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act.33

 警察署内は、相変わらず騒然としていて、制服警官がつめている1、2階のフロアから、私服警官がつめている3、4階のフロアまで、電話や人の怒鳴り声に満ちていた。
 2件の未解決爆弾事件を抱えているとはいえ、日々の小さなトラブルは警察署を待ってはくれない。置き引き、強盗、レイプ。交通事故。売春から麻薬の路上販売、果ては飼主の元から逃げ出したペットの蛇のことまで、ありとあらゆるトラブルが署内に持ち込まれる。
 そんな活気溢れる署内の中を、ダークグレイのスーツに身を固めた、シークレットサービスのような装いの男が、強い足取りで歩いていた。
 イギリス大使館領事ジョイス・テイラーである。
 彼には、確認したいことがあった。
 確認を取りたい相手は、爆弾処理班のセス・ピーターズである。
 爆弾処理班のオフィスがある4階フロアに到着するまで、幾人もの警官や刑事とぶつかったが、いずれも面白くなさそうな表情をテイラーに向けた。テイラーは相変わらず署内で煙たがられている。ちょっとやそっとでは、余所者のレッテルは剥げない。ましてや、完璧に美しいブリティッシュ・イングリッシュの発音で話すテイラー自身、この険悪な関係を何とかしようとも思っていないので、溝は深まるばかりだった。
 そんな中で、唯一まもとに話ができるのがセス・ピーターズである。
 彼は署内でも変わり者で通っていて、しかもその大らかな性格が皆に慕われている。
 だがテイラーは、ピーターズが署内でも最も『食えない』奴だということが判っていた。奴は、呑気そうな顔をして見せて、その実誰よりも鋭いのだ。
 テイラーは、爆弾処理班のオフィスにつくと、オフィスのパーテーションごし中を覗きこんだ。ピーターズの姿が見えない。
 ドアを開けて「ピーターズは?」と訊いた。
 デスクの上に足をかけ、分厚い容疑者リストを捲っていたピーターズの同僚(確かホッブスとか言った)が、身体をそっくり返らせてテイラーを見た。彼は小さく溜息をつくと、身体を元に戻しテイラーに背を向けたまま答えた。
「今、奴は朝食を買いに行ってます」
「なに?」
 ホッブスの答えに顔を顰めると、背後からあののらりくらりとした声が聞こえてきた。
「あれ? 朝からどうしたんですか?」
 テイラーは振り返った。お目当てのセス・ピーターズは、こんな朝からフライドチキンの入ったバーレルを抱えてそこに立っていた。
「まさか、チキンが欲しいの?」
 スパイシーな香りのするチキンを目の前に突き出され、テイラーはげんなりとしてこう思った。 アメリカのでたらめな強さは、朝食から食されるジャンクフードで形成されているのだ、と。


  テイラーは、爆弾処理班のチーフ、ロバート・エドワーズに断ってから、ピーターズを五階の休憩室に引っ張って行った。フリーで飲めるコーヒーメーカーの前に構えられたベンチシートスペースは、朝のうちは比較的人が少ない。それをテイラーは見越していた。
 ピーターズは、チキンのバーレルを抱えたまま、ついてくる。
 ピーターズは、何を焦っているんだという視線をテイラーに向けた。
 テイラーは、ベンチシートの腰掛けた途端、口を開いた。
「ティム・ローレンスがこの街にいるって本当か?!」
 まさか、今更になってそんなことをテイラーから言われるとは思っていなかったのだろう。きょとんとした顔でピーターズは答えた。
「え? 知らなかったんですか?」
 テイラーは、思わず「バカ野郎」と叫びそうになったが、理性でなんとかそれを押えた。ピーターズが肩を竦める。
「だって、訊かないからぁ」
「訊けないだろう! 知らないんだから!」
 思わず大声になってしまう。二人の前を通っていく署員が、ぎょっとした顔でテイラーを見た。テイラーはごほんと咳払いし、襟元を直した。
 大使館ではクールな男と通っているテイラーも、ピーターズを前にするとつい感情の起伏が激しくなってしまう。
「やだなぁ、男のヒステリー」
 ピーターズが、首筋をぼりぼりと掻きながら席を立ち、紙コップにコーヒーを注ぐ。彼はポンポンとテイラーの肩を叩くと、コーヒーの入ったカップをテイラーに渡した。「すまん」とテイラーが呟く。
 テイラーは、コーヒーを一飲みすると、今度は落ち着いた声で切り出した。
「今回の爆弾事件に、ローレンスが関わっているのか?」
「いや、彼は多分無関係ですね。事件を起こした犯人という意味では」
「どういう意味だ」
「ローレンスは犯人ではないけれど、事件について何かの情報か、もしくは考えを持っているはずです」
 テイラーは腕組みをして、低い唸り声を上げた。
 まったく嫌な気分だった。生きた心地がしない。
 ティム・ローレンスといえば、その昔、アイルランド紛争が激化した中でも活発に活動をしていた人物である。組織からの信頼も厚く、祖国解放の為に一貫した大儀と精神力で数ある若手グループの中のひとつを引っ張っていた。
 彼は、政府の要人エドモント・バレリーを狙った爆破テロ計画に実行犯部隊として参加したところを潰され、身柄を拘束された。彼の同僚はことごとく死に、彼自身も瀕死の状態だった。その後彼は、刑務所の独房に入れられ、十数年の刑期をきちんと勤め上げた後、イギリスから姿を消した。その後、どこで何をしているのか、全く判らなかったが、意外なところでその名前に遭遇してしまった。
 テイラーとしては、ローレンスが未だに名前を変えずに地味な酒場のバーテンとして生活していることが信じられずにいたが、ピーターズからこれまでのアメリカでのローレンスの生活ぶりを聞くに付け、彼が名前を変えずにいるのは、案外奴らしいことなのかもしれない・・・と思った。
 刑期を終え、きちんと罪を償ったという思いか、はたまた、自分の行ってきたことは、その方法は非難されるべきことだとしても、その精神は間違っていないと今でも思っているのか。
 だがとにかく、テイラーにとって、この街にいるティム・ローレンスの存在は重大な意味を持っていた。
 若き日のティム・ローレンスの身辺には、彼同様、本土から姿を消して今だ消息が掴めない様々な重要人物の名が浮かんでくる。
 裏物資調達のプロ、ヴィンセント・ギャラン。当時IRAの幹部連中と親交のあったローレンスの一派のリーダー、ロディ・ミーク。ローレンスと共に活発な活動を行っていたロドニー・マッカラム。若き参謀として、また腕のいい暗殺者として活動していたと目されるアレクシス・コナーズ。・・・そして、ジェイク・ニールソン。
 ニールソンは、ローレンスと違って正式にはIRAの戦闘員とは違う。彼の属していたグループは、確かにローレンスのグループと繋がりが深かったが、大儀に背く行動を行ったということでIRAの組織の方から縁切りをされていた。その後も、ニールソンのいたグループは「大儀」のためと称して、若き兵隊を育成し続け、自分たちの欲を満たすためだけの爆破事件を数多く起した。その為、IRAからも激しく非難されている。
 ローレンスとニールソンの両グループは、北アイルランド・ベルファスト近郊の村で活動をしていた。やがて別々の道を歩んでいったローレンスのグループとニールソンのグループの間に、どのような確執があったかは定かではないが、二つのグループの間には政府当局でさえも押え切れない様々な揉め事が起こっていたらしい。
 ローレンスのいる街に、ジェイク・ニールソンがやってきているかもしれないというこの状況は、果たして偶然なのだろうか?  テイラーの追っている殺人犯が、何を隠そう、そのニールソンだったという事実は、まるで運命の歯車ががっちりと噛みあったかのような感銘さえ受ける。
 昨日の今日でC市に帰ってきたばかりのテイラーだったので、まだ署長とニールソンの件について話し合いも出来ていない。だが、警察署に入ってきたなりに署員の噂話で、ローレンスの話が出てきていたのを聞くと、いても立ってもいられなかった。
 どうせ自分のことをあまり面白くなく思っている署長は、すぐに会ってはくれないだろう。ならば、ローレンスの噂とやらを確認する方が先決だ。もし万が一ローレンスがその爆弾事件に関与していたとして、その裏にニールソンの存在があるのではないか・・・。
 ローレンスが事件と関係がないという事実がピーターズの口から出たとしても、そのまま放っておくわけにはいかない。そこには、確かに何かある。
「ピーターズ。その酒場に私を連れて行ってほしい」
 テイラーは、チキンの油で汚れたピーターズの手を取って、力強く言った。


 退社時間間近になって、医務室の電話がなった。
 内線のランプがついているのを見て、マックス・ローズの心臓は思わず高鳴った。
 受話器を取ると、案の定、あの低音で少しハスキーな声が『ウォレスだ』と言った。
『今日はすまなかったね』
 一瞬何の事を言われているか判らなかったが、ウォレスが『まさか跡になっているとは思わなかったんだ。許してくれ』と言ってきたので、途端に顔が赤面した。
『マックス? ・・・怒っているのか?』
 受話器の先の沈黙を怒りのせいと取ったらしい。まさかそんな訳がないのに、妙に心配げなウォレスの声を可愛らしく思ってしまった。思わずクスクスと笑ってしまう。
 いつも・・・そう今日だって、あんなに冷静で寡黙で思慮深い顔つきをしていたウォレスが、今受話器口でどんな表情を浮かべているかを想像するだけでおかしい。
『マックス?』
「怒っていませんよ。まさか、俺もあんな展開になると予想してなかったので、少し参りました」
『・・・今度から、気をつけるようにする。どうやら君の肌は弱いらしいから・・・』
 ウォレスの情熱的な口付けを思い出して、身体が熱くなる。
 マックスは、ネクタイを緩め、襟のボタンを外すと、近くにあったカルテでパタパタと自分の顔を扇いだ。まったく色気もへったくれもないが、こうでもしないと、額の血管が切れてしまいそうだ。
『もうすぐ退社するんだろ?』
「ええ。まぁ・・・。あなたは?」
『一緒に・・・と行きたいところだが、そうもいかないんだ。例の契約の準備がまだ随分整っていなくてね。ビルと共に企画管理部の連中の助太刀をしなくてはならない。今夜は帰れそうにないんだ』
「そうなんですか・・・」
 今度の契約はものが大きいだけあって大変そうなのは十分判っていたから、無理も言えない。本当は、今すぐにでも側に行きたいのだが。
「あまり無理はしないようにしてくださいね」
『判っている。ありがとう。君も気をつけて帰るんだぞ』
 そんな些細な気遣いが嬉しかった。この手の台詞は、帰り際サイズによく言われている台詞なのだが、言われる相手が違うとこうも聞こえが違うものかと思ってしまう。
 ・・・ごめんよ、サイズ。君が嫌いな訳じゃないんだ。ただ、ジムが本当に特別なだけなんだよ・・・。
 脳裏に一瞬呪わしい顔をしたサイズの面影が浮かび、マックスは頭を掻く。
『明日の休みは、絶対に空けるようするから。朝、必ず電話する』
 その台詞の裏に、今晩どれほどハードに働かなければならないウォレスの状況が想像でき、心が痛んだ。だが、ウォレスはそんな辛さや愚痴を一言も言わない。あえてそれに気づかない振りをするのが優しさのように思えた。
「・・・ん・・・。待ってます」
 マックスはそう答えて、静かに受話器を置いた。


 セスは、テイラーに押し切られる形で、ローレンスの酒場に姿を現していた。
 その日の店は珍しく客もまばらで、カウンター席の奥に座っているいつもの老人と、その隣に腰掛けている白人の男だけだった。おそらく、常連なのだろう。その白人の男は、この間セスがこの店に来た時に、後から入ってきた客だ。痩せぎすで、どこか狐のようなイメージをさせる男である。
 セスがテイラーを従えて店の中に入ると、ローレンスがあからさまに嫌そうな顔をした。上下黒のスーツという井手達のテイラーを見て、厄介事が増えたと直感したのだろう。
「いい加減にしてくれ」
 小さなグラスにテキーラを注ぎ、ローレンスが言う。セスはそのグラスを掴むと、ローレンスに挑むようにしてグラスを一気に空ける。隣に座ったテイラーが、少し青ざめた顔でセスを見る。ローレンスは、もうひとつ同じグラスを取り出すと、なみなみとテキーラを注ぎ、テイラーの前に差し出した。テイラーがグラスとローレンスの顔を見比べる。隣のセスを見ると、「飲めよ」と言わんばかりのきつい目つきでテイラーを見ていた。
「判った。判ったよ」
 こうなりゃ、ヤケだ。
 テイラーは、深呼吸をした後、一気にグラスを空けた。激しく咳き込む。元々テキーラはアルコール度数の強い酒だが、このテキーラはその中でも更にきつく感じた。
「こんなところに坊やを連れてくるとは、ピーターズ、お前さんも焼きが回ったな」
 グラスを片付けながらローレンスが言う。テイラーはその言い草にカチンときた。
 厳密に言うと、年齢的に言えば、セスより自分の方が年上なのだ。
「そんな口がきけるのは、今のうちだぞ」
 ひりつく喉を押えながらテイラーが咳混じりに言う。ローレンスがじっとテイラーを見つめ返してきた。
 威厳深い司祭のような目つき。これが、実物のティム・ローレンス・・・。
 テイラーがいつも見て知っていた写真の時より随分年老いて髪の毛はすっかり白くなっていたが、その目は相手を吸い込むような迫力があった。まだ「死んでいない」目だ。
「この生意気な口をきく坊や、一体どういったお友達なんだ」
 いつものようにセスに出すビールをジョッキに注ぎながらローレンスは訊く。
「私は、イギリス大使館領事ジョイス・テイラーだ」
 テイラーの「イギリス」という言葉に、ローレンスの動きが一瞬止まる。
 ローレンスはジョッキを片手に持ったまま、ゆっくりと振り返りテイラーを睨んだ。
「言っておくが、刑期はきちんと勤め上げたが?」
 確かに、現在のローレンスは違法な行為を行っていない。
 イギリス本国を代表してきている領事なんかに、難癖をつけられるいわれもない。
「いやいや、このミスター・テイラーはあんたを追っかけてきた訳じゃない。別の人間を追っかけているのさ」
 セスがそう言うと、ローレンスはまだ警戒を解いていない目つきで二人を一瞥し、セスの前にジョッキを置いた。
「彼が追っているのは、ジェイク・ニールソンだ」
 その名前を聞いた途端、ローレンスの顔色がみるみる変っていった・・・。

 

Amazing grace act.33 end.

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編集後記

くしくも、国沢は連日におよぶ過酷な残業環境に身を置いているのに併せたかのように、ウォレスおじさんも徹夜の残業シーンに突入しようとしております(笑)。なんだかその偶然がおかしく感じてしまいます。
同志だよ、ウォレスおじさん! 年寄りに徹夜残業は堪えるよね!・・・クスン。
来週は、働くパパはちょっと違うというところをお見せしようと思います。

[国沢]

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