act.85
爆弾を作ろうと思えば、材料を手に入れるための場所はある程度限られてくる。
例えばそれは銃砲店にある火薬だったり、硫酸や硝酸などの薬品がある学校の理科室だったり、農薬を置いてある農家の納屋であったり・・・。電池やニクロム線、時限爆弾ならタイマーなども必要だ。
ホームセンターで手に入るものならともかく、ものによっては表だって購入すると怪しまれるものもある。
そんな時に都合良く現れるのが裏稼業の人間だ。
悪意を持った人間がその気になれば、非合法でその手の材料を手に入れるのは容易である。C市のような急激に発展した大都市ならなおさらだ。
板金屋のコールは、『業界』ではちょっとした有名人だった。
比較的接触が簡単で、余計な詮索はしない。そして金さえきっちり払えば、どんなものでも揃えてくれる。
だからこそ、警察のマークもかけられやすい。
現に彼の表の商売である板金工場の前には、二回目の爆弾事件を皮切りに明らかにその筋と思われる男達の乗る車が四六時中止まっていた。
しかしコールはそんな状況にも慣れたもので、平然と昼の仕事をこなしていた。
彼は、決してしっぽを捕まれることはない。それには秘密があった。
工場の地下には、秘密の通路があるのである。
コールは、夜になるとくすんだ窓際に無職でヤク中の従弟を座らせておいて、自分はその通路を通って街の下水道管に出ることができたのだ。そこまでくると、街のどこへでも出ていくことが可能だ。用心深いコールは、街の至る所に『夜のオフィス』を構えた。取引ごとに部屋を変える。コールの夜の仕事は、昼の仕事の稼ぎを軽く凌いだ。その金の殆どは、オールドカーのレプリカ購入に当てられた。レプリカといってもただのレプリカではない。有名人が事故死した時の車を、事故をした状態のまま1/10の大きさで再現したものだ。特注品である。普通のレプリカとは違って、事故直後の姿を再現するとあって、恐ろしく手間と時間がかかる代物で、値段も恐ろしく高い。だが、コールはこのコレクションに心血を注いでいた。彼の一番の宝物は、もちろんジェームス・ディーンの乗っていたポルシェ・スパイダーだ。
その日もコールは、用心深く工場を抜け出し、2ブロック先のホテルの裏側の用水路に流れ込む下水出口から姿を現した。
ぽっかりと空いた闇から出てきたコールの目の前には、静かに流れる用水路と枯れた雑草がカサカサと音を立てながら揺れていた。
下水の出口から出ると、右手に小さな橋がある。その橋桁の先に防水壁の向こう側へ上がる階段があった。階段の向こう側にある安ホテルの一室がコールのオフィスのひとつになっているのだ。
コールは、今日も間抜けな警察の目をまんまと出し抜いたことで陽気に鼻歌を歌いながら、橋桁の向こう側へと足を進めた。丁度橋桁下の暗闇から出ようとした時だ。
闇とばかり思っていた橋桁の壁から突然人の形をした陰が、ぐいっと動いた。
あっと思った瞬間には、コールは背後から首を取られナイフが突きつけられていた。
声を上げる暇もなかった。
「抵抗するな」
闇がしゃべった。深いバリトンの身体の奥に響き渡るような声だった。
その落ち着き払った闇の声に、コールは少しほっと胸をなで下ろした。
相手ははした金をかっさらおうとするバカなちんぴらなんかではない。ましてや、コールと取引をしたことがある人間でもない。これは物取りでも逆恨みでも何でもない。この『闇』は、プロだ。
相手がプロなら、まだ対応できる余地がある。相手の最終的な目的が自分の命でない限り、生き残れる可能性はある。だが、もしそうじゃないとすると・・・。
抵抗するなと男は言ったが、コールがそれを望もうとも不可能な話だった。
男の動きは、まったくと言っていいほど卒がない。
コールの手をねじ伏せる手のポイントも、ナイフを突きつけている場所についても、人間の身体の仕組みをよく理解している人間だということがよく分かった。
コールの背後に立つ男は、コールより用心深い。ナイフを持つ手は黒い革製の手袋に覆われているし、現状では、コールが男の顔を拝める余地はまったくない。
だがもし男の目的が自分の命だとしたら・・・。
そう思い立って、コールの身体は途端にブルブルと震え始めた。
コールが売りつけたものが気に入らず逆恨みした男が雇った殺し屋だとしたら?
それとも、コールが売りつけたもので被害にあった者の関係者?
もしそうだとすると、逃げ場は確実にない。コールの背後の男は、何の躊躇いもなしにコールの喉を引き裂くだろう。
コールの歯がカチカチと音を鳴らした。それを聞いてか、男が鼻で笑うのを感じる。
「大人しくいうことを聞けば、何もしない」
「な、何を・・・」
「情報だ。情報が欲しい。お前のところには、この街の闇取引の情報が集まってくると聞いている」
「そんなことは・・・」
「しらばっくれるのやめておいた方がいい」
ナイフの刃先が首筋にぴたりと当たるのを感じる。コールの額に、脂汗が滲んで流れ落ちた。
「こちらは確かな筋から話を聞いている。だが、ただで口を割るとお前も立場が悪くなるだろうから、こっちも気を使ってやっているんだ。命を奪うと脅されたら、誰だって口を割るしかないだろう?」
男の声には自信が満ちあふれていた。相当場数を踏んできた男に違いない。もちろん、人も殺してきているだろう。どんなバカでもこのようなタイプの男に逆らうような人間はいない。
「何が、何が知りたいんですか・・・」
もうすぐ50を迎えるコールだったが、自然と言葉は丁寧になった。
男はシンプルにこう返す。
「爆弾の材料になりそうなものを取り引きしたヤツの情報を」
男がコールの腕を更に締め上げて、耳元で囁く。
「もちろん、お前だって可能性は高いな。巷を騒がせている爆弾魔は、恐らく裏取引にあまりコネのない人間だ。そういう人間は、まずお前に行き当たる」
男の囁いたことは事実正しかった。それだけに、益々コールの背筋は凍り付いた。
「あ、あんた、警察関係者か・・・いや、そうじゃないな・・・」
コールは思わずそう口走ってすぐに後悔した。ナイフを持つ男の手に力がこもる。
「そんなことはどうでもいい。質問するのはこの私。答えるのはお前だ」
コールは大きく頷いた。
この男には逆らわない方がいい。そしてこれっきり関わらない方がいい・・・。
コールの額に浮かぶ脂汗が乾くことはなかった。
ジェイコブは、日増しに凶悪な一面を色濃くしていった。
日常生活の中でもこらえ性がきかなくなり、うまくいかないことがあれば、手近なものに当たった。
彼がこれほどイライラしている理由はいくつかある。
ひとつは、爆弾を作る材料が底をつき始めたこと。
そして、身に覚えのない事件の罪をかぶせられていること。
最後に、この世から消してやったとばかりに思っていた人間がまんまと生きていたこと。
特に最後の二つについて考える度にジェイコブは目に見えて苛立った。
あの新聞記者の家が吹っ飛んだ事件は、ジェイコブの仕業ではない。なのに警察は、四つの事件を同一犯の犯行であると発表していた。しかしジェイコブだけは、三つ目の事件の真犯人を知っていた。
真犯人は、ベン・スミスだ。間違いない。
あのベンは、寝床や仕事を世話してやった自分に対して、恩を仇で返したのだ。
ジェイコブが苦労して手に入れた貴重な爆弾の材料を、ジェイコブに黙って多量に使ってしまった。そしてあれっきり姿をくらまやがった。
ジェイコブが寝床として提供した倉庫ももぬけの殻で、仕事の方もジェイコブに黙って、今まで働いた分だけの給料をもらってやめてしまったという。
一番気に入らないのは、現在マスコミで三番目の事件が一番取りざたされていることだ。爆発の規模も大きく、手並みが鮮やかだったという報道に腹が立った。
これではまるで、俺が劣っているとでも言っているようなものじゃないか。俺だって人を殺したんだ。真っ黒くして吹き飛ばしてやった。皆それをもう忘れたというのか。おまけに四つ目の事件であのブロンドの医者が助かったことをマスコミはこぞって報道した。英雄は決して悪に負けることはないと大げさに報道した。
マスコミはターゲットを外した四つ目の事件について、犯人・・・つまりジェイコブを間抜け呼ばわりした。三番目の事件はあんなにお手並みが鮮やかだったのに、四つ目の事件はお粗末だったと。
なんと言うことだ。許せない。
俺の方が勝っている。ベン・スミスなんか・・・あんな老いぼれに何が出来るっていうんだ。現にそうじゃないか。三つ目の事件の後、コソコソと姿を隠すなんて。俺はそうじゃない。逃げも隠れもしない。そんなことをしなくても、俺は『許されている』からだ。
正しいことをしている。神もそれを分かっている。だから逃げ隠れしなくても、誰も追ってこない。捕まえにもこない。そこがベンとは違うのだ。あんなやましい男とは。
テレビや新聞では、連日『英雄』であるあの医者について口やかましく報道している。近所の連中までその話題で持ちきりだ。
現に今、母親でさえも・・・。
「まぁ、世の中には大した人がいるもんだ」
足の不自由はジェイコブの母親は、一日中テレビを見ている。自力でベッドから動けない彼女の唯一の楽しみなのだ。
ジェイコブがテレビを消そうとしても、激しい口調でジェイコブを責め立てる。お陰でテレビも消せず、腹立たしい報道を四六時中聞くことになる。
テレビでは、例の医者が燃えさかる炎に勇敢に立ち向かっていく写真が、繰り返し映し出されている。
母親は、こともあろうかうっとりした目でそれを眺めているのだ。
「何て勇気のある人だろう。もしあたしの息子がこんな人だったら、もう少しましな生活ができていたかもしれないね」
日ごろから毒舌な母親だったが、そうだとしても決して言ってはいけない一言を言ってしまったことに、彼女は全く気がつかなかった。
彼女の背後で、汚れた食器を運ぼうとしていた彼女の息子の表情が、がらりと変わったことに、彼女は気がつかなかった。テレビに夢中で。
「お前ももう少し見習ったらどうだい。といっても無理か。お前のその性格じゃぁね・・・」
そう言って笑う母親の声をジェイコブはずっと聞いていた。その手に、母がいつも使っている硬いマグカップを握りしめながら。
Amazing grace act.85 end.
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編集後記
お久しぶりで~す。二週間ぶりですね。本当にお待たせしました。
今だに仕事の疲れを引っ張っていて、ハイパー銭湯通いの国沢なんですが、今回の仕事に関わって、いっぱい警察官を見ましたv 機動隊やら制服警官やら、私服警官までv 私服警官に至っては、皇室の方々の警備の人達なので、間違いなく警視庁警備部の方々に違いありませんv ちょっと警官ミーハーな国沢にとっては美味しかったです。でも、本物の刑事さんは、意外に若くて迫力がなかったっす(笑)。
そんなことはもとより、皆さん国沢がネット落ちしていた間、いかがお過ごしでしたか?
秋がこなくていきなり冬になっちゃいましたが(汗)。お風邪など召しておりません?
[国沢]
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