act.35
徹夜の残業を終えた後、ウォレスの車に同乗して、マックスのアパートメントまで帰った。
途中既に開店営業を始めているベーグル屋によって朝一番のベーグルを買い込み、運河沿いの道で休日の日に行われる朝市で果物とチーズ、ハムの塊、それから手作りのヨーグルトを買った。
部屋に入って上着を脱ぎ、マックスはコーヒーを煎れた。傍らでは、ウォレスがナイフを器用に使って、オレンジの皮を剥いていた。ウォレスのナイフ捌きは見事なもので、刃物を扱うならプロ級のマックスでさえ、舌を巻いた。
ベーグルの間にチーズとハムを挟み、オーブンで軽く温める。なにせ出来たてのベーグルを買ってきたので、さほど手を加えなくても十分美味そうだ。
野菜が足りないのが少々物足りなかったが、普段あまり料理をしていない手前、冷蔵庫には買い置きされた野菜がなく、諦めた。
「こんなことなら、野菜も買っておけばよかったかな・・・」
キッチンにあるテーブルにベーグルののった皿を並べながらマックスは言う。ウォレスが白とネイビーブルーのカップにコーヒーを注ぎながら両肩を竦めた。
「別に構やしないさ。一生野菜が食えない訳じゃない。その時食べれるものを食べばそれでいい」
ま、その通りなんだけど。
妙にウォレスの身体のことが心配でならないのだ。せめて食事だけでもきちんと食べてもらいたいと思う。だがマックスは料理が得意ではなく、もっぱら外食専門家なため、そんなことを思っても仕方がないのだが、それが余計に腹立たしかった。
いやだな。こんなの小うるさい世話女房みたいだ。
自分が益々女性化してきたようで、マックスは溜息をつく。
「なんだ、元気ないな。君こそちゃんとした食事をしろよ。見るところ、外食ばかりなんだろう。若いからこそ、せめて食事ぐらいはきちんとしなきゃダメだ」
マックスはぎょっとして顔を上げた。まさか自分が思っていたことと同じことがウォレスの口から出てくるとは思わなかったからだ。
女性化ってことはないのか。単に相手のことを思うと、こうなるんだ。
マックスが笑い出す。
「なんだ。どうした?」
ウォレスがつられて笑いながら、訊いてくる。マックスは胸を押えて呼吸を整えると、 「俺もあなたと同じことを考えていたんです。さっき」 とようやくそう言った。
簡単な食事を終え、後片付けをした後、マックスはウォレスにシャワーを使うことを勧めた。別にセックスの期待に胸を膨らませた訳ではなく、単にウォレスの身体の疲れが取れればと思ってのことだったが、いざバスルームからシャワーの音が聞こえてくると、自分が非常に邪な想像をしていることに気がつき、恥かしくなった。
マックスは、まだウォレスの裸を全て見たことはない。 いつかマックスを助けてくれた晩は上半身だけだったし、この間セックスした時も、ウォレスは一切服を脱がなかった。
会社内でのウォレスはいつもきちんとしていて、腕まくりをすることすらない。集団で使うクラブルームのシャワーも一切使わないし、人前で肌を晒すことがない。
もちろん、その理由は、マックスだけが痛いほど判っていたのだが、それにしても、そのウォレスが今自分の部屋で全裸になってシャワーを浴びている。
「・・・何考えてんだ、お前」
ソファーに寝っころがりながら、マックスは自分の頭の上にクッションを押し付けた。
「どうした、マックス」
ふいに頭上で声がして、マックスはガバッと身体を起こす。
いつの間にかウォレスがバスルームから出てきて、バスローブ姿でそこに立っていた。マックスの頭にカッと血が昇る。
いつも綺麗に後ろへ流されている前髪が、今は雫をたらしながら全て額に降りている。髭がなくなり、さっぱりとした顔は、いつもよりずっと若く見えた。バスローブの合わせ目からは、喉仏の影と鎖骨が見え・・・。
「ト、トイレ」
マックスはそう早口に呟いて、バスルームに走り込みドアを閉めた。
洗面台に手をついて、腰を叩く。
「いかん・・・。腰に来る・・・」
よもや30手前になって、40手前の男の裸体(しかもほんの少し)にこんなにも欲情するなんて思ってもみなかった。
恋愛って、恐ろしい・・・。
まるで人事のように心で呟くマックスである。
「どうしたんだ、マックス?」
ドア越し、ノックする音に混じってウォレスの心配げな声がする。
「俺も髭を剃りたいなって思って」
我ながらいい言い訳がついたと思いながら、鏡の中の自分と向き合う。とりあえずそのままいても仕方ないので、本当に髭を剃った。
髭を剃っているうちに、どうにか動悸も治まってきたので素直にバスルームから出ると、ウォレスはバスローブのまま、窓際のでっぱりに腰を下ろして髪の毛をゴシゴシと拭いていた。
何気ない男くさい仕草が本当に色っぽい。
マックスは、マックスが入社したての頃、医務室でお茶を濁していく若い女子社員達の話していたことを思い出した。
『ミスター・ウォレスって、何気ない仕草が本当にセクシーなのよねぇ』
『大人の男ってやつ? 若い男にあれは出せないわよね』
『それにあの声でしょう? 腰を直撃するのよね、あのハスキーボイス・・・』
『まさに絵に描いたいい男ってやつよ!あんなの、100万人に一人しかいない!』
『あ、もちろん、ローズ先生も、その100万人に一人の内に入ってますから』
その時は、ウォレスに反感を抱いていた時期だし、自分がおまけ扱いをされたものだからまともに聞いていなかったが、今更ながら思い返すと、まさにその通りであると痛感させられる。
その100万人に一人の貴重な「いい男」を、自分なんかが独占しているのだ。
あの娘達にすれば、全然冗談にならないだろうな、俺達の関係を知ったら・・・。
嬉しいような背筋が寒くなるような複雑な思いに捕らわれながら、マックスはウォレスに近づいた。
ウォレスがタオルの間から顔を上げる。
「うん。本当だ。さっぱりしてきたな」
マックスの頬を指で少し突っつきながらウォレスが言った。
そのさりげない仕草や笑顔を見ていると、どうにも息苦しくなってくる。
俺は、本当にこの人に参ってるんだ・・・。そんなことを実感させる瞬間。
マックスは、ウォレスのバスローブの両襟を掴むと、腰元までそれを引き下ろした。窓辺から差し込む自然光に、ウォレスの身体が照らし出される。
無数の傷跡が残る痛々しい身体。それ以外は滑らかで逞しい肌がしっとりと濡れている。
マックスを見上げてくるウォレスを視線で捕らえたまま、マックスは背をかがませて口付けをする。ウォレスの下唇に少し歯を立てた。
「まるで私の方が食べられそうだな」
ウォレスが少し笑う。
マックスは膝をついてウォレスの両足の間に身体を進めると、ウォレスの身体に残った傷に口付けをした。背中に手を這わすと、その手にも傷跡が当る。マックスはたまらなくなって、顔をウォレスの腹部に押し付けると涙を零した。
心が痛い。
朝から、こんな湿っぽい顔をウォレスに見せるだなんてフェアじゃないと思ったが、どうにも抑えられなかった。
「大丈夫か?」
ウォレスがいつかの時のようにマックスの髪を撫でながら、優しく囁く。 「すみません・・・」
我ながら、鼻にかかったみっともない声である。
「こんなつもりじゃ・・・」
「じゃ、どんなつもりだったんだ?」
ウォレスが笑っている。引き締まった腹筋越し、振動が伝わってくる。
マックスは顔を上げた。
「本当は、あなたを丸裸にして、隅々まで食べ尽くしてやるつもりでした」
目には涙を溜めながらも、やんちゃ坊主のような表情で自分を見上げてくるマックスに、ウォレスは目を細める。
「怖いな」
マックスの目尻に溜まった涙を指で拭ってやりながらウォレスが言う。
ウォレスがマックスを立ち上がらせて、両頬を両手で包むと、再び唇が合わさった。
マックスの唇の先をウォレスの舌が少し掠める。
「・・・んぁ・・・」
ウォレスのはぐらかすような舌使いに、マックスは早々に根を上げる。マックスが追いかけると、ウォレスが少し引いた。
「んん・・・」
マックスがウォレスを責めるように不機嫌そうな声で唸る。
間近で潤んでいるミッドナイト・ブルーの瞳が細められた。
「ごめん」
少し笑い声を交えながらウォレスが囁き、マックスに希望通りのキスを与える。
「・・・俺もシャワーを浴びなくては・・・」
マックスの服を脱がしにかかるウォレスの手を掴んで、マックスが呟く。
「いいよ、そのままで」
「でも・・・」
「いいから。それより、本当にここでするかい? 外から見えるかもしれないが」
マックスは、そのウォレスの台詞にはっとした。
そうだ。この部屋まだカーテン買ってなかった!
「移動した方がよさそうだね」
顔面が硬直しているマックスを見て、ウォレスがまた笑う。
ばつが悪いマックスは、今更ながらに窓の外を見渡して、目に付く人間がいないことを確認すると、「ベッドにいきましょう。ちゃんとしたいし」と言った。
マックスは、脱がされかけたシャツから腕を抜きながら先に寝室へと向かった。
寝室のブラインドを下ろす。
「・・・ええと・・・」
くそ、こんなことになるなら、シーツ取り替えとけばよかった。
マックスは、皺だらけのシーツを見下ろして、頭をガリガリと掻いた。汗臭くないか、思わずシーツの匂いを嗅いでしまう。背後からウォレスの笑い声が聞こえた。会社ではほとんど聞くことのできないウォレスの笑い声は、ほどよい低音で聞き心地がよい。
マックスが振り返ると、バスローブを羽織り直したウォレスがマックスの肩をぽんと叩いた。
「すみません、ジム。こんな有様で・・・。まさかこの部屋に来てもらえるとは思ってなかったから・・・」
「何でそんなことを気にするんだ。そんなこと、焦らなくてもいい。私には、君だけがいてくれたらいいのだから」
気障な台詞だったが、マックスには、少しもそんな風に聞こえなかった。純粋なウォレスの気持ちに他ならなかったからだろう。
「ジム・・・!」
マックスがウォレスに抱きつく。その勢いで、ベッドに倒れ込んだ。
以下のシーンについては、URL請求。→編集後記
Amazing grace act.35 end.
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編集後記
29話に続き、早くも2回目のメール配信でございます! すみませんねぇ・・・なんかラブラブで(汗)。生みの親である国沢でさえ、馬に蹴られて死んじゃいそうです(滝汗)。
でもま、このシーンが終わったら、しばらくきな臭い話になりそうなので、大目にみてください。
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[国沢]
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