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act.73

 突然の呼び出しに、イギリス大使館領事ジョイス・テイラーは些か腹を立てていた。
 いつにもまして机に山積みにされていた事務仕事をどうにかこうにか終了させ、やっと自宅に帰った矢先の呼び出しであった。
 呼び出しの相手はセス・ピーターズ。プライベートな時間を大切にする主義のテイラーだから、断わってやろうとしたテイラーだったが、ピーターズの声はどこか殺気立っていて、結局はふたつ返事をしてしまった。
 今から飛行機に乗ってC市まで行く手配をかけなくてはならないだなんて、べらぼうな話だが、ピーターズの声を聞く限りただごとではなかった。
 おそらく、テイラーが現在追っている男についての話だろう。
 テイラーは専属の犯罪捜査員ではないので、はっきり言ってしまうと、あまりそのことに時間を割けることができていないのが現状だった。いくら本国から特別任務を仰せつかっているとはいえ、大使館員としての仕事もある。ある程度纏まった時間を見つけては、C市に滞在できる段取りをつけていくというのはなかなか難しいことだった。  だが、返事をしてしまったものは仕方がない。
 今晩はもうC市に飛ぶ飛行機はないし、大使にも断りをいれなくてはならない。いずれにせよ、出発は明日だ。
 それにしても、今になってなぜピーターズはあんなに焦っているのだ・・・。
 テイラーはテレビをつけた。ニュースをしているチャンネルを探す。
 ふいにテイラーの指の動きが止まった。
「・・・なんてことだ・・・」
 美しく化粧をしたアンカーウーマンの赤い唇から、今夜C市で起きた悲劇的な爆弾事件の情報が伝えられていた・・・。


 レイチェルは「身の回りのものを揃えてくるわ」とウォレスに言い残して病院を去っていた。
 深夜の病院は本来なら静けさに包まれているものだが、救急のエリアだけはそうではない。医者と看護婦、警官に患者の家族や関係者が廊下や病室に溢れ返っている。
 ウォレスはそんな中、ガラス越しにマックスの傷ついた横顔を見つめていた。
 ウォレスの心を揺るがせたレイチェルの話は、思った以上の破壊力を持っていて、今まさにウォレスの心を壊そうとしていた。
 マックスが狙われたのは、この私のせいだったなんて・・・。
『私はあなたを許さない』
 そう言ったレイチェルの顔は、ウォレスを責めているというよりは、彼女自身、どうしてこんなことになってしまったのかという憤りを感じさせる表情だった。
 おそらく、彼女よりウォレスの方が自分自身を許せないでいる。
 今、どうしても足がすくんで病室に入ることができない自分がそれをよく表していた。
『あなたは一体何者なの?』
 レイチェルの言葉が頭の中で乱反射する。
 これまで何とか生き延びてきた自分の人生を思った。
 その人生が、今最愛の人の身体を傷つけている。そしてこれからは、その心をも傷つけていくことになる・・・。
 レイチェルは、あの写真を渡してはくれなかった。だから爆弾魔が書いたと思しきその内容は、詳しく分からない。だが、あの執着心とあの猟奇的な文章。
 あの男は、どんな筆跡だっただろうか、とウォレスは思った。
 自分に異常なほど思いをよせていたジェイク。今、彼はどこで何をしているのか。本当にこの街にいて、自分の生活を監視していたというのだろうか。ありえない訳ではない。今またこうして、愛する人を自分の手から奪われようとしているのだから・・・。
 ウォレスの両目から、大粒の涙が零れ落ちた。
 ついに嗚咽が抑えられなくなった。
 ウォレスはガラスに額を押し付けて泣いた。
 辺り憚らず、声を出して泣いたのは、リーナを失った時以来だった。
「・・・・マックス・・・マックス・・・。愛している・・・」
 ウォレスの泣き声は、廊下の騒がしい音にかき消されていった。


 メアリーは、タクシーの運転手の「つりはいらないのか」と言う声を無視して病院に駆け込んだ。
 当直だったマイクから今朝連絡をもらい、取るものも取りあえず家を飛び出した。
 現在マイクと付き合っているメアリーだったが、マックスは前の恋人であり今はよき友人だった。
 そのマックスが爆弾事件に巻き込まれ、病院に担ぎ込まれたという。いても経ってもいられなかった。
 病院の入口で、メアリーは背の高い男とぶつかった。
「失礼」
 メアリーの落としたバックの中身を拾い上げてくれたのは、テレビや雑誌の中で見たことがある男であった。確か、マーク・ミゲルとか言う・・・。
 男は急いだ様子でメアリーが大丈夫かどうか確認すると、慌しく救急病棟に向って走っていった。
 誰か彼の知り合いが入院でもしたのかしら・・・。
 人気記者の突然の登場に、メアリーは瞬間面を食らって、自分も急がなくてはと後に続いた。
 メアリーが目指す病棟に辿り着くと、そのマーク・ミゲルが警官と言い争っていた。どうやら面会が許されない様子だった。
 何か重要な事件の被害者に対する取材かしら・・・。
 メアリーはそう思ったが、それにしてもミゲルの様子は余裕がなかった。警官に食って掛かるその様子は、取材というよりはプライベートな訪問に見える。
「どうして面会を許してもらえないんだ!?」
「だから、事件の重要な参考人でもあるんです。それに意識もまだ回復してませんし、お会いになっても」
「そういう問題じゃないんだよ! 意識が回復してないなら尚更、直接無事なのか確認したい! マックス・ローズは僕の大切な友人なんだ」
 メアリーはその発言に驚いた。そして気がついた。
 そう言えば、マックスがマーク・ミゲルにインタビューされた記事が載った雑誌が発売されたばかりだった・・・。
 しかしそれにしても、あのマーク・ミゲルが血相を変えるぐらいの親しい友人だったなんて初耳だ。
「あの、すみません・・・」
 メアリーはミゲルと警官の間に割って入った。
「マックス・ローズには面会できないって本当ですか?」
 警官は、突然入ってきた小柄で大人しそうな美人に表情を和らげた。
「あなたは・・・」
「私は、彼と婚約・・・」
 メアリーは持ったいぶった口調でそう言いながら、警官を見た。
 警官は、表情を明るくして「ああ、婚約者の方なんですね」と言った。
「分かりました。少しの間なら構いません。ローズさんの会社の方も昨夜から来られてます」
「ミスター・ウォレスですか?」
「・・・ええ、そうです」
「彼にはいつも本当にお世話になっているんです。彼が側にいてくれて心強いわ・・・」
 メアリーはいかにも婚約者というように装って・・・もっとも元々は婚約者だったのだから、装わずともそう見えるのだが・・・、ミゲルの方を振り返った。
 ミゲルは怪訝そうな顔でメアリーを見ている。
 メアリーはミゲルの腕に軽く手を置くと、「彼もフィアンセの大切な友人なんです。もしよかったら、一目だけでもよろしいかしら。こんなこと、あなたじゃないと頼めそうにないから」
 メアリーは周辺の警官を訝しげに眺めまわった後、目の前の警官に向って微笑んだ。優しげな微笑でそうお願いされた警官は、満更じゃなさそうな顔つきをしている。
「分かりました。婚約者の方はともかく、ご友人の方の面会は手短にお願いしますよ。それから、この病院でのことは、決して記事にしないことを約束してください。捜査上、支障を来たしたり、被害者の身の安全を図る必要がありますので」
「それは承知しています。僕は今日、記者としてここに来た訳ではない」
 ミゲルはそう言い捨てると、メアリーと共に救急病棟に入った。
「すまないね。君は本当に彼の婚約者なの?」
 そう訊くミゲルに、メアリーは肩を竦めて見せた。
「元、婚約者なんです。今はいいお友達。こうでも言わないと、通してもらえないと思って」
「そうなのか。そうだよな」
 ミゲルの台詞に、メアリーは思った。ひょっとしてこの人は、マックスとウォレスのことを知っているのかもしれないと。そして思いついた。ミゲルは『カミング・アウト』している人間だということを。
 彼がどういうふうにマックスと関わっているかは分からないが、彼が心底マックスを心配していることは分かった。メアリーはミゲルの前を歩きながら、彼を安心させるために、マックスの主治医であるマイク・モーガンの診断結果と、そのモーガン医師がマックスの親友であること、そしてモーガン医師とメアリーが現在恋人同士であることも説明した。
 ミゲルは状況を即座に理解したようで、幾分は落ち着いた表情を取り戻した。 「この先の病室だそうです」
 廊下を曲がると、その先に見えるカウチに黒いスーツの男が座り込んでいるのが見えた。すぐにウォレスだと分かった。
「ミスター・ウォレス!」
 メアリーが彼の名を呼ぶと、カウチに座っている男が顔を上げた。不精髭が伸びっぱなしの憔悴した顔つきのウォレスがそこにいた。
「ミスター・ウォレス・・・・。マックスは大丈夫なんですか?」
 ウォレスの顔つきをを見て、メアリーは不安になった。今朝マイクに電話をもらってから、事態が悪化してしまったのではないのか・・・。
 ウォレスはカウチから立ち上がると、メアリーと抱き合った。
「彼は大丈夫だよ。意識はまだ戻らないが、身体の方は快方に向っているそうだ。血圧も脈拍も正常値に戻っている。脳波の方も異常はないって。念のため、午後に再検査をしてくれるそうだが、意識が戻らないのは爆発の衝撃によって、脳がショック状態をリセットしているのだろうと言っていた」
「そう、よかったわ・・・。ウォレスさん、あなたは少しお休みになった?」
 ガラス越しに見えるマックスの顔色より、ウォレスの顔色の方が怪我人のようだった。
「い、いや・・・・私は・・・・」
 言い淀むウォレスの視界の先にミゲルの姿が映った。
「君は・・・」
 ミゲルは、傷ついたマックスの姿を見やって、怒りに満ちた目をウォレスに向けた。
「どうして彼がこんな目にあってる?! あなたがついていながら、どうして?!」
 ミゲルはウォレスに近づくと、物凄い勢いでウォレスの胸倉を掴んだ。
「やめて!!」
 メアリーが驚いてミゲルの腕に飛びつく。
 そのメアリーの声を聞きつけて、数人の警官がミゲルとウォレスの周辺に駆け寄ってきた。ミゲルはそれを見て、手を離す。
「なんでもありません。お騒がせしました」
 ウォレスが静かな声でそう言うと、警官は彼らの様子を伺いながらも持ち場に戻っていった。
「・・・クソッ!」
 ミゲルは額に手をやって天井を見上げると、吐き捨てるように悪態をついたのだった。

 

Amazing grace act.73 end.

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編集後記

筋肉痛で~す(汗)。
地元の年に一度の街上げてのお祭りのため、仕事とはいえ裏方仕事に従事したこの三日間。 踊り子達の晴れ舞台を用意するために、裏方はいつも雨が降ろうが擦り傷を作ろうが、懸命に頑張ります。
身長151センチ、ミニモ二サイズの国沢も、背伸びしつつ行う野外テント設置作業に、足や手の筋肉つりまくりっす。でも作業した翌日にすぐ筋肉痛になってくれることろを見ると、まだまだ若いって印かなv ←切ない・・・。
明日は夜の9時半から現場撤収に出動です(涙)。
グロンサンでも飲んどくか~。

[国沢]

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