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nothing to lose title

act.95

 連日に及ぶ寒波のせいで、部屋の中にいても吐く息は白い。
 だがそのおかげで、部屋の中に異様な臭いは発生しなかった。
 母の死体が横たわる部屋のドアはあの日から閉ざしたまま。
 ジェイコブは、自分が母を殴り殺したことをきちんと認識していた。
 思わずカッとしてついつい母を殴り殺してしまったが、罪悪感を感じない訳ではなかった。だが、母にどやされることがなくなると思うと、気分は清々する。
 母がいない日々を初めて体験するここ数週間は、実に穏やかに過ぎていった。こんなことなら、早くそうしておくべきだったのか。
 ジェイコブの日常は、ごく普通に過ぎていった。
 ベン・スミスもジェイコブの前からすっかり姿を消し、以前のようにひとりぼっちで仕事に向かう日々が過ぎている。
 ただ違うのは、いつもポケットに手作りの爆弾を温めていることだ。
 最後の材料で作った大事な子。
 ストッパーをかけている限り爆発することはないが、爆発物の圧縮率を上げたそれは、仕掛けようによって確実に人を殺傷できる威力があった。
 ジェイコブは、その最後の爆弾をどう使うのか、考えあぐねていた。
 数週間おとなしく普段の生活を続けることになったのは、そのためだ。
 ここのところ、暇な時間を見つけてはミラーズ社の様子を窺いにいったが、あの愛すべき『ボス』の姿は見ることができなかった。警備の警官の目を縫って思い切って地下の駐車場も確認してみたが、車もない。長期の出張に出ているのだろうか。きっとマスコミに追われるのが嫌で、身を隠しているに違いない。マフィアに高飛びはよくある話だ。
 あの日以来、ジェイコブの妄想は更に深くなっていった。
 目標の対象が見えなくなり、退屈してしまうと、妄想の世界に浸るしかないからだ。
 ボスの唯一の弱点をジェイコブがつぶしてやったおかげで、もうボスには怖いものなどなくなったはずだ。
 報道によるとボスの『女』は手酷い傷を負い、頭もおかしくなってもはや廃人同然だ。
 ジェイコブはその結果に満足していた。
 一時期、『女』が助かったことに深い怒りを感じていたジェイコブだったが、すぐにマスコミが『女』の精神がおかしくなったらしいとの報道を始めると、いい気味だと胸がすっとした。
 ボスを堕落の道に陥れるような人間だ。
 そうなって当然なんだ。
 今日は非番だから、一日中ミラーズ社を見に行くのもいいかもしれない。今も警官がうろうろしているのは事実だが、長いこと退屈な警備の仕事に就かされている警官達に緊張感はない。分厚い本の一冊も持ってベンチに座っていたら、怪しまれることもない。あいつらは、馬鹿だ。目の前を通り過ぎても、ジェイコブの上着のポケットに爆弾が大事にしまわれているとは気づきもしない・・・。
 自宅近所のダイナーでバターを塗った薄いトーストにかじり付きながら、ジェイコブはポケットの中の爆弾に思いを馳せた。
「今日こそツケを払ってちょうだい。でないと食後のコーヒーはでないからね」
 ジェイコブの体重の倍はありそうなウェイトレスが、ジェイコブの机に伝票を置く際に一言付け加える。
 カウンターの中でミンチ肉を焼くこの店の主人が、陰気そうな目つきでジェイコブの方をちらりと覗き込む。
「さぁ、食べ終わったんなら、早く席を立ってちょうだい!」
 目の前のカウンターに座る老人を追い立てるウェイトレス。本当ならこんな胸くそ悪い店なんて来たくもないが、ジェイコブのような貧しい人間でもツケがきくので仕方がない。だが、客を客とも思わない店員の態度を見ていると、いっそのこと、このポケットにある爆弾をここのガス栓付近に仕掛けてやろうかと思う。
 だがすぐに思い直した。
 これは大事な最後の爆弾なんだ。
 よくよく考えて、仕掛けるところを選ばなくては。
 やはりボスを守るために使うのがいい。
 俺はボスが唯一信頼し頼りにしている部下なんだから。
 ボスを罠に填めようとした欲深い男は車ごとふっとばしてやった。
 ボスを惑わす淫乱な『女』も命までは奪えなかったが、頭の中をキャベツにしてやった。
 さぁ、次はどうしよう・・・・。
 ジェイコブは、反対側のポケットから今までのツケ分のお金を取り出すと、コーヒーを待たずに席を離れようとした。と、店の主人がテレビのチャンネルを変える。ニュースの画面が現れた。
 最近よく見る総合病院を背景に、派手な化粧をしたレポーターが早口でまくし立てている。
『我々独自で得た病院関係者からの情報によると、連続爆弾事件の生存者、マックス・ローズさんは順調に快復しており、近いうちに退院できるようだとのコメントがありました。ローズさんは先の事件のショックにより、精神的ダメージを受けてしまったことは、これまでの報道で繰り返しお知らせしてきたことですが、今回得た情報によると、ローズさんの精神的な病は快復の兆しを見せ、今では医師や見舞いの方達との会話もできるようになっているとのことです』
 画面に、いつかの雑誌に掲載された『勇敢』な救出劇を繰り広げるヤツの報道写真が映し出された。その写真に、レポーターの声が被る。
『ローズさんはこれまで、ミラーズ社前で起きた2番目の爆弾事件の被害者救出を行い、それによって今回被害者のターゲットにされたとの見方がされてきました。私共を含め、C市市民の皆様からも、ローズさんの容態を心配する声が多く聞かれました。今回の情報は、病院側の正式なコメントではありませんが、事件解決の糸口さえ見られない中であって明るいニュースだと言えるでしょう・・・』
 ニューススタジオにカメラが戻っても、スタジオのキャスターでさえ馬鹿馬鹿しい笑顔を浮かべ「よかったですねぇ」などと陳腐なコメントを吐き出している。
 なんてことだ。全く、なんてことだ!!
 ジェイコブの固めた握り拳がブルブルと震えた。
 あの『女』が、正気に戻っただって?!
「ちょっと! そこ邪魔なんだけど?」
 ウェイトレスの重たい腰がボスンと当たる。
 ジェイコブはそのウェイトレスをギロリと見つめた。突如牙を剥いたジェイコブの陰な部分を垣間見たウェイトレスの口から「ひ!」と声が漏れる。
 ジェイコブは何も言わず、店を後にしたのだった。


 苛立った足取りだった。
 店の中で何かあったのか。
 ウォレスはジェイコブの後を追った。
 半月ほどの間、ジェイコブの生活をずっと監視していたウォレスは、ジェイコブの生活のリズムをほぼ掴んでいた。
 意外なことにジェイコブは、あれ以来ごく普通の生活を送り始めた。マックスを襲った時点で目的を達成したのか。それとも、ウォレスが目にした爆弾は、結局爆弾なんかではなく、ジェイコブが連続爆弾魔というのは思い違いなのか。
 第一完成した爆弾を肌身離さず持ち歩いているなんて、正気の沙汰ではない。些細な拍子に爆発する可能性だってあるのだ。
 ウォレスがまだアレクシスだった頃、彼は爆弾の専門家ではなかったが、ジェイクの作業をいつも傍らで見ていた。ジェイクの作る爆弾は配線もそつがなく仕掛けも美しいと仲間内で評判だった。ジェイクはそのおかげで、若手グループ内でどんどん頭角を現し、若き参謀アレクシスの立てる作戦の手柄も手中に収め、いつしか絶対的な力と影響力を持つようになった。ジェイクは自ら計画をたてるというより、自分の身の回りの人間を適材適所に据え、効果的に計画を進めることに長けていた。何も知らない頃のアレクシスは、いつもジェイクから「これは難しい謎々だ」と困難な暗殺計画のシナリオを考えさせられた。頭の回転が速いアレクシスは、必要最低限の情報をジェイクが与えるだけで、鮮やかな計画を立てて見せた。計画が成功すると、ジェイクが大喜びするのが嬉しかったからだ。仲間の間でカリスマ的な魅力を欲しいままにしていたジェイクが、自分だけに対して格別の喜びの表情を見せてくれる。イギリス軍との戦闘で父親を亡くしていたアレクシスの貧しい家庭を、困らないようにと金銭面で支えてくれたのもジェイクだった。
 ジェイコブ・マローンが人気のないところで時折いとおしそうに取り出すものは、明らかにジェイクが作っていた爆弾を連想させる代物だった。
 その中身が完成しているかどうかは分からない。ましてや、このひ弱そうな青年が巷を震撼させ、そしてウォレスの愛する人を手に掛けた男という確かな証拠はない。だが、ウォレスの身体に染みついた野生の感が、警報を鳴らし続けていた。
 何の確証もない確信。
 それは理屈ではなかった。
 ジェイコブの側にいれば、いつか尻尾を出す時が来る。
 そしてジェイクが現れる時が来る・・・。
 

 マックスの目の前を、珍しい羽根の色をした鳥が2羽仲良く互いをついばみながら跳ねていく。マックスの気分とはまるっきり逆な、陽気で爽やかな鳴き声を上げながら。
 ここのところまた南下してきた寒冷前線のせいで空気は冷たかったが、こうして陽の当たる中庭のベンチに腰掛けていると、太陽の光は意外に温かい。気候は温かくなったり冷たくなったりしながら、着実に希望の春へと近づいていく。
 それなのに、自分ときたら・・・。
 マックスは何度目かのため息を吐き出した。
 セスの友人・・・テイラーと面会してからどれだけ時間が経ったろう。
 事件直後は、自分がウォレスを救うんだとあれほど息を巻いていたのに、テイラーから見せられた写真と語られた事実に、意外なほどのダメージを受けてしまった。
 自分は、そんなことも十分覚悟していたのに、今回の事件が自分の心の奥底に与えた傷は、自分でコントロールすることができず、あの日あの時、暴れ始めたのだった。
 心を病んで話が出来ない、というのは確かにマックスの演技だったが、少なからずマックスは現実的に心に傷を負っていた。自分でも自覚がないまま、何かのきっかけで発作のように起きる精神の混乱。あの後、セスとテイラーの前で過呼吸に陥ってしまったマックスは、結局精神科医のビクシーの世話にならざるを得なかった。だがビクシーは、「そんなことは当たり前だ。君はPTSDを抱えてもおかしくないほどのショッキングな事件の被害者なんだから」と肩を竦めた。
 テイラーは、自分の行いが図らずもマックスを追いつめたことに酷く恐縮していた。あれから以後、何度か病院を訪れてくれるようになり、その都度謝罪の言葉を残していった。やはりセスの言う通り、彼は誠実な人間だった。そのことが分かっただけでも、良かったと言うべきだろうか。そういう人間が、ウォレスを雁字搦めにして苦しめている『ジェイク・ニールソン』を追いかけていることが分かっただけでも。
 セスもテイラーも、マックスの揺らいだ気持ちが落ち着くまで待ってくれると辛抱強く言ってくれた。ありがたかった。
 だが、その先に進むだけの力を出すことが出来なかった。
 最近では、ハドソン刑事が訪れる時も過呼吸が起きることがあり、閉口する。
 ビクシーは環境を変えて、自分が一番落ち着くところでゆっくりと静養した方がいいと薦められた。どうにかしてストレスを忘れ去るか乗り越えるかしないと、どんな薬を処方しても無駄だという判断だった。
 理性では、ウォレスを助けなければと思っているのに。
 時々言うことをきかなくなる自分の身体が呪わしかった。
 これまで、一人きりで何とかしなければという緊張感が、マックスを支えていた。
 だが、レイチェルやマイク、セスにミラーズ、そしてテイラーと協力してくれる人が増えてくるにつけ、気を張った感が薄らいできた。そのせいで、今まで押さえ込んでいた『弱さ』が現れてきたに違いない。
 自分もこの病院の救急治療室に勤めていた頃、そういう状況に直面した患者に数多く接してきた。程度は違うにしろ、かつぎ込まれた時は一種の興奮状態にあり、酷い怪我だというのに冷静な受け答えをしていた人間でも、家族が現れると途端に涙腺が緩む。丁度そんな感じなんだろうか。
 今朝方は病院の看護婦の友人と見られる人間がマスコミにリークしてしまったせいで、マックスが近々退院することが先走って報道された。またもや警察が謝罪せねばならない事態に陥った訳だ。犯人が捕まってない以上、マックスの身に危険が及ぶようなことは警察が押さえなければならない。本来なら、マックスの動向をマスコミが報道するのは酷く危険なことなのだから。
 今回の報道を受けて、ハドソンの対応は素早かった。二度目ともなると、さすがにメンツが気になるのだろう。あの報道を境に、ハドソンはマスコミに余計なことを流すなと半ば脅した状態でマスコミ各社に報道協定を結ばせた。マスコミ連中は明らかに不満顔だったが、マックスの命に関わることだからと詰め寄ると、渋々承諾をしたらしい。そもそも、最初から報道協定を結ぶ必要があったのだ。やはり警察の手際は悪い。
 この街は軽犯罪の多い都市だったが、こんなに大規模で世間を騒がせる連続事件を処理するのは、並大抵のことではできなかった。見せかけだけでも捜査本部に返り咲いたセスが言うに、現在C市警察署は蜂の巣をつついたような状態だという。事件の捜査はもちろんのこと、マスコミ対応、市民への対応もこなさなくてはならない。それに日常起こる軽犯罪や事故も減るわけではないから、大忙しだ。最近では、セスよりテイラーの方と会う回数が多い。
 マックスは、鳥のさえずりを聞きながら天を仰いだ。
 寒い空気は澄み切っていて、青空が眩しいくらいだ。
 一陣の風が、少し伸びたマックスの金色の髪をかき乱す。
 パジャマの上から羽織ったナイロン製のベンチコートの襟を掻き併せ、身体をふるわせる視線の先に、警官と言い争っている男の姿が見えた。
 長身で逞しい体つき。今年流行のツイード生地を使った分厚く長いコートの上からでも、男のスタイルの良さがはっきりと分かる。
 後ろ姿だけで誰か分かった。
 マックスはベンチに腰掛けたまま、警官に向かって手を振った。
 胸部の骨に入ったヒビはまだ完治しておらず、大声を上げるとさすがにまだ痛む。
 だが、マックスが手を振っていることに警官が気づいた。彼はマックスの身辺警護をするようにとハドソンからとりわけきつく言いつけられた若手警官だった。
 警官がこちらを向いたのを確認して、マックスは今だせるだけの声を上げて言った。
「彼はいいんだ。今日は友人として来てくれている筈だから。ね、そうでしょ、ミスター・ミゲル」
 マックスがそう言うと、マックスの方を振り返った男は、彼特有の南国を思わせる笑顔を浮かべ、それ見たことかと警官をかえり見た。
 例の一件が頭を離れない警官は、「しかし、この人は・・・」と言いよどんでいると、ミゲルは「今日は取材目的じゃない。テープレコーダーも持ってないし、今日話したことは絶対に記事にしないよ。うちもお宅の上司と報道協定を結ばされたからね。まったく、何度説明したら分かるんだ」と警官を指さした。
 自分の身長を超える伊達男に上から睨み付けられ・・・しかも相手は、テレビや雑誌でよく見るスター記者、マイク・ミゲルだ・・・さすがの警官も怯んでしまったらしい。
「ちょっとだけですよ。しかも、立ち会わせてもらいますから」と呟いて、とうとうミゲルを通すことになった。
「やれやれ、やっと直接会うお許しが出た」
 ミゲルは、先のレイチェルのことも引っかけながら嫌みを口にすると、マックスの隣に腰掛けた。
 南米の血を色濃く感じさせる肌とマスク。歯並びのいい口元が浮かべる笑顔は輝いている。久々に間近で見るミゲルの顔は、マックスの愛する人と全く正反対の美しさに溢れていた。
「今朝の全米ニュースで君が近々退院するほど快復してるって聞いてね。たまたまニューヨークにいてまとまった開き時間がとれたから、飛んできたよ。どう? 元気?」
 大きな濃いブラウン色の瞳にじっと見つめられ、マックスはわずかに笑顔を浮かべた。
「おかげさまで・・・」
 そう呟くマックスを見て、ミゲルはちょっと癖のある笑みを浮かべた。下から見上げるように、マックスを見つめてくる。
「・・・本当に?」
 ミゲルは、まるでマックスの心を見透かすようにそう言った。

 

Amazing grace act.95 end.

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編集後記

今回は久々に早い時間の更新です。思えば、ストックがあった頃は、こんな感じでちゃんちゃんと更新できてたのよねぇ~・・・と遠い目。
今回は、ミゲルくんが再登場です。やっと(汗)。
予告でちらりと名前が出てましたが、見事私にぶっちぎられて、全く出番のなかった彼。マックスが、弱虫コムシになっている時に現れるのがミソ(笑)。なぜか、そういうタイミングが分かっている男。もう狙っているとしか言えない。←当たり前だ。書き手がそういう方向に持っていってるんだから。
ウォレスとは正反対のフェロモンをまき散らすラテン男の手腕はいかに?!

[国沢]

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