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nothing to lose title

act.128

 結局セスは、指輪の詳しい分析結果が出るまでその場にいることができなかった。
 昼休みを利用して署を抜け出してきた手前、それ以上の時間を費やすことは不可能だった。
 だが、問題の二人の名前は意図的にヤスリか何かで削り取られていたことまでは分かった。そしてその後を丁寧に細かな研磨剤で磨き上げている仕事の内容を見ると、そこに不気味なほどの執着心を感じずにはいられなかった。おそらくその仕事のお陰で、本来女性の薬指サイズであった指輪が無骨な男の小指に填る程度にサイズアップしたのだろう。
 しかし、一見綺麗に磨き上げられていたにも関わらず、奥まで彫り込まれた二人の名前は完全には消えていなかった。
 セスには、まるで嫉妬に狂った男が二人の仲を引き裂こうともがいてみたが、そうまでしても二人の思いを引き裂けなかったニールソンの状況を象徴しているように思えてしかたがなかった。
 だがそれにしても・・・。
 これでウォレスが言った通り、本来なら現れる筈のない指輪が、実際に見せしめのように殺害されたローレンスの指に填められていたということだ。
 それはつまり、夢でも何でもなく、身近にあの男の影が忍び寄っていることを表しているのだ・・・。
 セスは、ビルの合間に見える警察署に向かって走りながら、携帯電話を胸元から取り出した。


 ウォレスの胸元で携帯電話のベルが鳴った。
 日の射し込む窓の側に移動させた椅子に座って企画書に目を通していたウォレスは、書類から目を上げた。中庭に面する窓の下を何気なく見下ろすと、一階の隅の方にマックスのオフィスが見える。マックスもまた、窓際に移動させたソファーに座り、若い女性社員の健康相談にのっているところらしい。その左手に、控えめだが美しくプラチナのリングがひっそりと輝いていた。
 ウォレスは少しの間マックスの姿を眺めながら、ゆっくりとした動作で黒いスーツの内ポケットに手を差し込む。
 ところが、電話に出ようとしたところで携帯電話はピーッと間延びする音で鳴いた。
 ウォレスは目が覚めたように携帯電話を睨む。
 画面には、充電切れのマークが瞬いていた。
「やれやれ、私としたことが・・・」
 昨夜はシンシアが例のトライアスロン大会に向けての学校全体の合宿で家を留守にしていたので、久しぶりにマックスと二人きりの夜を過ごした。夢中になっているうち、携帯電話を充電することをすっかり忘れてしまっていた。
 ウォレスはデスクに取って返し、引き出しから携帯電話の充電器を取り出した。デスク上にあるコンセントに繋ごうとしてハッとした。
「そうか・・・」
 現在会社は、所々停電を余儀なくされていた。例の新警備システムの設置の仕方が不味かったのか、一カ所に過重な電圧がかかりすぎてオーバーヒートしてしまったらしい。そのせいで、停電している部屋の住人達は、ウォレスやマックスがそうしているように明るい窓際まで椅子やデスクを移動させて仕事をしている。
 警備室の話では、しばらく修理にかかるとか言っていた。
 どれくらい修理にかかるのだろう・・・。
 おそらく、パソコンが使えない部署は大騒ぎになっている筈だ。
 修理が明日までかかるとなると、大変なことになる。
 電力に頼り切っている大企業が陥りやすい弱点だ。
 警備部は、警備システムの納入業者に連絡はしたのだろうか。
 ウォレスは充電器を握ったまま、オフォスを出た。
 ウォレスのオフィスがあるビルは完全に電力が死んでいるので、エレベーターも使えない。ウォレスは苛立ちながら愚痴を零す社員を宥め交わしながら、非常階段を下りた。
 ウォレスも詳しくは知らないが、今回の警備システムは少々複雑らしい。非常に優秀なシステムだが、ほんの些細なトラブルの場合でも全体がダウンしてしまう。現代の電化製品にも言える『繊細』さだ。昔の電子機械は作りがシンプルで、万が一故障しても少しの知識があれば素人でも何とか直すことが出来た。
 警備システムを納入した業者はこの街に支店がないため、おそらくはメンテナンスが到着するまでしばらくかかるだろう。副社長のビルは、地元の腕のいい電気屋を呼ぶらしいと言っていたが、田舎の電気屋で果たして太刀打ちできるかどうか・・・。
 ひょっとしたら夜・・・いや明日まで復旧は難しいかも知れない。
 ウォレスはそう思いながら、一階ロビー側にある警備室のドアをノックした。
 すぐにドアが開いて、サイズが顔を覗かせる。
「様子はどうだい?」
 そういうウォレスの手に携帯電話の充電器が握られているのを見て、サイズは眉を八の字にした。
「いやぁ、すみません・・・。充電もできないんでしょう」
「ん? あ、ああ・・・いや、これはいいんだが・・・」
 ウォレスは無意識に持ってきた充電器をポケットに仕舞う。
「大分仕事が滞っている連中もいるのでね」
 サイズは頭を掻く。
「分かってます。さっき、各部の部長さんが次々と怒鳴り込んできましたから」
 故障は警備員のせいではないからとんだとばっちりだが、停電の原因が新警備システムなだけに肩身は狭い。
 社員に多くの負担を掛ける形で導入された警備システムだ。導入当初は、皆納得づくで文句を言う社員はいなかったが、このようなイージーミスが出ると封印していた感情が吹き出てくるのだろう。
「それで・・・? 修理はいつまで掛かりそうなんだ? メンテナンスが来るまでどうしようもないんだろう」
 それを聞いてサイズが笑顔を浮かべる。
「や、それがなんとかなりそうなんですよ。俺の友達の電気屋がきてるんですけど、なんとかなりそうだって」
 サイズが振り返ると、机の合間からサイズによく似た雰囲気の人の良さそうな男が、ヤンキーズのキャップを取ってウォレスに会釈した。
「へぇ、なかなか優秀なんだな。君の友達は」
 ウォレスは純粋に感心してそう言った。この難解な警備システムを理解して修理するなんて、なかなかできるものではないだろう。
「優秀なのはあいつじゃないですよ。今、奥の分電盤室にいる社員の方が優秀なだけです。その社員てーのが、こういう精密機械に詳しいらしくて」
「だが、無理な修理は禁物だぞ。余計傷口を広げて貰っても困る」
 サイズは肩を竦めた。
「警備システムのメインコンピュータには全く触らないらしいとのことですから。それになんかあったって、保障期間中ですよ。今回の修理代も、やつらに請求してやるつもりです。あいつらが変なところに配線したのが原因らしいですから」
「じゃ、納入業者も来るんだね」
「ええ。今晩着くとのことです。今は取り敢えず、停電をどうにかするのが目的で」
 サイズがそう話している矢先、吹き抜けのロビーに社員の歓声が響いた。
 ウォレスとサイズが警備員室を出て、ロビーまで引き返す。
 生憎と警備システムは今だダウンしたままだったが、暗かったロビーに次々と明かりがともり始めた。社員の歓声を聞く限り、殆どのオフィスで電力が回復したらしい。ロビー周辺にオフォスを構える連中もロビーに顔を出して、上を見上げ歓声を上げている。
 ウォレスの横で、サイズが大きく溜息をついた。
 互いに目を合わせ、苦笑いを浮かべる。
「お友達に礼を言ってくれたまえ。よくやってくれた、と」
 ウォレスはサイズの肩を叩くと、エレベーターに向かった。
 エレベーターのスイッチにもランプが灯っている。
 ウォレスは、エレベーターのスイッチを押した。すぐに扉が開く。
 ウォレスは、エレベーターに乗り込むと最上階のボタンを押した。
 ロビーに向かってガラス張りになったエレベーターがゆっくりと上がり始める。
 ウォレスは、次第に小さくなっていくロビーの人混みを見つめながら、携帯電話を充電して、電話をかけなおさないと・・・とぼんやり思った。
 一体誰からの電話だったんだろう。取引先の社長からか、それとも現在自分の別荘がある小さな島で釣り糸を垂れている筈のベルナルドか。合宿中のシンシアかもしれない。
 彼女は今、友達達と高校最後の思い出作りに楽しい日々を過ごしている。夏が終われば本格的な受験勉強に追われることになるし、今まで彼女は貴重な高校生らしい生活をふいにしてきたのだから、彼女としても必死なのだろう。
 いくら学校内での合宿だとはいえ、最初ウォレスは反対した。
 周辺がいくら穏やかになってきたとはいえ、自分の目の届かない場所にシンシアを送り出すのは気が引けた。だが、シンシアの情熱と学校側が警備に十分力を入れるということで渋々オーケーを出した。だが、娘の飛び跳ねて喜ぶ様子を見て、正直ウォレスも内心微笑んだ。自分になかった青春を、娘が謳歌出来ているのが嬉しかったのだ。
 本来なら自分も、生まれてくる場所・時代が違っていれば、友達同志での外泊に心躍らせることもあっただろう。クラスの美人な娘に熱を上げあうこともあった筈だ。
 自分が体験できなかったからこそ、シンシアには十代独特の楽しみを大切に味わって欲しかった。
 今頃、繋がらなくなった携帯電話を放り投げて、友達同士で騒ぎあっているのかもしれない。
 ウォレスは、天井を仰いで笑顔を浮かべた。
 少し息を吐き、再びぼんやりとロビーを見下ろす。
 次の瞬間、笑顔が強ばった。
 ロビーにごった返す社員達の合間に、あの生まれ故郷の岩のようにゴツゴツとした顔つきの男の顔が垣間見えたのだ。
「そんな・・・まさか・・・」
 ウォレスは両目を手で擦って、再度見下ろした。
 男は、エレベーターのガラス窓際に立つウォレスの姿を、薄い水色の瞳でじっと見つめている。
 ウォレスは、エレベーターのスイッチパネルにかきつくと、慌ただしく『開』のボタンを数回押した。もちろん、動いているエレベーターがそれで開く訳がない。
 ウォレスは自分の慌て振りに舌打ちをして、現在の階数を示すランプを見上げた。三階から四階との間か。
 ウォレスは、自分の吐く荒い息を聞きながら、四階のボタンを押した。
 だが無情にも遅かったらしく、四階を通り越してしまう。
「クソ!」
 ウォレスは悪態をついてパネルを叩くと、再びガラス窓に両手を張り付けた。
 さっき男が立っていた場所に、既にその姿はなかった。
 ダラダラと汗が頬を滴り落ちる。
 ウォレスは目を見開いて瞬きもせずロビーを見渡しても、男の姿は見えなかった。
 どこにもいない・・・どこにも・・・・。
「・・・幻だったのか・・・?」
 ウォレスの呟きは、チーンというエレベーターの到着音に遮られたのだった。

 

Amazing grace act.128 end.

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編集後記

ピロリンちゃん、ごく少数しかいなくて、除菌する必要なしでした!!!
よかったです~~~~~~~!!!
病み上がり最中の国沢です。頂いたお薬を真面目に飲んでいる甲斐あってか、それとも今まで食べる習慣のなかった朝食を採るようになったせいかのか、胃もたれも胃痛もほとんどなくなっています!
嗚呼、よかったよ。
もうすっかり安心だ。
と思いきや(汗)。
予想外のところに欠陥発見。

血液検査の結果、肝臓がすこぶる悪いことが判明(大汗)。
お医者様からめでたく『禁酒』宣言を承りました(涙)。

別にさ、毎日晩酌している訳じゃないけどさ・・・。飲めないと言われると、切ないのよねぇこれが。これから年末シーズンだっていうのにさ・・・・。
昔から胃腸の悪い国沢、マッサージのおじさんにも「あんた胃腸は悪いけど、肝臓だけは丈夫みたいね」と言われたことがあり、肝臓こそが最後の砦だと思っていたのに・・・。
とほほ。
「別に悲観することないさ。肝炎でもなさそうだし、ちゃんと治せばそれでいいんだから」
とお医者さんには言われましたが、正直ショックでした。
これまでの人生、入院や手術がついてまわるような大病にまったく縁のなかった女だったので。
でもま、薬を飲んだり注射したりしながら、あまり疲れないように生活すれば大丈夫なようなので、あまりビビんないようにしてます。もうすぐしたら、名実ともにゆっくり休めるし(笑)。

肝臓によい食品とかご存じの方がいらっしゃったら、教えてください(笑)。

[国沢]

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