act.34
広大なワンフロアを占拠している企画管理部は、もはや戦場である。
契約に向けての膨大な量の資料整理と法律関係のリサーチ、細部に渡る契約後のスケジュール組み・・・。
ケイゼル社との契約に関わるスタッフは、企画管理部だけでも総勢20名。それに、各方面の専門家や副社長のビル・スミス、そして重要な契約を結ぶ時には、必ず進行具合をチェックするウォレスも加えて、そのフロアだけがこうこうと電気をつけていた。
あちらこちらからパソコンのハードディスクが作動する音がひっきりなしに聞こえ、それに加えプリンターが紙を際限なく吐き出す音が重なっていた。どのデスクの上にも多量の書類ファイルが山済みされ、度々それらが雪崩を起す。その都度そこかしこからブーイングの声が上がった。
冬場だというのに、男性社員は全員腕まくり。女性社員も襟元のボタンを三つも外して汗を拭っている。
ウォレスも例外ではない。ネクタイを緩め、襟元のボタンを外し、少し乱れた前髪を掻き上げつつ、全ての書類に目を通していく様は、日中のきちんとした身なりを徹底する彼とは明らかに違う。現に彼は、日中装着しているコンタクトレンズを外し、今はエンポリオ・アルマーニ製のセルタイプ眼鏡をかけている。色は濃いブラウン。光の加減によっては、時折赤いブラウンにも見える。
ウォレスは決して腕まくりこそしなかったが、これほど仕事上において余裕がない彼も珍しい。
「おい、ジム。まさか、今晩中にそれをすべてやりこなすつもりでいるんじゃないだろうな?」
ウォレスの驚異的な仕事捌きに、流石のビル・スミスも心配になってきたらしい。
「そのまさかさ。今晩中にこの部分までやっておいたら、週明けからが楽だ。違うか?」
ウォレスの意見はもっともなので、スミスもその先が繋げられない。
「君のタフさには負けるよ」
スミスが大きな溜息をつく。ウォレスは少し微笑んで、背後を振り返った。
「おい! マーサー! 第25条の条項3が抜けてるぞ!」
マックスは、そのフロアの有様を信じられない思いで見つめていた。
企画管理部のある4階フロアに降り立った途端、あまりの凄まじさにポカンとしてしまった。思わず自分の腕時計を見る。
もう11時過ぎ。なのにここは、日中の会社内と変わりなく・・・いやもっとハードに仕事がこなされている。ムダ口を叩く者はひとりとしておらず、誰もが精力的に自分の仕事を処理している。
大企業の底力ってやつかなぁ・・・。
なぜか昔懐かしいER時代の病院内を思い出すようで、マックスは身が引き締まる思いがした。
マックスは自分の恰好を見下ろす。
洗いざらしのジーンズにボタンダウンのシャツ。コーデュロイのジャケット。おまけに家に帰ってからは眼鏡に替える主義だから、今は縁なしの眼鏡をかけている。何とも冴えない。
本当なら、ウォレスが今夜大変な仕事の量をこなさなければならないことに目をつぶるつもりでいた。ウォレスはあえてそのことには触れなかったし、マックスの守備範囲ではない話だったからだ。だが、そう思って家に帰っても、落ち着かなくて・・・。正直、ウォレスのことが心配でたまらなかった。
マックスは、さっき叔母の家で焼いてもらったアップルパイとサンドイッチが多量に詰め込まれたカバンを抱えて、フロアの奥に足を進めた。
ウォレスの姿を発見する。
眼鏡をかけている。初めて見た。
日頃からの知的な彼の印象が、益々強まる。少し乱れた感じの様が、やたらとセクシーに見えた。
彼はスミスと話した後、少し笑みを浮かべて、唐突に身体の向きを変えた。
「おい! マーサー! 第25条の条項3が抜けてるぞ!」
マックスの背後で、マーサーの「すみません!」という声が聞こえる。
あ。と思った。
ウォレスと視線があった。
「あ、あの、さ、差し入れ!」
何となくバツの悪いマックスは、大声を上げてカバンを前に差し出したのだった。
「手作りとはありがたい」
スミスを始め、そのフロアにいた全員が、ハート家の手料理を味わった。
この分じゃ、この人達、まともに食事もとってなかったな。よかった、死ぬほどの量を無理言って作ってもらって。
紙コップに注がれたコーヒーを啜りながら、マックスは思った。
就寝しかけだった叔母のパトリシアを無理やり起こし、メイドのステラまで迎えに行って、更に深夜営業のマーケットで材料を買い占め、愚痴を聞かされつつ作ってもらった。
食料の山にありつく群集を尻目に、少し離れたところでその光景を見ていたマックスの隣に、ウォレスがさりげなく腰掛ける。
「すみません。邪魔になるとは判っていたんだけど、どうにも我慢ができなくて」
ウォレスと視線を合わせないまま、マックスは言った。
ウォレスは、サンドイッチを頬張りながら、靴の先をマックスの靴の先にコツンと当てる。小さく触れ合った足の先から、じんわりと温かさが満ちてくる。
「いや、助かったよ。皆、空腹で作業効率が落ちていたところだ。人間、イラつくとミスも多くなる」
「仕事、どうですか?」
「ん。順調だ。この分だと、今日のノルマは朝までに済ますことができる」
「何か、俺にできることないですか? 資料のコピーとかタイピングとか。そういう下っ端仕事なら、手伝えるから」
ウォレスが自分を見ているのが判る。たまらずマックスはウォレスと視線をあわせた。苦笑いをする。
「こういうの、黙ってられない性分なんです」
ウォレスが小さな溜息と共に、小さく微笑んだ。
「じゃ、サポートについてもらおうかな。はっきり言って、仕事は厳しいぞ。私は」
それは嘘ではないと判っていた。公私混同するような人なら、マックスだってこうして惹かれてはいない。
「まずは、私がチェックを入れた書類のコピーをとってファイルに整理をしてくれ。それから、各担当者リストを渡すから、それにしたがって書類を担当者にバックして訂正してもらう。訂正がすんだら、プリントアウトしてもらって、校正原稿と付き合わせる。訂正がきちんとされているのを確認して、複写した元原稿を処分する・・・。できるな」
物凄い量の書類を前にしてそう言われ、マックスはゴクリと唾を飲み込んだ。
ウォレスを見ると、マックスを信頼した目で見つめている。
「この作業は、細かくて面倒くさい作業だが、最も重要な作業でもある。間違いが少しでもあれば、後々に響いてくるし、時には契約自体が危うくなることもあるから」
「は、はい。判りました」
マックスはジャケットを脱ぐと、このフロアの男性社員と同じように、腕まくりをした。
ゴチリと鈍い音がして、マックスは薄目を開けた。
自分の頭の上に、ファイルの山が崩れかかってきていた。
いけない・・・居眠りしてしまった・・・。
覚束ない手で頭の上のファイルをどかし、マックスはむくりと身体を起こす。
辺りの眩しさに、思わず目をつぶってしまった。
ハッとする。
痛い目を擦り、慌てて時計を見た。
午前6時。
「6時?!」
叫んだ自分の声が、頭に響いた。手のひらで両目を押える。
目をマッサージして再度室内を見渡すと、朝日に照らされ陰影の強いオフィス内は静寂に包まれていた。
直ぐ側に人の気配を感じて、側に転がった自分の眼鏡をかけると、横に目をやる。
デスクの上に両足を組み、冷めたコーヒーを啜りながら書類に目を通しているウォレスがいた。
ウォレスが書類を置き、マックスを見る。
無精ひげが生えてちょっとワイルドな顔つきのウォレスの目が、優しげに細まった。
「よく頑張ったな。これでノルマクリアだ」
ウォレスは、デスクから足を下ろし、デスクの上に広げていたファイルの中に、今まで手に持っていた書類をしまうと、ファイルをパタンと閉じ、大きく背筋を伸ばした。
マックスは、きょとんとして周囲をもう一度見渡した。誰もいない。昨夜のあの喧騒が嘘のようだ。
確かに、マックスの記憶がなくなる直前は、幾人かの社員がノックダウンし、一人二人と戦線離脱していることはおぼろげに判った。だが、その後のことはまったく分からない。
「皆、もう帰ったよ。私の仕事で最後だ」
ウォレスが、マックスの座っている直ぐ側の椅子に腰掛ける。
「ご苦労さん。最後まで付き合ったのは、君だけだ」
「・・・すみません、でも、途中で寝ちゃって・・・」
ウォレスが静かな笑みを浮かべる。
「君が寝入る頃には、他の者も全員寝入っていた。仕事の先も見えていたし、ビルとバーンズ二人に相談して帰すことにしたんだ。ビルもバーンズも、ついさっき仕事を終わらせて帰ったよ」
ということは、残りの仕事を副社長のスミスと企画管理部長のバーンズ、そしてウォレスの3人で仕上げたということだ。
さすがのウォレスの顔にも、疲れが伺える。眼鏡ごし、目の下にクマができていた。
マックスは、ウォレスの眼鏡を抜き取ると、椅子から立ち上がってウォレスの背後に回り、彼のこめかみをギュッと押し込んでやった。こうすると少しは疲れが和らぐ。
「・・・あぁ・・・気持ちがいい・・・」
ウォレスの両肩から強張りが抜けていく。
こめかみと眉間のマッサージをしばらく続ける。
ふいにその手を捕まれた。ウォレスが椅子を回転させてマックスに向き直る。そして、捕まれた手をぐいっと引き寄せられた。ウォレスの膝の上に座り込む恰好になってしまった。マックスが顔を赤らめる。あっという間に、唇を塞がれた。
何度か軽いキスを繰り返す。
どうやらウォレスだけでなくマックスも無精ひげが生えているらしく、キスする度に顎や頬がチクチクしてムズ痒い。男同士のキスだと実感させられる瞬間だった。そんなことにも感じてしまう自分に、マックスは正直感心してしまう。
それはウォレスの方もそうだったらしい。
キスを終えて見詰め合うと、クスクスと笑い合った。
「この後、君の家に行ってもいいかな・・・?」
ウォレスが小さく呟く。マックスは目を見開いた。
「本当に? いいんですか? でも家の方は・・・?」
「昨夜は徹夜だと判っていたから、家にはメイドのデイヴィスさんに泊まってもらいたいとお願いしているんだ。シンシアにも、昨日から今日にかけて、いつ帰れるか判らないと言ってある」
シンシアには悪いが、思わず嬉しくなってマックスはニコニコと微笑んでしまった。その頬を、ウォレスが撫でる。
「約束したものな。セックスするって」
マックスの微笑みが強張る。
「え? 大丈夫ですか? ジム、寝てないんじゃ・・・」
言ってる側からキスされた。
「私なら大丈夫。もっと過酷な思いをしたこともあるさ。もし君がよければ、だが・・・。君の方は馬力があるかい?」
今度は、マックスから唇を押し付けた。
「仕事の馬力とその馬力は別です!」
神妙な顔をしてそう断言するマックスに、今度はウォレスが笑わされる番だった。
Amazing grace act.34 end.
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編集後記
怒涛のパソコン受難からの復活第一弾の更新でございます。なので、なんだかちょっと余裕ぶっこいたりしてますが、全然余裕はないはずです、国沢。
おいおい、またもやストック具合がおさむ~くなってきましたよ~。やばい、一回分っきゃないじゃん(汗)。
ちょっと今日、書かなきゃなぁ~。触覚にうつつを抜かしている場合ではないぞぉ~。
で、そんな国沢のガケっぷちさ加減はおいておいて。次週は29話に続き、早くも二回目のメール配信でございます。でもひょっとしたら、これ終わったら、しばらくは「桃色シーン」ないかも・・・って思ったりもしないではないので、要注目。ウォレスおじさんのバスローブ姿も登場いたします。
引越し先もまだ決定していなくて、おろおろしてますが、最近有料サイトも視野に入れるようにいたしました。そっちの方が面倒なくていいよ、とメル友さんにアドバイスをいただきまして・・・。確かに、そうなんですよね。
でもそうなったら、メール配信制度もなくなるのかな? 国沢としては、ちょっと、いやかなり寂しいんですけども。(だって、そんな時ぐらいしか、皆さんとコミュニケーション取れないんだもん・・・ね~~~~~~(と、隣に誰もいないのに同意を求める←ちょっとお気に入り)。
ほら、寂しがり屋のひつじさんだからね。そして限りなく乙女座。さらにリチャード・ギアと同じ誕生日。で、最終的には、ムァイキェル・ジャクソンとも同じ誕生日~~~~~~~~!(←ここ笑うポイント)
え?笑えないっすか?
[国沢]
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