irregular a.o.ロゴ

nothing to lose title

act.24

 マックスは医務室の診療台の上に下ろされ、ウエットティッシュで顔の血を拭われた。
「少し沁みるが」
 ウォレスは、診療台の側にあるワゴンから消毒液のビンを取り、脱脂綿に染み込ませると、マックスの額の傷をキレイに拭った。ウォレスの手馴れた様子に、マックスは焦ってしまう。これではどちらが医者か分からない。
「俺の傷なんてたいした事はないです。それより、あなたの傷の手当てを・・・」
 ウォレスがくすくすと笑う。
「その手で?」
 マックスは自分の手を見下ろした。手首が擦れて真っ赤になっているその手は、今だガタガタと震えていた。
「ごめんなさい・・・」
 つい謝ってしまった。軽く額を小突かれる。
「何で謝る。その必要はまったくない。君はひとつも悪いところはないのだから。自分のことだけを考えていなさい」
 手首の傷も消毒された。軟膏を塗られ、包帯を巻かれた。
「本当は傷を覆わない方が治りは早いが、ここはよく動くところだから、傷が擦れて化膿したらことだ」
 ウォレスの手当ては正に堂にいっていた。経験があるのかもしれない。
「他に痛むところは?」
「後頭部が、少し・・・」
 丸椅子から立ち上がったウォレスが、マックスの頭を抱くようにして後頭部を覗き込む。
 ウォレスの身体をまた身近に感じて、マックスはドキドキした。そんな自分を不謹慎だと思いながら。
「・・・うん。少し腫れてるな。だが切れてはいない。冷やしておいたらいいだろう」
 ウォレスが棚から、冷却パックを取り出して手荒く揉み込む。彼は、パックが冷えてきたのを確認して、マックスに手渡した。後頭部にそれを当てると、痛みがすっと引くのと同時に、昂ぶった神経も落ち着いてくるのが分かった。
「何か飲むか?」
 冷蔵庫を覗き込み、ウォレスが言う。
「さすが、アルコールは入っていないな」
 少しおどけたようなウォレスの口調が、マックスをほっとさせる。
 ウォレスは、性暴力の被害にあった人間に対しての接し方も心得ているようだ。それもまた、経験済みなのか。
「飲むことより先に、やはり手当てをさせてください」
 ボトルのミネラルウォーターを飲み干すウォレスの右手を見て、マックスは懇願した。
 ウォレスの右手は、今も新たな血が伝っている。
 マックスは、冷却パックをおいて、両手を擦り合わせた。震えも随分収まっている。
「上着を脱いで、椅子に座ってください」
 ウォレスが振り返る。
「お願いします」
 マックスの真摯な表情に、ウォレスはボトルを冷蔵庫の上に置いた。
 タキシードの上着を脱いで、丸椅子に腰掛ける。マックスももうひとつの椅子を引き寄せて、腕の傷を見た。白いシャツの右腕は、鮮やかな血で赤く染まっていた。
 マックスは眉間に皺を寄せる。カフスを外し、シャツを捲り上げようとしたが、切り付けられた傷は上腕の上の方で、どうやら無理のようだ。
「すみません、シャツも脱いでいただけますか」
 最早マックスは完全な医者の顔つきだった。この流血の量なら、傷を縫合せねばならないだろう。
「脱ぐのか?」
 ウォレスに背を向け、針と糸、そして麻酔の準備をするマックスに、若干動揺したウォレスの声が聞こえた。
「ええ。傷が見えないと、手当てもできませんから」
 テキパキと針に糸を通す。やはり自分は天性の医者だと思った。手の震えは完全に止まり、針に糸を通す手つきは普段とまったく変わりなかった。この分だと大丈夫だ。縫合作業もうまくできるだろう。
 背後から、ウォレスがシャツを脱ぐ気配を感じる。
 麻酔のビンに注射針を差し込みながら振り返って、一瞬マックスは息を飲んだ。
 ウォレスの引き締まった身体には、たくさんの古傷が無数に残っているのだった。
 明らかに、拷問を受けた跡だと分かった。
 だからウォレスは、シャツを脱ぐことを躊躇ったのだ。
 マックスは勤めて平成を装い、腕の傷を見た。
「ああ、やはり縫わないとダメですね」
 脱脂綿で傷周辺の血を拭った。
「腕をやや上の方に上げてくれますか。まだ出血しているようですから」
 ウォレスが、少し腕を上げる。その腕にも、焼き鏝を押し付けられた跡があった。
 血を拭うマックスの指が、その火傷の跡に少し触れた。ぴくりとウォレスの身体が震える。目線を上げると、苦々しい表情を浮かべたウォレスの瞳があった。
 マックスの心に、ひとつの考えが思い浮かぶ。
 ウォレスが怪我人の扱いに慣れているのは、自分自身の経験によるものではないかと。
 そう思い立ったら堪らなくなって、目頭が再び熱くなった。
 この人は一体どういう人生を送ってきたのだと、ウォレスにこのような酷い傷を負わせた奴らが心底憎らしかった。
「・・・泣かないでくれ」
 ウォレスが囁いた。
「私のために、君が心を痛めることはない」
 そう言うウォレスの紺碧の瞳に、一瞬涙の膜がすっと流れた。
 マックスは、首を横に振ってウォレスの腕に頬を寄せた。
 感情がコントロールできない。ウォレスを守ってやりたいと思った。
 決して弱さを見せたりしないウォレスが、一瞬垣間見せた弱さ。ウォレスの心に隠された深い傷を癒せることができたら・・・。
「・・・と、とにかく、麻酔をかけましょう」
 注射器を手に取ったマックスの手を、ウォレスの左手がそっと押えた。
「私は今後も会場に残らねばならない。麻酔をかけると右手が使えなくなるから、変に思われる」
「でも・・・!」
「今日は事を荒立てたくない。君はこれが終わったら、裏口から帰るといい。車を用意しておく。運転手のサマートに送らせるようにしよう。彼は口が堅いし、信頼できる」
「ウォレスさん!」
「気持ちが落ち着くまで会社は休むといい。ベルナルトには私がうまく言っておく。キングストンとあのバカ男の処分も私に任せてくれないか。君が不利になるようなことには絶対にさせない。・・・本当は、家まで送ってやりたいのだが・・・。すまん」
 頬の涙を優しく指で拭われる。
 ああ、もうそんなことはしないで欲しい・・・。我慢ができなくなる・・・。
「ローズ・・・。君は、時として優しすぎる。だからこちらも困ってしまう」
 少し困ったようなウォレスの微笑み。頼りなげな。
「ミスター・ウォレス」
 もう我慢できない。口が勝手に動いてしまう。
「俺は、あなたが好きです。あなたを守りたいと思う。俺にとってあなたは、掛け替えのない存在です。あなたに触れられると、堪らなくなる。あなたのことを考えると、胸を掻き毟られるような気分になる。あなたのことを欲しいと思う。男として。・・・これって、この感情って、一体何なんでしょうか?」
「・・・ローズ・・・」
 あのウォレスが、呆気に取られた表情をした。
 その表情を見て、マックスはハタと正気に戻る。
「ミスター・ウォレス・・・」
 ウォレスが、困惑した顔を見せた。
 自分は、何て事を言ってしまったのだろう!
 マックスは顔を青くした。
「ごめんなさい。もう言いません。二度と。二度と・・・」
 マックスはウォレスの視線から逃れた。
 事務的に「なるだけ早く、痛みが少ないように縫い合わせますから」と言って、また医者の顔つきに戻った。
 マックスは手早くウォレスの傷を縫い合わせた。生身の身体に針を差し込まれるのだ。それ相当の痛みはあるだろうに、ウォレスは呻き声のひとつも上げず、身体もピクリとも動かさなかった。
 マックスの発言に、純粋にまだ驚いているのかもしれない。
 腕の残っている血をキレイに拭って、少しきつめに包帯を巻いた。幾分痛みも和らぐだろう。
 マックスは椅子から立ち上がる。
「せめて痛み止めを飲んでください。それから、なるべく早く救急病院にいって、腕を調べてもらってください。念のために。病院に行けば、もっといい薬の処方箋も出してくれる筈ですから」
 マックスはそう言いながら、薬を入れた引き出しから整形系の痛み止めを取り出した。冷蔵庫の上のミネラルウォーターをグラスに注ぐと、ウォレスと視線を合わさないようにしながら、薬とグラスを手渡した。
「それから、俺のシャツとタキシードを着てください。そんな血まみれの服では・・・」
 ウォレスが少し笑った。
「そうだな。そこまで頭が回らなかった。だが、ローズ君・・・」
「俺は、この間お借りした着替えがまだロッカーに入ってますから。どうか心配しないでください」
 マックスは、戸口の側にある木製のロッカーから、トレーニングウェアを取り出すと、診療台の前のカーテンを引いて着替えた。上だけがトレーニングウェアという些か情けない格好だが、致し方あるまい。
「多分、服のサイズはそんなに変らない筈ですから」
「ありがとう」
 ウォレスがシャツと上着を受け取って、マックスに背を向ける。
 その背中もまた、幾筋もの古傷で埋め尽くされていた。鞭打たれたか、細長い棒で叩かれたか。そしてその腰元に、はっきり文字と読み取れる小さな傷が見えた。
『お前は、私のもの』
 ナイフでつけられた傷だ。『mine』という言葉が、男を指しているのか女を指しているのか分からない。しかしその傷は、十分にマックスの心を刺激した。一瞬、激しい嫉妬心を感じた。
 だが、白いシャツの向こうにその傷が消えると、冷や水をかけられたかのように正気に戻る。
 自分は何を考えているんだ。・・・くそっ!
 マックスは、ウォレスに背を向ける。
 背後では、ウォレスが医務室の内線電話を取って、運転手に連絡を取る様子が伺えた。
 マックスは、この場から消えてなくなりたいと思った。今、すぐに。

 

Amazing grace act.24 end.

NEXT NOVEL MENU webclap

編集後記

次週のおいしい展開に引き続き、今週はウォレスの半ヌード(40間近!頑張ってる!!)と、マックスの大告白大会とあいなりました。怒涛の急展開です。(なのに、ラブシーンはまだお預け。酷い!!)
それもこれも、マッシュルーム・エンジェルズ(一人なのに複数)のお陰か。(シティーボーイズ コントライブ 『ラ・ハッスル・きのこショー』を見られていない方には、全然わからないネタだ! すみません(滝汗))
でも二人の距離は確実に近くなっているのよ! 本当よ!
みなさん、ラ・ハッスルで参りましょう。(←だから判んないんだって、見てない人は。ごめんなさい。年に一回の国沢個人のお祭りだと思って許してください)

[国沢]

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

Copyright © 2002-2019 Syusei Kunisawa, All Rights Reserved.