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act.104

 闇夜に光るナイフの刃が見えた時、マックスはあまりの悲しみに胸の痛みを感じた。
 ハート家の警備についているはずの警官が、二人揃って競い合うように何度も繰り返しトイレに篭もる様を見て、レイチェルとマックスはすぐに『おかしい』と気が付いた。
 二階の窓の外から家の回りの様子を窺うと、裏庭に怪しい男が座り込んで何かを取り出しているところだった。
「何だろう・・・」
 マックスがそう呟いた隣で、レイチェルがマックスの肩を叩いた。
「マックス、あれ・・・!」
 レイチェルは声を抑えていたが、驚きの表情が伺える。
 レイチェルの指の先に目をやって、マックスは思わず息を飲んだ。
 まるで闇の中から生まれたような、漆黒のその姿は。
「・・・ジム・・・」
 マックスは、いとしい人の名を呟いた。
 夜風に乱された髪、無精ヒゲ、闇の光を湛えた瞳。
 その青白い顔は少し痩せていて、そしてとても美しかった。
 漆黒色のコートに身を包んだ彼は、まるで厳格で禁欲的な司祭のように見える。
 その手に一瞬キラリと輝く光を感じて、マックスはドキリとした。はっきりとは見えなかったが、ナイフかもしれない・・・。
 裏庭に座り込んでいる男に向かって、猛然と歩いてくるジムの暗く燃える瞳を敏感に感じ取り、マックスは「いけない・・・」と呟いて部屋を出た。レイチェルも後を追う。
 外の男に気づかれないよう、マックスとレイチェルは自分達の出す音を極力抑えつつ地下室に降り、地下室から地表に向かって開くドアから庭に出る。幸いここら辺は芝生だけが生い茂っていて、落ち葉はない。足音はしなかった。
 家の壁を伝って男とウォレスの姿を覗き込むと、丁度ウォレスが男の首を後ろから羽交い締めにしているところだった。反対側の手には、飛び出しナイフの刃が鋭い光を反射させていた。
 そこにいるのは、マックスの知らないウォレスの姿だった。
 そう、アレクシス・コナーズという、かつて異国で恐怖を撒き散らしていた殺し屋の顔・・・。
 ナイフが振り上げられる。
 彼の横顔には、まったく迷いがなかった。
 マックスの瞳から、涙が溢れ出る。
 彼自身が一番恐れていたはずだ。
 再びアレクシス・コナーズになることを、彼が一番恐れていた。
 それなのに今、自分を守るために彼は、自分の人生を犠牲にしようとしている。
 そんな惨い話があるか。
 もういい加減解放してあげるべきだと、マックスは神に祈った。
 彼はそれだけの償いを、その厳しく辛い人生の中で償ってきているのだから。
 マックスは、彼の腕にそっと触れた。
 力は込めていない。
 だが、彼の腕はビクリと感電するように震え、そしてナイフが振り下ろされることはなかった。
「今のあなたに、これはもう相応しくない」
 マックスは、彼の耳元で優しく囁いた。
 彼はもうアレクシス・コナーズなんかではない。
 マックスが愛した人は、ジム・ウォレスであり、そしてその人は今目の前にいる人に違いなかった。
 マックスがナイフをやんわりと掴むと、それは自然に彼の手から離れていった。
 彼が捕まえていた男が、奇声を上げながら前に這いずって行く。
 その男のことなんて、もうどうでもよかった。
 それが例えその男が自分の命を狙い、そしてまた爆弾の恐怖に陥れようとしていたのだとしても、少しも怖くなかった。
 今自分の目には、心に深い傷を負った彼しか見えない。
 マックスはウォレスの前に回り込んだ。
 幻かと思った彼が、今自分の腕の中にいる。
 ウォレスの美しく光る深いサファイヤブルーの瞳を見た時、再び愛する人をこの手に捕まえることができたという喜びで、涙が溢れてきた。
「・・・よかった! 本当に良かった。あなたが人を傷つける前に間にあって・・・」
 張りつめた糸が切れるように崩れ落ちていく彼の身体をしっかりと抱きしめながら、マックスは言った。
「もう大丈夫・・・。大丈夫だから」
 泣きながら言う台詞じゃなかったが、早くウォレスを安心させてあげたかった。
 彼がアレクシス・コナーズではなくジム・ウォレスであることを思い出して欲しかった。
 身近に感じる彼の息、肌の熱、戸惑いを浮かべる瞳。
「・・・マックス・・・」
 ウォレスはそう呟いた途端、ボロボロとその瞳から涙を零した。
 ああ、ジムが帰ってきた!!
 とにかく嬉しくて仕方がなかった。
 何度も彼にキスをした。
 そして再び彼が消えてしまわないように、きつくきつく彼の身体を抱きしめた。


 数台のパトカーのサイレンの音が、ハート家の前から去っていった。
 ハート家の前は、警察無線を聞きつけたマスコミ連中が集まり始め、夜中だというのにまるで昼間のような明るさに包まれた。
「男を取り押さえた様子についてはよく分かりました。これで我々は署に戻りますが・・・、大丈夫ですか?」
 リビングルームのソファーから立ち上がったハドソン刑事が、マックスに言った。
 マックスは数回頷く。
「大丈夫です。こちらは一切怪我人が出ていませんし、裏庭の爆弾も撤去してもらえましたから。ただ、今夜は静かに過ごしたいんです・・・」
 ハドソン刑事が顔をしかめる。
「分かっています。マスコミですね。そっちは任せてください。現場保護の為に、立ち入り禁止のバリケードを作っています。彼らの騒ぎを抑えるために警官も残していきます」
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらの方こそ。あなたのご協力のお陰で、この凶悪事件も無事に解決できそうです」
 ハドソンは照れくさそうに下手な笑顔を浮かべると(何せ今回も部下の警官の失態劇を聞かされる羽目になったのだから)、マックスに握手を求めてきた。
 マックスもハドソンの手を握り返すと、「すみません、玄関までお送りしたいのですが」と言った。ハドソンは頷く。
「マスコミが引くまで、玄関先には近づかない方がいい。勇猛果敢なあなたの従姉さんにもそうお伝えください」
 マックスは笑いながら頷いた。
 ハドソンを見送って廊下に出ると、セスとレイチェルが別れを惜しんでキスをしていた。
 それを見てハドソンが顔を派手に顰める。
「関係がばれたからって、そりゃ見せつけ過ぎだろう」
 ハドソンは両手を振ると、「おい! ピーターズ! 署に戻るぞ!」と声をかけた。
 セスはコミカルに肩を竦めると、最後に軽くレイチェルにキスをしてマックスの肩を叩いた。マックスの耳にセスは囁く。
「今晩、彼をよく休ませてあげな」
 セスは上の階をちらりと見て、ウインクする。
 セスはハドソンを追って、ハート家を出て行った。
 今ウォレスは、二階のマックスの部屋で眠っているはずだった。
 ウォレスはマックスの腕の中に包まれて余程安心したのだろうか、それとも泣き疲れたのか、マックスの部屋に入ってベッドに腰掛けた途端、気を失うようにして眠りに落ちてしまった。
 ハドソンには、ウォレスが爆弾魔の男に刃物を向けた事情を『正当防衛』だと話してある。
 警察では行方不明扱いになっていたジム・ウォレスは、決して姿を故意に消していたわけではなく、ハート家に身を寄せていたことにした。理由はもちろん、『迫り来る爆弾魔の危険を防ぐため』である。事実そういうことになったので、ハドソンがそれを疑うことはなかった。
「後の片づけとママの面倒は私に任せて、早くあんたはジムの傍に行ってあげなさい」
 レイチェルがそう言ってくれたので、マックスは自分の部屋に戻った。
 窓際のベッドに腰掛ける。
 ウォレスは、静かな寝息を立てていた。
 病院で別れた時より、幾分頬が痩けている。
 ズキリと胸が痛んだ。
 これまで、どんな思いでいたのだろう・・・。
 マックスは鼻の奥が再びツンと痛くなるのを感じながら、ウォレスの無精ひげに覆われた頬を撫でた。
「・・・ん・・・」
 ウォレスが鼻を緩く鳴らして、ゆっくり目を覚ます。
 すぐにあの蒼い瞳が現れた。
 マックスは目尻を手で拭い、鼻を啜ると「ジム・・・」と声をかける。
 蒼い瞳が少し彷徨って、すぐにマックスの姿を捕らえた。
 マックスがウォレスの唇に軽くキスをすると、ウォレスは「夢かと思った・・・」呟いた。マックスはクスリと微笑む。
「・・・バスタブにお湯が入ってるよ。入る? それとも、食事の方がいい? ステラはいないけど、簡単なものなら作れるよ」
「・・・身体は・・・身体はもう大丈夫なのかい?」
 ウォレスはマックスの質問に答えず、そう訊いてくる。マックスは溜息をついた。
「俺の心配はいいです。俺がもう大丈夫なのは、見たら分かるでしょ。ほら、ギブスも取れたし」
 マックスは、ウォレスの目の前に両手を翳し、大げさに手を握ったり開いたりしてみせる。
 マックスの腕や顔に残る傷跡を、ウォレスの指先が撫でた。ウォレスの顔がまるで自分が痛みを感じたかのように歪む。
「この傷は残るかも知れないな・・・」
 マックスのこめかみに残る細長い傷をさすってウォレスが言った。
 その指にキスを落としながら、マックスが訊き返す。
「俺は別に顔に傷が残ろうと平気だけど・・・。醜い? 傷が残ると、嫌ですか?」  
 その不安そうな声にウォレスが首を横に振る。
 身体を起こし、マックスの身体を抱き寄せて肩口に顔を埋めると、「すまない・・・!」とウォレスは言った。その声は、再び濡れていた。
「すまないだなんて、そんなこと、もう思わないで」
 ウォレスの身体を起こさせる。
「しかし・・・」
 となおも顔を苦しそうに歪めるウォレスをじっと見つめて、マックスは言った。
「じゃ、『すまない』って言葉を『愛してる』って言葉に代えましょう。ジムが『すまないなぁ』と思ったら、『愛してる』って言ってください。それが『すまない』っていう合図」
 マックスのアイデアに、しばし二人で見つめ合った。やがて同時にブッと吹き出す。
「酷い、ジム! なんで笑うんですか。俺、大真面目なのに」
「君こそ笑っているじゃないか」
「ジムが笑ってるからですよ」
「それはすまない。・・・あ」
 思わず口からまた『すまない』が飛び出して、ウォレスは口を手で覆う。
「ジム、『すまない』じゃないですよ」
 マックスがじっとウォレスを見つめる。
 まるで子どものような瞳の色をしてウォレスの口元を見ている。
 マックスが本気でその言葉がウォレスの口から零れ出るのを期待している様子に、ウォレスは遂に根負けして「愛している」と言った。
「やった!」
 飛び上がって喜ぶマックスを見て、再びウォレスは笑った。
 自分がまだこうやって笑顔を浮かべることができるなんて、ウォレス自身信じられなかった。
 マックスは、ウォレスに温かなぬくもりを与えてくれる。
 ただそこにいるだけで、傍にいてもらうだけで、ウォレスの全てを満たしてくれる。
 何という大きな愛情だろう。
 マックスは、再び闇の力に堕ちていこうとした自分を救い出してくれた。
 そして命の尊さを思い起こさせてくれた。
 死が全てを解決するのではないということを、気づかせてくれた。
 彼自身、突然の暴力と恐怖に晒され傷ついてきたはずなのに、マックスは復讐という名の暴力が正しい行いでないことを、身をもって語ってくれる。
 どうして我々は、そのことに気づくことができなかったのだろうとウォレスは思った。
 故郷で共に戦ってきた村の人々の顔が浮かぶ。
 我々はそのことに気づけなかったばかりに、関係のない人々の命はもちろんのこと、自分達の友人やかけがえのない人の命も失ってきた。多大な犠牲が払われた今となって後悔してみても、失われたものは戻ってこない。そして罪は消えない。
 目の前で無邪気に喜ぶマックスの姿が、眩しく見えた。
 彼の命が奇跡的に助かったのは、きっと神の思し召しに違いない。
 そのお陰で自分は、本当の意味で目を覚ますことができたのだから。
 やはりマックスは、天使に違いないと思った。
 リーナの死に出会って以来、神を否定し続けてきたウォレスだった。
 そのウォレスが今、こんなにも神の存在を感じている。
 マックスの穢れない笑顔を見つめ、ウォレスは微笑みを浮かべつつ、目尻を指ですっと擦ったのだった。

 

Amazing grace act.104 end.

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編集後記

どうでしょう??!
あまりにラブラブ光線出まくりで、お母さんは恥ずかしいです(笑)。
来週当たり、待望のメール配信になるのか?! それは神のみぞ知る・・・・・。
(というよりは、国沢の気力にかかっているわけですね(大汗)。ざぼ~ん)

[国沢]

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