act.109
古ぼけた不動産屋から出てきたのは、レイチェルだった。
久しぶりの休みを取ることが出来た彼女は、ドースンの隠し部屋探しに奔走していた。
爆弾魔は既にジェイコブ・マローンという青年が捕まっていたが、セスやテイラーは彼が単独犯であるという警察公式の見解に疑いを持っていた。
正直、レイチェルにはそこまでの判断ができなかったが、いずれにせよそれはドースンが隠し続けた例の部屋の中に重要な手がかりが残されていると確信していた。
いまだウォレスが怯えテイラーが追っている『ニールソン』という男が、彼らが言うようにこの街に潜伏していて、今も息を潜めているという可能性があるとして、ドースンの隠し部屋を見ればきっと何か分かるはずだ・・・。
そこにもし、ニールソンの陰がなくて本当にマローンの単独犯行という答えが待っていたとしても、それはそれでいい。
ドースンの部屋の証拠を見ることで、皆安心出来れば、それでいいのだ。
レイチェルは、今回の一連の事件で随分変わった自分に気づいていた。
そう、レイチェルは変わった。
以前は、あまり他の人の事を考えず、自分の事だけを考えていた。いつも余裕がなく、セスとの関係もまるで一方的にレイチェルがセスを振り回しているかのようなものだった。
あの頃は、本当に自分の事だけを考えるので精一杯だと信じ込んでいた。だから他の人の事など思っている暇はないと。
毎日の仕事やストレスと必死に闘っていて、立ち止まっている暇などなかった。
だが、最近気づいたことがある。
そんな日々は、間違いなんだってことに。
一連の事件があって、図らずもレイチェルは色々なことを考えなくてはならなかった。そして失いたくないものもはっきりと分かることが出来た。
自分は他の人に助けられて生きている。そして他の人からも求められている。世の中の人間全てに役割があって、そしてそれはひとつとして孤立していない。
自分もセスもマックスやウォレスだって、繋がっている。
他人を思いやることができるようになれば、その繋がりはやがて自分の心の平安へと導いてくれるのだ。
世の中は益々物騒になっていくが、不思議とレイチェルの心は穏やかでそして力強かった。
それは自分一人でないということに気が付いたからだ。
それを教えてくれたのは、マックスとウォレスだった。
あの二人の関係を身近で見ることで、レイチェルは自然とその素晴らしさに気が付いた。
彼らは互いに傷ついて、それでも前を向いて互いを思い合っている。二人の愛情は本物だし、数々の困難があるからこそ、絆は強く深い。
自分を犠牲にしてしまえるほどの愛情とは。
この世の中でこれほど強い思いはあるだろうか。
あんな事件が起こったことは悲劇だが、そのお陰で得るものはたくさんあった。
きっとそれは、マックスだって感じているだろう。
他人を思いやることは難しい。
けれどそれが出来るようになれば、そこには素晴らしい世界が待っている。
ようやくレイチェルは、そのことを実感しつつあった。
もっと早くなぜ気づけなかったのだろうと思う。
けれど、今からでも遅くはない。
そう思える今は、何も怖くない。
早くセスと、そういうことを素直に話せる日々が過ごせるようになればいい・・・。
レイチェルはそう思っていた。
レイチェルは、ガラス戸の向こうに姿を消しつつある老人の後ろ姿を返り見ながら、軽く溜息をついた。緩く頭を振る。
彼女が訪ねた先は、例のクラウン地区にあるアパートメント群を取り仕切っている不動産屋のひとつだ。
これで三カ所目だったが、どこも芳しい返事は返ってこなかった。
何せクラウン地区の賃貸部屋の管理はいい加減で、不動産屋がオーナーと借り手を仲介しているといっても又貸しに次ぐ又貸しというケースさえある。
今まで回った中では、誰もドースンらしき人間を覚えている不動産屋はいなかった。しかし取り敢えずまだ8軒残っているので、希望は残されている。
レイチェルは、通りの向かいにあるダイナーで一息つくことにした。
タクシーやオンボロの車達が行き交う通りを、車の間を縫って走り渡った。
ダイナーのドアを開けると、メキシコを思わせるミュージックがかかっており、カウンター席の隣にある冷蔵ショーケースではテイクアウト専用のタコスが置いてあった。
「ハイ」
レイチェルがカウンター席に腰掛けると、「何にします?」と若いアラブ系の店員が白いエプロンで濡れた手を拭いながら訊いてきた。
「コーヒーと何か軽く摘めるものはないかしら?」
「チェリーパイとブルーベリーパイとオートミールクッキーに・・・」
「チェリーパイにするわ」
「分かりました」
気さくな笑顔がそう答え、奥に消えて行った。
レイチェルは、胸元のメモ帳とクラウン地区の地図を広げた。
今まで当たった不動産屋が管理するアパートメントに×印を付けていく。
「まだまだ先は長いわね・・・」
レイチェルが再び溜息をつくと、湯気を立てる真っ黒なコーヒーとチェリーパイが乗ったクリーム色の皿が運ばれてきた。
レイチェルが地図を右側に寄せると、隣の男の手に地図の先がバサバサと覆い被さった。
「あ、ごめんなさい」
レイチェルが隣の男を見ると、男はキャップ越しに静かな笑顔を浮かべながら「いいえ」と手を引っ込めた。ごつごつとして白い男の手。低所得の労働者階級の出ということが想像できる。クラウン地区に住む移民だろうか。
レイチェルが地図を畳むと、男が「物件探しかい?」と訊いてきた。訛りが強い英語。やはり移民だろう。この地域では珍しくない。レイチェルはコーヒーを啜りながら答えた。
「いえ・・・ええと・・・まぁ、そんなものね」
「それで、お目当てのものは見つかった?」
「それが・・・なかなかね。難しいわ」
レイチェルが肩を竦めると、「ここら辺は、安いのだけが取り柄の部屋ばかりだからね。俺もここら辺で部屋探してるんだ」と男は言い、カップの中の最後のコーヒーを飲み干し、席を立った。
「またどこかで会うかも知れないね」
男はそう言うと、にっこりと笑って店を出て行った。
レイチェルは何気なく後ろを振り返って、ガラス越し歩いていく男の横顔を見つめた。
何かどこかで見た顔のような気がするんだけど・・・。気のせいかしら。
レイチェルは、どうしてもその先を思い出すことが出来なかった。
その日の夜、レイチェルは初めてウォレス家を訪れた。
マックスとウォレス、そして彼の娘三人で二日間かけて家を掃除したという。
しばらく主のいなかった家は案外埃まみれになるのも早い。
ところどころ痛んでいた箇所もついでに直したとかで、床は真新しいワックスの匂いがした。
「さすがにディナーまでは頑張れなかったの」
ウォレスの娘シンシアは、デリバリーの食事を器に移しながら苦笑いした。
「お客様が来るんだったら、もっと何とかするべきだったわ」
「気を使わなくったっていいのよ。あなたとあなたのパパは私にとってはもう家族みたいなものなんだし。それに」
レイチェルはラザニアがのった皿を持ち上げて匂いを嗅ぐと、「とってもいい匂い。おいしそうよ、これ」と言って微笑んだ。
レイチェルとシンシアは今日初めて言葉を交わした。
シンシアは少し緊張していた様子だったが、レイチェルがあのお得意のコミカルな笑い声を上げると、すっかり警戒心を解いたようで二人は直ぐにうち解けあい始めた。
「それで、どうだったの? 探偵さん」
マックスがダイニングテーブルの上にグリーンのチェックのテーブルクロスを掛けながら訊く。
「成果はまだないわ。思ってみた通りなかなか大変よ。あそこら辺のアパートメントはとにかくごちゃごちゃしてて複雑だわ。ケヴィンはなぜあそこの地区を選んだのかしら。何か理由があってもいいと思うんだけど」
「何の話だい?」
掃除道具の後かたづけを済ませたウォレスが、ダイニングルームに入ってくる。
マックスの目が即座に彼に向けられ、ウォレスが彼の傍を通る時に一瞬マックスの手がウォレスの手に絡まった。だが直ぐにするりと離れる。
さり気ないけれども、どれだけ二人が互いのことを想っているか分かる瞬間。
「いつもこんな調子なのよ。私も当てられっぱなし」
シンシアがレイチェルに耳打ちをする。
「女は辛いわよねぇ。こんないい女達をほっぽらかしだなんて」
「え? 何?」
不可解そうな顔をしてレイチェルとシンシアを見つめるマックスに、「なんでもない」と二人は声を揃えて言いながら、食卓についた。
「今度の休みの時に、残りの不動産屋やオーナーを回ってみるわ。ケヴィンのことを誰も覚えてないだなんてことはあり得ない」
「俺も手伝えたらいいけど」
マックスがそう言うと、レイチェルは首を横に振った。
「あなたは退院したばかりよ。こんなハードなことはまだ無理。しばらくは、恋人のもとで労ってもらうことね」
マックスとウォレスが一瞬見つめ合う。照れくさそうに苦笑いする。
「それで、どこの地区を調べているんだい?」
ウォレスがラザニアを頬張りながらレイチェルを見る。
レイチェルはワインを飲みながら席を立つと、リビングのソファーに置いてある自分の鞄の中から地図を取りだした。
ダイニングに戻ってウォレスにそれを渡す。
ウォレスはそれを受け取ると、それを広げた。
ウォレスは興味深げにじっと見つめ続けた。
「・・・ジム、どうかしたの・・・?」
マックスがウォレスの顔色を窺う。ウォレスはゆっくりと顔を上げ、そして地図上の一カ所を静かに指さした・・・。
Amazing grace act.109 end.
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編集後記
うひ~~~~~!ただいま11時58分!これを書いている間に日曜日になりそうです(汗)。
先週更新できなかったのに、今週はちょい遅れだなんて、ホント情けないっすね。ごめんなさい。
先週は何かとご心配をおかけしました。励ましのメールも頂いて、本当にありがとうございます。嬉しかったです。
それはそうと、話は変わって、最近気になっている俳優さんのお話をひとつ。
最近のヒットは今公開されている『X-MEN』にも出演しているヒュー・ジャックマンなんですけど、テレビの方ではもっぱら『ER』のコバッチュ先生です。国沢は、敬愛の意を込めてコバちゃんと呼んでいます。
ERからイケメン医師・ジョージ・クルーニーが卒業した後、二代目イケメン・医師を襲名した(と勝手に国沢が思っている)ルカ・コバッチュ先生ですが(しかし、この名前ってありですか?)、このコバちゃんを演じている俳優さんのことを調べていて、国沢先日ずっこけました。
なななんと!国沢より年下じゃあ~りませんか!!しかも、正確に言うと、12日だけ国沢の方が年上?
思いっきり乙女座な彼です(大笑い)。
マジで国沢、もんどり打って倒れました。コバちゃん、あんた老けてるよ~~~~~。とても30歳には見えないよ~~~~~。
役柄では、どうやら推定36歳らしいですが。ぜんぜん違和感ないです。
外国人は老けているとよく言うけれど。それにしてもコバちゅ・・・。
来週のER皆さんもチェックしてみてくださいね(って、来週出るんだろうな・・・コバちゃん・・・)
[国沢]
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