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nothing to lose title

act.29

 ── これは意外なことになった・・・。
 景気よくビールのグラスを空け、「また来る」と自分の背後をすり抜けて店を出て行った長身の男の姿を目で追いながら、ケヴィン・ドースンは内心興奮し、神経が昂ぶっていた。
 ダメで元々と思っていたところに、思わず転がり込んできた最上級のネタ。
 ── まだまだ俺の悪運も尽きちゃいないって訳か・・・。
 ドースンは、街の情報屋を数人渡り歩いていたが、一向に有力な手がかりは得られなかった。
 そんな中、如何わしい界隈の通りを歩くセス・ピーターズの姿を見かけたのは偶然だった。
 ドースンはピーターズの素性を詳しく知っていたが(もちろん、レイチェルの今付き合っている男であるということも)、ピーターズの方は自分のことを知らずにいるはずだった。今まで、レイチェルを介して会ったことがなかったのは不思議だったが、この幸運を思えば、ありがたく感じた。
 街を行くピーターズの様相は休日そのものという雰囲気だったが、例のあの事件が何も解決していないところにきて、ピーターズが遊び歩いているとは考えられなかった。そんな男では、到底レイチェルとは付き合っていられないだろう。
 ドースンの尾行のテクニックは、C・トリビューンの記者連中の中でも群を抜いている。ドースンは、ピーターズに悟られないように、後をつけた。
 ピーターズの目的地は、意外なことに街の外れのパブだった。昼間から開いているようなパブである。
 看板も出ていないその店に入ったドースンは、店の中を見てぎょっとした。
 まるでそこは、アイルランドを彷彿とさせる店構えだったからだ。
 記者の感が、ビリビリと反応する。ここには、何かあると、入ったなりに確信した。
 ピーターズがカウンターで初老のバーテンと話し込んでいるのを見て、少し距離を開けてスツールに腰掛けた。
 ドースンは耳がいい。この距離でも二人の話は筒抜けだった。
 そして驚愕の事実を知った。
 この事件には、IRAの爆弾魔クラスの人間が絡んでいるということを。
 ── なんてこった・・・。今回の爆弾事件は、そうたやすくはない。そして、仮にIRAの残党がこの事件に関係しているとして、それがどうジェームズ・ウォレス・・・一企業の社長秘書と関わりがあるというのか・・・。ネタの内容如何によっては、10年に一度の大スクープになるやもしれん。
 ドースンの背筋に鳥肌が立った。
 こんな感覚は、久しぶりだった。
 記事にするにはまだ荒っぽ過ぎて、もう少しディテールを詰める必要がある。だが、これからの取り掛かりを指し示すネタとしては十分だ。いや、十分過ぎるほどと言える。
 ドースンは、ビールを綺麗に飲み干して、ひとりだけの祝杯をあげると、黙って店を後にした。


 ── 今日のウォレスは、どこかおかしい。
 彼の部下達はそう思っていた。
 新年の休み明けの朝のことである。
 本来なら、長い休みの間に溜まった仕事のせいで、いつもより確認せねばならないことは山のようにあるにもかかわらず、ウォレスは何かと上の空で、秘書室の者達は互いに顔を見合わせた。
 それでも、ミーティングの場で自分達の質問にはいつものようにきちんと返答はしてくるので取り付く島がなく、余計に始末が悪い。だが、仕切と何か考え込んでいる様子だった。
 そして最後には、本来なら社長の出社確認をしてミーティングを終わらせるのが常なのに、今日の最後の話題はというと、「医務室のマックス・ローズ先生は出社しているか」というものだった。
 皆がその質問にきょとんとする中、レベッカが医務室と受付に問い合わせをして(医務室にローズ医師はいなかった)、受付嬢が今朝ちゃんとローズ医師の姿を見かけたということを確認した。
 その返事を聞いたウォレスは何も答えず、口に手を当てたままの格好で、彼のパーソナルオフィスに引っ込んでしまった。
「ねぇ・・・、何かあったの?」
「さぁ・・・」
 ボスのその奇妙な様子に、秘書達は首を傾げるのだった。


 実際、ウォレスは困っていた。
 ウォレスは、革張りの椅子に深々と身体を預けながら、祈るように両手を併せて、その手で唇をトントンと叩いた。
 本来ならば、ウォレスも仕事に打ち込みたかった。新年最初の仕事始めである。しかもケイゼル社との大規模な新契約を結ぶ調印まで残り2週間。その調印を成功に導くための仕事はごまんとあった。
 それなのに、気になることがある。
 今まで、十数年間ミラーズ社に勤めてきて、こんなことは初めてだった。
 たとえ、お転婆娘が学校で問題を起こそうとも、家出をしようとも、ここまで気になったことはない。
 確かに娘を心配する時は、他のどんなこと以上に神経をすり減らしたが、やらなければならない仕事が山ほどある状態でも仕事が手に付かないなんてことは、今までなかった。
 ── 娘の問題が、仕事が手につかなくなるほどのことでないと感じている父親なんて・・・。私は父親失格だな・・・。
 なんて冗談で気を紛らわせてみても、今抱えている問題に深く戸惑っている自分を誤魔化すことはできなかった。
 結果的に休みの間中、ウォレスはマックス・ローズのことを考えていた。── いや、正確には、今もずっと。
 初めて会った時の毅然とした強気の態度。慣れないタキシードに身を包み、目を白黒させていた様子。はにかんだ笑顔。会社のエントランスでサイズとふざけている時の少年のような輝き。屈託のない表情。病んだ人を目の前にして浮かべるプロの医者としての厳しい顔。そして・・・、あの夜の告白。
 あの青年は、自分の傷だらけの身体を見て、涙を流してくれた。
 そればかりか、こんな自分を「守りたい」とまで言ってくれた。
 彼からそう言われた時、既に自分の魂は、あの瞬間に救われていたのだ。
 自分の涙腺が一瞬緩んだあの瞬間。
 ウォレスは、マックス・ローズという人間に受け入れられ、自分の人生が『無』ではないことを実感できた。
 ── ああ、なんということだろう。 感情を抑えることができず、遂に告白してしまったマックスを、誰が責められると言うのか。
 レイチェルからマックスのことを聞くに及んで、ウォレスは余計に自分の感情が湧き上がるのを感じた。
 マックスのことを大切に思うレイチェルには悪いと思ったが、自分自身、止められないのは、ウォレスも同じことだっだ。
 ── 私は、マックスが私を想ってくれているのと同じように彼のことを想っている・・・。
 ウォレスは祈るように併せた両手を額に押し付けた。
 ウォレスの中で様々な感情がせめぎあい、きしんだ音を立てていた。
 長い間抱えた心の痛み。自分の人生に愛する人を巻き込むことの重大さ。その意味。彼の笑顔。涙。傷を癒す手のひらのぬくもり・・・。
 ── 私は、罪人。多くの人を傷つけ・・・。そんな自分に彼を愛する資格が・・・?
『あなたは掛け替えのない存在・・・』
 何度も何度も、耳の中でこだまする彼の声。この両腕に包み込んだ彼の震える身体。
  ── きっと彼を傷つけてしまう。きっとそうに決まってる・・・。
『神様・・・。どうか、お救いください。私は犯してはならない罪を犯しました・・・』
 あの時、人生の挫折に傷ついた彼を膝に抱きながら聞いたあの言葉は、まさしく自分が長年胸の内に抱えてきた言葉だった。
 ── 彼に己の過去を語れると言うのか? その勇気があるとでも?
『あなたのことを欲しいと思う。男として・・・』
「・・・くそっ」
 ウォレスは突如身体を起こすと、オフィスを出た。
「ウォレスさん、どこへ」
 レベッカの声にも何も答えず、ウォレスは、一路医務室に向かった。
 いつもより性急なウォレスの足どりに、廊下を行く社員達が驚きながら道を空ける。 医務室まで辿り着くのに、幾人もの人間に声をかけられたが、ウォレスには何を言っているかさっぱり理解できなかった。(もっとも、聞く耳を持たなかったせいだが・・・)
 ウォレスは、荒っぽい手つきで、ろくにノックもせずに医務室のドアを開けた。
 乱暴に開けられたドアの音のせいで、診療台の横で備品を整理していたマックスがビクリと身体を振るわせて、振り返る。
「ミスター・ウォレス・・・」
 マックスが、心底驚いた表情でウォレスの名を呟いた。
 休み前に負った傷はもう殆ど目立たなくなり、あの夜のことがウソのように思えた。
 一瞬ウォレスは、記憶と現実がおぼろげになり躊躇ったが、マックスの頬がほんのり赤みを差したのを見てあの夜のことが現実だったことを確信すると、後ろ手にドアを閉め、歩み寄った。
「ウォレスさん、どうして・・・」
「すまない」
 小さくウォレスはそう呟くと、彼はマックスの両頬を手で包み、口付けをした。
「うっ・・・」
 突然の激しい口づけに、マックスが戸惑いを見せる。
「ん・・・」
 しかしすぐにマックスは、鼻を鳴らして、甘い吐息を漏らした。
 ウォレスの情熱的で上手いキスに、マックスは完全に身体の強ばりを解いていた。やがてマックスもまた、貪るようにウォレスの舌を自分の口の中に引き入れた。
 マックスの腕が、ウォレスの背中に回される。
 ウォレスの身体を確かめるように、彼の背筋に必死になって手を這わせた。
 医務室内に、濃厚なキスの音と乱れた呼吸音が響く。
 マックスにしてみれば、まさに突然の嵐のような出来事だった。
 いつもはあんなにクールな瞳をしているウォレスが、こんなに熱のこもった性急なキスをしてくるとは、とても想像できなかった。
 一瞬顔が離れて、息のかかる距離にウォレスの鮮やかなサファイア色の瞳が見える。その瞳に、ただ自分だけが映し出されていた。
 その瞬間、マックスは自分がウォレスに受け入れられたことをようやく悟ったのだ。さっきまでのキスは、あまりに突然過ぎて、思考の回路のスピードが追いついていなかった。
 それを思うと、何ともいえない熱い想いが、胸の奥から湧き上がった。
「愛してます・・・!」
 今度は、迷いなく口をついて出た。
 偽りのない、まっさらな想い。
 再びきつく抱き締められ、深く口付けをされる。
 軽く耳たぶを噛まれ、マックスの身体がビクリと跳ねた。「あっ・・・」と甘い声が漏れる。
 ウォレスが顔を起こして、マックスの顔を覗き込んだ。
 マックスは、頬を赤く上気させながら、とろんとした瞳を見せ、身体をウォレスに預けてくる。
 ウォレスが額に唇を落とすと、「ん・・・」と心地よさそうにまた鼻を鳴らした。
 ウォレスの蒼い瞳が熱で潤む。
 ウォレスは再度マックスに口付けをしながら、次の行動に出た。

以下のシーンについては、URL請求。→編集後記



 マックスはごみ箱に汚れた紙を投げ捨て、身繕いをし、カーテンを開けた。そこには心配げな顔をしたウォレスがじっと立っていた。
「すみません、お待たせしました」
 不思議なほど、マックスは普通に話をしていた。さっきまでのことが嘘のように。
 ウォレスは、そんなマックスを訝しげに見つめる。
「本当に、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です・・・」
 言った側から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それに気づいた途端、マックスは嗚咽すらも堪えられなくなった。
「マックス・・・」
 ウォレスがマックスの隣に腰を下ろす。
「すまなかった。やはり、こういうやり方はすべきじゃなかった」
 ウォレスのその台詞に、マックスは泣きながら顔を横に振る。
「違うんです・・・! 痛いとか、怖いとか、そんなんじゃ・・・!」
 しゃくりあげながら何とか喋ろうとするマックスを、ウォレスが優しく抱き締める。その途端、益々マックスは歯止めが効かなくなった。
 マックス自身驚くほど、号泣してしまう。
 マックスが落ちつくまで、ウォレスはただ黙ってマックスを抱き締め続けてくれた。
「・・・多分。ほっとしたんだと思います・・・。まさかあなたに受け入れられるとは思ってなかったから・・・」
「すまない、マックス」
「いいえ、謝らないでください。なんだか・・・、俺とこんなことになったことをあなたが後悔しているみたいで・・・」
「そんな・・・! お前の方こそ、後悔しているんじゃないか? こうなってしまったら、後にはもう引けない」
「引くつもりはありません。後悔なんか・・・! 正直言って、すごく嬉しかった。本当なんです、すごく嬉しかった」
 信用してもらおうと、必死にそう言うマックスに、ウォレスは穏やかな笑みを浮かべる。
「わかったよ、マックス。もうわかった」
「本当に? もう二度とこんなことはしない、なんて言いませんよね?」
「ああ」
「本当?」
「しつこいな」
 ウォレスは、今まで見たこともないような幸せそうな笑顔を浮かべて、マックスに軽いキスを送る。
「もっと・・・」
 甘く呟くマックスの涙を指で拭いながら、ウォレスは再び深く口づけた。
 再びお互いに身体の奥が熱くなってくる。
 マックスが、ウォレスのネクタイを緩めようとした瞬間、ウォレスの腰にかけてある携帯電話が鳴った。ウォレスが舌打ちをして、電話に出る。
「ウォレスだ。ああ。ああ。社内にいる。ああ。わかった、すぐに行く」
 ウォレスが電話で話している間、マックスはウォレスの左手の中指と人差し指を見て顔を青くした。
 マックスがあの最中にきつく歯を立てたので、裂けた傷口から血が垂れていた。
 ウォレスが電話を切る。
「すまない、マックス。仕事だ」
「ええ、それは構いませんが、その指だけ手当させてください。つい夢中になっていて、気づかなかった。すみません」
 またもや泣きそうな顔つきで言うマックスに、ウォレスはチラリと指を見て肩を竦める。
「こんな傷、大したことはない」
 マックスはウォレスの左手を掴み、傷を覗き込んだ。
「ああ、縫わなきゃ駄目かな・・・」
 ウォレスも平然とした顔で傷を覗き込み、マックスの額にキスをする。
 マックスが驚いて顔を上げると、ウォレスは安心させるように微笑んで見せた。
「こんな傷、縫わなくても治る。それより、自分の身体の方を気遣ってくれ。欲望に負けて、随分ひどくしてしまったから」
 マックスが、再び顔を赤面させる。
 その時、医務室のドアがノックされた。 「ローズ先生、いらっしゃいますか?」と声がする。
「俺の方も、どうやら仕事みたいです」
 マックスが、照れた笑みを浮かべた。
 ウォレスは軽く頷いて、医務室を出て行こうとする。
 そのウォレスの手に、マックスが辛うじて消毒と絆創膏を施すと、再びきつく抱き締められた。
「今晩仕事が終わったら、一緒に食事をしよう。君の仕事の終了時間にあわせることは難しいかもしれないが、なるだけ早く片付ける。待っていてくれるかい?」
「ウォレスさん・・・」
「ジムでいい。イエスと言ってくれ」
「そんなの、訊かれなくても・・・・」
 ウォレスはまた微笑んで、医務室のドアを開けた。
 ドアの向こうにいた平社員が、いきなり現れたミラーズ社の英雄の姿にギョッとする。
 ウォレスは、今貼ってもらった絆創膏を翳しながら、「お先に」と言って医務室を出て行った。

 

Amazing grace act.29 end.

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編集後記

超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超超ちょ~~~~~お待たせをいたしました!
皆さん、遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に遂に、この時が参りましたのよ!!
別に酔った勢いと言う訳ではありませんが。(先週の段階では既に決まっていた話なので・・・)
あえて皆さんにビックリ・プレゼント(?)ということで、予告しませんでした。きゃ。
例のごとく、そのシーンはメール配信にさせてください・・・。
ということで、大人シーンは、URL請求制となっています。ご請求いただいたアドレスには、当サイトの大人シーンを全て掲載していく予定ですので、一度請求するだけで当サイトに公開中の全ての小説の大人シーンが閲覧可能となります。
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※大人シーンについては、2019.1.14付けで大幅に推敲の手を入れました。

[国沢]

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