act.132
バタンとドアが閉まる音がして、その場にいた誰もがビクリと身体を震わせた。
彼らが一斉に振り返ると、そこには再びしっかりと閉じてしまった非常階段のドアと、そのドアの前に立つ、作業着姿の男の姿があった。
淡いブルーの瞳。岩のような顔つき。
間違いない。
マックスの背筋に鳥肌が立った。
病院でテイラーから最高機密書類なんだと言われながら手渡された写真。
その写真の中の男が、今目の前に立っていた。
男が黙って笑みを浮かべた瞬間、今会社に起こっているこの事態が、この男の手によるものなんだとマックスは理解した。
「貴様・・・!」
マックスが男に近づこうとした矢先、唐突に男が口を開いた。
「そこで止まるんだな、坊や。それ以上近づくと、前みたいに吹っ飛ばされることになるぞ」
マックスはビクリと身体を震わせ、その場に立ちすくんだ。
薄い瞳の色をした大きな目玉が、蛇のようにマックスを射抜いていた。
マックスの身体が強ばる。
男が、先の事件を指していることは明白だった。
男のシンプルな一言は、マックスが意識していなかった心のトラウマをマックスの目の前に押しつける形となった。
背筋に猛然と走るあの時の恐怖の感覚・・・。
たちまち顔色が真っ青になるマックスを見て、男はニヤリと笑う。
「今でもあの真っ白い光を忘れることはできないんだろう?」
男はまるで、あの時その場にいて、あの恐怖を熟知しているかのような口振りでそう囁いた。
そう、この男は『恐怖』というものを知っている。
爆弾というファクターに纏わる恐怖全てを・・・。
「何だ、君は」
男の正体を知らないビルが、怪訝な表情を浮かべ男にツカツカと歩み寄る。それと同時に、男は右ポケットから取り出したお手製の手榴弾をビルの目前に突きつけた。
一瞬ビルは、男が取り出したものが何か分からない様子だったが、男が手元の安全ピンのカバーを親指で器用に外すのを見て、腰を抜かしその場に尻餅をついた。それを見た社員達も突然の事態にヒステリックな悲鳴を上げ、その場が騒然となった。
「い、一体誰なんだ?!」
ビルがようやくそう呟く。
「・・・ジェイク・ニールソン」
その問いにそう答えたのは、目前の男ではなかった。
ビルが、隣に立つマックスを見上げる。
マックスは、強ばる顔つきそのままに、目の前の男をじっと見据えていた。
「ジムをずっと苦しめ続けてきた、悪魔だ」
マックスが睨み付けると、男はさも楽しそうに微笑んだ。
「そこまで君に憎まれているとは光栄だ。マックス・ローズ君」
マックスはぎりりと歯を噛みしめた。
一方、ウォレスは完全に夕方のラッシュ時間に引っかかって、思うように渋滞の列から逃れることができなくなってしまっていた。
嫌でも苛立ちがつのる。
俄にきりきりとみぞうちが痛んだ。
・・・やはり、あれは幻などではなかった。
エレベーターの中で見た、あのゾッとするような冷たい瞳は嘘ではなかった。
ジェイクは間違いなく、仕掛ける気になっている。
ジェイクが自分の前に姿を現したばかりでなく、敢えて自分に分かるような偽名を使っていることこそが、その象徴だといえた。
アレクシス・コナーズ。
その名は、ウォレスばかりか、ジェイクにとっても因縁深い名前である。
何でも望むものを全て手にしてきたジェイク・ニールソンという男が、唯一手に入れることのできなかったもの。
もやはその響きは、憎悪と執着の呪文と化している。
ズキリとウォレスの胸が痛んだ。
幼い頃。例え有刺鉄線の中であったとしても、友達と屈託なく遊んでいたあの頃。アレクシスは、戦火の耐えない毎日であっても、世界中のどんな場所にいる子供と同じように、純粋でわくわくするような輝く未来を夢見ていた。よもや自分にあれほど壮絶な運命が待ちかまえていることなど、微塵も想像していなかった。
ウォレスの脳裏に、亡くなった父親が撮影した家族の8ミリ映像が浮かぶ。屈託ない笑顔を浮かべ、汚れた布を丸めて作ったお手製のボールを蹴っていた少年。ウォレスは、自分のことながら、あの8ミリフィルムに映っていた少年のことが不憫に思えてならなかった。
自分の人生は、いつから自分の名すら恥じるようなことになってしまったのだろう。
そして祖父から貰った大事な名を捨てねばならなくなってしまったのか。
逃げようとすればするほど、亡霊のようにアレクシス・コナーズが追いかけてくる。そしてそのアレクシスを追って、ジェイク・ニールソンが迫ってくるのだ。
『お前から全てを奪ってやる』
耳元でそう囁かれたような錯覚を覚えた。
ハンドルを握る手のひらにじっとりと汗が滲み出るのを感じながら、ウォレスは西日を背に高くそびえ立つミラーズ社のビルを見つめた。
「キャー!!」
女子社員の悲鳴と共に、最上階にいる社員全てが、まるで牧羊犬に追い立てられる羊のように廊下の奥へと追いやられていく。
ジェイク・ニールソンは、手榴弾の安全ピンに指をかけたまま、ニヤニヤと笑みを浮かべて社員を追い立てていった。
ジェイクがその指を外し、こちらに投げつけてくれば、確実にこの社員の内の半数は命を落とすことになるだろう。
隙あらば飛びついてやろうとする男性社員は幾人もいたが、相手はただの愉快犯でも精神に異常をきたしている凶暴犯でも何でもなかった。
冷静に現状を把握し操る知能犯。
経験の豊富な犯罪者だった。
先程無謀にも抵抗を試みようとした若い社員がジェイクに飛びつこうとしたが、ジェイクはあっさりと社員の右手を掴み、床に抑え込むとあっという間に社員の手首を折った。その生々しい音に他の社員が怯む中、ジェイクは淡々とした表情で、新しい爆弾をポケットから取り出すと、痛みで悲鳴を上げる社員の口の中に爆弾を突っ込みガムテープで固定して、その安全ピンの先に垂れた紐を持ってスタスタと歩き始めた。結果、その社員は右手をブラブラさせながら、痛みを堪えてジェイクの側をつかず離れずでついていくしかなくなった。
ジェイクの落ち着きようは不気味なほどであった。
爆弾を銜えさせた社員を使って、通り過ぎる部屋のドアというドアを全て開けさせ、中に人間がいるかどうかくまなくチェックした。人がいる場合は、巧みに脅しをかけながら、言う通りに動くよう命令をした。
「全員会議室に入れ」
悲鳴と泣き声混じりの群衆が、あっという間に会議室に固められる。
ジェイクは戸口に立ち、傍らにいる社員の口からガムテープごと爆弾を引き剥がすと、ドンと突き飛ばした。その社員の身体をマックスが受け止め、折られた手首の状態を素早くチェックした。骨は見事な程にぱっきりと折れている。こんな惨いことを何の躊躇いもなくあっさりしてしまえるのは、ある程度の慣れがないと出来ない。
マックスは改めてジェイクを睨み付けた。
そのマックスにジェイクが言う。
「お前はこっちにこい」
マックスはその言葉を無視して、自分のネクタイを引き抜くと、周囲にいる男子社員にネクタイを外すように指示した。
「ミスター・ローズ。君に向けて言ったのだが」
マックスはなおも無視して、ネクタイをつなぎ合わせる作業を進める。
「おい!」
さすがのジェイクもマックスのこの態度に声が大きくなる。だがマックスは、間髪入れず「治療する間だけ待ってくれ!」と言い放った。その声には、反論を許さないような厳しさがあった。
「すぐに終わる」
マックスはジェイクの顔を見上げた。
「別に焦ってる訳じゃないんだろ? あんた」
それを聞いてジェイクが笑った。
「見かけによらないな。意外だよ。・・・さっさと始末をつけるがいい」
マックスは男性社員に向き直ると、「痛いけど我慢して」と声をかけ、折れた右手のズレを力ずくで治した。悲鳴を上げる社員を押さえつけ、手首を彼の身体に沿わせるとネクタイでしっかりと固定した。
「骨は綺麗に折れてるから、治りも早いよ。皮膚も突き破ってないから大丈夫」
男性社員は、痛みに顔を歪ませている。
マックスは振り返ってジェイクを見た。
「医務室から、痛み止めを取ってきたいのだが」
「そこまで許すと思うかね?」
「だろうな」
マックスは溜息をつく。
「私、アスピリン持ってます」
男性社員の身体を支えているレベッカが、ポケットからピルケースを取り出した。
マックスは男性社員にアレルギーがないことを確かめると、レベッカに彼の面倒を見るように頼んだ。
「さぁ、用事は済んだだろう。こちらに来てもらおうか」
ジェイクが顎をしゃくってドアの外を指し示した。
マックスは背中に這いずり上がってくる恐怖を必死で押し殺しながら、ゆっくりと立ち上がった。
Amazing grace act.132 end.
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編集後記
うっわ~、ぎりぎり更新だ!編集後記書いてたら、日付変更線跨いじゃうかもかも(汗)。
先週はアロマな話をしましょうって書いてましたけど、それを書いてたら本気で日付変わっちゃうんで、今日は手短に。
取り敢えず、本日ミュージックフェアに出演していたスティングが、相変わらずソウセクシー!!だったのと、全日本女子バレーボールチームの頑張りに乾杯っつーことで締めたいと思います。
ややや、本当にね、何度も泣きましたよ、ワールドカップ。すんばらしかったです。ああ、スポコン万歳!!久しぶりに、『エース』なんぞ読み返してみようかな、と思ってしまいました←本気でスポコン好き。
[国沢]
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