act.86
「事件の糸口は、やはり三番目の事件だと思うんです」
会議室の中の視線が、一斉にセス・ピーターズに集まった。
ここのところ、爆弾処理班の見解と殺人課の捜査陣との見解に微妙なズレが生じ始めていた。
それには様々な原因があったが、一番の要因は確たる証拠についての見方の違いなんかではなく、もっと『私的』な感情からによる対立だった。
それは、ピーターズが連れてきた男が原因だ。
爆弾処理班・・・つまりはセス・ピーターズの強い主張により、『部外者』・・・ジョイス・テイラーが捜査班に加えられたのだった。
殺人課の刑事達は、目に見えて難色を示した。なぜ、国も身分も違う人間に痛い腹を探られなければならないのか。FBIならまだしも、テイラーは英国大使館員なのだ。まったくどうかしている・・・。
だが、珍しくセス・ピーターズは感情的になって譲らなかった。あの温厚で怒鳴っているところなど見せたことのない男が、「己のメンツにこだわっている場合か」と融通の利かない捜査陣を一喝したのだ。
殺人課の誰もが、そんなピーターズの陰口をたたいた。「あいつは、変わった」と。「四つめの事件のお陰で、頭に血が上っちまってんだ」と。
だから、今ピーターズが言ったことをまともに聞いているのは、爆弾処理班の班長デビット・オリバーとピーターズの同僚ホッブズぐらいだった。その他の連中の目は、冷たくピーターズを眺めているだけに止まった。そんな空気を感じて、ホッブスが頼りなさげな視線をピーターズに送った。そのピーターズの身体の先には、苦い表情をして腕組みをしている黒スーツ姿のテイラーが座っている。
まずいなぁ・・・。
ホッブズは思った。
いつもは世辺り上手な同僚が、今回ばかりは真っ向から逆風を受けようとしている。
確かに今回の事件でセスは熱く成りすぎている感がある。だが、セス・ピーターズという男は、そのことを差し引いても警察官としての鋭い観察力や状況認識力は優秀なのである。だが、セスが署長を半ば脅すような勢いでテイラーを引きずり込んだのは、まずかった。残念ながらセスは、そこのところで間違いを犯したのだ。彼にとっては唯一の、そして最も致命的な間違いを。
殺人課の連中は目の敵にしてテイラーのことを睨んでいるし、それを連れてきたセスも最早敵扱いだ。捜査陣のトップ・ハドソン刑事は、ベテランでなおかつ優秀な男だったが、如何せん堅物で有名だ。人一倍縄張り意識が強いし、ここのところ続いている警察バッシングで酷く苛立っている。おまけに、今回の重要参考人マックス・ローズにまで小馬鹿にされる有様で・・・といっても向こうは精神的な病にかかっているそうなので、小馬鹿にしている訳でもないのだろうが、ハドソンはそう信じている・・・セス・ピーターズよりも感情的になっていた。
現に今も、ピーターズの言ったことに喧嘩腰の返事を返して寄こした。
「そんなこと、お前なんかに言われる筋合いじゃない!」
ハドソンが会議机を勢いよく叩いた。
「ピーターズ、お前の仕事はなんだ? お前は爆弾処理班だろう。なんだ、この報告書は」
ハドソンは、自分の目の前に広げられたピーターズの報告書を掴み、ちらりとそれを見て放り投げた。
「ケヴィン・ドーソンの動向についての報告だと? いつから刑事捜査ができる身分になったんだ? 爆弾処理が仕事のお前が、我々刑事の真似事をして喜んでいるのか?」
苛立っているハドソンは、いつにもまして毒舌にセスを責め立てた。
「一番重要なのは、一番新しい事件だ。いつだって、どんな事件だって、連続性のある事件はみんなそうだ。最新の事件に最大限の証拠が隠されている。そういうものだ。それぐらい、お前だって分かっているだろう」
「でも! 唯一手口が違っている事件は、ケヴィン・ドースンの事件なんです!」
セスはハドソンの攻撃にも怯まなかった。
「ドースンは新聞記者だった。彼の同僚も彼が秘密裏に何かを探っていたことを認めています。彼は何かを掴み、そして消された。そう考えるのが自然なんだ」
「ほう」
ハドソンが目を細める。
「手口が違う? 手口が違うって? どこが違うと言うんだ。誰がそんなことを言ったんだ?」
ハドソンが大げさに肩を竦めた。そのあまりにも芝居がかった仕草に、殺人課の連中も顔をしかめてため息をつく。しかしハドソンはまったく気にしない。
「お前の上司のオリバーから聞いている報告では、爆弾の材料も同じ、爆弾の作りのタイプも同じ。規模は少々大きいが、四番目の事件を考えると不自然ではない。手口は、まったく変わっていないんだよ、ミスター・ピーターズ。その報告書作りには、お前の見解も入っているのではないのか?」
それは事実だった。
分析の結果、同じ材料に同じ配線図。確かにその答えを出したのは、セスだった。
だが、セスが言っているのはそんな事ではない。
「手並みですよ、ハドソン刑事。俺が言っているのは、爆弾の仕掛け方のことを言っているんです。あの事件では、どこに爆弾を仕掛けたら一番効果的か、犯人は知っていた。けれど、他の事件では違います。橋にしても車にしても、アパートメントにしても、壊滅的な場所へ爆弾が仕掛けられた訳ではなかった。仕掛けることに精一杯で、仕掛けた後にそれを楽しむかのような余裕が見られない」
「余裕がない? 何を言うんだ! 四番目の事件を見て見ろ! 爆弾は新聞にわざわざ起爆用のワイヤーを仕掛けやがったんだぞ! ヤツは犠牲者が新聞紙を手にするのを楽しんでいたんだ。そうだろう?!」
「でも、目的は達成できなかった」
セスの一言に、さすがのハドソンも一瞬言葉を失った。セスは続ける。
「犯人が殺そうと思っていた人物は、死ななかったんです。この犯人はドジを踏んだ。確実に殺さねばならなかったのに、彼は自分が仕掛けた爆弾をターゲット以外の人間が触ることにまったく気がつかなかった。俺からしてみれば、およそプロじゃない」
セスは少し息を吐いて椅子に座る。
それを見てハドソンも同じように椅子に座ったが、その目つきは依然として敵意に満ちたものだった。
セスはその視線を受け止め、少しだけ苦い表情を浮かべた。
「でも三番目のケースは違います。粉々に吹き飛んだドーソンの脚には、ガムテープの燃えかすが付着していた。起爆装置の欠片も食い込んでいた。犯人は、彼の脚にスイッチを縛り付けていたんです。犯人は的確に、そして残忍に、余裕の笑みを浮かべてドーソンを死に追いやった。犯人は実に強かで抜け目がなく、鮮やかだ。『知性がある』んです」
ハドソンはうんざりしたようにため息をついた。
「またそれか」
ハドソンは再び立ち上がって、セスとその隣に座っているテイラーを見比べた。
「お前のその偉大な『勘』によって、この街の連続爆弾事件と遠い海の向こうのゾンビ騒ぎがドッキングした訳だ」
ハドソンのその発言に、会議室の中から小さな笑い声がそこかしこから沸き上がった。
セスの同僚のホッブズや上司のオリバーでさえ怪しんでいる話だったので、まるで説得力のない話に聞こえた。
「ゾンビなんかではない。ジェイク・ニールソンは現実に生きていて、この街を訪れている」
突如強いイギリス訛の声が会議室に響いた。
テイラーは静かに、だが力強くそう言った。
だがハドソンは冷笑をやめなかった。
「元IRAの古参テロリストか。まったく馬鹿げた話だ。年齢的に言えば、犯罪者としてもう定年退職といったところだろう。そんな老いぼれが、まんまとイギリスの刑務所を脱獄して旅行者を襲い、空港警察の目をだまくらかしてこの街にきただなんて・・・。ミスター・テイラーのお国もつくづく魔法がかったお話が好きらしい。あなたに言わせてみれば、現代は指輪物語かハリー・ポッターか、そんな世界なんでしょうな」
その発言に、今度はテイラーが熱くなる。
「何を・・・!! 私は現にこの目で確認をしたのだ! あれは・・・あの男は確かにニールソンだった。私が見た映像に映っていたのは・・・」
「それは空港の監視カメラの映像でしょう!!」
ハドソンが再びテーブルを叩く。
灰が山積みになった灰皿がガラガラと音を立て、周辺にタバコの灰がこぼれ落ちた。
「その映像とやらは、私も拝見させてもらいましたよ。あんな画質の悪いほんの数十秒の映像で、どうしてそういう風に断言できるのかが理解できない。・・・ま、あなたは大使館員だから・・・」
「何を・・・?!」
薄笑いを浮かべるハドソンに掴みかかりそうな勢いのテイラーをセスの腕が押さえた。
「ピーターズ・・・?!」
自分を振り返るテイラーに、セスは緩く首を振った。テイラーがジャケットの乱れを正しながら椅子に腰掛ける。
セスは静かな目でハドソンを見つめ、穏やかに言った。
「もし、本当にニールソンという人物がこの街にいるのだとしたら、そしてこの事件に関わっているのだとしたら、今後どういうことになるのか、あなたは分かっているのか」
穏やかなだけに、逆に凄みのある瞳だった。ハドソンも息を呑む。セスは続けた。
「ニールソンは『プロ』です。我々なんかとても手が及ばないほど、知識と技術を積んでいる。もし今回の事件を裏で手引きしているのがニールソンだとしたら、彼に辿り着くまで我々は困難な道を辿ることになるでしょう。現に今、我々は濃い霧の中にいる。手がかりがあまりにも多く、容疑者もあまりにも多い。翻弄されているのは目に見えています。マスコミも敏感にそのことを察知し、我々を能なし扱いしている。我々はその事実を素直に認めなくてはなりません。そうしなければ、この事件は解決しない。だからこそ、俺はテイラー氏に協力を仰ぎました。彼の力が必要だと思ったからだ。凝り固まった縄張り意識など、ドブに捨てるべきだ」
会議室が静まり返った。小さな息さえも聞こえなかった。それは、誰もが目に見えない老いたテロリストの陰に怯えているように見えた。
しかしその静寂は時期に破られた。
ハドソンが高笑いする。耳障りな声で。
「縄張り意識か。こりゃいいや。お前には縄張り意識が全くない。そうさ。警察はおろか、マスコミに対してもな」
セスは怪訝そうに顔をしかめる。
「まったく、ミスター・ピーターズは寛大な男だ」
ハドソンがセスの真ん前の席に腰掛け、身を乗り出す。
「お前の女は、我らが憎みべき新聞社のカメラマンらしいな。しかも、よりにもよってCトリビューンときている。あのケヴィン・ドースンが勤めていた新聞社だ」
ハドソンがニヤニヤと笑った。
「俺もつい先頃会ったよ。調書を取るためにな。なかなかの美人じゃないか。小生意気で気が強くて、抜け目がない。あの分じゃお前さんのことだ。尻にひかれてたんだろう。で、何をしゃべった。俺が調書を取りに行く日取りか? それとも、三番目の事件は随分と鮮やかな手口だったとベッドトークでもしたのか? どうなんだ?」
「あんた、本気でそんなことを言っているのか・・・?」
セスは呆れた顔をしてハドソンをにらみ返した。
確かにセスが愛しているレイチェルは新聞社に勤めている。しかし、事件についての情報をセスは漏らしたことはない。お互い大人だし、互いの仕事の内容も尊重してきた。それに、事件が起きてからというもの、ろくに逢える時間さえなかったのだ。最近漸く逢えたのは、マックスが搬送された病院でのことだ。それもほんの数分で終わり、ろくな会話も交わせなかったというのに。
事件以来、セスが警察署内にほぼ缶詰の状態でいることは、ハドソンだって周知しているはずだ。
それにマスコミが三番目の事件を騒ぎ立てているのは、マスコミだってバカではないということに過ぎない。逆を返して言えば、誰が見ても三番目の事件は特別だということなのだ。
だが現時点で、ハドソンが出した切り札は十分な効果を発揮した。
ハドソンはあくまで『余所者』を排除したいと思っていたし、彼に協力を仰ごうとした人間・・・ピーターズさえも邪魔者であると排除したかった。そのためなら、どんなことも利用する。だからこそハドソンは優秀な刑事としてやってこれた。
例えそこに何もなかったとしても。
セスは非常に微妙な立場に立たされてしまったのである。
「荷物をまとめて、捜査本部からお引っ越しした方がいい。さぁさぁ・・・さぁさぁさぁ・・・」
そう呟きながら、身体を引くハドソンの目には、これは『勧め』ではなく『命令』であるこを物語っていた。
セスは思わず、自分の上司オリバーを見る。
オリバーは何とも苦々しい表情を浮かべ、声もなしに「sorry」と呟いた。優秀な彼の上司にしても、ピーターズにまつわるこの事実は、曲げようがない。
ハドソンは、狙っていたのだ。そしてまんまと成功させた。
セスは、一連の事件の捜査から外された。
ベン・スミスは・・・ジェイク・ニールソンは、ジェイコブの前から姿を眩ました訳では決してなかった。それはジェイコブの勝手な思いこみであり、ジェイクは活発になってきた警察の手を逃れるための布石を踏んでいる最中であった。
今やジェイクは、老いた身体でありながらもその目つきは、第一線のテロリストとして活躍していた頃の輝きを取り戻しつつあった。
実のところ、警察の手は着実に近づきつつあるようだった。
報道では、警察の間抜けぶりばかりが取りざたされていたが、倉庫街の事務所まで警察の関係者が聞き込みに来ていたらしい。背の高い男だったそうだ。幸いにも管理人は、ドースンがジェイコブの借りている倉庫のことを訊ねてきたことを知らなかった。ドーソンはアルバイトの若い男に金を掴ませており、そのことが幸いして、警察当局にはその情報が流れなかった。今では、その若いアルバイトは高架道路下の砂利の中に埋まっており、ジェイクはその後かたづけを済ませるのに少し手間取ってしまった。だが、お陰で倉庫の情報が今すぐ警察に流れることはなくなったが、倉庫の存在が危うくなったのは間違いない。
ジェイクは倉庫の中にある自分の形跡を跡形もなく消し去り、新聞社も辞めた。ジェイコブから少し距離を置く必要があると思ったからだ。
だが今度はジェイコブが荒れ始めた。
予想はしていたが、こんなに急激に暴力性が増していくとは、予想外だった。全てにおいて猜疑心が強くなり、行動の端々に凶暴さをかいま見せた。遠くから観察していたジェイクにさえ、はっきりと分かるほど、ジェイコブの変化は劇的だった。
原因を作ったのは自分とはいえ、ジェイコブの変わり様は、最早『暴走』だ。
まずい状況になってきた・・・。
ジェイクがジェイコブの家に戻ったのは、うまくジェイコブを宥めすかすためだった。
ジェイコブは自分の妄想にだけ忠実な夢見る青年だった。
そんな青年なら、ジェイク・ニールソンは幾人も自分の虜にしてきた。自分の言葉に夢中になる青年の姿はジェイクにとって見慣れた光景だった。
おそらく、自分の話術なら再びジェイコブをコントロールすることは可能だ。
アレクシスをコントロールしたのと同じように。
ジェイクは、古ぼけたマローン家のドアをノックした。
応答はない。
ジェイコブは出かけているらしい。おそらく、家の中には彼の母親がベッドで悪態をついているだけだろう。
まぁいい。鍵はある。待っていれば、ジェイコブも帰ってくる。
ジェイクは懐から鍵を出して、ドアを開けた。
いつもなら、「誰だい?」という不躾な大声が奥の部屋から聞こえてきた。
ジェイコブの母親は、足が不自由で寝たきりの生活をしていたが、その声は驚くほど大きく、話す言葉は、胸がむかつくほど饒舌だった。ジェイクもあの大きな声に何度閉口しただろう。許されるものなら、絞め殺してやりたいと思ったほどだ。
眠っているのだろうか。
ジェイクは奥の部屋のドアを開けた。
そして一瞬鼻を鳴らした。
ああ、あいつは絞め殺さず、殴り殺したのか。
ジェイクはそう思って、少し笑った。
突如電話のベルが鳴った。
まるでセスが事件を外されて、爆弾処理班の自分の席に帰ることが分かっていたのように、セスのデスクの電話が。
セスは事も無げに鳴り響く電話を見つめ、そして背後に立つ黒づくめのテイラーと顔を合わせた。
今この部屋にはセスとテイラーしかおらず、電話のベルは大げさに広い室内に響き渡った。
セスは今一度電話と向き直ると、少し汗ばんだ手で受話器を取った。
「ハロウ?」
セスが受話器に向かって囁くと、少し間があいて聞き覚えのあるしっかりとした声が答えた。
『セス・・・? 俺だよ。力を・・・力を貸して欲しい』
その声は、精神的な病を抱えてしゃべることができないはずの、マックス・ローズの声だった。
Amazing grace act.86 end.
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編集後記
なんだかまたもや予告をぶっちぎった感のあるアメグレでしたが、いかがだったでしょうか。
もうここまでくると、予告などとっくの昔に無視することに決めたわっていう方が殆どでしょうけど(汗)・・・。大河のようにおおらかな目で見て下さい(←これ切望)。
またもや久しぶりにやってしまいました。主役の出てこない回(爆)。
いや~ん。我ながら怖いことしてます。セスはいじめられているし。ジェイコブのママンは血塗れだし(汗)。本当にやばくなってまいりました。甘々な頃は一体どこへいってしまったのでしょう???ああ、あのころが懐かしい・・・(泣)。
[国沢]
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