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act.18

 マックスが社内にあるカフェテリアに向かうと、待ってましたとばかりに厨房のおばさんがカウンターから顔を出した。
「今日姿が見えないから心配してたのよ!!」
「すみません」
 マックスが苦笑いで答えると、「あんたが来ないと、寂しいんだから」といいながら、彼女はマックスに今日のスペシャルメニューが乗ったトレイを渡した。
 マックスがまだ来てないからと、態々取り置きしてくれていたものだ。
 スクランブルエッグにマッシュポテト、チキンとハーブをグリルしたものにルッコラのサラダとフルーツが添えられてある。それにコンソメスープとアップルジュース。
「あ、待って! チキン温めなおしてあげるから」
 トレイを持って席につこうとしたマックスを追いかけて、ひょいと皿を取ると、おばさんは厨房に消えていった。サイズからは、ここ数週間の間に「熟女キラー」というありがたくない称号をもらったが、実際にマックスは、若い女子社員にはもちろんのこと、オールドミスの女性陣からも注目を浴びていて、嬉しいのやら悲しいのやらといったところである。どうやら保護欲が掻き立てられるらしく、いろんな人がいろんな風にマックスを気にかけてくれる。
 マックスは、中庭が望める窓際の席に座って、呑気にジュースを口に含んだ。
 会社に来てから少しバタバタとしてしまったので、ちょっとぼんやりしてしまう。
 ふと頭にコートの手触りが浮かんで、マックスは顔を赤らめた。
 参るよな・・・・、ホント、ああいうのは参るよ・・・。
 バカみたいに、何度も何度も心でそう繰り返した。
 不意打ちの優しさは、胸が苦しくなる。あんな感じで見せられると、特に。
 以前の不必要に勝気なマックスなら、「変な施しは受けない!」と突っぱねるところだが、今回はそうもいかない。
 正直、本当に嬉しかったのだ。ここのところ、コートがなくて閉口していただけに、余計身に染みて。
「何にやけてるの?!」
 チキンの皿を持ってきたおばさんに背中を叩かれ、マックスは飛びあがらんぐらいに驚いた。
「にやけてませんって!」
 皿を受け取りながら抵抗してみるものの、おばさんは聞く耳を持ってくれない。
「どこかの美人さんのことを思い起こしてるんじゃないの? この会社にはきれいな娘が多いからね。あんた、お嫁さんが決まったら、真っ先にアタシに言うんだよ。自慢じゃないけどアタシの旦那さん、腕のいいケーキ職人だから、ただでウエディングケーキ作ってもらうから!」
 あははと笑って去っていくおばさんに目を白黒させながら、念のため「違いますよ! そんなんじゃないです!」と言っておいたが、耳に入っているかどうかは分からない。
 変な噂が流れなきゃいいけど・・・。
 マックスはそう思ってみたが、所詮は無駄であろうと思い直した。
 半分諦めの気持ちで再び中庭に身体を向けて、ドキリとする。
 ガラス張りの廊下の向こう側。開発部のある廊下を、エリザベス・カーターと共に歩いていくウォレスの姿が見えた。開発部のチーフ、エマ・ジャクソンに呼び止められて3人が立ち話を始める。
 何か難しい話をしているのか、マックスの位置から見えるウォレスの横顔は厳しい。口元に右手を持っていきながら、ジャクソンの言うことに頷いている。
 高い鼻梁。思慮深く蒼い瞳。今日のウォレスの髪型はいつもに比べて少しラフだ。髪の毛は豊かで黒々としているが、光の加減で少しシルバーも見える。相変わらず暗い色のスーツは、最も効果的にウォレスの身体の線を活かしていて、成熟した男が持つ独特の存在感を醸し出していた。逆に、ウォレスに着られることで、スーツが引き立っているようにも見える。
 美しい横顔だ、とマックスは思った。
 威厳のある凛とした美しさ。それは教会の中に差し込む荘厳で穏やかな光にも似て。
 どれぐらいの間、そうやってウォレスの立ち姿に見とれていただろう。
 ふいにウォレスが体勢を変えた。
 その拍子に、ウォレスがマックスに気がついた。
 彼は、一度チラリとマックスに目を向けて、ハッとしたように再びマックスの方に目線を向けた。
 一瞬、マックスとウォレスの視線が合った。
 その瞬間。
 マックスは、ガタリと席を立ち上がり、カフェテリアを飛び出して、バタバタと慌しく近くのトイレに駆け込んだ。その慌しさに先客の男子社員がぎょっとするのも構わず、バタンと個室に立てこもる。
 大人気ない・・・・、こんなのまったく大人げがないじゃないか・・・・。
 本当なら、コートのお礼を言うべきだった。
 あそこで軽く挨拶をしておいて、ウォレスのもとまで行き、一言「ありがとうございました」というべきだ。それが礼儀というものだろう。
 そんなことは十分に分かっていた。分かっているけれども、でも・・・・。
 マックスは、男子社員が外にいるにも関わらず、「うわぁぁぁ!」と叫び声を上げた。
 せっかく苦労してセットした髪を、ぐしゃぐしゃに掻き毟った。
 そこがトイレであることも忘れ、蹲る。
 ドキドキしていた。今も身体が震えている。
 ウォレスと目が合った一瞬。あの時、ウォレスの目だけが微笑んだ。マックスにだけ分かる程度に。その微笑みは、マックスの気を惹こうというような邪な笑みというよりは、マックスが出社していることを確認できてほっとしたというような、ウォレスらしからぬ気の抜けた笑みだった。
 もう逃げることができない。自分の気持ちから。
 こんなに身体は正直に反応している。全身が、「マックス・ローズは、ジム・ウォレスのことを愛しているんだ」と訴えている。
 胸が苦しすぎて、まともに息ができない・・・・。
 例え自分が医者であろうと、こうなってしまえば、身体のコントロールが利かなくなる。
 どうしよう、どうしよう、俺・・・。
 本当にマックスは、どうすればいいか分からなかった。
 自分が、同じ性の人間に恋をしていること自体が信じられない。そしてそれが、押えられない感情であることも。
 こんなことは、過去あんなに愛したメアリーの時さえ経験しなかった。
 本当に、これからどうしたらいいんだろう・・・。
 「ローズ先生、大丈夫ですか?」とドアをノックする声にも応えることができないまま、マックスはしばらくそこから動くことができなかった。


 「どうしたの? ジム」
 エリザベスにそう言われ、「ん?」とウォレスは視線を戻した。
 エリザベスもエマも、共に不思議そうな顔をしていた。
「何か、気になることでも?」
 怪訝そうに顔を曇らせるエリザベスに、ウォレスは手を横に振った。
「いや、何でもない。ただ、その素材の在庫状況が少々気になってね。現在は役所関係で環境に配慮した紙の導入が大々的に行われ始めている。その為、同じ原料とするものは、あらゆるものが品薄になっているはずだ。繊維としては十分期待をかけていいと思うが、生産が追いつかない素材だけを頼りにするのはどうかなと思う・・・」
 そう言って言葉を濁すウォレスに、再びエマとエリザベスが話を進めた。
「分かったわ。ちょっと他の素材についても探ってみることにする」
「エマ、秘書課がでしゃばることではないかもしれないけれど、こちらでもちょっと調べさせてみるわね。企画管理部にも声をかけておくわ。対外的なネットワークは、どちらも開発部よりずっと深くて広いから」
「そうね。お願いするわ。企画管理部の担当者が決まったら、教えてくれないかしら。何かとこちらの注文も直接伝えておきたいわ」
「もちろんよ。これでいいわね、ジム?」
「ああ。企画管理部は、とにかくまずバーンズに声をかけるようにしてくれ。この件はビルの耳にも一応入れておくようにする」
 エマがにっこり笑って、セキュリティーの厳重な開発部のドアの向こうに消えていく。
「さ、急がなきゃ。ケリガン上院議員は待たせるとうるさいから。先に上がるわね」
 社長を捕まえに行くエリザベスに軽く手を振って、ウォレスは自分でも驚くほど大きな溜息をついた。
 どうやら、本格的に嫌われたらしい・・・。
 先ほど、酷く動揺して席を立ったマックスの悲壮感漂う姿を思い出しながら、ウォレスは眉間を指できつく押えた。
 コートを置いてきたのも、余計なお世話だったのかもしれない。
 入社してからしばらく、コートもなしで会社に来ているマックスの姿を見かけるにつけ、寒そうだといつも思っていた。しかしマックスもコートを一向に新調しそうにないので(ひょっとしたら、スーツの纏め買いと引越しで一文なしになっているのかもしれない)、どうせ2つあるんだからとカシゴラのコートを医務室に届けた。元々、あのローレンスの酒場の一件でマックスにあげたも同然のつもりをしていたので、ウォレスにしてみればどうってことないことだったが、嫌っている相手から毎日自分が身に付けるものを貰うのは、正直言って気分が悪いだろう。
 自分はまるで、気のきかない中年オヤジのようだ・・・。
 ウォレスはそう思っておいて、事実自分が年齢的にそういった域に達していることに気がつき、人知れず苦笑いしたのであった。


 「ローズ先生、大丈夫ですか?」
 トイレの個室のドアを叩く若い社員の心配げな声に、マックスはようやく重い腰を上げた。まだ動悸は激しかったが、声に出して叫んだら、大分落ち着いた。
 ドアを開けると、眉を八の字にした若手社員がいた。マックスはにっこり笑う。
「便秘なんだ」
「あ~・・・」
 ほんの冗談のつもりだったが、本気で捉えられたらしい。(もっとも、あんなに大きな声で叫ばれると、それに見合う理由が欲しくなるものだ)
「大変ですね」
 心底同情した表情で若手社員がそう言った時、低く唸るようなドーンという音の後に、ビリビリと建物が少し揺れた。
 思わずその若手社員と顔をマジマジと見合わせる。
 ガス爆発?!
 若手社員が呆然としているのを置き去りにして、マックスはトイレを飛び出した。


 案の定、ミラーズ社のロビーは騒然となっていた。
 だが、マックスが見るに、社内で爆発が起こった訳ではないらしい。
 皆、一様に外を見ていた。
 マックスが、まどろっこしい回転ドアを潜ると、ミラーズ社の斜め向かいの道路。木の陰越しに炎が上がっているのが見えた。
 マックスが歩道に駆け下りようとするところを、ロビーに取って返すサイズとぶつかる。
「あ! 先生! 車だ、車が燃えてる!!」
「中に人は?!」
「よく分からない、とにかく消防に電話する! 木に燃え移ったらことだ!!」
 道路を渡ろうとするマックスの背中に、サイズの「先生、危ないぞ! また爆発するかもしれない!!」という声がかかったが、そんなことに構っていられなかった。
 ER時代の、あの研ぎ澄まされた感覚が蘇ってくる。
 現場には、けが人がいるかもしれない。
 突然の車の炎上に、前の道路を通行していた車の何台かが玉突き事故を起こしている。
 だが、ぶつかり合っている車の様子からして、大したことはなさそうだ。
 それよりも、燃えている車の方が気になる。
 完全に交通がシャットアウトしている車道を渡って、マックスは車へと走った。逃げ惑う人々にぶつかりながらなので、思うように進めない。人の身体越しに、道路に倒れている人間の影が目に入った。ひっくり返った状態で派手に燃え盛る車からの熱風をジャケットの裾でなんとか受けながら、倒れこんだ男の元へと滑り込む。
 マックスは思わず息を飲んだ。
 この人は、車の中に乗っていたに違いない。
 車のシートに座っていた状態のまま、後ろからの爆風で前に投げ出されたらしい。
 身体の前面、主に頭部にはフロントガラスの細かい破片が突き刺さり、背面は赤黒く焼けただれている。
「おい! おい!」
 マックスは男に声をかけた。男は低く唸り声を上げている。
 マックスは躊躇いもなく男の身体を抱き上げると(抱き上げる時も、身体が酷く硬直していて、椅子に座ったかっこうのままだった)、安全と思われる場所まで後退した。とりあえず男の身体を横向きに横たえる。できるだけ、熔けた皮膚と道路面を触れさせたくなかった。
 戦慄く男の口にハンカチを巻いた指を突っ込んで、気道を確保する。
 指を引き抜くと、ハンカチがどす黒く変色していた。体内からも出血してる・・・。
「しっかりしろ! 気をしっかりもって!!」
 焼け残っている男の胸元を肌蹴させ、心音を確認する。
 しかし既に、男の心音はマックスの耳に届かなかった。
 男の口から、「ひー・・・」という息が漏れる。
 マックスが顔を上げると、ガラス塗れで真っ赤になった男の顔面から、表情がなくなっていた。
「先生! 救急車、呼んだけど」
 気づけば、サイズが帰ってきていた。マックスは身体を起こすと、自分自身血まみれの状態のまま振り返った。
「彼にはもう必要がないよ・・・」
 マックスは腕時計を見る。
「午後3時14分・・・」
 マックスはそう呟いて、大きな溜息をついた。弱々しくその場にしゃがみこむ。
「先生、大丈夫か?」
 マックスは2回頷いて、サイズに少し微笑んで見せた。
 その向こうで、勇敢な男たちが、方々から車に水をかけ始めている。消防車のけたたましいサイレンも聞こえてきた。
「他にけが人がいそうかい?」
「いや、衝突した車に乗ってたやつらが少し怪我をしているが、大丈夫そうだ。その他には特にいない。車が爆発した時、たまたま側に誰もいなかったんだ。店のガラスが割れるようなところもなかった。爆発にびっくりしてひっくり返ったおばあちゃんも、今はうちのロビーのソファーで休んでいる。そっちも大丈夫だ」
 サイズはロビーのガラス越しに一部始終をよく見ていたのだろう。サイズの現場把握はしっかりしていた。
 そうこうしていたら、消防車が到着した。少し遅れて、救急車も数台到着する。
 血まみれのマックスの姿をみて、救急隊員が駆け寄ってきた。肩をつかまれる。
「この血は僕のじゃありません。彼はもう、亡くなっています。おそらく、内臓がやられているか、ヤケドしたことによるショック状態か・・・。詳しくは、調べてみないと」
 隊員の一人がマックスの前に横たわっている男の身体を調べる。同僚と視線をあわすと、首を小さく横に振った。
「あなたは本当に大丈夫ですか?」
 屈強そうな隊員にそう声をかけられ、「僕は大丈夫」と答えた。
「僕は医者なんです。応急処置をしようと思いましたが、その前に」
 マックスがそう言うと、隊員たちは納得したらしい。
「ここは我々が引き継ぎます。安全なところに避難してください」
 隊員がそう言うと、マックスの横に立っていたサイズが、腕を引いて立ち上がらせてくれた。
「ありがとう・・・」
 マックスはそう呟いて、会社の方に視線を向けた。
 野次馬が出来上がっているミラーズ社の正面玄関前。
 大勢の人込みの中に、ウォレスの姿を見つけた。
 燃え盛る車を見つめるウォレスの表情。
 マックスの背筋がゾクリとした。 呆然としているウォレスの顔色は、紙のように白かった・・・。

 

Amazing grace act.18 end.

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編集後記

マックス。ついに観念しちゃいましたね。ウォレスはウォレスで、えらい勘違いしてるし(笑)。って、笑ってる場合じゃないか。次週、サービスってことはないですが(汗)、マックスのヌード大公開です! 全然お色気のないシーンですけど。血みどろだし(汗)。
しかし、本当にえらいことになってまいりました。国沢も、この先どうなるかなんて判っていません(ざぼ~ん!)。誰かどうにかして~~~~~!

[国沢]

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