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act.75

 ウォレスが目を覚ますと、ベッドの側でシーツを畳むメアリーの姿が見えた。
「よかったわ、気がつかれて」
 メアリーがウォレスの顔を覗き込む。
「さっきより随分顔色もよくなりましたわ。きっと神経が昂ぶったまま、お眠りにならなかったのがいけなかったんでしょう」
 ウォレスは身体を起こした。
 大部屋の病室。6つあるベッドのうち、他5つはあちらこちらをボルトで固定された重症患者が横たわっている。
「急だったもので、このベッドしか空いてなかったんです」
 メアリーが壁にかけたウォレスの上着とネクタイを持ってくる。
「私は・・・」
 ウォレスは寝乱れた髪をかきあげながら咳払いをした。
 記憶がうまく結びつかない。
 自分はマーク・ミゲルと話していて、そして・・・。
「お疲れになっているんですわ。まるでマックスより酷い有様に見えるんですもの」
 メアリーがそっとウォレスの腕に手を置く。
 マックスのかつての婚約者だった女性だ。
 美しく優しい女性だと、ウォレスは思った。マックスが選んだ女性なのだと。
 ウォレスはふいに自分のことが恥かしくなって、メアリーの視線を避けた。
 メアリーはそれを別の意味に取る。
「ミゲルさんの言ったことなど気になさらないで。あなたは出張中だったし、仮にそうでなかったとしても、誰もマックスを助けることはできなかった。あの爆弾は、誰も予想ができなかったことなんですから」
 確かに、それはそうだ。爆弾魔の次の標的が、マックスだなんて、誰が予測できたというのだろう。犯人の自分に対する執着心を知ることなく・・・。
 事実を知るのが遅すぎたのだ。
 もう少し早く、レイチェルの持っている写真を見ることができたのなら。犯人の病的なまでの思いを知ることができたのなら。
 自分は、どうすべきなのか。
 これから自分は、どういう道を選ぶべきなのか・・・。
「でも、皮肉ですわ」
 メアリーがベッドの傍らにある椅子に腰掛けながら呟いた。
「まさかマックスが、アメリカの地に逃れてまで彼の両親と同じ目に合ってしまうなんて・・・」
 ウォレスは、ゆっくりとメアリーを見た。その事実を知らないウォレスの表情を見て、メアリーは意外そうな顔をして見せた。
「あなたはてっきりご存知なのかと思っていましたわ・・・」
「どういうことなんだ。聞かせてくれ」
 メアリーは躊躇いを見せた。ウォレスが知らないのなら、マックスが故意にウォレスに話していないことなのかもしれない。
 だが、ウォレスは引き下がらなかった。メアリーの腕を掴み、彼女を揺さぶった。
「頼む。教えてくれ。彼の両親も、爆弾に・・・?!」
 メアリーは頷いた。
「マックスの生まれた地は、イギリスのギルフォードなんです。彼の両親は、マックスが幼い頃にIRAが仕掛けた爆弾の巻き添えで亡くなったわ。それでアメリカにいるハート夫人に引き取られたんです」
「・・・IRA・・・」
 メアリーの腕を掴むウォレスの手から急に力が萎え、だらりと垂れ下がった。そしてウォレスは、再度「IRAが・・・」と呟いた。
「ミスター・ウォレス?」
 メアリーの呼びかけにもウォレスは答えることなく、呆然とした表情で彼は窓の外に顔をやった。
「大丈夫ですか? ミスター・ウォレス・・・」
 ウォレスの目には、窓の外に到着したばかりの救急車が映っていた。
 赤色灯が回転して、朝の爽やかな光を鋭く引き裂いている。
 赤い光。何度も何度もウォレスの脳裏に打ち付けてくる赤い色・・・。
「ミスター・ウォレス・・・・」
 メアリーは息をのんだ。
 能面のように無表情なウォレスの頬に、一筋の涙が流れ落ちた。
 その涙は赤い光に照らされて、まるで血の涙のように見えた。


 「ジムは大丈夫なんだろうか。ねぇ、レイチェル、悪いけど様子を見てきてくれないかな」
 マックスは苛立ちを隠しもせずに言った。
 片方の鼓膜が破れているため、何だか身体に反響する自分の声もおかしく聞える。
 全身に負った打撲のせいで、身体がやけに重い。全身が酷い筋肉痛のようだ。満足に動かすこともままならない自分の身体が呪わしかった。
 レイチェルは新しく買ってきたマックスの衣類や生活用具をベッドの脇の棚に片付けながら、気のない声で「彼は大丈夫よ。今は寝てるんだから、そっとしておいてあげたらいい」と答える。
 マックスには、妙に冷めたレイチェルの態度が気に掛かった。
 まるでレイチェルは、無理に自分の感情を押し殺しているように見える。
 マックスの口からウォレスの名が出る度に、一瞬だが物悲しいような苦しいような表情を浮かべるのだ。
「なぁ、レイチェル・・・何か・・・」
 あったの?と続けようとした矢先、レイチェルの動きが止まった。
 レイチェルが病室の入口を見つめているのに気がついて、マックスもその視線を追った。
 ネクタイと上着を片手に、青白い顔色のウォレスがそこに立っていた。
 その随分憔悴した面持ちに、マックスの涙腺がジンと疼いた。
 ウォレスは、怪我の割に元気そうなマックスの顔色を見て、心底安心したように顔をほころばせた。マックスはたまらなくなってウォレスの方に向かって腕を伸ばした。
 早く来て、この手に触れて欲しい。
 優しい口付けをして欲しい。
 また生きて出会えたことを肌で感じたい・・・。
「お加減は大丈夫ですか」
 レイチェルが他人行儀にそう言った。冷たい声だった。
「レイチェル?」
 マックスが驚いた顔つきでレイチェルを見る。
 ウォレスは少し俯くと、「お騒がせして」と一言言った。
 だが彼はすぐに顔を上げると、真っ直ぐにレイチェルを見て言った。
「彼と・・・あなたの従弟と話をさせてください。二人きりで」
 レイチェルはじっとウォレスを見つめた。マックスには、なぜ二人がそんなに他人行儀なのか全く訳が分からなかったが、レイチェルとウォレスの間には、無言ながらも意思が通じるものがあったらしい。
「どうぞ」
 レイチェルはそう言うと、マックスのベッドの傍らに椅子を差し出した。
「ありがとう」
 ウォレスが病室に入ってくる。ウォレスが椅子に座ると、レイチェルがベッドの周りのカーテンをしっかりと閉めて病室を出て行った。
 それは彼女なりの配慮だったのかもしれない。
 レイチェルは、ウォレスがどんな覚悟でここに来たのか、すべてを感じていたに違いなかった。
 だがマックスは、そんなこと、ほんの僅かも分かっていない・・・。
「ごめんなさい。心配をかけてしまって」
 マックスが少しふざけて両手を広げた。
「事の割にはピンピンしてるでしょ」
 ハハハと笑う端から、涙顔へと崩れた。
「・・・マックス・・・」
 ウォレスがマックスの身体を抱きしめる。
「俺の代わりに、近所の子どもが犠牲になってしまった・・・。俺は彼を助けることができなかった・・・!」
 嗚咽を洩らしながら、マックスはウォレスの身体にしがみ付いた。
 逞しい腕。優しげなウォレスの香り。
「君のせいじゃない・・・。君が悪いのではない。君は被害者なんだ。自分のことだけを考えていたらいい・・・」
 ウォレスが身体を放し、マックスの涙を親指で拭う。
「・・・ジム!」
 マックスはウォレスの手を捕らえ、口付けをする。
 その横顔を苦々しい表情でウォレスは見つめた。
「とにかく、無事でよかった。・・・本当によかった・・・」
 ウォレスの響きの良い低い声が囁くように言う。
 マックスはその声に身を任せるように、瞳を閉じた。ウォレスの唇が、その柔らかい瞼にそっと触れる。
 そして密やかな口付けを交わした。
 心に染み入るようで、新たな涙がマックスの瞳から零れ落ちた。
 情けないとは思ったが、涙を抑えることができなかった。
 ウォレスに再び会えて嬉しいはずなのに、なぜか嬉し涙のようには思えなかった。
 なんて切ないキスなんだろう・・・。
 マックスの唇に触れるウォレスの唇は、かすかに震えていた。
 そして彼は、心底いとおしそうにマックスを見つめた。
 まるでその深い蒼の瞳にマックスの姿を焼き付けるように、彼は瞬きすらしなかった。
 何か漠然とした不安がマックスを襲った。
「・・・ジム?」
 マックスがウォレスの名を呼ぶと、彼はゆっくりと瞬きをした。瞼の奥から現れた瞳に、薄い水の膜が上から下へすっと落ちるのが見えた。
 ウォレスは短く深呼吸をして、マックスから身体を引いた。
 マックスの手がウォレスを追いかけたが、彼はマックスの手が追いつかないところまで身体を引いたのだった。
「ジム?」
 怪訝そうに言ったマックスをじっと見つめて、ウォレスは口を開いた。
「私の名は、アレクシス・コナーズ。ベルファスト近郊の小さな村で生まれた。村の男達はIRAの戦闘員としてテロ活動に従事し、私自身、物心ついた時から爆弾作りを手伝ってきた。11の時に初めてひとりで人を殺した。それから以後、私はIRAの戦闘員としてたくさんの暗殺計画に加担してきた・・・」
 ウォレスが突然語り始めたことに、マックスはまったくついていけなかった。
 自分の耳がおかしいに違いないと疑った。鼓膜が破けているから、ウォレスの言葉を聞き間違いしているに違いないと・・・。
 だが彼は、マックスに言い聞かせるように、ゆっくりとそしてはっきりした声で続けた。
「だがいつしか私の属していたグループは本来の目的から逸脱し、ただの盗賊集団へと成り下っていった。そのことを知った私は、グループのリーダーだった人間の妹と彼女の赤ん坊とともに逃亡し、やがてグループリーダーに捕まった。私の身体の傷は、その時に受けた傷だ。それまでの自分の行いを考えれば、これくらいは当然の償い。・・・いや、こんなものではとても足りやしないだろう」
 ウォレスはそう言って、シャツの上から焼き鏝の跡がついた方の腕を押えた。
「拷問の末にリーダーの妹は命を落とし、私は赤ん坊と共に逃げた。そして命からがら、アメリカまで逃亡してきたんだ。そしてベルナルド・ミラーズに出会い、拾われ、新しい名前を貰った」
 マックスの口が戦慄いた。新たな涙が、ポロポロと零れたが、声は一切喉から洩れてこなかった。
 ウォレスは・・・いやたった今までウォレスと名乗っていた男は、暗い瞳をマックスに向けた。
「私は、自分の人生をいつも後悔しながら生きてきた。未だに、自分達が作った爆弾の犠牲者や作戦で命を落としていった仲間の悲鳴が聞える。夜、眼を閉じれば、赤く飛び散った肉片の夢を見る。自分が手でへし折った首の感覚も、涙塗れになって命乞いをする夫婦とその子どもの額に銃弾を撃ちこんだ引き金の重さも、すべてが蘇ってくる。私は、ジェイク・ニールソンという男の操り人形だった。そしてそこから逃れようとして、必死になって足掻いた。だがそれも・・・適わぬ夢だった」
 マックスの脳裏に、ウォレスの腰元に刻み込まれた文字が浮かんだ。
『お前は、俺のもの』・・・。
 あの残酷な傷には、もっと残酷な真実が隠されていた。
 目の前のこの男は、一体誰だというのだろう。
 自分が愛した、ジム・ウォレスという男は、幻だったとでもいうのか。
 こんなにも近いのに。頬を寄せれば、息を感じることもできるのに。
 なのに。
「今回の連続爆弾事件の犯人は、私に対して並々ならぬ執着心を持っている。犯人が誰かは、まだ誰も知らないが、ジェイク・ニールソンなのかもしれない。彼は今、服役していた刑務所を逃れ、この地に来ているというんだ。いずれ彼は、私の前に姿を現すだろう。そして自分を裏切ったアレクシス・コナーズを再び手に入れようとするはずだ。ジェイクはすべてを破壊できる男だ。自分の目的のためなら、肉親をも手にかける。彼は、私に執着しながらも、私を恨んでいる。私が大切に思うものすべてを私から奪おうと躍起になる。だから、私の周りには、誰も近づいてはいけない。誰も・・・」
 ウォレスが立ち上がる。
 そして物悲しげな顔でマックスを見つめた。
「君の周りには、君を心底愛する人がたくさんいてくれている。レイチェルや君の主治医の青年、そして君の昔の恋人、君の叔母さん。そしてミゲルも。会社の人達だって、皆君のことを愛している。君は、そういう人達に愛されるべき人間なんだ。事実君は、そんな愛情に包まれている。・・・だから私は行ける」
「行くってどこへ?! 何を考えているんです、ジム!!」
 マックスは悲鳴を上げた。
「俺はあなたの愛以外、何もいらない! あなたに愛されなければ、生きている意味はない! そこまできてるんです! 俺の気持ちは、嘘なんかじゃない! あなたの愛を得られるんだったら、他のどんな愛情もいらない! いらない・・・・!」
 ウォレスの顔が歪んだ。
「君なら、乗り越えられる。私がいなくなっても、君ならやっていける」
「違う、違う!! 俺は全てを捨てる! あなたのためだったら、血を分けた従姉も、友人も、すべて捨てることができる! でもあなたは・・・あなただけは失いたくない。あなたは・・・あなたは家族だって・・・家族だって言ってくれたじゃないか・・・!」
 顔のガーゼが涙で重くなった。張り裂けるほど声を上げる度に、気が狂うほど胸が痛んだ。その胸元を押え、傷だらけの身体を引きずるようにしてベッドを這った。
 そして愛する人に向って手を伸ばす。
「ジム、愛しているって言ってください。ただそれだけでいい。あなたが過去、どんな過ちを犯してきたとしても構わない。人間には、明日がある。何度でもやり直すことができる。俺があなたを守るって、そう言ったでしょう!!」
 ウォレスは、マックスと同じように涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、マックスの手を避け、首を横に振った。
「今ここで、君の愛したジム・ウォレスという男は死んだ。ここにいるのは、血で手が汚れたアレクシス・コナーズという男だ。分かってくれ。君が愛した男は、もうこの世にはいない。いないんだ!」
 ウォレスが、カーテンを捲り上げてベッドの側から離れた。
 マックスは、自分の身体に引っ付いているチューブや電子機器を引き剥がすと、軋む身体を無理やり動かし、ウォレスの後を追った。
「ジム! ジム!!」
 マックスが呼んでも、彼は決して振り返らなかった。
 言うことをきかないマックスの身体は、廊下の壁に激突して、カウチに崩れ落ちた。
「マックス!!」
 廊下の端からレイチェルが血相を変えて駆けつけてくる。
「どうしたの、マックス!!」
 マックスはレイチェルの問いに答えなかった。ただ、枯れた喉でなおもジムの名を呼び続けた。
 だが廊下の雑踏の中に愛する人の広い背中が見えなくなると、嗚咽だけが喉から零れ落ちた。身体中の血液がすべて涙に変わったかのように、とめどなく涙が溢れ、床に水溜りを作っていった・・・。

 

Amazing grace act.75 end.

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編集後記

ザ・山場、いかがだったでしょうか。
つってもお別れシーンなので、あんまり読んでても楽しくないでしょうが・・・(滝汗)。
何だか話が急展開になっていきそうです。
果たしてマックスも打たれたままで終わるのか。それとも乙女の底力を見せ付けて復活してくるのか。今後の同行に注目です。
しかしウォレスおじさん、これからどうするの~? 暴走特急の異名を持つ(笑)ウォレスさん。
暴走しそうで怖いです。

[国沢]

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