act.27
一瞬、ウォレスは自分が何を言われているのか判らなかった。
「ん? なんだ」
ウォレスが声の方に顔を向けると、娘の怒ったようなスカイブルーの瞳と目が合った。
「新年早々、どうしたの? しっかりしてよ、パパ」
「ああ、すまない。少しぼんやりしていた」
ウォレスはそう言いながら、朝食のスクランブルエッグを口に運んだ。
朝の清々しい光が差し込むダイニング。メープル材で揃えられたダイニングテーブルやチェスト、アイボリー色の布が張られた椅子。どれを取っても慎ましやかで清潔に磨き上げられている。
新年はメイドのデイヴィスも休暇を取っていたから、二人きりの朝食だった。
最近では、シンシアも料理を覚えるようになり、こうして朝食も作るようになった。
シンシアは、自分の皿をキッチンに運びながら「ねぇ、いいでしょ」と言った。
「ん? 何が?」
「だから」
コーヒーの入った陶器のポットを持って、シンシアがダイニングに帰ってくる。
「マックスのところに行こうよ、パパ」
ウォレスは一瞬言葉に詰まった。何も答えない父親に構いもせず、シンシアは話を先に進める。
「だってマックス怪我したんでしょう? お見舞いしたいの。ダメ?」
ビリジアン色のコーヒーカップに温かい湯気の上がるコーヒーを注ぎながら、シンシアは父親の顔色を伺った。
「別にひとりで行ってきてもいいけど、パパ、一人で外出しちゃダメだって言ったじゃない」
確かに、それは言った。ステッグマイヤーが夜中に家の敷地内に入ってきた時から、少ししつこいぐらいにシンシアに言って聞かせた。以前のシンシアなら反抗をして見せたが、最近のシンシアは素直に父親のいうことを聞いてくれる。彼女も父親が自分のことを心底心配してそう言っていることを理解していたからだった。
ステッグマイヤーが忌まわしい事件に巻き込まれた為に、シンシアがグレイのセダン車につけ狙われることはなくなったが、やはり依然としてウォレスの身辺は不穏な空気が取り巻いていた。そんな中、娘を一人きりで外出なんかさせられない。だが、今自分がマックスに会いに行くのは・・・・。
ウォレスは、あの夜涙で潤んだ瞳で必死に自分を見つめてきたマックスの顔を思い浮かべた。
『あなたのことを欲しいと思う。男として。・・・これって、この感情って、一体何なんでしょうか?』
そんなこと訊かれたって、俺にも判るものか・・・。
はっきり断言してしまえば、ウォレスは混乱していた。
キングストンの起こした騒ぎの間中は極力表に出さないようにしてきたが、ウォレスは明らかに動揺していた。
あなたが、好きですだなんて・・・言う相手を間違えてやしないか・・・? そう思いながらも胸が昂ぶっているのは、どう始末をつけたらいいのだろう。
結局、感情が抑えられなくて、キングストンを吊るし上げにしてしまった。皆の見ている前で。
キングストンに対する制裁を行ったことに後悔はなかったが、流石に社員の前でああいう派手な行動を取ってしまったことについては十分後悔をしていた。副社長のビルでさえも驚きを隠せないでいた。会社でのウォレスは、一度も癇癪を起こしたことはない。いかなる時も。
だが・・・・。
マックスが傷つけられるのを目の当たりにして、ウォレスは我を忘れてしまった。
下半身を裸に剥かれ、顔中血まみれにされているマックスを目にした時、心の箍が外れる音が聞こえた。
正直、マックスをこの腕に抱いた時、ウォレス自身怖くて身体が震えてしまったのだ。
マックスの性格を考えた時、あの凶行が最後までなされていたとしたら。それこそ永遠にマックスを失ってしまうような気がしたのだ。
ウォレスの心は迷っていた。
マックスは自分を慕ってくれている。自分も、マックスのことは少なからず思っている。だが、それを恋愛感情にスライドさせることは、彼の為になるのか・・・。
「ねぇ、パパ」
「まずは、電話をしてからにしなさい。あちらにご迷惑がかからないようだったら、送っていってやるから」
「え? パパは会わないの?」
「私は少し仕事がある。さ、早く電話をしてみなさい」
なんで休みなのに仕事があるのと悪態をつきながら、シンシアはキッチンへ取って返した。しばらくして、シンシアがキッチンから顔を覗かせる。
「マックス、実家の方に戻ってるんだって。来てもいいって言ってくれたわ!」
ウォレスがハート家の前で車を止めると、シンシアは弾かれるように車から飛び出して行った。
家のドアが開く。ウォレスは車に乗ったまま、その様子を見つめた。
ドアを開けたのは、若い女性だった。小柄だが聡明そうな女性だった。シンシアを笑顔で迎え入れ、やがて彼女はウォレスに気がついた。車に近づいてくる。
ウォレスは車を降りた。
「初めまして、ウォレスさん。マックスの従姉でレイチェル・ハートです」
彼女はそう言った後、しばらくの間感慨深げな顔つきをして、右手を差し出した。ウォレスは皮手袋を外して、レイチェルの手を軽く握り返した。レイチェルの手は、小さいがしっかりとした力のある手だった。
「先日はどうもありがとうございました。危ないところを助けていただいて。本当に感謝していますわ。何とお礼を言っていいか」
ウォレスは、レイチェルの言ったことに含みを感じて、一瞬言葉を失った。レイチェルは微笑む。
「全て知ってます。何が起こったか。マックスが話してくれましたから」
「そうでしたか・・・」
「でも、そこのことを知ってるのは私しかいません。私の母にも内緒にしているんです。そんなこと言うと、また気絶しちゃうから」
レイチェルが舌をペロリと出す。なかなかチャーミングな女性だ。
「ウォレスさんも中に入られませんか? お茶を入れますから、どうぞ」
「いえ、私は・・・」
ウォレスは少し微笑んだ。
「仕事があるのです。申し訳ない」
マックスに良く似たアーモンド型の瞳がウォレスを見つめる。
「本当に?」
透き通った瞳。手同様、とても力のある。
きっとプライドを持って仕事をしている女性に違いない。
そんな女性の目を欺くことはできない。
ウォレスは肩を竦めると、彼女の瞳を避け、うっすらと雪が降り積もった地面を見つめた。
「・・・本当は、どういう風に彼と顔を合わしていいか分からないのです。私と会うことで、あの酷い晩のことを思い出してしまうかもしれない・・・。そうであるのなら、それはかわいそうだ・・・」
所々詰まりながら話すウォレスは、まさに彼らしくなかった。下手な言い訳をするティーンネイジャーのようである。居心地が悪そうに宙をふらふらと泳ぐ手を、レイチェルの白い手が捉えた。ウォレスが顔を上げる。
「少し散歩しませんか? 寒いけど、雪化粧の中の散歩も乙なものでしょ?」
二人で白い息を吐きながら、しばらく歩くと、運河のほとりに出た。
水の温度の方が外気より高いようで、川面からうっすらと湯気が上がっている。
「あそこに座りましょう」
レイチェルがベンチを指差した。
ウォレスはベンチの上の雪を払うと、自分のコートを脱いでベンチにかける。振り返ると、レイチェルのいたずらっ子のような笑みがあった。
「なるほど・・・。マックスの言ってることは正しいって訳ね」
「?」
怪訝そうにウォレスが顔を顰めると、レイチェルはベンチに座って言った。
「以前、あの子がムキになって怒鳴ったことがあるの。あの人は凄く優しくて、こんな俺を励ましてくれて、それで、それで・・・!って」
マックスの口調を真似しながらレイチェルに、ウォレスが目を丸くした。
「本当よ。本当にそんなこと言ったの。そんな口調で。必死な顔をしてた」
ウォレスがレイチェルの隣に腰を下ろす。
「あのコはねぇ、ウォレスさん。もうあなたに夢中よ。その事実に困り果てて、泣いちゃうぐらい」
レイチェルがウォレスを見る。ウォレスは、何と答えていいか判らず、唇を噛み締めた。
「でも、安心して。どうやら、諦めるみたい」
レイチェルが軽く溜息をつく。
「突然同性に、好きですって言われたあなたの困惑も判るわ。私だって、同僚の事務の女の子に好きだって言われたら困っちゃう。他の人のことならともかく、いざ自分がその立場になった時、誰もがすぐに受け入れることができる問題じゃないもの。私だって、初めてあの子の気持ちを知った時、困ったわ。さて、どうしようと思った。あの子はあんなルックスのくせして奥手だから、いつもだったら『口説き落とせ!』ってハッパかけるけど、今回は正直、何と言っていいか分からなかった。一応は励ましたけど、それも私の本心なのかどうなのか、今も判らない。・・・だから、正直言ってほっとしているの。昨日、あの子があなたのことをきっぱりと諦めると聞いた時」
レイチェルは、ちらりとウォレスを見た。ウォレスは無表情で、じっと川面の景色を見つめている。
「同性同士の恋愛っていうリスクもそうだけど、私に言わせれば、あなたには危険な謎が多過ぎる」
ウォレスが、レイチェルを見た。二人の目つきが、一気に厳しさを増した。
「私は、C・トリビューンの報道カメラマンをしています。改めてよろしく」
レイチェルがそう言って、再度右手を差し出す。ウォレスは少しだけその白い手を見つめて笑みを浮かべると、その手を握り返した。
「酷い話だけれど、あなたにマックスを引き合わせたのは私なの。あなたの会社の圧力で、あなたの記事をもみ消されて、あなたに対する興味を持った。あなたがどういう人間か知りたかったの。すごく」
「・・・では、ローズ君は君の送り込んだスパイだということか?」
レイチェルが声を出して笑う。
「だといいんだけど。マックスにその役目は無理よ。あなただって、あの子を見ていたら、それが無理だってことは判るでしょ?」
ウォレスも口元に手をやって笑う。
「・・・確かに」
一頻り笑って、レイチェルは肩を落とした。
「・・・あたしが悪かったの。どうか許して上げて、マックスのこと。あの子のあなたに対する思いは純粋なものよ。そこに駆け引きなんて存在しないわ。私も、もうあなたの正体なんてどうでもいい。今回のマックスの一件は、本当に堪えてるの。あの子が傷つくのを見るのは辛いし、傷だらけの顔を見た時、本当に気絶しそうになった。私にとって、あの子は大切な弟と同然の存在なの。あなたがどんな人であれ、あなたはあの子を助けてくれた。私にとってはそれで十分。本当に感謝しているわ。・・・でもね」
レイチェルが、再びウォレスを見た。
「恋愛となると別。あの子の幸せそうな顔は見たいけど、あなたにその気がないのなら、絶対に相手にしないでほしい。あの子の気持ちが整理できるまでそっとしておいてあげてほしいの。マックスの泣き顔なんて、真っ平ごめんよ。あの子を泣かすような奴は絶対に許さない。だから、中途半端な気持ちでマックスと向き合わないで」
真摯な瞳だった。レイチェルは、少し鼻を啜る。
「ごめんなさい。身勝手なことばかり言って。でもあなたが大人の男だと見込んで言ったの。判ってちょうだい」
ウォレスは小さく頷く。マックスのことを心底心配するレイチェルの気持ちは、痛いほど良く判った。
C・トリビューンの記者、ケヴィン・ドースンは確信をしていた。
自分の推理は間違いなく真実を突いているということを。
今回のミラーズ社で起こった爆発事件。ドースンは担当記者にはなれなかったが、逐一情報は仕入れていた。そして被害者があのストラス社の元秘書・ステッグマイヤーだったことを知った時、ドースンは興奮し過ぎて眩暈を感じたほどであった。
以前自分がレイチェルに言って聞かせた推理の一部一部が断片的に、しかし着実にドースンの中で組み立てられつつある。
ウォレスの娘・シンシアを襲った車は、間違いなくステッグマイヤーの車である。
ドースンは、捜査が緩慢になっている警察よりも内容の濃い情報を集めていた。それも全て、ドースンひとりが取材の合間を縫って調べ上げたものである。
ドースンは、僅かな目撃証言と警察内部の資料から、車の車種を特定していた。日本製の高級車である。調べる気になれば、この街にある台数は少ない。ドースンはその一台一台をつぶさに確認して回った。どれも傷一つなくきれいなものだったし、持ち主らはシンシアと何の繋がりもなかった。唯一ステッグマイヤーを除いては。
そのステッグマイヤーが殺された。しかも爆弾犯に狙われて。
警察の見解では、トレント橋の爆弾魔と同一であるとされている。 シンシアの事件とトレント橋の事件は、くしくも同じ日に発生している。現場も近い。発生した順番からすると、トレント橋の方が先。シンシアの事件はその後、一時間もしない内に起こっている。
ドースンはこういう結果を出していた。
トレント橋の爆弾魔は、シンシアの事件を目撃していたのだ。
シンシアに同情したのかどうなのか、そこにどのような理由があったにせよ、爆弾魔はその時、次の標的を決定したに違いない。 しかも、ステッグマイヤーの車がミラーズ社前に停車している時に爆破されたところを見ると、それは明らかに意図された演出だったように思われる。まるで、ウォレスにステッグマイヤーの処刑を見せ付けているようだ。いや、犯人はしっかりとそうなるように計画していたに違いない。そちらの方が自然である。
犯人はステッグマイヤーの行動を観察し、分析し、まさに最高のタイミングで爆弾を爆発させたのだ。
犯人とウォレスには、何か関係があるのかもしれない。場合によっては、ウォレスが人を雇ってステッグマイヤーに復讐したのか。その線も十分にありえる。
爆弾・・・爆弾か・・・。
ドースンは考えを巡らせた。
どこかに爆弾のことに詳しい奴はいないだろうか。
ドースンは、よく利用する情報屋の電話番号をダイヤルした。
Amazing grace act.27 end.
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編集後記
先週の大穴な事実が発覚した所為か、今週のERは見ませんでした(笑)。
いや、間違いをまた指摘されるから・・という訳ではなく。
ここのところ、なんかまったりとして、続き書くのを怠っていたら、マジで更新できる続きの文章のネタが尽きてしまいました!がびがび~ん!
なので、せっせと続きを書いていた次第です(滝汗)。
国沢、自宅にいながら、まるでホテルで缶詰状態になった漫画家のようです。いや、この場合、作家か。
(作家かぁ~・・・う~んマンダムな響きね・・・トレビア~ン。)
本当に今後、毎週更新できるのかな・・・・?
これはもう、国沢の中では、ムー大陸とクリスタル髑髏のオーパーツ、そして恐怖のバミューダ海域に続く、大いなる謎です。ほんと、デカすぎます。
へこたれるな、国沢! 太陽に向かって怒鳴れ(???)。
皆さん、こんな国沢に、励ましのメールをくだされ。
[国沢]
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