act.91
事務所の上に無造作に放り出されたままの履歴書に、紛れもないジェイク・ニールソンの顔を見いだしたウォレスは、あまりの動揺に危うく驚きの声を上げそうになり、自らの口を右手で覆った。
脳裏に血塗られた恐ろしい過去が、まるでこぼれ落ちるように溢れ出てきた。
未だに身体は、彼から与えられた痛みを覚えており、その両手は意に反してブルブルと震えた。
ああ、なんてことだ。
やはりあのマローンという青年の背後には、悪魔に見いだされたあの男が立っていたのだ。
ウォレスは、恐怖を心の外に押しやりながら、焦った足取りでマローンが消えたロッカールームへと急いだ。
ドアはしっかりと閉められていたので、中の様子を伺えない。
ウォレスは周囲を見回すと、廊下の天井の片隅に排気口を見つけた。
人が居ないことを確かめ、廊下の壁に置かれたロッカーによじ登ると、排気口のカバーのネジを飛び出しナイフで外し、素早い動きで排気口の中に身体を滑り込ませた。
このようなことをするのは随分と久しぶりだったが、いやでも身体に染みついているらしく、ウォレスが考えるより先に身体は適切に動いた。自分は根っからこういうことに向いているらしいと自己嫌悪に陥るほどに。
ウォレスは、音も立てずに排気ダクトを這いずって、ロッカールームの上部に辿り着く。
中を覗き込むと、丁度マローンが自分のロッカーの鍵を開けたところだった。
ロッカールームは、遅れてきたマローンの他には誰もいない。
マローンが本革のジャケットを脱ぐと、凍り付くほど恐ろしい、血みどろのシャツが現れた。
マローンはそんなこと対して気にしない様子でシャツを脱ぎ、デニムのまるで囚人服のような青い作業着に着替えた。どす黒くなったシャツやジャケットは彼のロッカーに押し込まれる。
その淡々とした様子が、不気味だった。おそらく彼は、ロッカールームに同僚がいたとしても、今のようにジャケットを脱ぎ、何食わぬ顔をしてシャツを着替えただろう。
やはり彼はもう、正気ではない。
一体彼は、どこで誰を殺してきたのか・・・。
もしそれが、ジェイクだったら。
そんな思いがウォレスの脳裏に浮かんだが、すぐにその考えはうち消した。
そんははずがない。ジェイクは、こんな青臭い男に殺られるような男ではない。
ジェイクは一体、どういう方法でこの街まで逃げ延び、どうしてこの男と出会うことになったのか。そして今、どこでどういう風に呼吸をしているというのか・・・。
作業着に着替えたマローンは、ロッカーのドアを閉め、出入り口に向かった。
ウォレスもそれに併せて身体を引こうとしたが、マローンがふと足を止めたので、ウォレスもそこに止まった。
マローンは作業着のポケットを探り、ぱっとロッカーを振り返った。『しまった』といったような人間的な表情を浮かべると、ロッカーの鍵を開けに戻る。
何だろう・・・。
血みどろのシャツをここに置いておくことがまずいとやっと気づいたのか。
マローンは慌てた様子でロッカーを開け、中を探っている。
ウォレスがいる角度からは、マローンがロッカーの中で何をしているのかは伺いしれない。
ふと、マローンの動きが止まった。
そしてこれまでとは打って変わって、慎重な手つきで何かを取り出す。
「いい子だ・・・。置いていったりしてごめんよ」
マローンがそう呟きながら、恍惚の表情で見つめたそれは、紛れもなく真新しいお手製の爆弾だった。
翌日の朝早く。
マスコミが姿を表すより先に、セント・ポール総合病院の前に数台のパトカーが横付けされ、その威圧的な雰囲気にその場にいた誰もが怯えた表情を浮かべた。
マイク・モーガンがそのことを知り、マックスの病室に転がり込んできた頃には、私服警官が病院の受付まで乗り込んできていた。
「大変だ! 相手は大勢で乗り込んできたらしい。きっと昨夜来たお前の友人とやらが、上司に報告したんじゃないのか? どうする?!」
荒い息を吐きながら、マイクがマックスに詰め寄る。
「事の次第によっちゃ、警察を欺いたってしょっ引かれるやもしれないぞ」
マイクはすっかり怯えた様子で、完全に動揺していた。
「マイク・・・」
マックスの言うことに耳を傾けもせず、マイクは病室にあった丸イスを持ち上げ、病室の入口に立ちはだかる。
「お前を絶対にあいつらに渡したりなんかしないからな。安心しろ」
ドアが開いた瞬間にイスを振り下ろすつもりなのか、そんなマイクに安心など出来るはずがない。まるでホームランを狙いながらバッターボックスに入るような勢いのマイクにマックスは顔を青くした。
「落ち着けよ、マイク! そんなことしたら、お前が変わりにしょっぴかれる」
「だって、マックス・・・」
「マイク」
マックスがマイクを睨み付けると、彼は渋々イスを下ろした。
「俺は犯人なんかじゃないんだ。相手だって無茶はしないよ。彼らは調書を取りに来ただけだ」
マックスが穏やかに言う。マイクは不安が隠せない様子で、落ち着き無く手をこすり合わせた。
「だって、昨日の今日だぜ? 昨夜お友達だっていうあの警官に話をした途端、翌朝には警察が大挙して押し寄せてきた。あいつが告げ口したにちがいないだろうう?! 言及されるぞ、何もかも。いいのか?」
「セスがそう決めたのなら、それに従うしかないさ。彼は誠実で優秀な警察官だ。彼がそう判断したのなら、それが正しいということだ」
覚悟を決めたようなマックスの表情に、マイクは苛立ったようにベッドの端を叩いた。
「じゃ、ウォレスさんのことはどうするんだ?! 彼が何者か知られれば、彼だって追われる身になるんだぞ! お前、それでもいいのか!!」
マックスは、唇をかみしめた。
さすがに言い返す言葉が見つからなかった。
自分は、賭に負けたのだ。
セスに、自分の思いは伝わらなかった。
やはり軽々しく、セスにジムのことを話すべきではなかったのか・・・。
そう思うマックスの耳に、精神病棟の入口の扉が開く音が届いたのだった。
Amazing grace act.91 end.
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編集後記
新年一回目の更新でございます。
シーンの切りが悪くて、短くなっちゃいました(汗)。ごめんなさい。
あっという間に新年三が日が終わっちゃいましたが、皆さんどのようなお正月を過ごされました?
なんだか年をとると、今いち正月気分から遠ざかるのでしょうか。今年国沢は、あんまり正月って感じがしませんでした。って、サイトリニューアルしてたせいかな。ずっとパソコンの前に座ってましたね(笑)、そういや。
これから新しい年が始まります。皆さんにとって実り多い年になりますように。
今年もイレギュラー・エー・オーをよろしくお願いいたします!!
[国沢]
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