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act.148

 ごく少数の機材と警官が残っただけとなった旧・作戦本部にレイチェルは案内された。
 今この部屋に残っているのは、共に気心の知れた警官同士しか残っていない様子で、ホッブスに伴われてきたレイチェルを見て、彼らは次々と挨拶をする。見知った顔が幾人もいた。
「作戦本部が新たに設置される間、ビル内と通信できるのはここだけだ。作戦本部が立てば、ここからでは直接通信できる権限がなくなる。今しかチャンスがないんだ。アイツと話をするには」
 ホッブスはそう言いながら、無線機をレイチェルに渡した。スイッチを入れると、ガーガーというノイズのすぐ後に『レイチェル?』と呼びかける恋人の声が聞こえてきた。
「セス?! あなた、本当にビルの中にいるの?!」
 SWAT隊でさえ侵入が困難だったビルに、謹慎処分を食らっているセスがいることをレイチェルは俄に信じられなかった。しかもホッブスの説明だと、セスは突入隊よりもずっと奥まで侵入していて、最も危険な区域にいるという。
『今、丁度真ん中のビルと東側のビルの間にいる。状況はホッブスから聞いたかい? これからやっかいな仕事を済ませなきゃならない。そのまえに、君とどうしても話したいと思って』
 セスの置かれた状況の割に、いつもと変わらない明るい声だった。
 だが、それでもセスが本気で話していることはすぐに分かった。
「分かったわ・・・。それで、無事なの?」
 レイチェルもいつもの茶化した口調を抑え込み、優しげな声で囁いた。すぐにセスが答えてくる。
『マックス達が無事なのかは、俺にも確認できない。さっき、警備室の人達と会ったが、そこは取り敢えず無事だった』
 レイチェルは少し苦笑いする。
「バカね。アタシが訊いてるのは、あなたのことよ。・・・怪我とかしてないの?」
 セスの笑い声が聞こえる。その声にホッブスもテイラーも微笑んだ。彼らは気を利かせて無線機の側から離れる。
『俺は大丈夫。だけど、上にはミラーズ社の社員が千人以上も閉じこめられている。何としても、奴らが起爆する前にこいつを片づけるつもりだ。これが爆発すれば、ビルが倒壊する危険がある』
「あんまり無理しちゃだめよ。あなた一人で危険を背負い込むことはないわ」
『一人なんかじゃないさ。実は、“彼”が今、上を目指している筈だ』
「え?」
 レイチェルは思わず驚きの声を上げた。セスが指す『彼』が誰なのか、レイチェルにはすぐ分かったからだ。
「まさか! 本当に?!」
『ああ。だから、少しは安心してもいいよ。きっとあの人なら大丈夫。そうだろ? レイチェル』
 セスの言葉は、祈りの声にも似ていた。レイチェルは小さく頷く。
 長い間、苦しみや悲しみを分かち合ってきた私達だもの。神様はきっと分かってくださる。そして微笑んでくださる筈・・・・。
 そんな思いが、レイチェルの心に過ぎる。
「そう・・・そうね。大丈夫だわ、きっと」
 レイチェルがそう言うと、しばらく間が空いた。
「セス?」
 レイチェルが不安になって話しかけると、セスの声が返ってきた。
『レイチェル。皆がこのビルを無事脱出することができたら、俺達、結婚しよう』
 レイチェルは、目を見開いた。そして不覚にも、次の瞬間涙腺が緩んだ。
『レイチェル?』
 今度はセスが不安になる番だった。レイチェルは洟を啜りながら、口を尖らせる。
「そんな言葉で泣けてくるなんて、アタシもヤキが回ったわ。年かもね。こんなアタシで本当にいいの?」
『君以外、考えられないよ。お互い、もう年だしね』
「バカ・・・・。絶対に、帰ってくるのよ。そうでなけりゃ、アタシが殺してやるから」
 再びセスの笑い声が聞こえてくる。
『それでこそ、レイチェル・ハートだな。きっと無事で帰ると約束するよ・・・レ』
 その時、セスの声を阻むように別の声が割り込んできた。
『ピーターズ! もう一度状況を報告しろ!!』
 レイチェルは大きな溜息をついて無線機を切り、胸元でギュッと握りしめた。


 嫌なほど自分の手が震えているのを見て、マックスは、歯を食いしばった。
 視線の先には、冷たい瞳をしたジェイク・ニールソンが圧倒的な威圧感で佇んでいた。
 身体つきもそんなに大きくはない。年齢も自分より随分年上なのに、肉体的にも精神的にもとても勝てる気がしない。
 今のマックスは、正に蛇に睨まれたカエルのような状態だった。
 今までに経験したことのない恐怖が、背中を這い上がってきていた。
「愛する者のために他の命を奪う。今正に君は、自分の手でそれを行おうとしているのだよ。そんな君が、人を責めることができるのか?」
 ジェイクの言うことは、正論だった。
 シンシアを救うためには、腕の中のキングストンや目の前のジェイク・ニールソンの命を奪わなければ、助けることはできないだろう。
 けれど・・・。
 マックスの心に、アニーの姿が浮かんだ。
 自分の不注意で助けられなかった命。
 もう二度と、人の命を奪うことはしないと心に誓った自分が、今していることは何だ。
 マックスの目に、キングストンの首筋に太く浮かび上がった動脈が見える。
 そこを少し傷つけるだけで、目の前の人間はあっけなく死を迎える。
 それをすることは物理的には簡単なことだ。
 けれどそこには、底なし沼のような苦しみが待っている・・・。
 切らねば、大切な者を失う。
 切れば、自分の中の大切なものを失う。
 心の中のせめぎ合いが、マックスの翡翠色の瞳を熱く濡らした。
 涙が止めどなく流れた。
 こんな男の前で涙なんか流したくないのに、勝手に溢れ出てくる。
 人の命を簡単に奪うことなど、できるはずがない・・・。
 ジェイクは、それを見て少しだけ笑った。彼は、マックスが完全に『落ちた』と判断したのだろう。そして、ナイフを奪おうとマックスの方に足を進めながら、こう言った。
「無理なことは、最初からしない方が身のためだ。君と我々とは、本来住む世界が違うのだよ」
 マックスは、その言葉に表情を強ばらせた。
 それはまるで、マックスにはジェイクやウォレスの気持ちなど理解できるはずがないと判決を下されたようなものだった。
 ジェイクがウォレスを再び闇の世界に連れていこうとしていることを、誰が黙って見ていられるだろう。
 自分の愛は、その程度のものなのか?
 マックスの中で、最後の糸がプツンと切れた音が聞こえたような気がした。
「うわぁぁぁぁ!!」
 マックスは、ナイフを振り上げた。そして一気にキングストンの喉笛向かって突き立てようとした正にその瞬間。
 マックスの腕を背後から掴む、大きな手が現れた。
 マックスに対峙するジェイクの目が大きく見開かれる。
 男の手は、マックスの手からナイフを優しく抜き取ると、マックスの耳元にこう囁いた。
「・・・君には、必要のないものだ」
 マックスが、ゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、マックスがこよなく愛する者の姿だった。

 

Amazing grace act.148 end.

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編集後記

今週、ちょっと短くなってしまいました。ごめんなさい。来週はいよいよ、直接対決でございます。
取り敢えず、200話の大台は越えそうにないので、ほっとしてたりする国沢です。
先日、快気祝いも兼ねまして、ロード・オブ・ザ・リングを見に行って参りました。三時間半あるとのことでしたので、マイクッションを持ち込んで見てきました(笑)。でも、全然効果なかったけど(汗)。
途中トイレに行かないようにと、極力水分摂取も控えたお陰で、無事最後まで見ることが出来ました。根性のトイレ我慢力でも、三時間半はキツイです。
感想はと言うと、いやぁ、三作目が一番おもしろかったです。
大概、続編っていうのは、二回目三回目と面白くなくなっていくものなんですが、LOTLは違いますね。原作がしっかりしているからでしょうが、なかなか大したものです。
国沢、映画館の中で、沢山の軍制や巨大な象が出てくる度に、「人い過ぎ~~~~~~!」「でか過ぎ~~~~~~!」「高過ぎ~~~~~~!」「無謀過ぎ~~~~~~!」と一人盛り上がってました。(や、けっして口には出しませんよ。他の人の迷惑になりますからね)
もちろん、一番の目的はレゴラス王子なんですけど、いやそれ抜きでもよかったです。や、抜かれると困るけど(汗)。
見た目フェミニンなのに、やることは一番猛々しいところがステキ(笑)。負けん気一番強そうです。オーランド氏は本当にはまり役だったよなぁ。彼も現実では飛び降り系の危険なお遊びが大好きらしい。人間、本当にルックスだけで判断したら、あきませんね。
でも、ああいう集団で一致団結して何かを成し遂げるっていうの、いいなぁと今回しみじみ思いました。LOTLはキャストもスタッフも本当に仲が良くて、長い時間をかけてやっと作り上げた結果が、アカデミー賞総なめでしょ。
小説書く行為って、結局一人きりの個人プレーだから、そういうの羨ましく思ったりもします。きっと原作者のトルーキンも、生きていたらそう思っただろうなぁと思いました。

[国沢]

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