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nothing to lose title

act.150

 それは正しく、シンシアの身体に着せられている殺人ベストの発火装置に違いなかった。
 ジェイクがそれを押せば、あっという間にベスト中に付けられている発火剤から炎が吹き出し、シンシアは自分に何が起きているか理解できずに燃えてしまうだろう。
 マックスの全身の毛穴という毛穴から、汗が吹き出た。
「マックス?」
 ジェイクから目を外さずに、ウォレスが囁く。
「君は知っているのか? あれの正体を」
 マックスは、首を大きく縦に振った。だが、ウォレスが自分を見ることができないことに気が付くと、「あれは、発火装置です」と答えた。声が喉に引っかかって、上手く発音ができない。それでもマックスは、なるだけ冷静に状況を伝えようと努めた。
「恐らく、シンシアに着せられているあのベストの・・・。さっきまで、俺もアレと同じ物を着せられてました。さっき外そうとしたけど、鍵が掛けられてあって・・・。ごめんなさい」
「君が謝ることはない」
「でも筒状の物は発火剤の固まりで、点火されれば恐らく・・・」
 その先の言葉は、余りに怖くて口にできなかった。
 炎に焼かれる熱さに苦しみながら、自ら焼ける煙を喉に吸い込んで死に至るだろう・・・なんてことは。
 しかし、ウォレスにはそれ以上の説明は不必要だった。
 マックスの言葉とシンシアの状態を見て、彼は状況を理解した。
「彼女の命を盾にするつもりか?」
 ウォレスが唸るように言う。
 ジェイクがせせら笑う。この世に悪魔というものが存在するのなら、正しくそれは今のジェイクのような笑みを浮かべているだろう。
「お前が俺と一緒に来るという要求をただ単に呑んでもらっただけでは、面白くない。お前の言う、俺の手が届かない世界と完全に決別してもらう必要があるからな」
  ジェイクはそこで言葉を切った。ジェイクは、ちらりとマックスを見る。
「お前の手でその坊やを殺すこと。もし従わなければ娘を燃やす」
 ウォレスは思わず絶句する。
「従えば、取り敢えず娘の命は助けてやろう。娘と共にこのビルを出て、起爆装置を作動させる。それでもし、俺と一緒に来ないのであれば、やはり娘を燃やす。ま、どちらにしてもこのビルは潰す。そこの坊やもろともな。坊やは事の真相を知り過ぎた。それに、アレクシスをたぶらかした罪は重い。アレクシス、お前の手で葬ってやるか、俺が最後のとどめを刺すか。・・・二つの要求を呑めば、少なくとも娘の命は助かる訳だ。ただし、これから先、お前が俺を拒むことがあれば直ちに娘を殺す。それでも俺に従わないのなら、今度はお前自身も殺す。頭のいいお前なら、何が得策かよく分かるだろう?」
 ウォレスは口を戦慄かせながら、横に蹲るマックスを見下ろした。
「考える時間をやろう。少しだけな」
 ジェイクの冷ややかな声が響く。
 マックスは、いずれにしてもあと少しの時間で自分の命が絶たれることの実感をうまく感じることができずにいた。
 考えろ・・・、よく考えるんだ・・・・。
 マックスは心の中でそう繰り返す。
 もし、ウォレスが自分を殺すことを拒めばシンシアは死に、少しの間だけでもマックスは生き長らえることができる。限りなく絶望的だが、それでも万に一つ生き残る道を探し出すことができるかもしれない。
 一方、ウォレスが要求を呑めば、ビル倒壊の巻き添えという苦しく悲惨な死を迎えることはなくなり、愛する人の手で安らかな死を迎えることができるだろう。うまくいけば、シンシアの命も助かる。その場合ウォレスはジェイクに従うことになるが、今を切り抜けさえすればこの先解決策が出てくるに違いない・・・。
 自分なら、間違いなく後者を選ぶ。助かる望みが少ない自分を庇い立てするなんて、無駄だ。それならば、望みの高いシンシアを助けた方がよっぽど現実的だ。
 けれどそれは、他でもない自分自身の死だ。
 このまま、シンシアとウォレスの幸せを見届けることなく、今日この日に全てが終わる。
 あんなに死に近い場所で働いていたのに、いざ自分のこととなると、死の意味がよく分からない。
 ただ、堪らなく怖いのは違いなかった。
 例え、ウォレスなら安らかな死を与えてくれると分かってはいても、堪らなく怖い・・・。
「さぁ、時間だ。答えを聞かせてもらおう」
 ジェイクが高らかに声を上げる。まるで神懸かりな神祭でも行っているようだ。
 マックスはウォレスを見上げた。
 マックスのその視線の意味を、ウォレスも察したのだろう。
 ウォレスは顔を痛々しく顰めた。
 ウォレスもまた、明らかに打ちひしがれていた。首を何度も横に振る。
「君とシンシアの命を両天秤にかけるなんて・・・。そんなことできる訳がない・・・」
 マックスは立ち上がった。ここで弱々しい自分を見せては駄目だと思った。
「ジム、あなたが決めたことなら、俺はどんなことだって従います・・・」
 身体はなおも恐怖で震えていたが、ようやくそれだけは言うことができた。
「マックス・・・」
 ウォレスの瞳が、濡れ光る。
 ジェイクの笑い声が響き渡った。
「まったく、お涙ちょうだいの名芝居だ。よかったなぁ、アレクシス。お前や娘のために命をはってくれる家族がいて。残念ながら、俺にはそんな家族なんていやしないから、羨ましいよ。リーナだって、殺すつもりはなかったのに、勝手に死んでしまって。自ら命を絶たなければ、俺だって一生面倒はみたのに」
 それを聞いたウォレスの瞳が、怒りに細められた。
 ウォレスはマックスの身体を横に押しやり、ギロリとジェイクを睨む。その頬にポロリと涙が零れた。
「彼女が、どんな思いで命を絶ったのか・・・。考えもしなかったのか?」
 ウォレスのその声は、内臓から振り絞られたような凄まじい声だった。
「彼女がこの世で一番愛していたのは、お前だったんだぞ、ジェイク」
 ジェイクの顔から笑いが消える。
「彼女は、お前が目を覚ましてくれることだけを願っていた。その為に、自分ができることをずっと探していたんだ。彼女が命がけで俺を助けたのは、赤ん坊の命を助ける為だ。その赤ん坊が、将来お前の目を覚まさせるだけの力を持つようになると信じて・・・」
「・・・何だ・・・一体、何の話をしている・・・」
 ジェイクが怪訝そうに顔を顰める。
 マックスもジェイク同様に戸惑って、ただ声もなくウォレスを見つめた。
 ウォレスは続ける。
「お前は気づかなかったのか? 余りにも俺という存在に拘り過ぎて、何も見えなかったというのか? 確かに私は、リーナを愛していたよ。夫婦として手と手を取り合って逃げ出した。けれど私が、リーナと関係を持ったことは一度もない。リーナと私は、本当の意味で同志だったんだ。リーナが本当に女として愛していたのは、ジェイク、お前だ」
 ジェイクの顔が引きつる。ジェイクの目が泳いだ。
 彼にも心当たりが思い浮かんできたらしい。
 ジェイクは初めて、人間くさい顔つきをした。
「・・・まさか・・・」
 ジェイクが、シンシアを見る。
「お前はリーナをレイプしただろう。リーナと私が、恋仲であると勘違いして、嫉妬に任せて実の妹を傷つけた。赤ん坊は、その時の子だ。妊娠したことに気づいたリーナは、私にそのことを黙っておいてくれと懇願した。そのことがバレれば、子どもをおろせと言われてしまう。兄妹同士という間柄でできた子だ。子どもの命を守るには、私の子だということにする他なかった・・・」
 ウォレスもまた、もの悲しそうにシンシアを見つめる。
「そうまでして、リーナはお前のことを愛していたんだ。始まりは暴力だったとしても、彼女は妊娠したことを心から喜んでいた。・・・お前が今殺そうとしている娘は、お前の子だよ、ジェイク。彼女は、お前が無くしたと思い込んでいるその家族だ。正真正銘、血を分けた娘だよ」
 流石のジェイクも、その事実に酷く動揺してみせた。
「・・・そ、そんな馬鹿な・・・。そんな出任せを・・・」
 口を戦慄かせ、荒い息を吐き出す。
「よく見てみろ、ジェイク。彼女の姿を。私が嘘を言ってないことぐらい、すぐに分かるだろう?」
 マックスもまた驚いて、ジェイクとシンシアを見比べた。
 輝くばかりのプラチナブロンドに薄い色の青い瞳・・・。
 確かにウォレスの髪は真っ黒だから、彼の娘にしては明る過ぎるブロンドだ。母親の血を濃くひいているものだと思っていたが、こうしてジェイク・ニールソンとシンシアを見比べると、大きな瞳の色も薄い色の髪もよく似ているような気がする。
 やはり、これは嘘でも何でもない。
 シンシアは、本当にジェイク・ニールソンの血を分けた娘なのだ。
 余りのことにマックスはよろめいて、二、三歩後ずさった。
 ウォレスの背中を見つめる。
 ああ、何て事だろう・・・。この人は、十何年もの間、それこそ自分の命を削って仇の子を育てていたのだ。
 確かに、母親のことを『同志』として思っていたとはいえ、もし自分がその立場だったら、そんなことできえただろうか。
 これまで、ウォレスとシンシアが互いに本当の親子として触れあってきた場面が目に浮かぶ。どの場面のウォレスも、シンシアに絶対的な愛情を注いでいた。その目線に迷いはなかった。シンシア本人でさえ、自分の父親が本当でないなんて疑問は持たなかった筈だ。
 恐らく、ウォレスは本当にシンシアのことを愛しているのだろう。
 例え血は繋がってなくとも、シンシアのことを本当の親のように愛している。
 おそらくそれは、彼女の母親に対する思いと同時に、ジェイク・ニールソンに対する愛情もあったのだろう。ウォレスの言葉には、その思いが滲んでいた。
 今は敵対する間柄でも、幼い頃は掛け替えのない思い出を共に作ってきた幼なじみだ。
 罪を重ねる前の純粋無垢な時代、アレクシス・コナーズという少年は、隣に住む頭がよくてかっこいいお兄さんのことが大好きだった。そしてそのお兄さんも、アレクシスに溢れんばかりの愛情を注いでくれた。その思い出が、ジム・ウォレスという男になってからも、身体の中にひっそりと仕舞われてあったに違いない。
 アレクシスもまた、ジェイクを愛するが故に、愛する者の裏切りに耐えられなかったのだ。神のように崇めていた男が、単なる薄汚い泥棒だったと気づいた時の怒り、悲しみ。
 そんな重い感情を身体の中に押し殺しながら、よくぞ今まで生きてきたと思う。
 彼はきっと、シンシアをその心の砦にしていたに違いない。
「だから、ジェイク。馬鹿なことはもうやめよう」
 ウォレスが一歩前に進む。ジェイクは険しい顔つきで腕をブンブンと振り回した。
「うるさい! そんなことで俺を惑わせやがって! 俺は引かないぞ! 主導権は俺が握っているんだ! 早く選べ! その男を殺すか、その女を殺すか!!」
「何を言ってるんだ?! お前だってできるのか? 血を分けた娘だろうが!!」
「うるさい! うるさい! うるさい!!」
 二人が言い争っている間も、マックスはどこか憑き物が落ちたような表情でいた。今だ動揺を隠せないジェイクとは、正反対の顔つきだった。
 マックスにとって、ウォレスの告白は、全ての事の霧を晴らしてくれた一言だった。
 これで、ジム・ウォレスの中のある喜びも悲しみも全て知ることができる。
 これまで、唯一踏み入れることができなかった、アレクシス・コナーズという存在。
 その存在がこんなに身近に感じることが出きる日が来るなんて。
 ああ・・・俺はやっと、彼の心の全てを理解できるようになったんだ・・・。
 マックスはそう思うと、こんな状況でありながら嬉し涙が込み上げてくるのを感じた。
 マックスは、シンシアの存在を神に感謝した。
 シンシアがいなければ、ウォレスもこうして生き延びていなかった。そしてウォレスと自分がこういう関係になることもなかった。家族という暖かみを感じることもできなかった。
 シンシアは、この一連の苦しみの中で輝く宝石に違いなかった。
 彼女のためなら、死ねる。
 本当に、迷いなく。
 マックスは、微笑んだ。
 そしてウォレスの腕を掴む。
 ウォレスが、はっとして振り返った。
 そこに立っているマックスは、先程までの恐怖に震えていた彼とはまったくの別人だった。その神々しいまでに落ち着いた表情は、とても美しかった。
 そしてマックスは一言言う。「俺を、殺してください」と。

 

Amazing grace act.150 end.

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編集後記

ど~も~!(←空元気・・・)
先週、ミッチー(元)王子に土曜に会いに行くと言って、来週の更新は日曜になりますとほざいておきながら、結局土曜に更新している国沢です(汗)。
すみません、一日勘違いしてました(汗汗)。本番は、明日ですた(汗汗汗)。
老人力加速中の国沢、もはやカレンダーも理解できないようです。
とにもかくにも、最終版にさしかかったアメグレ。ようやく国沢の中でも着地点が見えてきました。(まだ書いてないけど)
今回は、シンシアがジェイクの娘だったという事実が判明して、「あ、やっぱりね」と思う方もいらっしゃると思いますが、とりあえず演技で構わないんで、一回は「え~~~~~?! うそぉ!!」と言ってください。
「・・・For Wallase」ってことで(←ロード・オブ・ザ・リングの名場面を拝借)
え? やっぱアルゴラン同様、それは無謀な戦いですか?

[国沢]

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