「じゃ、そういうことで」
　パーティーの実行委員長の台詞を最後に、体育館に集まった生徒達が、三々五々解散していく。
　シンシアの通うイースト・メープル校では、約一週間後に学校主催で行われる創立記念の大規模なパーティーが行われる予定になっていた。
　学校の由来であるカエデの葉をモチーフにした、まるでカナダの国旗を連想させる学校旗を高々と掲げ、アメリカでは珍しく制服を採用しているシンシアの学校では、学校主催による様々なパーティーがよく開催されていた。地域に開かれたボランティア色の強いものから、優秀読書感想文授賞式等の堅苦しいものまで、その種類は様々だ。
　だが今回のパーティーは完全に学生主導で行われるもので、プロム（卒業パーティー）の次に生徒達が注目するイベントだった。在校生全員が参加できる資格があるので、むしろプロムよりも人気が高い。
「ねぇ、シンシア。一緒にパーティーに行く人決まった？」
　シンシアが体育館を出て気づくと、彼女の周りには女友達の人盛りが出来上がっていた。
　学年でも評判の美人であると名高いシンシアはいつも彼女達の注目の的で、事実学校で人気のある男の子達はこぞって彼女にパーティーのパートナーとして申し込みをしているらしいという噂話が流れていた。確かに、それは噂だけでなく、本当のことなのだが。
「今度はトム・クライスからお声がかかったって話、聞いたよ」
　輪の中の一人がそう言うと、瞬く間に周囲から歓声が上がった。
「ウソ～。それホント？！」
「ホント」
　シンシアの代りに、シンシアと特に仲のいい友人、リサが答える。当の本人はというと、呑気にあくびなんかしながら、校門に向かって歩いている。
「それで？　返事は？」
　皆、シンシアの後について回りながら、興味深げに彼女の顔を覗く。
　ふいにシンシアは立ち止まると、くるりと後ろを振り返って溜息をついた。
「断わったわ。言ったでしょ。今年のパーティーはひとりで行くって」
　え～という落胆と驚きの入り混じった声が返ってくる。 彼女達の落胆振りも仕方がないことだ。極度のファーザー・コンプレックスで、くだらない男ばかりと遊んでいたシンシアだったが、最近では見違えるように人間が変った。授業態度も真面目になり、積極的にスポーツにも参加するようになった。元々華のある少女なので、今まで臆して彼女に近寄らなかった者達も次第に彼女と打ち解けるようになった。なんだかんだ言って、素行の悪い時から既に、シンシアは彼女達の中でプリンセスのような存在だったのである。
　恵まれた容姿。聡明な頭脳。質素だが資産のある家。そして彼女の父親・・・。
　シンシアが問題行動を起す度に学校に呼び出されていた彼女の父親は、シンシアの同級生の間でも話題の的だった。
　自分達の親と比べ、非常に若く端正で威厳のある雰囲気を持つ父親。あんな人が私のパパだったら・・・。彼女達はそう口々に零したが、実のところ父親というよりは、まるで恋愛の対象のように誰もがシンシアの父親を眺めていた。
　そんな夢のような環境にあるシンシアが、平凡で退屈な家庭に育っている彼女達に羨望の眼差しで見られるのは、当然といえば当然のことだろう。
「なんで、シンシア～。もったいない～」
　黄色い声を上げる同級生達を尻目に、シンシアは気のない表情で再び歩き始める。
「シンシア、誰か好きな人でもいるんじゃないの？」
　背後からそう言われ、シンシアの足が再び止った。皆がぎょっとする。色々浮名を流したシンシアだったが、彼女が本気で好きな人間など、今まで一度もいなかったからだ。
「え～？！　誰々？」
　甲高い声が、シンシアの周囲を取り巻く。
「別に学校以外の人でもいいんだから、エスコートしてもらえばいいじゃないの！　シンシアなら大丈夫だって」
　そうよ、そうよと次々声が上がる。
　シンシアは少し口を尖らすと、スンと鼻を鳴らした。取り巻きの誰もが、一瞬シンシアが泣き出すのではと思った。だが、意外にもシンシアは爽やかな笑顔を浮かべたのだった。
「いいの。片思いだったけど、フラれちゃったのよ」
　群集の中を軽やかなステップで歩いていく。皆がそんなシンシアを黙って見つめていた。その視線の意味は、プリンセスがフラれたことに対する驚きなのか、彼女の潔くて美しい笑顔に見惚れていたのか。彼女達の視線は、シンシアの背中を追って、その先に立っている背の高い金髪の青年の姿を捉えた。
　ベージュのスマートなチノパンに濃いオリーブグリーンのセーター、その上からライトブラウンの薄手のコートを羽織った青年は、彼女達がかつて見たこともないような美しい容姿をした青年だった。
　シンシアが再び立ち止まる。そして彼女は大きく手を振った。
「マックス！！」
　マックスと呼ばれた青年は、テレくさそうに一度だけ軽く手を振って応えると、両手を再びポケットに突っ込んで気さくな笑顔を浮かべた。朗らかな陽の光が輝くような、温かさが滲み出ている笑顔。とても魅力的な。
　シンシアは、振り返って友達達に別れを告げると、無邪気に青年に向かって走っていった。
　その様子を見て、彼女達は大よそのことを飲み込んだのである。


　跳ねるように駆けて来たシンシアが、ぶつかるようにマックスの腕を掴むと、マックスはシンシアの身体を抱きとめ、ハハハと笑い声を上げた。
「びっくりするなぁ、もう」
「だって、学校まで王子様が迎えに来てくれるとは思わなかったんだもの。嬉しくってつい」
　少女らしい笑顔を浮かべるシンシアに、マックスの心も綻ぶ。
「いいのかい？　友達は」
　腕を絡ませたまま、二人は縦列駐車の車が並ぶ歩道を歩き始める。
「いいの。今日はマックスとデートするって朝から決めてたの」
　女の子らしい台詞が返って来て、一瞬マックスは心が痛んだ。
　 「これ、パパの服でしょ？　それにパパの石鹸の香りもする。ああ、よかった。朝は正直言って、お酒臭かったんだもの」と屈託なくしゃべるシンシアを見下ろして、マックスはふいに「ごめんな」と謝った。
　シンシアがマックスを見上げる。
「何で謝るの？」
　確かに、シンシアの目はマックスを責めてなんていなかった。そして彼女は、どうしてマックスが謝ったのか、その理由が分かっているという顔をしていた。案の定、彼女は次にこう言った。
「マックスは、パパとのこと、私に謝るようなことだと思っているの？」
　マックスは立ち止まった。シンシアと正面から向き合って話がしたかった。
　シンシアの両肩に手を置いて、マックスはシンシアに向き直った。
「悪い気はしない。と言えば、それはウソになるよ」
　マックスは正直に答えた。
　シンシアが学校に向かって出て行った後、ウォレスとシンシアの家の中であるという罪悪感を覚えながらも、バスルームで彼女の父親と愛し合ってしまった。やはりこうしてシンシアを前にすると、気が引けてしまう。
「俺は、君からお父さんを奪ってしまったのかもしれないのだから」
　そういうマックスの声の方が湿っぽかった。
「それに・・・。男同士だなんて、ショックだろ？　やっぱり。俺だって正直、今でも自分のことが信じられずにいるぐらいだから・・・」
　シンシアは軽い溜息をつくと、「ねぇ、歩きましょうよ」と再びマックスの腕を取った。
　今度はゆっくりとした歩幅で歩きながら、シンシアは言った。
「確かに・・・。ひとり娘としては衝撃的だったわ。そうなんじゃないかって気づいた時」
　マックスは、少し眉間に皺を寄せる。だが、それとは対照的にシンシアの横顔は実にさっぱりとしていた。
「でもね、パパの新しい相手がマックスでよかったって同時にすぐそう思う自分もいたの。何でかな。私にもよく分からないけど」
　シンシアは歩道に縦列駐車している車の中から、馴染みのセダン車を見つけると、マックスの腕を離れ小走りに車に近づいた。マックスも後を追い、鍵を開ける。
　後部座席にカバンを投げ入れ、シンシアは助手席に収まった。マックスは助手席側のドアを閉め、運転席に乗り込む。
　マックスがドアを閉めると、シンシアが言った。
「私はパパを愛しているわ。パパには本当に幸せになってほしいと願っているの。マックスはパパの身体の傷、見たでしょ？　私も時々ちらりと見るの。パパはなるだけ隠そうとしているけど、家族だもの。隠しきれるはずがないわ。私とパパは、もう隠し事はよそうって約束したけど、でもあの傷のことは別。関係が近すぎるから、返って怖くて訊けないの。でも私には分かる。パパは心に大きな傷を背負っているって。今まで、どの女の人もそれを癒すことはできなかった。パパがそこまで許さなかったせいよ。でも・・・マックスなら・・・」
　シンシアが、シフトレバーの上に置いたマックスの手に小さな白い手を重ねる。
「私のことを助けてくれたマックスなら、パパを救えるかもしれない。ううん。救えると思う。お願い。パパを助けてあげて」
「シンシア・・・」
　シンシアは横顔を向けたまま、目だけマックスの方に向けた。
「でも、私のことも仲間外れにしないでね」
　少し物悲しそうな表情を見て、溜まらずマックスはシンシアを抱き寄せた。
「もちろんさ。俺はジムを愛しているけど、それと同時に君も愛しているんだ。愛の形は違うけど、君も俺にとって大切な人だよ・・・」
　たまらなくいとおしく感じた。
　マックスは、この掛け替えのない『家族』のためにも、幸せにならなければ、と思った。

　

Amazing grace act.54 end.

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