irregular a.o.ロゴ

nothing to lose title

act.87

 セス・ピーターズは驚愕のあまり、なんと答えていいか分からなかった。
 一瞬夢を見ているのではないかと思ったほどだ。
 その動揺した様子が露骨に出たセスの表情を見たテイラーが、セスの向かいに腰をかけて「何だ」と言わんばかりに顔を顰めてみせる。
「待って、待ってくれ。とにかく」
 セスは誰に向かって言っているか分からない表現をしたが、結果的には自分に対して一番効果を発揮したらしい。
 セスは一度大きく息を吐き出すと、テイラーに席を外してもらいたいと断りを入れた。テイラーは如何にも不機嫌な表情をして見せたが、結局は何も言わず爆弾処理班のオフィスを出て行ってくれた。
 セスはそれを確認した後、受話器を再び耳に押しつけた。
「マックス? 本当にマックスか?」
 誰かに騙されているのではないかと思いつつ、セスは受話器に話しかけた。
 受話器の向こうでは少しだけ笑い声が聞こえ、『ごめん、セス。心配かけちゃって』という声が返ってきた。
 セスからしてみれば、マックスには訊きたいことが山ほどあったが、いざそういう状況になると何から訊いていいか分からなくて混乱した。
「よかったよ、とにかく。具合よくなって」
 だなんて馬鹿げた台詞を吐いている自分が嫌になるほどだ。
『ところでセス、今一人かい? 周りには誰もいない?』
 だが、マックスの声が慎重になるのを感じて、セスもようやく頭が回り始めた。セスは再度周囲を見回す。
「ああ。マックス、俺は事件を外された。君の事件からも、その前の事件からも全て」
『知ってるよ。さっき俺の同僚が捜査本部に電話をかけてもらったら、そう教えられた。だから今直接俺がセスに電話することができた』
 そんなマックスの台詞に、セスはそこに何かが隠されていることを敏感に感じ取った。
 そしてマックスが昨日今日でよくなった訳ではなく、もうずっと前から精神を病んではいないことを悟った。そして捜査を外されたセスだからこそ電話をしてくるだけの理由がマックスの側に発生したことも。
「何かあったんだな。今の状況を続けていられない理由が」
 セスの察しのよさに、マックスも驚いたようだった。
 だが、マックスはすぐに「さすがセスだね」と言った。
『セスにもずっと謝らなくてはと思ってた。君の上司には悪いけど、俺はずっと偽ってきたんだ。心を病んで言葉を失った人間のふりをしていた。それはレイチェルもすでに知ってるし、俺の同僚の医師も知っている。そうする時間が俺には必要だったんだ。自分の中で事件を整理する時間が』
 そういうマックスの気持ちはセスも理解できた。
 病院で傷だらけのマックスを見た時、彼を襲った事件の傷の深さと惨さを痛感した。彼が心を閉ざしてしまったと聞いたときも、それは当然だろうと思った。
「そんなことはいいさ。君が無事だったんなら、それで」
 セスは本心を言った。
 マックスが警察に対して偽った態度を示したことはいけないことだが、自分にはそれを責めることはできない。自分がその立場だとしても、きっと自分はそんな態度をとったかもしれない・・・と思っていた。頭の中にハドソンのことを思い浮かべると。
「それで、どうしたんだ。そんな状況で俺に電話をかけてくるなんて、よっぽど差し迫っているんだろう」
 マックスが正直にことの事情を説明したとあっては、彼も手詰まっていることは容易に想像できた。なぜなら、自分も警察組織の一員であり、彼が抵抗をしてしている組織の一員に他ならないからだ。それにも関わらずマックスがコンタクトを取ってきたことを考えると、彼が自分を心の底から信頼している証拠にも思えたし、そんなマックスを痛々しくも感じた。
 受話器の向こうから聞こえるマックスの声はしっかりしていたが、セスにはそれが逆にマックスが気を張っているせいのような気がして、たまらなくなった。
『俺の主治医の精神科医が気づき始めたんだ』
「君の芝居に?」
『そう・・・。恐らくね。彼は天下一の名医じゃないが、誠実な男でね。きっと本当のことを知ってしまえば、彼は黙っていられないだろう。同僚にお願いして黙っているようにお願いする方法もあるけど、もうこれ以上俺のことで危険な秘密を抱える人間を増やしたくないんだ。今度のことで、沢山の人が傷ついている。そして不幸な選択を下した人間だっている。そんなのは、耐えられないんだ』
 セスは、マックスがどういう人間かよく知っていた。
 彼の方こそ誠実でこころよい人間であることを。
 そしてなぜか、頭の中にレイチェルの姿を思い浮かべた。病院の廊下で見たレイチェルの笑顔。セスに手を振りながら「さよなら」と言った寂しげな声。
「・・・俺に何が出来るんだい、マックス。捜査から外された俺に、一体何が・・・」
『相談にのってもらいたいんだ。近いうちに俺は、警察の調書に応じなければならないだろう。その前に、セスに話しておきたいんだ。いろいろなことを。正直に言うけど、これは俺にとって大きな賭だ。セスにこうして電話をすることがね。それは分かってくれる?』
「ああ。・・・ああ、もちろんさ」
 それは痛いほど分かった。本当に痛いほど。
『明日かあさって、時間がとれたら夜に病院に来てもらいたい。夜は見張りの目も緩むから。俺の同僚が手引きする。都合が悪かったら、その同僚に電話して。マイク・モーガン医師だ。彼への直通電話は・・・』
 セスは、言われた番号を手近な紙にメモりながら、「明日必ず行くよ」と答え、電話を切った。
 受話器を置いた手にびっしょりと汗をかいていることに気がついた。爆弾処理の仕事をして以来のことだと、少し自分が恥ずかしくなった。


 ヤツは、自分の身の回りにいた。
 そしてその歪んだ目で、じっと自分を見つめていたのだ。昔のように。
 マックスが運び込まれた病院で、レイチェルから見せられた写真。
 まがまがしい執着の数々が叩きつけられた文章。
 その字はジェイクの字とは似ていなかったが、ウォレスはそこに紛れもない『彼』の臭いを感じた。
 どうしてそんなものを感じたのかは分からない。
 先日ティム・ローレンスに「ジェイクの噂話を聞いていたからそう感じるんだ」と言われても、昔からこういった類の『感』は外れたことがなかった。常に自分は、その『感』によって助けられ、生き延びてきたのだ。
 生死に近い仕事に深く関わっていくにしたがって、不思議とそういう感覚は鋭くなっていくものだ。
 アレクシスが同業者と遭遇することは稀だったが、過去に二三度、その手の男達と出会った時、皆似たようなことを話していた。「時々自分は、神に生かされているように感じる時がある」と。
 皮肉めいた言葉だったが、それはあたらずも遠からずと言っていい。
 人間、生死ギリギリの場面に遭遇すると、知識や思考といったものを超越した感覚というものの差で生死が決まることがある。
 人はそれを『霊感』とも『超能力』ともいうが、そんな陳腐な言葉で表すにしろ、そういった感覚は現にあるとウォレスは思っていた。実際、それに助けられたことも多々あるのだ。そんな感覚が感じられないヤツはさっさと死んでいき、感覚に鋭くなっていくヤツほど、生き延びることができる。人の生死なんて、単純なものだ。死に対する意味は、後からついてくる。どんな時も。
 写真を見せられた時、ウォレスは全身に鳥肌が立った。
 理屈ではなかった。
 木枯らしが吹き荒れる中、チーズを買って帰ったあの日。そう、鉄のドアの前で感じた、あの感覚。
 そこに映っている字も書かれている内容も、およそジェイクとはかけ離れていた。断片的にしか見ることが出来なかったが、稚拙で滑稽な妄想。
 ウォレスがマフィアか何かの組織のボスで、あれを書いた本人・・・今回の爆弾事件の真犯人が彼を守る一番の部下だという。最初は、自分の腕試しの為にトレント橋を爆破し、次は自分のボスの娘を卑劣な手で消そうとした男を闇に葬った。そしてその次は、ボスの気を惑わせる『女』を始末すると・・・。
 濃い金髪にグリーンアイズ。美しい顔をした悪魔だと憎しみのこもった字で書かれてあった。
 それを見た時、ウォレスはそこにはっきりとジェイクから感じたことのある同じ臭いをかぎ取ったのだ。
 日記に書かれた爆弾の製法と合わさって、思い返せば返すほど、ジェイクの姿が目の前に浮かび上がった。
 いつだってジェイクは、アレクシスからすべてを奪っていった。
 小学校の同級生、学校の先生、近所の雑貨屋の娘。可愛がっていた野良犬、姉の飼っていた小鳥でさえ。
 アレクシスが興味を示そうものなら、先回りをしてジェイクはそれを阻んだ。
 アレクシスが気づいた時には、彼がこれから愛し始めようとしたものすべて、彼の前から姿を消していた。
 幼い頃は、それがジェイクの仕業だと気づきもしなかったのだ。
 ジェイクは、傷ついたアレクシスを親身になって慰めてくれた。「大丈夫、俺がいるじゃないか」と頭を優しく撫でてくれた。
 ジェイクはいつも、アレクシスのためにといろいろ気を使ってくれた。
 いつも一緒にいようと、ジェイクの仲間の集まりにも連れていってもらった。
 ジェイクは村の若者の間で、カリスマ的な人気がある男だったから、そんな彼がお隣同士の幼なじみという理由だけで一番に気にかけてくれるのがアレクシスは嬉しかった。
 仲の良かった女の子が、あくる日から手のひらを返したようによそよそしい態度をとっても、放課後ジェイクと一緒にいるとそんな悲しみも忘れた。
 ジェイクが教えてくれる世界は、同年代の少年達が決して知ることのできない、選ばれたものだけの世界だったからだ。
 自分たちの手で世の中を変える。祖国を解放する。
 素晴らしい理想だった。そしてその理想を口先だけじゃなく実行に移すことが何より凄いと思った。
 変な女にうつつを抜かすより、祖国の為に人を一人殺した方がずっと有意義だ。
 ジェイクはそう教えてくれた。
 その考えは間違っていないと、ずっと信じてきた。
 それなのに。
 ある日自分は、気づいてしまった。
 それがとんでもない間違いだったということに。
 今まで自分の身の回りから、次々と愛すべきものが消えていくのは、単なる偶然ではなかったことに。
 それを教えてくれたのは、ジェイクの妹リーナだった。
 自分より一つ上で、まるで天使のように美しい髪を持つ女性だった。
 彼女は、祖国を愛し家族を愛し、何より兄を心から愛する情の深い人だった。
 その溢れ出る愛情を、アレクシスにも与えてくれた。
 そして自分の兄が間違った道にアレクシスを誘導していることを知ると、彼女はそれを阻んだ。リーナは、本当の意味で正義の人だった。
 そのリーナさえも、ジェイクは目の前から奪ってしまった。
 自分が愛したものを、ことごとく奪っていったジェイク。
 そして今もまた、愛するものを奪われようとしている・・・。
 ジェイクは確かに、この街にいる。
 噂などではなく、確かにこの街の片隅に。
 証拠なんかは何もない。だがウォレスには、確信があった。
 自分の身体に染みついた、この感覚。
 間違いない。
 ジェイクが、そうし向けているに違いないのだ。
 この私に、「選択肢は自分しか残されていないんだよ」と知らしめるために。ジェイク・ニールソンしか選べないということを理解させるために。
 先日締め上げた板金屋のコールは、最近接触してきたのは、オドオドしていて気弱そうな若い男だったと話した。まるで誰からかに言いつかったお使いの品を買い求めるように、汚い字で書いたメモを読みながら注文してきたという。
 おそらくその若い男は、ジェイクに利用されているに違いない。ジェイクの話に毒されて、あんな日記を書いたのかも。
 どちらにしろ、ジェイクが裏にいることは違いない。・・・違いない・・・。
 これが最後のチャンスだとウォレスの中のもう一人の男・・・アレクシスは思った。
 ジェイクと自分の間の鎖を切る最後のチャンスだと。
 そこの先にあるのが例え『死』であっても。
 差し違えてもジェイクをあの世に葬ってやる。
 ジェイク自身が教育した、俺自身の手で。

 

Amazing grace act.87 end.

NEXT NOVEL MENU webclap

編集後記

ああ、今日は本当にしんどかった。
思ったように書けませんでした(汗)。何度も書き直したんですけど、全然いけてません。
今更ながらですが、アメグレが無事終わったあかつきには(って本当に終わることが出来るんだろうか・・・)、本気で中身を見直して改訂してからダウンロード版をアップさせようかな・・・と真剣に考えてます。あまりの展開の悪さに(汗)。
作者がこんな調子なのにおつきあいしていただいている皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
思えばアメグレ、90回にも近づく勢いで、こんなに長い話を書くのも、舞台が外国ってのも初めてで、国沢にとっては本当に挑戦の連続なんだよなぁ・・・。ひょっとしたら、この話を終わらせることができたら、自分なりに何かを得ることができるのかもしれない・・とかおセンチに思ったりもします。ある意味、「NOTHING~」の時より産みの苦しみを味わっている作品なので・・・。
でもこういうのって、素人だからこそ許される(許されないか(汗))、ことだよなぁとも思います。書きながら迷うっていうのも。
アメグレは主人公マックスの成長物語でもあるんですが、作者国沢自身の成長物語なのかもしれない・・・。いや、これマジで。
おつきあいいただいている皆様は、時にまどろっこしくなったり、作者の迷いに一緒になって翻弄されたりしているのかもしれないと思うと、本当に「たはは~」となってしまいます。それでも付き合って下さる方がいらっしゃることに本当に感謝感激。本当に頭が下がる思いです。
今後もうだうだしながら続いて行くんだろうと思いますが、よろしくおつきあい下さい(涙)。
ざっつ・サバイバル・テーメント!・・・本日まったくしゃれになりません(滝汗)。ざぼ~ん。

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

Copyright © 2002-2019 Syusei Kunisawa, All Rights Reserved.