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act.127

 その指輪は、まるでエンゲージリングのようにシンプルな代物であったが、とても美しい指輪でもあった。ピカピカに磨き上げられたその指輪は、質素な中年女性の指を華やかに彩っていた。誇らしい顔つきでそこに収まっている。
「どなたです?」
 身体をセスに向けたジェーンは、背の高いセスを何気なく見上げた。だがセスが指輪をじっと見ていることに気が付くと、さりげなく左手を身体の後ろに隠した。だがセスはそれを許さなかった。
「素敵な指輪をされてますね。誰かからのプレゼントですか?」
 セスが人なつっこい笑顔を浮かべながらそう訊くと、ジェーンは警戒心を解いてニッコリと笑った。左手を目の前に翳して頬を赤らめながら「誰かからのプレゼントなら最高なんですけど・・・。でも自分で買ったんですよ」と答える。
「本当ですか?」
 セスは一気に声色を変えた。硬く冷たい口調に。
 ジェーンの動きがピタリと止まる。
「私は、C署のピーターズです。現在C署では、今月始めに発生したパブ店主強盗殺人事件を捜査しています。あなたは、被害者を病院まで搬送しましたね」
 ジェーンがゆっくりと視線を逸らす。
「その指輪は、被害者が填めていた指輪ではありませんか?」
 セスが静かにそう訊ねると、ジェーンは笑い声を上げて、また備品の整理を始めた。
「何をバカバカしい・・・! 今さっき言ったばかりでしょ? 何を聞いていたの?」
「最後まで隠し通せるとでも? いくら被害者が瀕死の状態であって、誰の目も周囲になかったとしても、被害者のものを奪い取っていいなんてルールはどこにもないでしょう。あなたのその指に填っているそれは、とても重要な捜査資料でもあるんです。素直に渡した方が身のためだ」
 ジェーンはロッカーを閉じると、備品を抱え救急車の後ろのドアを開け、中に入る。そしてセスを避けるようにドアを閉めようとしたが、セスの手がそれを阻んだ。
「目撃者もいるんですよ。救急車に被害者を乗せる前に、被害者がそれとそっくりな指輪をしているのを。しかし、モルグに来た時点で遺体には指輪が填ってなかった。これはどういうことでしょうかね?」
「さぁ、そんなの知らないわ。指輪なんて似たようなものは幾らでもあるんだし、第一、私が盗んだ証拠でもあるの?」
「内側に名前が刻み込まれている筈です。それはあなたの名前じゃないはずだ」
 セスがそう言うと、ジェーンは再びセスの方に向き直った。
「じゃ見れば? 名前があるかどうか」
 ジェーンはあっさり指輪を引き抜くと、セスの方に差し出した。セスは彼女の自信をいぶかしげに思いながら、ジーンズのポケットからハンカチを取り出し、指輪を摘んだ。
 天井のライトに翳してみる。
「どんな名前が書いてあるっていうの?」
 ジェーンの挑戦的な台詞にセスは唸り声を上げた。内側には、細かな傷があるだけでウォレスが言っていたような名前はどこにも見えなかったからだ。
「言ったでしょ。そんなシンプルな指輪、どこにでも五万とあるわ」
 ジェーンはセスの手から指輪を取り返そうと手を伸ばしながら続けた。
「それに、こんな指輪があの被害者みたいな男の小指に填められているって言う方が、よっぽど不自然でしょ」
 その台詞を聞いた瞬間、ジェーンの手からすいっと指輪が遠ざけられた。
 ジェーンが怪訝そうにセスを見上げる。
 その目をじっと見つめ、セスは呟いた。
「あなたは何故、指輪が被害者の小指に填められていたことを知っているんですか?」
 ジェーンの額から一筋の汗がたらりと垂れた。


 ほんの出来心だった。四十過ぎにもなって結婚できないことを両親から咎められてむしゃくしゃしていたからだとジェーン・ロックは泣いた。
 だが、そんな言い訳が通じるはずがない。
 結局はその出来心が自分のこれまで培ってきたキャリアにどれほど大きな傷をつけるのか、彼女は身をもって知ることになるだろう。
 セスは、問題の指輪を署に持っていく前にモルグに併設されている科学捜査研究所に立ち寄った。証拠品がハドソンの元に届く前に、本当にこれがウォレスの言っていた指輪か確認する必要があった。
 科捜研は、セスにも馴染みの部署である。互いに証拠品の分析を行う時に行き来をする事がままあるのだ。特にセスは、普段から人脈を繋ぐことを熱心に行っているので、こういう時に役立つ。
「残念ながら、指紋は出ませんでした。その女性救命士のもの以外はね」
 よれよれのTシャツの上から白衣を引っかけた検査技師が、パタパタとスリッパの音を響かせながらセスの待つ打ち合わせ室に入ってきた。
 セスに、分析結果の書類を手渡す。
「随分念入りに拭ったみたいですねぇ。洗浄剤かなにかで。お陰でルミノール反応も出てません」
 それを聞いて、セスは大きな溜息をついた。
 確かに、ジェーンの証言から、被害者の指に填められていた指輪だということは間違いなかったが、これだけではウォレスが言っていた指輪と同一のものかどうかは言い切れない。肝心の名前が内側にないのだから。
 やはりウォレスの思い過ごしなのか・・・。
 そう思いかけた時、セスが眺めている捜査資料の上に指輪のX線写真がのせられた。
「・・・これ・・・・!」
 セスが写真を持ち上げ、驚きの声を上げる。
「おそらく、すり切れて見えにくくなっていたんでしょうね。どうやらお役に立ったようだ」
 セスは一瞬笑顔を浮かべたが、すぐに表情を堅いものにした。そして一言呟く。
「・・・これは・・・大変なことになってきたぞ・・・」
 セスが震える手で翳したX線写真には、はっきりリーナとアレクシスの名前が浮かび上がっていたのだった・・・。


 「どうだい、直りそうかい?」
 サイズは、苛立った口調で煙を上げる分電盤を眺めた。
「いやぁ、こりゃなかなか大変だよぉ。何せ新しい警備システムが何とも難解で・・・」
 サイズの高校時代の同級生だという電気作業員は、汗だくの顔を汚れた服の袖で拭うと、道具箱を漁った。
「いやこっちもさぁ、突然のことだから戸惑ってんだよ、正直なところ。警備室もあのシステムを使いこなすのに四苦八苦してんだよ。今更こんな年になって、こぉーんなに分厚いマニュアルと睨めっこすることになろうとは思わなかった」
 サイズがマニュアルを取り出して大げさにそのぶ厚さを指で示すと、馴染みの作業員はヘッヘッヘと笑った。
 作業員は、分電盤室の隣にある警備室を言ったり来たりしながら、ショートした回線を調べる。
「あ~~~、何だか本当に複雑過ぎて分からんよ。こりゃ専門家呼んだ方がいいんじゃないの?」
 警備員室にある警備システムのコンピュータが並べられている周辺の配線を眺めながら、作業員は苦々しくぼやいた。
 サイズがその隣にしゃがみ込む。
「ドイツ製なんだよ、これ。販売代理店もワシントンにある。すぐに来て貰うつっても、明日の午後になるってんだ。それまで社内の三分の一が停電だなんて、シャレになんねぇだろう?」
 サイズは、まださんさんとした陽気な日差しが差し込む窓を睨み付ける。
「いやぁ、でもそんなこと言ってもさぁ・・・。うちがつついて、余計壊しちまってもあれだろう?」
「でもさっき、システムの方はただ単にダウンしているだけで、根本原因は別にあるって言ったじゃん、お前」
「や、そうだよ。そうだけどさ。おいそれと触るわけにはいかねぇんだよ。どこでどうなるか分かんないんだよぉ。電気繋げた途端に過剰電流がシステムの方に流れたら、それこそおしゃかだし。責任持てないよぉ」
 二人が言い争っている様子を、警備室の他の連中や停電の苦情を言いつけに来た社員達が呆れた顔つきで見ている。
「直せよ!」
「だから分かんないんだって!」
「ちょっとは分かることもあるんだろう?!」
「だから分かっても分からないところがあるからダメなんだって!」
「分かるよ」
 ふいにその場の視線が、道具箱の隣で座る男に向けられた。
 キャップを目深に被ったその男は、分厚いマニュアルを次々と捲りながら、視線はマニュアルにおいたままで呟いた。
「だいたい分かる」
 男はのっそりと身体を起こすと、マニュアルと実際の配線を比べながら、サイズと同僚に分かりやすく説明する。
「そうか! じゃ、これとこの線は無関係なんだな!」
 キャップの男の説明を聞いて、作業員も仕組みが分かってきたらしい。
「じゃ、俺はあっちの分電盤の方を直してきます」
 キャップの男はボソボソとそう言うと、分電盤室に消えていった。
「何、あいつ見たことないけど、お前の会社の古株なのか?」
 サイズが感心した目で男の消えた分電盤室のドアを見つめる。
 作業員は、ニッパーで痛んだ配線のカバーを剥ぎながら答える。
「や、新入りなんだよ。年の割にはやたら詳しくてさ。昨日もテート・カンパニーのエレベーターの配線をあっという間に直しちまって」
「へぇ~、お前のオヤジとそう変わらない年なんじゃないかぁ?」
「そりゃ大げさだけど。でもあの年でよく働くよ~」
 ふーんとサイズは呟いて、分電盤室を覗いた。
 キャップの男は、ただ黙々と作業をしていた。そのゴツゴツとした指で、非常に繊細な作業をただ黙々と・・・。

 

Amazing grace act.127 end.

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編集後記

先週に引き続き、胃カメラ騒動でお騒がせしました(汗)。
お陰様ですっかり痛みもなくなり、薬も貰って、順調に回復をしているであろう、国沢です。
現在ピロリ菌検査の結果待ちです(ニヤリ)。ピロリンいるかなぁ~? いないといいなぁ~v エヘv
って、三十越え女がかわいこぶってもダメですよね(大汗)。
それはそうと、今日は『踊る』デーですねぇ。
お恥ずかしながら、国沢も以前填りまくってました。あのカースト制のような警察システムの設定がたまんなくて。人間ドラマありますよねぇ。もちろん、『触覚』書くときにも役に立ちました。その時調べまくったことが。
国沢、今公開中の『踊る2』も劇場に見に行きましたが、おいらとしましては、一作目の方がよかったですね。二作目もおもしろかったんですけどね、もちろん。一作目の方がドラマ性が高かったように思います。
だってなぁ・・・。映画公開されてから、『踊る』ボルテージ上がりまくりで、短編パロディ小説を三本くらいあっという間に書きましたからね。この短編もパロディも殆ど書かないおいらが!!!
気張って同人誌なんか出しちゃえ~~~~って思ったんですけど、資金的な問題とおいらが営業全く出来ないという人的問題もあって、本作りは断念しました(汗)。内容的には、かなり過激な内容もあって(『触覚』の内容を思い浮かべてもらったら分かるように・・・)ヒヤヒヤものなんですが、データはしっかり残っているので、いつかコソコソとアップするチャンスがあったらいいなぁとか思ってます(笑)。や、ほんと、コソコソとねって・・・やっぱネットじゃ無理か(滝汗)。

[国沢]

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