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nothing to lose title

act.81

 セスは、青い作業服の上着を着た男の背中をしばらく目で追った。
「ピーターズ! どうした、行くぞ」
 同僚のホッブズに声をかけられて、爆弾処理班の車の後部座席に乗り込んだ。先にジョイス・テイラーが乗り込んでいる。
 車のエンジンが始動して、ゆっくりと群衆をかき分けながら現場を後にする。
「被害者の子どもと知り合いだったのかな」
 テイラーが呟く。
 セスがテイラーに目をやった。テイラーは前を見たまま、付け加えた。
「さっきの男だよ。まるで、自分が死にそうな顔をしていた」
「・・・確かに・・・」
 セスはそう呟きながら、窓の外に目をやる。一瞬だが、群衆の山の先に青い後ろ姿が見えたような気がした。
 セスは、先ほど自分をカッと見開いた目で見上げてきた男の病的な表情を思い出していた。
 よほど少年とは仲がよかったのだろうか。
 男は、少年の死が信じられないといった様子で、「なんてこった・・・」と譫言のように呟き続けた。そして生気を抜かれたようによろよろとその場に崩れ落ちた。
 こういう瞬間に出会うと、さすがに心が痛む。
 人の死というものは、いつだって残された人のものなのだということを痛感してしまう。
 時には、残された者の方が、死んだ者より深く傷つき打ちのめされる。
 暴力によって突然訪れた死ならなおさらだ。
 被害者に関わるもの全ての人間が、戸惑い、錯乱し、時にはその死を受け入れられなくなってしまう。
 男のあの病的に見開かれた瞳は、そのことを物語っているように思えた。
「本当に酷い事件だな・・・」
 彼自身が深く傷ついたかのように、テイラーが囁いた。


 冷たくなった食事が乗せられたプラスティックトレイが運ばれていく。
 そのトレイを持った看護婦をセント・ポール総合病院の精神科医ビクシーが呼び止める。
「これ、誰の食事?」
 看護婦は、深いため息をついて答える。
「ローズ先生の分ですわ、ビクシー先生」
 マックスがこの病院に働いていた時からの馴染みの看護婦だった。
「一口も口をつけなかったのかい?」
 器の中を覗き込みながらビクシーが訊くと、看護婦は頷く。
「こちらが何を言っても、まるで反応がなくて。瞬きもしないんですよ。あんなに酷くやつれてしまって・・・。まるでローズ先生じゃないみたい・・・」
 看護婦の声に涙が滲む。
 ビクシーは、さっき看護婦がして見せたように、深いため息をついた。
 確かに、以前の精力的に働くマックスのことを知っている人間にしてみれば、今の彼は正しく『生きる屍』だった。
 ビクシーは、薄く開いた個室のドア越しに、中を覗き込む。
 ベッドの上に腰掛けたまま、宙をぼんやり見つめているマックスの横顔が見えた。
 闇の光に照らされたマックスの横顔は、まるで蝋人形のように真っ白く微動だにしない。
 薄く開けられた窓から吹き込む風が、時折彼のブロンドの髪を揺らしているだけだ。
 彼には、とにかく時間が必要だ。
 自分の身に起きたことを消化できるだけの時間が・・・。
「やはり明日調書を取るのは無理だな・・・・」
 ビクシーはそう呟くと、個室のドアを閉めた。


 マックスは、ちらりとドアを見た。
 しばらくじっとして、足音が遠くなるのを聞き取ることに神経を集中させた。
 病室の前から、あらゆる物音が遠ざかり、静まり返る。
 マックスは、痛む身体を軋ませながら、ベッドの下に手を伸ばした。
 レイチェルに頼んで持ってきてもらった紙袋を取り出す。
 マックスは、ベッドの上に出されたままのテーブルに紙袋の中身を取り出した。
 ハート家のメイド、ステラの手料理が並んでいた。どれもしっかりとしたボリュームあるメニューばかりだった。とても病院に入院している人間が食べるような食事とは言えない。プロテイン飲料まである。
 マックスは、ふうと息を吐くと、片っ端から食べ始めた。
 とにかく、血が足りない。骨を早く接がねばならない。筋肉に栄養を与え、まともに身体が動くようにしなければならない。
 病院が出す食事を食べていては、時間がかかりすぎる。
 とにかく、何をするにも身体が基本だ。身体が言うことをきかねば、どうしようもない・・・。
 口を動かすたびに、顔に受けた裂傷が痛んだが、構ってはいられなかった。
 早く、食べてしまわなければ。じき、医者達が自分の容態を鑑みて、点滴か何かを用意してくるだろう。
 マックスは、ローストビーフをトマトスープで流し込みながら痛む肋骨を押さえた。


 酒場は、いつものように無骨なジャズソングが流れる中、様々な肌の色をした客がぱらぱらと座り酒を飲んでいた。
 酒場とは大概薄暗いものだが、この酒場は一段と暗い。
 オーナーであるバーテンも、まるっきり愛想なしで、ましてや愛嬌を振りまくウェイトレスなんかいやしない。看板すら出ていないのに、それでもこの店には客が来る。毎日、客の数は少ないが、バーテンが食っていくだけの稼ぎには何とかなっている。
 その日の遅く、馴染みの客も帰り、もう店じまいしようかとバーテンが思いかけた時、店のドアが静かに開いた。
 黒い編み上げのブーツ、黒の着丈の長い革ジャケット、揃いの革手袋。そしてサングラス。
 バーテンは、男の格好に故郷の泥臭い匂いを感じ、顔をしかめた。
「まだ酒は飲ませてくれるか」
 男の低い声に、バーテンは首を緩く横に振ってため息をつくと、カウンターの中央の椅子を指で指し示した。
「どういうつもりなんだ、それは」
 バーテンは、あからさまな嫌悪感を浮かべた表情のまま、男の好みの酒をグラスに注いだ。
「この間も報告してやっただろう。ジェイク・ニールソンの陰は掴めない。だから、動くべきではないと」
 男は、サングラスを外してカウンターの上に置くと、ブルーに輝く瞳でバーテンを見つめた。
 バーテンは、辛そうに顔をしかめると、自分の分のグラスも取り出して、濃度の濃いその酒を注ぎ、一気にあおった。
 男のその格好は、否が応でも昔の事を思い起こさせる。
 男がその純粋な忠誠心を利用され、したくもないような殺戮に手を染めていた頃。
 次々と拳銃で、ナイフで、そして時には素手で人に死を与えていた時代。
 『死の黒い司祭』と呼ばれていた時を象徴する姿だった。
 この国に、命からがら逃れてきて、やっと決別できたはずの自分を敢えて引き寄せようとする男の姿勢が、バーテンにとっては不快なものに感じてしまう。あまりにも辛すぎて。
「どういうつもりなんだ、ウォレス」
 バーテンは、再度男にそう言った。
「今の段階で、爆弾事件にはニールソンの陰は見つけられない。そうだろう、ウォレス。なのに、その格好ときたら・・・。冗談にしても笑えないぞ」
「冗談ではないさ」
 男は、酒を幾ら飲んでも全く酔わない様子で、バーテンを見つめた。強い瞳で。
「会社も辞めてきた。娘とも、愛する人とも別れをつけてきたさ。まったく、冗談なんかじゃない」
 バーテンが身を乗り出す。彼は、いつもの彼からは想像できないほど、動揺した表情を浮かべていた。
「どうしたんだ、ウォレス。いつも俺以上に冷静なお前とは思えない。何を好きこのんで、昔の暗い時代に戻ろうとしているんだ。なんでそんなにせっぱ詰まっている?」
「出てきたんだ。ジェイクの陰が」
 バーテンの表情がこわばる。
 今度は、男が身を乗り出す番だった。
「一連の爆弾事件は、私にとって邪魔だと犯人が思った人間に対して、行われているんだ。その証拠を、私は目にした・・・」
 男は、ゆっくりと呟いた。

 

Amazing grace act.81 end.

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編集後記

なんだかマックスは、本日『カリオストロの城』。
そしてウォレスは、『マトリックス』。
どちらも大笑い。爆笑です。
わ。笑わないで、みんな・・・。笑わないで頂戴・・・。マックスの方は、仕方ないとして、ウォレスの格好については、今マトリックス見てるせいでこうなってます(汗)。
だって、ずるずる長いブラックコート、かっちょいいんだもん!!だもん!!
黒の殺し屋。人呼んで『死の黒い司祭』。
わはは!笑うなっつーのが無理ですか?でも『死の天使』よりはましでしょ?え?どっちもどっち?

[国沢]

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