act.53
マックスが重たい頭を引きずってようやく目を覚ますと、案の定部屋にはマックス一人きりだった。
マックスは溜息をつき、枕に突っ伏す。
昨夜、ミゲルがウォレスに電話をかけてきたというところまでは覚えているが、あとのことは記憶がひどく断片的で覚えていない。
自分は何か余計なことを言ったのではなかろうか・・・。
マックスはそう思ってガバリと身体を起こした。
時計を見る。
早朝六時半。
ひょっとすれば、今からウォレスの家に行けば、一緒のベッドで朝を迎えることは適わなかったにしろ、寝顔ぐらいは見れるのではないかと思い立った。
30を目の前にして、何をバカなことをやっているんだとレイチェルに怒られそうだったが、好奇心という名の欲望には勝てない。
マックスは手近にあったセーターとジーンズに着替えると、取るものも取りあえず部屋を飛び出した。
幸運なことに、昨夜はウォレスも酒を飲んでいたと言うこともあって、ウォレスは車をマックスの家の前に置いてタクシーで家に帰宅したらしい。ウォレスの車の鍵は以前休みの日には自由に車を使っていいというウォレスの計らいあって、合鍵を作ってもらっていた。
車をジムに届けるだけだから・・・とかなんとか自分の心に言い訳しながら、マックスは二日酔いで重い頭を押えながら車を飛ばした。
いくらウォレスでも、昨日あんなに飲んでいたのだから、休みの日にはゆっくりベッドで睡眠を貪っていることだろう。仕事は一段落したと言っていたし、まだ寝ている可能性は十分にある。
ウォレスの家の前にマックスが車を路上駐車したのが朝の7時過ぎ。ドアをノックすると、休日だというのに制服姿のシンシアが出てきた。
「あら、マックス。おはよう。・・・どうでもいいけど、その顔どうしたの? ひどいくまが目の下に出来てるわ」
シンシアは顔を露骨に歪めながらも、マックスを家に招き入れてくれる。
「こんな朝早くにすまない。お父さん、いる?」
「ええ。まだ寝室よ。昨夜遅くに帰ってきたから、まだ寝てるんじゃないかしら?」
マックスは、シンシアの台詞に密かにガッツポーズをすると、「悪いけど、寝室がどこか教えてくれるかい?」とシンシアに頼んだ。もちろん、マックスの狙いを知らないシンシアは、首を捻りながらマックスを父親の寝室まで案内した。ウォレスの寝室は、2階の階段を上がってすぐの白いドアで、そのドアをノックしようとするシンシアの腕を、寸前のところでマックスは掴んだ。
「なに?」
「いきなり叩き起こすのも悪いから、後は俺が」
「・・・分かったわ。ねぇ、マックス。朝食食べて行くでしょ? 今日はサマンサさん休みだから、私が朝食当番なの。おいしいのをご馳走してあげる」
「そりゃ、いいや。楽しみにしてるよ」
普通の声でしゃべるシンシアに、声を顰めて答えるマックス。どこから見ても正常な会話には見えない。シンシアは、再び首を捻りながら、階段を降りていった。
マックスはドアの前で一呼吸おくと、そろりとドアを開けた。
まだカーテンの引かれた薄暗い部屋。ベッドの端が見え、しめしめとマックスが思った時である。
「こんな朝早くにどうした」
またも背後で声がして、マックスは昨日の秘書室前でしたのと全く同じ反応をして見せた。つまり、飛び上がるほど驚いたのである。
そこには、昨日の酒も残っていない様子のウォレスの顔があった。しかも、パジャマ姿でもなく、白いシャツに黒のスラックス姿だった。
「・・・ジム・・・。おはようございます・・・」
野望を見事砕かれたマックスは、そこに倒れ込みそうになるのを必死に我慢して、ようやくそう答えた。
「昨夜はかなり酒に参っていたようだけれど。大丈夫かい? その様子だと、記憶がないんだろう」
ウォレスにそう指摘され、マックスは渋い顔をしながらも頷く。ウォレスが「仕方がないな・・・」と笑みを浮かべながら寝室に入り、カーテンを開けると、まぶしい朝の光が寝室内に差し込んだ。そのまぶしさに、マックスが一瞬目を細める。
ウォレスは窓の外の車に気がついたようだった。
「わざわざ車を届けてくれたのか。それにしてもこんなに朝早くでなくてよかったのに。ありがとう。気を使わせたね」
ウォレスにそう言われ、マックスは益々バツが悪い。自分の好意の下には邪な思いがあったからだ。
「それにしてもひどいツラをしているな。朝風呂でも入ってしゃっきりしてから家に帰るといい」
皺のついたベッドをきれいに整えながら、ウォレスが言う。
ウォレスの寝室は、とてもシンプルだった。無駄なものがひとつもない。ともすれば、ホテルの寝室と間違えそうである。グレイのカーペットに、白のシーツが掛けられたベッド。ベッド横のサイドボードには、趣味のいいライトと読みかけのヘミングウェイの本。ベッドの向かいにはもうひとつドアがあり、どうやらそこは小さなウォークインクローゼットに繋がっているようだった。
ウォレスの寝室を見れただけでもよしとするべきか・・・。
マックスは、溜息をひとつついて、ウォレスの後に続いて寝室を出た。
「家でゆっくりしていってもいいが、午後に出社しなければならないんだ」
階段を降りながら、ウォレスが相変わらずつれないことを言う。
「え? 契約の準備はもう整ったんじゃないんですか? 今日は完全にオフって思ってました・・・」
「そうもいかないんだよ」
階段上のマックスを見上げて、ウォレスがシニカルな微笑みを浮かべる。
「朝御飯できたわよ!」
シンシアの声が、奥のダイニングキッチンから聞こえてくる。変に気まずくなっているマックスを促すかのように、ウォレスが首を捻ってキッチンの場所を指し示した。
「本当に、どうしたの? 何でこんな朝早く来たの?」
シリアルを食べながら、シンシアが盛んに訊いてくる。マックスの向かいに座るウォレスは、新聞に目を落としたままマックスの顔も見ようとしない。流石にマックスも、「君のお父さんの寝顔をどうしても見たかったから」とは言えなかった。マックスは顔を赤くして、ただひたすらスクランブルエッグを口に頬張った。
顔を赤くしながらも何も答えないマックスと何食わぬ顔をして新聞を読む父親を見比べて、シンシアは次にこう切り出した。
「パパ達、つきあってるの?」
マックスが、卵を皿の上に吹き出す。マックスはゴホゴホと咳込んだ。一方、ウォレスは、新聞を見つめたまま、平然とこう言う。
「ああ。つき合っている」
この台詞に、マックスは益々顔を赤らめた。
「ウォレスさん!」
マックスは、声を荒げて言った。ウォレスは、この期に及んでまだ「ウォレスさん」と呼ぶマックスが気になるのか、やっと新聞を畳んでマックスを見た。
「二人だけの時はジムと呼んでいるじゃないか?」
「二人だけじゃないじゃないですか!」
「シンシアは、私の娘だ。別に気兼ねする必要はない」
「そりゃしますよ! いくら娘だからって、娘だからこそ・・・!」
マックスは、何とかこの場をごまかそうとしているようだが、確実に逆効果の泥沼にはまっている。それは、若いシンシアが見ても明らかだ。シンシアはそんなマックスを見て、「ふーん」と鼻を鳴らす。
「セックスもしてるの?」
自分を落ちつかすためにコーヒーを飲んでいたマックスは、シンシアのその一言に、コーヒーを気管に詰まらせる。マックスは、席を立って苦しそうに再び咳込んだ。だが、ウォレスの方はいたって冷静で、テーブルの上に頬づえをついて笑顔を浮かべながら娘の質問に答える。
「ああ。してる」
「ジム!」
最早マックスの狼狽えぶりは、二人にとって蚊帳の外だ。父親のあっけらかんとした答えに、その娘は小悪魔的な笑みを浮かべた。
「で、どっちが女の人の役してるの?」
「あっち」
ウォレスは、マックスを顎でしゃくる。
「ふーん・・・、そうなんだ。で、気持ちいいの? 男同士って」
「ああ、もちろん。愛があるからね」
ウォレスにしては珍しく、やんちゃ坊主のような表情を浮かべて、赤面しそうな台詞をさらりと言う。あまりにあっさりと親に答えられたせいか、シンシアは返って清々しい顔をして溜息をついた。
「あ~あ。なんだかそうはっきり言われちゃうと、攻撃する気もなくなっちゃうわ」
ウォレスが満面の笑みを浮かべる。
「そうだろう。お前の性格ならそうだろうと思って、敢えてそう答えてみた」
「ハッ。やっぱりパパには適わないや。ごちそうさま」
「どういたしまして」
シンシアはケロリとした顔で、グラスに残ってるオレンジジュースを飲み干すと、食器をキッチンに運んだ。
「パパ、食器洗っておいてね」
「ああ」
「いってきます。・・・マックス、できたら私が帰って来るまでお家にいてね。今日は学校で創立記念パーティーの最終打ち合わせがあるだけだから、お昼には戻ってくるわ。買い物につき合ってほしいの」
シンシアが、マックスの首に巻き付きながら、その唇に軽くキスをする。マックスはすっかり放心状態で、目を丸くしてシンシアを見た。その向こうで、呑気な声を上げるウォレス。
「おいおい」
「いいじゃない。たまには貸してくれたって。だってマックスと一緒に歩いてると、皆が振り返るのよ。気分いいんだもの。じゃ、マックス、約束よ。いってきま~す」
シンシアは、屈託のない笑顔を浮かべてマックスに向かって手を振る。マックスは、呆然としながらも、緩く手を振り替えした。しかしそれが精いっぱいだった。
玄関のドアが閉まる音がする。
マックスは、酷く疲れた顔をして椅子に座った。
しかし、何て開けっぴろげな親子だろう。親のゲイ発言にもケロリとした顔で、冗談まで言える娘。流石ジム・ウォレスの娘だけある。一筋縄ではいかないようだ。
「すまないが、マックス。午後、シンシアにつき合ってやってくれないか。例の事件は片付いたらしいが、やはり心配なんだ。なるだけ娘を一人で行動させたくない」
またいつもの思慮深いウォレスに戻って、彼が言う。
マックスは、さっきの会話のショックから抜け出せないまま、コーヒーを飲んだ。
「本当に、あんなにはっきりと言っちゃってよかったんですか?」
マックスが躊躇いがちの目線をウォレスに向ける。ウォレスは、薄い笑みを浮かべた。
「シンシア自身が感づいたんだ。今更、隠すようなことはしたくない。マックス。私たちは、君のお陰で今ようやく本当の親子として歩き始めている。何でも話し合えば解決がつくとお互いがやっと分かることができたんだ。私は娘に隠し事はしたくないし、娘だってコソコソされるのは嫌だと言った。勿論、私がシンシアに対する気持ちも同じだと彼女は理解してくれている。極力隠し事はなしにしていこうと二人で約束したんだ。私は君を愛しているし、その気持ちには偽りはない。昨夜君は私に愛されている証拠が欲しいとそう言った。君も知っての通り、私はあまり表情を表に出さないし、自分の感情を言葉で伝えるのも不器用ときている。だが、私も君のことを大切に思っているし、その気持ちは君の想いの強さと代わりがないと信じている。こんな言葉でしか、君への想いを伝えられないのは申し訳ないと思うが、どうか分かって欲しい」
ウォレスが、マックスに面と向かって愛していると言ったのはこれが初めてだった。今まで、マックスは、ウォレスが自分のことをどう思っているかがよく掴めなかった。もちろん、愛しているだの好きだだの、そんなこと四六時中言うような人間ではないことは重々分かっていることであったが、マックスに不安がなかったといえば嘘になる。自分のような人間が、あのジム・ウォレスのような男を独り占めできているなんて、正しく夢物語だった。
今までとは別の意味で、何も言えなくなっているマックスの髪をくしゃくしゃとかき混ぜて、ウォレスは席を立った。
「風呂の準備をしてくる。今朝の君は、少し酒臭いし髪も汗で汚れてる。大人しく風呂に入るんだぞ」
まるでマックスの父親のような口振りでウォレスが言った。マックスが顔を上げる。ウォレスは、マックスに背を向けたまま、ダイニングキッチンを出ていった。
マックスは、ズズズと鼻を啜りながら指で鼻の下を擦った。
ウォレス家の風呂は、ここだけが贅沢な作りになっていた。
ウォレスは案外長風呂好きなのだろうか、広いバスルームにはレコードプレーヤーまであった。
マックスは、広いバスタブに身体を埋めた。バスタブも普通の家庭にあるものより若干深いようだ。マックスぐらいの身長でも足がゆっくりと伸ばすことができ、少し身体をずらせば肩まで湯船に浸かれた。
マックスは、深い溜息をつく。
自分は何て浅はかだったんだろう・・・とマックスは思った。
ウォレスがマックスと朝を迎えないのは、自分自身に安らぎを感じて貰えていないんだとばかり思っていた。二人の間には、まだ愛が足りていないと。自分がいつも追いかけるばかりで、ひどく不釣り合いな気がしていた。
マックスは、きれいに整頓されたアルミ製のラックに目をやる。きれいな色の液状バスソープが置いてある。ラズベリーの香りと書いてあるところを見ると、それはどうやらシンシアのものらしい。マックスは、その下にある真っ白い石鹸を手に取った。両手で包んで香りを嗅ぐと、ウォレスの身体から微かに匂うのと同じ香りがした。マックスは、そっとその石鹸を泡立てる。
一瞬、ウォレスに身体を包まれているような気がして、また胸の奥がツンとなった。自分は、ウォレスとつきあい始めてから、ひどくセンチメンタルな男になっているとマックスは思った。
いつもウォレスに抱かれているせいで、やはり女性化しているせいかもしれない。いや、人間誰でも恋に落ちれば、男女を問わずロマンチストになるものなのだろうか。まさにマックスは、ウォレスに恋をしていた。マックスのこの気持ちは、愛情というよりは恋心に近い。ウォレスの一喜一憂にマックスの心も揺れる。
ジムがいない人生なんて、考えられない・・・。
急にたまらなくウォレスが欲しくなった。涙が出そうになった。
と、バスルームのドアがノックされる。マックスが返事をすると、ドアが開いた。優しげな笑みを浮かべるウォレスが立っていた。
「いい眺めだな。・・・お世辞抜きできれいだ。濡れた髪をした君は」
「・・・ジム・・・!」
「そんなに不安そうな顔をするんじゃない。私はここにいる」
バスタブの縁に腰をかけるウォレスをマックスはひたむきに見上げる。
「愛しています、ジム。本当に、心の底から・・・」
ウォレスが唇を併せてくる。マックスは、服を着たままのウォレスをバスタブに引き入れた。
「マックス!」
「俺を不安にさせた罰です」
二人は顔を見合わせて笑った。本当に幸せな一時だった。
Amazing grace act.53 end.
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編集後記
木蓮の季節ですねぇ。いやぁ、いいですなぁ。あの花は。香りもいいし。国沢、白い花が大好きで、自分にガーデニングの才能があるとしたら、一面白系の花で埋め尽くして、ホワイト・ガーデンを作りたいです。・・・無理だけど。
なぜかむしょうに白い花に惹かれちゃうのは、清潔感があるからでしょうか。花の種類にもよりますが、あの毅然とした感じがいいのかなぁ。皆さんは、どんな花が好きですか?
人間気持ちに余裕がないときは、花を見るといいらしいですよ。
(と己にむけて言っている国沢です)
[国沢]
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