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nothing to lose title

act.59

 ドースンは、緊張した面もちで水槽の中を覗き込んだ。
 寒々としたただっぴろい部屋。
 ドーソンが皆に内緒で借りているオンボロアパートメントの一室。その一角が青白い光に包まれている。
 家の埃まみれだった倉庫をひっくり返して探し出した小さな水槽だった。ヒーターは壊れていたので、近くのDIYショップで新たに購入した。
 水槽の中には、例の倉庫から持ち出したレシート。その傍には、接着剤を入れた小さな容器のキャップ。
 ヒーターの熱で蒸発した接着剤がレシートについた人間の油に付着して黒ずんでくる。
 ドーソンは満足げに顔を綻ばせた。
 今、レシートにはくっきりと指紋が浮かび上がっていた。
 警察番の記者であるドーソンだからこそ知り得た方法だった。既に退職している叩き上げの刑事から教わったことのある方法である。
 ドーソンはヒーターを消すと、薄手のビニール手袋をはめた手で慎重にレシートを取りだした。
 にわか仕立てのテーブルに広げた白いハンカチの上にそっと置く。
 ドーソンは真新しいコードを電源につないで、パソコンを立ち上げた。前回はコードをねずみの野郎にかじられて散々だったが、パソコンは無事立ち上がった。
 ドーソンは鞄の中からハロルドにコピーしてもらったデータの入ったCD-ROMをパソコンに挿入し、アイコンをクリックした。
 ブラウザにジェイク・ニールソンのデータが次々と映し出される。
 マウスをカチカチとクリックしていると、ドーソンの逮捕レコードが表示された。
 岩のような顔写真の下に、5本の指の指紋が添付されている。
 ドーソンは指紋の一つ一つを拡大して、レシートのそれと見比べた。ルーペで注意深く観察する。
 一頻り見比べて、やがてドーソンは長い長いため息をついた。
「・・・違う・・・」
 明らかに違う指紋だった。
 ドーソンは「チキショウ!」と悪態をつくと、傍にあった缶コーヒーを手で乱暴に払った。残り僅かのコーヒーがカビた床にしたたり落ちる。
 ドーソンは再度指紋を見比べると、落胆の表情を色濃くした。
 やはり別人なのだろうか・・・。
 ドーソンは画面に映る若き日のニールソンを見つめた。
 この目。
 この目はあの男に他ならない。
 こんな目をしているのは世界に二人として居るはずがない。
 どこか、どこかに違う答えがあるはずだ。
 考えろ、考えろ・・・。
 レシートに浮かび上がった指紋を見つめながら、ドーソンは親指の爪をカチリと咬んだのだった。


 神経質な指先が、ピンク色のコイルの先を薄い金属板の上に押さえつける。
 そこに熱い電気ゴテの先が小刻みに押しつけられた。コテの先についた熔けたハンダがつるつると流れ落ちる。
 ジジジと控えめな音がして、白い煙があがった。溶剤が焦げる臭いがぷーんと立ち上る。
 ホーと息が吐き出され、煙が吹き飛ばされた。
 ジェイコブは、ハンダの溶剤が焦げる臭いが好きだった。
 何とも言えない気分になる。
 ドキドキというかワクワクというか。この独特の臭いを嗅いでいると、気分が高揚してくるのだ。
 ベッドと小さなデスクでいっぱいになってしまっている狭い部屋。
 好きな歌手や映画のポスターなど皆無の殺風景な部屋は、今やジェイコブにとって、さながらスペースオペラの舞台ような無限の広がりを見せている。つまり・・・。
 この空間は狭くてちっぽけだが、ジェイコブが今作り出してるものによってドラマチックな空間へと浄化しているのだ。
 ああ、なんて素晴らしい世界。
 まるで世界を自分一人でコントロールしている感覚・・・。
 儀式めいた手つきで部品を次々と組み立てていく。
 完成の時は近い。


  「パパ、お願いがあるの」
 階段から下りてきた娘の姿を見て、ウォレスは目を細めた。
 今日は久しぶりに取れたまともな週末の休暇で、一日ゆっくりと家で過ごしたウォレスだったが、夕刻迫るこの時間、娘がこうして階段から下りてくるのを実は心待ちにしていたのだ。
 オフホワイトのドレスを身に纏ったシンシアは、お姫様さながらに輝いて見えた。
 フワフワしたドレスを着たがる若い女の子とは違って、マーメイド型のシンプルなドレス。刺繍が施されたしっかりした生地に首元まできちんと覆われたデザインなので下品なセクシーさはない。少しアジアンテイストなデザインが粋である。
 娘が選んだドレスを見て、少々年齢とはそぐわないのではないかとウォレスは言ったのだが、「高価なものだから長く着れるデザインがいい」と選んだしっかり者のシンシアは、まさにウォレスの娘だった。
「まぁ、お嬢様、素敵」
 メイドのミセス・デイビスが両手を併せて感嘆の声を上げた。
 アフリカン系アメリカンの彼女は、幼い頃からこの少女の成長をみてきて、まるで自分の孫娘を見るような目でシンシアを見つめた。
「よくお似合いだわ」
「ありがとう、デイビスさん」
 シンシアはミセス・デイビスを抱きしめながら笑顔を浮かべた。
「まるで本当のお姫様みたいよ」
「それは言い過ぎよ」
 少女らしい軽やかな声を上げて笑う。その頭を覗き込んで、ミセス・デイビスが言った。
「あら。髪留めが壊れかけているわ。少し待って、今直してきてあげるから」
「ありがとう」
 プラチナブロンドの髪から蝶の形をした赤いビーズ飾りの髪留めを抜き取って、ミセス・デイビスは奥の部屋へと取って返す。
 ハードカバーの本を片手にソファーに腰掛ける父親の隣に座って、シンシアはふぅと息を吐いた。その様子を見てウォレスが微笑む。
「どうした? 苦しいのかい?」
 シンシアが苦笑を浮かべながらコミカルに肩を竦める。
「胸元はまだまだ余裕があるくせに、ウエストは結構タイトなの。これ以上太らないようにしなきゃ」
 親子で顔を見合わせて笑う。
「昼間はごめんね。買い物につき合わせちゃって。本当はマックスと時間を過ごしたかったんじゃない?」
 ウォレスはシンシアの額を指で押した。
「そんな気を使う必要なんかないさ。どっちが親か分からなくなる」
 シンシアはフフフと微笑んでウォレスの肩にもたれ掛かった。
「お願いってなんだ?」
 眼鏡を押し上げながらウォレスが訊く。シンシアは「そうそう」と身体を起こした。
「学校まで送って行ってほしいの」
 ウォレスは片眉をクイッと上げる。
「男の子は誰も迎えに来ないのかい?」
「言ったでしょ。誘いは全部断ったって」
 少し沈んだ表情でシンシアは言う。
「だって、一緒に行きたい人がいないんだもん。だから誰も迎えに来ないの」
「本当かい?」
「え?」
 シンシアがウォレスの顔を見上げる。ウォレスが娘を抱き寄せて髪にキスしたと同時に、玄関のチャイムが鳴った。
 シンシアの顔が、怪訝そうに顰められる。
「行っておいで。・・・ほら」
 弾かれたようにシンシアはソファーから立ち上がると、玄関に出てドアを開けた。
「今晩は、お姫様」
「マックス!」
 黒の上下のスーツに黒の光沢のあるシャツ、黒いタイ。全身黒づくめのフォーマルスーツに身を包んだマックスがそこに立っていた。
 黒づくめの衣装のせいで、濃いブロンドの髪や魅惑的な翡翠色の瞳が宝石のように輝いて見える。
「どうして・・・?!」
 シンシアは驚きを隠せず、目の前のマックスとリビングから出てきたウォレスを見比べた。
「自分の娘にお迎えが来なくて寂しい思いをしているのに黙っておれる父親がこの世に存在するかね?」
 ウォレスはマックスと視線を合わせると、娘の驚いた顔を見てウィンクをしてみせる。
「俺はエスコート役として合格?」
 両手を広げてそう訊くマックスに、シンシアは目尻を指で拭いながらマックスに抱きついた。
「勿論よ、マックス! 最高だわ!!」
「再来週にはお前の誕生日がやってくる。少しばかり早いけれど、誕生日プレゼントだ」
 ウォレスはそう言うと、マックスに抱きつくシンシアの前にポケットから小さな小箱を取り出した。
 シンシアが父親を見上げ小箱を受け取る。
「開けていい?」
「勿論」
 シンシアが小箱を開けると、中からラピス色の細長いステックが出てきた。蓋を取ってケースを捻ると、真紅の口紅が出てくる。
「そのドレスだったら少し華やかな化粧の方が栄えるだろう。お前も赤いルージュが似合う年になった」
「パパ!」
 シンシアはウォレスに抱きつく。感激で声に詰まった。
 この父親とその恋人は、困ったことに女の子が喜ぶ術を熟知しているに違いない。
「まぁ、素敵な王子様の登場ね」
 ミセス・デイビスが髪留めを片手に戻ってきた。
「今晩は、デイビスさん」
 のっけからミセス・デイビスに王子様と言われ、顔を赤らめたマックスが頭を掻く。
 ミセス・デイビスは、手鏡をシンシアに渡した。
「早速つけてみたらどうかしら?」
「うん」
 鼻を少し啜りながら赤いルージュを唇にのせる娘を見て、ウォレスは目を細める。
「このままかっさらっていっちゃいたいな」
 ウォレスの横に立ち、マックスも微笑む。ウォレスはマックスを横目で見た。
「それは困るな。私の愛する者が二人とも消えてしまうことになる」
 ふいに正直な気持ちを吐露するウォレスに、マックスは唇を噛みしめてウォレスを見つめた。
 ルージュを引き終え、髪留めをとめたシンシアが二人を見比べながら、腰に両手を当てて言う。
「いいのよ、キスしちゃっても。今だけ目をつぶっててあげる」
「え?!」
 顔を真っ赤にするマックスを見て、ウォレスがハハハと笑う。
「じゃ、お言葉に甘えてみよう」
 ウォレスはそう言って、マックスの腰を抱き寄せる。
「え?! え?!!」
 耳まで茹で蛸になるマックスの向こう側で、白い歯を浮かべながら、両手で自分とミセス・デイビスの目を覆うシンシア。ウォレスはそれを確認すると、ドギマギしているマックスの頬を手で捕らえ、ゆっくりと口づけた。
「ん・・・」
 今度は違う意味で頬を茹で上がらせるマックスに、シンシアが「キャー!」と歓声を上げる。
「!! シンシア?!」
「見ちゃった、見ちゃった!! すごぉい!!」
 キャッキャッと飛び上がりながら家を飛び出すシンシア。
「あんまり飛び跳ねると危ないですよ!」
 ミセス・デイビスが後を追いかける。
「シンシアのことを頼むよ」
 ドアの向こうに身を乗り出すマックスに向かってウォレスが言う。 マックスはウォレスを振り返った。
「少し前までシンシアには悪い虫が何時の時もついて回っていた。今夜もそういう手合いの者がちょっかいを出してくるかもしれん。君なら、娘を守ってくれるだろうと思って。・・・すまない」
 いつもの落ち着いた物腰のウォレスが、ドレス姿なのに庭ではしゃいでいるシンシアを見つめた。マックスはその肩にそっと手を置く。
「大丈夫。任せてください。こう見えて、腕っ節は強い方ですから」
 マックスがガッツポーズをとると、スーツの上からもはっきりと分かるぐらいに二の腕が盛り上がった。医者は元来体力のいる仕事である。学生時代に培った体力は衰えないようにしている。
「・・・頼んだよ」
 マックスはにっこりと微笑むと、「シンシア、行こう、パーティーに遅れる」と声をかけ、玄関を出たのだった。

 

Amazing grace act.59 end.

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編集後記

久しぶりのマックス・フォーマルスーツ編(笑)、いかがだったでしょうか。
「創立記念のパーティーはどうなった」というご意見をいただきまして、「あ、そうだ。忘れてた」とついつい遊んじゃいました(汗)。
シンシアの周りは無敵の布陣ですねぇ。オットコマエのパパにオットコマエのパパの恋人(大汗)。
って、なんだか複雑・・・。
国沢的には、「シンシアと仲直りした後のウォレスが娘と過ごす一時」を書くのが結構いいぞ、ということに最近気がつきました。娘を愛情こもった眼差しで見つめるパパ・ウォレスもなかなかオツなものです。彼にとっては、マックスに対する愛情も一番だし、娘に対する愛情も一番なのよね~、きっと。どちらも比べようがないのだと思います。
来週も少し遊ぶ予定です。
パーティー編パートツーっすね。でも前回のような散々なパーティー編とはならないと思いますので、気楽にお楽しみください。
あ、それから、new topicでも告知しましたが、「触覚」終了記念特別企画ということで、宣言通りメトロで企画モノを一発かまそうかと思ってます。題して、「第二回・花のヒロイン(?)大対決(櫻井正道VSマックス・ローズ)」!!
そう、メトロに行ったことがある方はご存知かと思いますが、前回須賀真一氏と小笠原海氏で行った対決インタビューを「触覚」の(美筋肉)ヒロイン・櫻井君とこの「アメグレ」の(乙女)ヒロイン・マックス君とで行ってみようかなと思ってます。
マックス君はまだまだ連載途中なのでちょっと不安なんですけど(笑)、ストーリーに影響しない程度で遊んでみようかな、と思っております。
つきましては、櫻井君にこんなことを訊いてみたい!、マックス君にこんな質問をぶつけたい!と思われた方、下記のアドレスまでお気軽にメールください。可能な限り、二人に訊いてみようと思います。

[国沢]

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