act.147
キングストンがマックスの奇襲に気が付いたのは、マックスがキングストンの身体を捕らえようとした正にその瞬間だった。
「何だ、お前!!」
キングストンが甲高い声を上げる。
マックスはキングストンが振り返ったところを見計らい、鋭いパンチを食らわせた。
ボクシングを辞めたのは随分と前だったが、それでも素人には十分効き目のあるパンチだった。
だが、自分の両手も結束バンドを焼き切る際に火傷を負っていたので激しく痛んだ。
一瞬火傷のことを忘れていたマックスも、思ってもない痛みに一瞬隙を作ってしまった。
キングストンは、殴られた頬を庇いながらも椅子から立ち上がると、マックスから逃れようとデスクの向こう側に走り込む。
キングストンがデスクの上の小型ナイフに視線をちらりとやったので、マックスはそれをキングストンの手が届く一瞬前に手で弾いた。ナイフは床に転がる。
ナイフが取れなかったキングストンは、社長室の出口向かって身を翻した。マックスは、両手の痛みを意識の向こうに追いやると、デスクの上に飛び上がって、逃げるキングストンを追いかける。
「やめろ! やめてくれ!!」
余程最初に受けたパンチが効いたらしい。ゴホゴホと咳き込むキングストンは息も絶え絶えで、口から鮮血が滴り落ちていた。
「頼む、俺が悪かった・・・」
怒りの形相のマックスに向かい、一定の距離を開けて弱腰の哀願をする。
しかしキングストンはマックスが気を許したところを見逃さなかった。
キングストンは部屋の片隅にあるチェストの上のブロンズ像を取ると、それを振り上げてマックスに襲いかかってくる。
マックスが寸前のところでブロンズ像を避けると、「チクショウ」とキングストンは舌打ちをして再度振り上げてくる。
マックスは、キングストンが腕を振り上げている間にキングストンのボディーと顎に素早いパンチを続けて繰り出した。
今度は本気で手加減なしのパンチだった。
まともにパンチを食らったキングストンはグラグラと頭を揺らして、ブロンズ像を床に落とすと、フラフラと二・三歩後ずさって倒れ込む。
マックスは、自分の身体についている殺人ベストを慎重に脱ぐと、それをソファーの上に放り投げ、シンシアの元に向かった。
ひとまず彼女の脈拍を取り、呼吸を確かめる。
ほのかにだが、クロロフォルムの匂いがした。彼女はトレーニング中に拉致されたのだろう。オレンジのジャージの襟元が湿っている。
呼吸は細いが、脈拍は正常だった。
彼女のベストを外そうとして車いすの後ろに回り込んだが、そこに南京錠がぶら下がっているのを見てマックスは舌打ちをした。
その南京錠は、シンシアの身体とベスト、そして車いすをしっかりと結びつけている。
「・・・鍵・・・」
マックスは、床に転がっているキングストンに近づき、彼の服のポケットを探った。
「・・・・どこだ・・・?」
マックスが苛立ちを露わにした声でそう呟くと、ふいに背後でそのマックスの質問に答える声があった。
「お前が探しているのは、この鍵か?」
マックスはハッとして振り返った。
凍り付きそうに冷たいライトブルーの瞳がマックスの姿を映していた。
マックスはジェイク・ニールソンの姿を確認すると、すぐさまキングストンの身体を掴み上げ、床に転がっていた小型ナイフを手に取ると、それをキングストンの喉元に突きつけた。
ジェイクは、無表情のまま社長室の戸口に立ってマックスを見つめていた。
しばらくの間、沈黙が流れる。
その間マックスには、自分の呼吸音と心臓の鼓動がいやに大きく聞こえた。
「どうしようっていうんだ?」
ジェイクが恐ろしいほど冷静な声でそう言う。
マックスは、ジェイクに視線を止めたまま、じりじりと身体を下げた。ふいにドンと身体が壁にぶつかる。思わず身体の脇に目を遣ると、そこには隣の部屋に続くドアのノブがあった。
「逃げたいなら逃げるがいい。逃げることは恥ずかしいことじゃない」
ジェイクが冷たくそう言い放つ。
マックスはハッとしてジェイクを見た。
その台詞は、マックスが過去ウォレスから言われたことのある言葉だった。だが、その後の台詞は、マックスも聞いたことのない言葉だった。
「逃げればただ、追うだけさ」
これまでのウォレスの人生を考えると、マックスの背筋にいい知れない恐怖が沸き上がった。
マックスはゴクリと喉を鳴らす。
許されるなら、キングストンを放り出してすぐさま逃げ出したかった。だが、そう言うわけにはいかない。
マックスは、自分の左手に目を遣った。
残念なことにシンシアのいる位置は、マックスの位置に若干近いといえども中庭に向かう窓ガラスに近い場所だった。
キングストンを抱えたままシンシアに近づくのは到底無理なことだし、キングストンを解放してシンシアに近づけたとしても、その先の見通しが立たない。そして肝心の発火装置は、目の前の男がその懐に隠しているに違いなかった。
どう見てもこの状況はジェイクの方が優位だった。
だが、諦めるわけにはいかない。自分の無事を願っている筈の愛する人の為にも、シンシアの命を諦めるわけにはいかないのだ。
「・・・今すぐ、解放しろ。シンシアもこの会社の社員も皆」
マックスは唸るように言った。ジェイクの目が細められる。
「さもないとそいつを殺すとでも? 命を救うのが商売の君にそんなことが可能なのか?」
ジェイクの話す言葉は酷く訛っていたが、威厳がある。犯罪者とはいえ、常に人の上に立ち続けてきた男の醸し出す『重み』だ。
マックスの額から冷や汗が流れ落ちた。
その頃、セスの額にも多量の汗が滲んで流れていた。
今、彼の目の前には多量の爆薬の絨毯が広がっている。
「嘘だろ・・・」
そこは、この巨大なビルを支える大きな柱の内の一本だった。
この爆弾は、侵入者をくい止める為の爆弾とは目的が違うことは一目瞭然だった。
セスは、懐から警備室で貰った建物の構造図を取り出して広げた。
ミラーズ社は、三つのビルがコの字型に繋がっている構造をしている。
今セスが見上げている巨大な柱は、中央棟と東側の棟を支える四本の柱の内のひとつだった。それと対をなす柱は、中央棟と西側の棟を支えている。
これまでの状況を鑑みると、明らかにビルを支えるこの柱達に多量の爆薬を仕掛けているのは容易に想像できた。
だからこそ今まで仕掛けられていた爆薬の量が制限されていたのだ。
明らかにそれは手作りの代物で、これが爆発すればどれほどの威力を発揮するのかは分からなかったが、少なくとも柱を破壊することは簡単にできるだろう。
「まったく・・・冗談じゃねぇぞ」
流石のセスも、吹き出てくる冷や汗を止めることはできなかった。
言いしれぬ恐怖がセスを襲っていた。
万が一爆弾が爆発すれば、このビルは倒壊を免れない。今だこのビルに閉じこめられている千数百人の人間もろとも、崩れ去るのだ。
何て事だ。
セスは両手で顔を覆った。
「落ち着け・・・落ち着け・・・」
ジェイク・ニールソンが作ってきた爆弾の構造については十分研究してきた。そしてウォレスからも知恵を授けられた。大丈夫。きっと一人でも解体できる。勇気を振り絞れ。
セスは顔を上げた。
そして深呼吸をする。
ひとまず、この状況を本部に報告した方がいい。
もし解体が失敗すれば、ビルの外にいる人々にも被害が及んでしまう。
今の状況を考えれば、自分がどういう処分をされようともそれはちっぽけな問題でしかなかった。
ウォレスがこのビルに侵入していることは伏せておけばいい。
とにかく、ビルの外にいる人々を退けなければ・・・。
セスの脳裏にレイチェルの姿が浮かんだ。
きっと彼女も、ビルのすぐ外にまで駆けつけているに違いない。
彼女のことだ、ヘタしたら警察のバリケードを乗り越えてるかもしれないな・・・。
セスは無線機を手に取りながらそう思った。
案の定、セスの思惑は的中していた。
自分の身内が人質になっていると叫き立てながら、レイチェルは警察官の静止を振り切ろうとしていた。
「親族の方にはこちらの部屋をご用意してますから・・・」
若い警官が、作戦本部のあるビルの一階にあるカフェテリアに案内しようとしても彼女は引き下がらなかった。
「うるさいわね! 騙されないわよ!! どうせ人質の命も顧みないような強行突破とか考えてるんでしょう!! 死んだって上に上がるわよ!!」
結局若い警官と取っ組み合いになってしまったが、その間に周囲は更に慌ただしくなっていた。
上にいた警察幹部連中がエレベーターからわらわらと下りてきて、部下に守られながらビルから出て行ったのである。それだけではない。
作戦本部にいた連中もまた、そそくさと機材を抱えエレベーターやら階段やらから下りてきて、外に出て行く。
レイチェルも若い警官も互いに服をつかみ合ったまま、その様子をぽかんとした顔つきで見つめていた。
「・・・ね、どうなってんのよ?」
「さぁ・・・・」
下々の者には詳しい状況はなかなか伝わってこないので、若い警官も今ひとつ状況が伝わってこないようだ。
ふいにレイチェルの腕を掴む別の手があった。
「何だ、君。こんなところまで入り込んでいたのか」
びっくりしてレイチェルが顔を上げると、そこにはC市警のロゴが入ったウィンドブレーカーを羽織ったテイラーの姿があった。
「あんたこそ、何でこんなとこにいるの?」
まぬけな問いに、テイラーが溜息をついた。
テイラーの後ろから、ホッブスが顔を出す。そうして彼は「ホントだ。アイツの言った通りだ」と呟いた。
「おい、もうここはいいぞ」
ホッブスは若い警官に声をかけた。
「直に作戦本部は別のビルに移る。ここにはごく少数の人間しか残らないことになる」
「どういうことですか?」
警官がようやくレイチェルを放し、ホッブスに向き直る。
「ミラーズ社の中に、ビルを倒壊させる程の爆薬がしかけられていることが分かった。封鎖区域をもっと広げる。ここは危険だ」
「それで、お偉い方達はそそくさと逃げていった訳か」
レイチェルが毒づく。
ホッブスが肩を竦める。
「仕方ないさ。作戦本部が巻き込まれると、命令系統が総崩れになる。君も人質の家族の元に戻れ。すぐに待避場所の指示が来るぞ」
「は!」
警官は敬礼をして、カフェテリアに走っていった。
「それで? あなた達も待避するの?」
レイチェルの台詞にホッブスは首を横に振った。
「いや。俺や爆弾処理班の半数はここに残るよ。チーフが今ビルの中に侵入している。バックアップが必要だから。SWATチームの幾人かも残るようだ」
「で、あなたは?」
レイチェルがテイラーに視線をやると、テイラーは顰め面でこう言った。
「私は元々ここにはいない人間だ」
「あ、なるほど。じゃ、私と同じって事ね」
「同じじゃない。立場上、大きな隔たりがある」
「邪魔者なんだから、一緒よ」
レイチェルの言いぐさに顔を真っ赤にして食いつこうとしたテイラーをホッブスが止めた。
「ここは素直にハイとしといた方が身のためですよ」
ホッブスも、どうやら同僚の彼女が一筋縄ではいかないことを十分承知しているようだ。「それで? 爆弾処理班のチーフがその巨大な爆弾を解体しようとしているところなの?」
レイチェルがそう訊くと、再度テイラーがレイチェルの腕を掴んだ。
「そうだ。君と直接話をさせたい男がミラーズ社の中にいるんだ。上まで来て貰っていいかね?」
「えぇ?」
レイチェルが眉間に皺を寄せる。
「何? マックスのこと? 彼無事なの?」
「残念ながら、マックスじゃない。彼か無事がどうかは、まだ不明だ」
テイラーが答える。益々レイチェルは顔を顰めた。
「え? じゃ、何? セス?? だってアイツは、謹慎処分受けたってあの若い警官が言ってたわよ。無理な捜査がたたって、この現場から閉め出し食らったって。そう言えば、アイツの居所知らない? 携帯に電話しても、アイツ電源切ってんだから」
ホッブスとテイラーが気まずそうに顔を見合わせている。
「え? やだ、何よ。何なの? あのバカ、今どこにいるの?」
レイチェルはその答えが何となく分かっていながらも、そう訊かざるを得なかった。
Amazing grace act.147 end.
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編集後記
やっと復活しました、国沢です。
いやはやお騒がせいたしました(汗)。もう大丈夫です。ナチュラルなダイエットになって、便秘も解消vと思うことにしました。おそらく、今回の騒動で宿便も人生の垢もなんもかんもスッキリ出た筈です。・・・や、汚い話ですみませんが(脂汗)。
まったく・・・ちぃ出るまでゲリるなよなぁ・・・。流石にびびっちゃったよ、おいら(油油汗)。
でも、すっかり治りました。薬が効いたのもそうなんでしょうが、ヤクルト攻撃が良かった模様です。
おいら、小さい頃から、お腹を壊す度にヤクルトを飲んで治してました。なんでも、赤ん坊の時に下痢が止まらなくなって、いろんな薬をお医者さんから処方されたらしいのですが、それでも治らず、焦った母が噂で聞いたヤクルトを藁をも縋る思いで飲ませたところ、ぴたりと止んだという・・・。
それ以来、ヤクルトは国沢の下痢止め薬。カラオケ屋さんで迂闊にジョッキヤクルトなんか飲んだ日には、果てしない便秘が待っているというほど、強力な効き目を発揮します。
う~ん、プロバイオティクスの力・・・?
ところで、渡辺謙さんは、国際派スターとなってもヤクルトのCMって出るんでしょうかね?
や、まったくもって、いらんお世話な疑問なんですけどね。
[国沢]
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