてきた。
「大丈夫よ。重たい物はあなたが持たせてくれないじゃない。パパだって、今朝笑顔で行っておいでって見送ってくれたわ。ここにいるのは、パパ公認なんだから」
 床に片膝を付いて段ボールの蓋を開けるマックスの背中に飛びついてシンシアが言う。決して小さくはない乳房が背中に押しつけられるのを感じたマックスは、多少気まずい視線を背後のシンシアに送った。そこに小悪魔のように頬笑むシンシアの顔を見て、彼女が確信犯であることに気づく。
 マックスは首に回るシンシアの腕をほどくと、立ち上がった。
「男をからかうもんじゃないよ」
 シンシアはそれを聞いてにっこり笑う。そこで「大人」と言わないのがマックスらしい。マックスは、他の人間達とは違い、シンシアをいつも一人前の人間として扱ってくれる。シンシアは、そんなマックスが好きだった。
「そういう意味でここに来てるのなら・・・」
 少し機嫌が悪そうにそう言うマックスの声を遮って、シンシアは立ち上がった。
「ごめんなさい! もうしません! 荷物ほどくのを真面目に手伝います! それだったら、いいでしょ?」
 新米軍人のように敬礼をしながらそう言うシンシアに、マックスは思わず吹き出した。そうシンシアもレイチェルと同様憎めないのだ。
「じゃ、服をクローゼットに仕舞ってくれるかな。種類別に分けてくれたら仕舞う場所は適当でいいよ」
「了解」
 辺に真面目くさった顔のシンシアを見て、マックスは笑いを堪えきれないまま、部屋を出て行く。
 シンシアは、意外に几帳面な手つきでマックスの衣類を部屋に備え付けの古びたクローゼットに収めていった。
 最後に箱の底から、マックスの下着が出てくる。白のトランクスタイプが殆どだ。シンシアは、会社帰りのインテリジェンスなセクシーさに溢れたマックスのスーツ姿を思い浮かべながら、少々あか抜けないその下着とのギャップに少し目を丸くした。そういえば、さっきまでシンシアがクローゼットに仕舞ったマックスの私服も淡い色のボタンダウンシャツやチノパンが多く、お世辞にも服のセンスがいいとは言えない。どうやら会社で着ている服はマックスの趣味ではないらしい。だが、それが誰の趣味であろうと、その人物がマックスの美しさをかなり深く理解していることにはかわりない。なかなかの審美眼の持ち主だ。しかしその謎の人物も、マックスの下着までは気が回らなかったらしい。
 恋人じゃないな。
 シンシアはそう確信して顔を綻ばせた。と、そこにマックスが新たな荷物を持って入ってくる。シンシアが手に持っているものを見つけた途端彼は顔を真っ赤にすると、シンシアからそれを奪って手近な引き出しにそれを仕舞った。段ボールの中の残りものも同様に荒っぽく引き出しに突っ込む。そんな様子をシンシアはきょとんとした顔で眺めた。今までシンシアがつき合ったことのあるどの男もしたことのないような反応。どの男もマックスより大分年が下の男ばかりだったが、こんな様子ではどちらが年下か判らない。
「別に照れなくてもいいじゃない」
 マックスのあからさまな態度に、シンシアが口を尖らせる。
「・・・ま、そうだけど、高校生の女の子がまじまじと見つめるものでもないだろ?」
 頬を赤らめたまま、マックスは部屋を出て行こうとする。そのマックスにシンシアが声を掛けた。
「ねぇ、マックス」
 マックスが振り返る。シンシアは下からマックスを見上げながら平然と言い放った。
「パンツ、黒のビキニにしたら? その方がお尻のラインが綺麗に見えると思うけど」
 マックスが卒倒したのは言うまでもない。


 メアリーから連絡が来たのは、その日の夜のことだった。
 当然会社は休みだったので、パトリシアの家の方に電話がかかってきたのだった。
 電話に出たのが運悪くパトリシアで、受話器に向かって厭味をたらたら言い続けているところにマックスが引越し先から帰宅した。細かい荷物を取りに来ただけだったが、パトリシアの台詞を聞いて、マックスは顔を青くしてダンボール箱を床に投げ置いた。
 無理やりパトリシアから受話器を引き剥がす。
 マックスの引越しでただでさえ機嫌が悪い叔母は、電話の相手がマックスを捨てた薄情な女だと分かるや、彼女にしては珍しくエキサイトしたらしい。受話器をパトリシアから隠すように背を向けるマックスを恨めしそうな目で一瞥しておいてから、その背中をバチンと叩いて自分の部屋に消えていった。
 呻き声を上げるマックスの耳に、『どうしたの?』というメアリーの細々しい声が聞こえる。
「叔母さんに叩かれた。そっちこそ、大丈夫? 長い時間酷いこと聴かされたんじゃない?」
『そう言われて当然だもの・・・。逆にありがたいなと思って・・・。あなたが酷く傷ついていたことも聞いたわ。ごめんなさい・・・』
 マックスは舌打ちをする。
 マックスがメアリーの失踪に深く傷ついたことは事実だが、パトリシアの性格を考えると、だいぶ大げさに言ったに違いない。
「とにかく、気にしないで。叔母は大げさだから。ところで、決心はついたの? 電話がかかってきたということは、家に帰る決心がついたってこと?」
『それが・・・。あなたに黙ってて悪いとは思ったけれど、家には一人で帰ってみたの、昨夜・・・』
「え?」
『あなたに頼りっきりじゃ、ダメだと思って・・・。両親には、今の自分の気持ちを話して、納得してもらえたと思う。もちろん、父親は一言も口をきいてくれなかったけれど・・・。でも最後はきちんと私の顔を見てくれた。心残りはないわ・・・』
 メアリーの最後の台詞に、マックスは眉間に皺を寄せた。
「ちょっ、それって、どういうこと?」
『家には帰らずにおこうと思っています。一人で頑張ってみようと思って・・・』
「一人でって、どういう風に」
『まだ、具体的には決めていないけど・・・』
 酷く頼りなげなメアリーの姿が浮かんだ。
「とにかく、会おう。今からでも。シュルツの店で。そうだな・・・ええと、8時に。いいね。絶対来てくれ」
『分かったわ。本当にごめんなさい。心配かけて・・・』
「それはいいから。とにかく、8時に」
『ええ』
 マックスはゆっくりと受話器を置いた。8時まで後20分。マックスは床の上に転がっているダンボール箱をみやった。
 とりあえずこれは、明日にしよう。
 マックスは慌しくダンボール箱を玄関先にあるグローゼットに無理やり押し込むと、首にマフラーを巻き、玄関を飛び出したのだった。


 繁華街にあるシュルツの店は、素朴なイタリアンを出す店で、マックスとメアリー二人でよく訪れた思い出の店だった。
 マックスが店内に入ると、アコーディオンの生演奏が店の中に流れており、客達の大らかな話し声が店内に満ちていた。この騒がしさに触れると、マックスはほっする。
 マックスがこの店を選んでいたのは、料理もさることながら、このざわついた雰囲気がよかったからだ。たとえ、メアリーと一言も話さなかったとしても、この騒がしさに身を委ねていたら重々しい沈黙とは無縁のような錯覚を覚えることができたから。
 それを思う時、自分はなんて酷い仕打ちをメアリーにしてきたのだろうと思う。
 メアリーが現れるかは不安だったが、意外にもマックスより先に彼女は到着していた。
 メアリーとマックスの顔を覚えていた店主が、マックスをメアリーの元に案内してくれた。
 頭の禿げ上がった恰幅のいい店主に、「いつもの」と頼んで、慌しくマックスは席につく。考えてみればこの店の片隅にある席も馴染みの席だった。
 メアリーは相変わらず美しかったが、右の頬は少し赤くなっていた。
「父親に」
 マックスの視線に気づき、メアリーが答える。だが、以前会った時より、幾分元気を取り戻していた。食前酒のワインを口に含んで微笑みも浮かべている。
 どうやらメアリーも、この僅か数日の間に変ったようだ。一人で家に帰ったことで、気持ちに整理がつけられたのか。いずれにしても、清々しい表情をメアリーは浮かべていた。
「会ってもらえて嬉しいわ。直接あなたにお礼を言いたかったの。私が一人で両親に会うことができたのは、全部あなたのおかげよ。あなたは、私に勇気をくれたの」
 その言葉を聞いて、マックスの方が泣きたくなった。
「何言ってるんだよ。俺が君にしてきたことは、今更ながら酷かったと思う。君が出て行かざるを得ない状況を作ったのは、俺の方なんだ。それなのに・・・」
「いいえ。出て行ったのは、あなたのせいじゃない。私の意思だったの。私は自分を変えたかった。でも、あんな形で出て行っても、変えることはできなかった。私の方が、バカだったの。でも、あなたに再び会うことができて、励まされて、素敵に変身したあなたを見ていたら、今度こそ変れる、強くなれると思えるようになったの」
 やせ細った細い指。いつも彼女のことを頼りないと思っていた。でも、彼女の瞳は強い意志の光が輝いていた。
 今の二人なら、もう一度やり直しても上手くいくのではないか。
 マックスの心にそんな感情がよぎった。
 メアリーは今直美しく、そして自分の目の前にこうして座っている。彼女と恋に落ちたあの頃、彼女の細い身体がいとおしくて、何度も抱きしめた・・・。
 マックスは、メアリーの手を掴んだ。
「今晩、ずっと一緒に過ごしてくれないか」


 引越し先の部屋はまだ整理がついていなかったし、パトリシアの家などもってのほかだったので、マックスはシュルツの近くの上品なホテルにメアリーを連れて行った。
 ホテルにある深夜営業のブティックで、メアリーにライトテイストなドレスを買って、ラウンジで気の利いたカクテルを飲んだ。
 メアリーはひどく戸惑っていたが、やはり彼女も女だ。久しぶりに美しい仕立てのドレスを着ると、本当に生き返ったような表情を浮かべた。
 お互いに新しい生活の様子について話し合った。マックスは新しい職場のことについて、メアリーは先ごろ勤め始めた薬局の事務の仕事について。
 薬局の珍客のエピソードにひとしきり笑って、ミラーズ社のお節介警備員の話でもひとしきり笑った。それはまさに、ふたりが付き合い始めた頃のようで、自分の愛すべき人はやはりこの女性なのではないかとマックスは思った。
 そう、今のマックスにとって「女性」というのは重要な意味を示していた。それはマックスの中で酷く漠然とした感情だったが、それはここのところマックスを悩ませている感情と直結していた。
 自分はこの人とセックスをすべきだ。
 マックスはそう思って、メアリーの手を引いて席を立った。

 

Amazing grace act.14 end.

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編集後記

今回は、マックス以外、見事に女性しか出てきてません。ホモネタ書いているはずなのに、こんなことでいいでしょうか、国沢(汗)。しかも、女とホテルの一室にしけこむ主人公・・・。もはや、ホモネタサイトのヒロインとして、型破りな行為を行うマックスです。思えばもう、14話。うちのサイトで一番長い話でも15話なのに、いまだ主人公達、ラブラブにならず。考えただけで、末恐ろしい・・・。二人のラブラブシーンまで辿り着いたあかつきには、赤飯を炊かねばなりませんね(笑)。

[国沢]

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