act.82
C市警のハドソンは、オーバーに両手を広げて天を仰いで見せた。
「いい加減にしてください!」
「そうは言ってもですね!」
ハドソンの目の前には、セント・ポール総合病院の精神科医ドナルド・ビクシーが立ちはだかっていた。
「あなたも今、ご覧になったでしょう!! 今の彼の様子を。一日やそこらで治るような心の傷ではないんです!」
ハドソンは苛立ったように、ビクシーの前を行ったり来たりした。
その向こうのガラス窓越しに見える部屋には、温かく穏やかな日差しが差し込み、部屋の白い壁を際だたせている。白い壁に、白い床、白い天井。その中にぽつりと、濃いブロンドヘヤーに翡翠色の瞳をした男が、パイプ椅子に座り込んでいる。微動だにしないその様子は、出来のいいマネキン人形だ。
ハドソンは、そんな男の方を手で指し示しながら、ビクシーに食ってかかった。
「初日は! 意識が戻った直後は、俺の質問にもしっかり答えてたんだぞ、あの若造は!! 絶対嘘に決まってるんだ!!」
「ある意味、彼が心を閉ざしてしまう引導を渡したのは、あなたのその不躾な質問かもしれないんですよ!」
ハドソンは、自分の首からマフラーを乱暴に抜き取ると、床にたたき付けた。
「刑事を馬鹿にする気か? 誓ってもいい、あいつは狂ってなんかいない」
ハドソンが唸るような声を出し、ビクシーの鼻先に獣のように歪んだ顔を近づける。だがビクシーは怯まなかった。
「例えそうだったとしても、彼は私の患者です。私の許可なしに彼に詰め寄るのはやめてください。彼は被害者なんですよ。お願いします」
ビクシーの言葉は丁寧でも、その口調はハドソンと同じぐらいに獰猛だった。
ハドソンも根負けしたらしい、「回復次第、ただちに署に連絡すること。事件の早期解決のためには、彼の証言が必要なんです」と言い残し、不服そうな顔つきのまま、病院を去っていった。
ビクシーが大きくため息をつく。
まったく、警察の連中ときたらどいつもこいつも・・・。
顔をしかめるビクシーにマイク・モーガンが声をかけた。
「帰ったのか」
「ああ」
「どうだい、今朝のマックスの様子は」
マイクの問いかけに、ビクシーは更に顔をしかめた。
「こちらの呼びかけに、一切反応を示さない。極度のうつ症状だ。あまりに悲劇的なことが起こりすぎて、心が対応できなくなったのだろう。食事もとってないから、昨夜からずっと点滴で対応している。いつになったら回復するのか、正直俺も分からないよ」
「そんなに悪いのか・・・」
この分じゃ、身体の回復も・・・。
「取りあえず、身体の方の具合をみてみよう」
「分かった。君は彼と親友だろう。できるだけ普段話すように話しかけてみてくれ」
マイクは頷く。
「マックスの身体のチェックが終わったら、後で君にも容態を知らせるようにしよう」
「ああ、頼むよ」
マイクとビクシーは互いに肩をたたき合うと、別々の方向に歩き始めた。
マイクは、マックスのいるリハビリルームのドアをノックすると、「よう、マックス」と努めて明るい声をかけながら室内に入った。
「どうだ? 具合。かなり痛んできだしたろう、胸が」
鎮痛剤が切れかけている頃だ。完全に折れた腕はがっちりとギブスで固めてあるが、胸部は呼吸をする度に痛むはずだ。骨にヒビが入る方が、ある意味始末が悪い。
それでも呻き声一つ上げず、黙って座り込んでいるところを見ると、本当におかしくなってしまったのか。
マイクは内心泣きそうになりながらも、普段の彼と何ら変わりのない笑顔でマックスの傍らに跪いた。
「昨夜のテレビドラマでさぁ・・・」と普段するような意味のない話をしながら、マックスの顔の傷を見る。ガーゼを新しいものに変えながら、ちらりとマックスの表情を窺った。ビクシーが言う通り、マックスの瞳は、何も映していないようにみえる。
マイクは、他愛のない話をなおも続けながら、脈拍を図るためにマックスの右手を取った。
おや? と思う。
食事をまったくとっていない人間にしては・・・
マイクがそう思った瞬間、マイクのその手を、マックスの右手がグッと握った。
ギョッとしてマイクがマックスを見ると、マックスは瞬時にマイクに声を出さないように「静かに」と囁いた。
マイクは口を開けたまま、2回大きく瞬きをした。
「・・・マックス・・・お前・・・」
マックスは、部屋の窓ガラスの外を窺う。数人の看護婦や患者が行き交っているのが見える。
「窓ガラスから見えないところに椅子を移動させてくれないか」
耳元で囁くマックスに、マイクは頷いた。
「ここは日が当たりすぎて暑すぎるな。ちょっとあっちに移動しよう。さ、マックス、立って。歩けるだろう・・・」
マイクは大きな声でそう言いながら、マックスを立ち上がらせ、椅子を部屋の隅に移動すると、マックスの手を取ってその椅子に座らせた。
マイクは誰も部屋に入ってこないように入口のドアの鍵をかけると、壁に立てかけてあったパイプ椅子を取り、マックスの向かいに腰掛けた。
「どういうことだよ、マックス?! お前、大丈夫なのか?!」
「マイク、声が大きい」
マイクが両手で口を覆い、首を竦める。
「・・・すまん。でも・・・」
マイクは口をパクパクとさせた。手は頼りなく宙を泳いでいる。マックスはその手を右手で力強く握った。
「心配かけたな。ごめん」
マックスが苦笑を浮かべる。
「お前・・・芝居だったのか?」
マックスは頷く。
「ちょっと事情があってね。俺なりに考えを整理する時間がほしかったから・・・。混乱した状態で警察と話をしたくなかったんだ」
「どうして・・・・。あ・・・ひょっとして・・・」
マイクは、いつかの夜偶然出会ったマックスとマックスの連れだった黒服の紳士を思い出していた。
マックスが意識を回復した後、病室で騒ぎを起こしたこともマイクの耳に入っている。そして、マックスが今一番大切に想っている人間が、彼だと言うことも。
「彼か・・・。彼が何か関係しているのか、今度の事件に・・・」
マイクにそう言われ、マックスは目を伏せた。
「俺にも事情はよく分からないんだけど・・・。でも誓ってもいい、彼は被害者なんだ。彼が悪いんじゃないんだよ」
マックスは真摯な瞳でマイクを見る。「そんなこと、分かってるよ。お前が好きになった人だろう」とマイクは返した。マックスは少し驚いた顔でマイクを見る。マイクは照れ臭そうに天を仰いだ。
「メアリーがさ、言ってたんだよ。マックスは、やっと自分から愛することのできる人に出会えたんだって。そのことが嬉しいんだって言ってた。それがまさか、あの紳士のことだとは俺も驚いたけどな」
「・・・ごめんな、びっくりしたろ? 俺だって正直、自分が同性相手にそんな感情を持つなんて思ってもみなかった。けど、理屈じゃないんだ」
マイクは、病院の中庭が見える窓の外を眺め、ぼんやりと言う。
「何となくだけど・・・お前の気持ち、分かるような気がするよ」
「え?」
今度はマックスがマイクの顔を覗き込む番だった。マイクはため息をつくと、マックスに向き直る。
「いやさ、お前、小さい頃に両親亡くしてるじゃん。俺も、父親を早くに亡くしてるの知ってるよな」
「ああ・・・」
「どことなくさ、そういうの、求めてしまうのかもしれないなぁと思ってさ。それにあの人、どことなく側にいてあげたくなるような雰囲気持ってるしな・・・」
マイクが突然そんなことを言い出したので、マックスは苦笑いをする。
「おいおい、マイク・・・」
「いや、俺はメアリー一筋だよ。誤解すんなよ。たださ・・・。お前が病室で騒ぎを起こした日の前の晩・・・お前の病室の前で立ってるあの人を見たんだ」
マックスの顔から笑顔が消える。マイクは、俯いて指でせわしなく膝を叩きながら先を続ける。
「お前にこんなこと言うのは、酷かもしれないけどな・・・。あの晩、あんまり根を詰めすぎるとよくないから、仮眠室に案内しようかと思ったんだ。声をかけようと近づいたけど・・・あの人、泣いてて。ひとりぼっちで泣いてて・・・。包帯だらけのお前の姿見ながら、大の大人が、顔をくちゃくちゃにしながら泣いてた。そして呟くんだ。愛してる・・・愛してるって・・・・。俺・・・とてもじゃないけど、声、かけられなかった」
マックスの目が見開かれる。その大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。マイクは、そんなマックスを見上げた。
「お前、本当に愛されてんだなぁと思ってさ。その後、お前が病室で大騒ぎしたっていうことの顛末を聞いて、お前が本気なのも痛感した。気が変になっちまうのも、当たり前だって思ったさ。・・・でも実際は、俺が思ったよりどっかの誰かさんは、タフだったみたいだけど」
マイクの最後の台詞に、マックスは涙ぐんだまま、マイクは口を尖らせたまま、笑いあった。
「馬鹿、泣いてる暇があるか。お前、本当に心底愛されてんだぞ」
「ホント、そうだよな」
マックスは、ズズズと鼻を啜りながら指で鼻の下をこすった。
「で、これからどうするつもりなんだ」
「ああ・・・・」
マックスは、マイクの頭に更に頭を近づける。
「警察は、犯人逮捕に躍起になっている。彼らのことだ。ジムのことを知ったら、彼らがどう出るか分からない。彼を守りたいんだ。どうしても」
「それで?」
マイクはもう、学生時代を彷彿とさせるように爛々と輝く目でマックスを見つめている。
「とにかく、早く病院を抜け出したい。レイチェルが持っている手がかりを元に、情報を集めていきたいんだ。俺はあまりにも愛する人のことを知らなさすぎた。そんなんじゃ、彼を守ることは出来ない」
「しかし、その身体で病院を抜け出すには・・・」
マイクが苦虫を噛んだような表情を浮かべる。
「だから、マイクに協力してもらいたいんだ。食事は悪いけど、別に用意して食ってる。嫌というほどね。栄養を取ったら、後はリハビリだ。とにかく身体を動かしたい。だが、警察の手前、昼間人目があるところでひょこひょこ動くわけにはいかないから、昼間寝て過ごして、夜にリハビリを行いたい。作業療法士のケリーを巻き込んで欲しいんだ。彼女のリハビリはハードだけど、一番効くって知ってるからね。彼女は口も堅いし。お前とも仲がいい」
「それを言うなら、お前とも仲がよかっただろう」
「イヤミを言うなよ」
いまだにマックスが病院を辞めたことに対して異論を唱えているマイクである。だがマイクは、マックスの申し出を快く引き受けた。
「おい、但し条件があるぞ」
マイクは、自分の椅子を元のあった位置に返しながら言った。
「可能な限り、俺もそのリハビリに参加する。ケリーはプロだからお前に無茶な真似はさせないと思うが、お前がどう出るか分からん。主治医として、あまり無茶されると不味いからな」
「はいはい。分かりました、先生」
マックスがおとなしく従うと、「よもやお前が俺の患者になるとはな・・・」とマイクはため息をついたのだった。
Amazing grace act.82 end.
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編集後記
当初予定していた内容とは全然違う内容を書いている今日のわ・た・し♥
いかにアップアップ更新なのか、お分かりでしょう。国沢、自分のことながら、いささか心配になってきました。本当に、最後まで書けるのか? この話???
本当に大海原をどんぶらこっことみそ汁椀で漂流している気分です。ざぶ~ん。
[国沢]
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