act.66
三人で笑いながら移動遊園地のゲートを出た。
もう日は港の向こうに沈みかけている。空はゴージャズな夕焼け色に染まっていた。風は寒かったが、次第に気候が穏やかに緩んでいく気配を感じさせる。春はもう近い。
「パパ、ディナーは外で食べましょうよ。ね、いいでしょ」
シンシアがテディーベアを抱え直しながら傍らの父親を見上げる。ウォレスは少し肩を竦めた。
「そうだな。何が食べたい?」
「マックスは? マックスは何が食べたい?」
シンシアが、父親とは反対側に立つ金髪の青年を見上げた。
マックスも、ウォレスがしたように肩を竦めて見せる。
「シンシアが選べはいいよ」
「私はいいの! もう十分我儘きいてもらっちゃったんだもの。二人のハンサムガイにお姫様扱いされて、もう満足。今度はマックスが我儘言わなきゃ。ね、パパ」
シンシアが意味ありげな瞳の色を浮かべながら、父親を見る。ウォレスは、リラックスした微笑を浮かべた。
「そうだな。マックス、何がいい?」
二人に見つめられ、マックスが「そうだなぁ・・・」と空を見上げた時、耳障りなサイレンが遠くから徐々に近づいてくる。
三人が思わず道路に視線を向けると、轟音を立てながら凄いスピードで道路を駆け抜けていく消防車の団体が慌しく通り過ぎた。
「火事・・・」
夕刻の空に乱反射するサイレンに、シンシアの声が重なった。と、マックスの胸ポケットから、携帯電話のベルが鳴った。
「ごめん」
マックスは軽く断わると、二人から距離を置いて携帯電話の通話ボタンを押した。
『マックス?』
受話器から急くように零れ出てきたのは、叔母のパトリシアの声だった。
「叔母さん。どうしたの?」
マックスは、叔母の声が不安に震えているのを察知した。パトリシアは、感情を表に良く出す女性だが、今の叔母の声にはいつもよりも過剰なほどの恐怖感が伺えた。
『ああ、よかったわ。連絡がついて。家に電話しても出ないんだもの・・・』
「ごめんよ、出かけてたんだ。それよりどうしたの?」
『今すぐ、新聞社に行ってほしいのよ。あの子、すっかり取り乱してて・・・』
「取り乱す? 何が?」
『レイチェルよ! 今日は休みだったのに、新聞社から連絡があった途端、気が狂ったように癇癪を起して飛びして行ったの・・・』
叔母はその時の様子を思い出したらしい。叔母は声を詰まらせた。マックスには状況がまったく分からない。
「何があったの? 叔母さん、落ち着いて。何を言ってるのか全く分からない」
しばらく叔母の泣き声が聞えた後、大きく深呼吸する音が聞え、叔母の声が続いた。
『レイチェルの同僚のケヴィンが亡くなったのよ。家が燃えて・・・。お願い、マックス。新聞社に行って頂戴。あの子の様子は異常だった。叔母さん、怖いわ・・・』
マックスは、今通り過ぎていった消防車の走っていった方向を見つめた。ざわざわと胸騒ぎがした。
「分かったよ、叔母さん。俺に任せて。また連絡するから。いいね」
電話を切る。振り返ると、少し距離を置いて、ウォレス親子がマックスを見ていた。二人とも不安げな顔をしていた。
「何かあったのかね?」
「レイチェルの同僚が急に亡くなったようです。それでレイチェルが新聞社に向って飛び出して行ったみたいで。叔母が心配して電話をかけてきたみたいです。レイチェルは、昔から感情の起伏が激しくて」
「それで?」
シンシアがマックスの手を握ってくる。マックスはその手を軽く握り返した。
「ちょっと様子を見てきます。だから・・・すみません。折角・・・」
「そんなこといいんだ。すぐに行ってあげなさい。新聞社まで送っていこう」
「すみません・・・」
マックスは再度謝って、空を仰いだ。強烈な茜色の空が、炎のように見えた。
血が滲むほど、レイチェルは編集長のデスクを叩き続けた。
「現場に行きたいのよ!! なぜ! なぜ止めるの?!」
ヒステリックにレイチェルが叫ぶほど、編集長は強固な態度を固めていった。
「何度も言ったが、もうバーマン達が向った。状況は逐一ここに入ってくることになってる。落ち着くんだ」
レイチェルは悲鳴のような声を上げた。編集室に集ったスタッフ達が、開け放たれた編集長室のドアから、悲壮感漂う表情で二人の対決を見つめていた。
「落ち着け?! 落ち着けですって?! 正気なの?! 部下が、部下が死んだのよ!」
「そんなこと言わんでも分かっている!」
腕組みをしたままの編集長が、レイチェルの声を掻き消すほどの大声で怒鳴った。
レイチェルは思わず口を噤む。
編集長の目が赤く充血していくのを見たからだ。
レイチェルは耐えられなくなった。どんどん顰めっつらになっていく編集長の顔を見ていたら、ボロボロと涙が零れ落ちた。
レイチェルの口から嗚咽が洩れる。やがて号泣に変った。
悲しみが抑えられなかった。
自分の悪い予感が的中した結果だった。
ドーソンの家は、原因不明の爆発を起して飛び散った。家の外壁や屋根と共に粉々になり、周囲の道路や庭に転がった破片の中には、ドーソンや彼の妻の身体の一部と思われるものも含まれていた。
現場は今、消防車や警察の関係車両で封鎖されているという。
記者がそこへ向ったとして、どれほどの状況が知らされるというのだろう。
もし今回のことが単なる事故でないとすれば・・・。
昨夜のドースンの様子はやはりおかしかった。自分に彼を救うチャンスはあったはずだ。自分がもっと早く彼に警告しておけば、状況は変っていたのではないか。
明らかにドースンは、危険な領域まで足を踏み込んでいたのだ。ジム・ウォレスのことを調べているというよりは、何かもっと別のものに取り憑かれていた。自分はそれに、気づかぬ振りをしたのだ・・・。
床に泣き崩れるレイチェルの肩を先輩記者のケイト・ラルゴが抱いた。
「レイチェル・・・、休みましょう。ね・・・」
レイチェルは抱き起こされ、編集室の外に連れ出された。
廊下の先の休憩ブースに連れて行かれた。
「何か飲むものを持ってくるわ。何か飲みたいものがある?」
先輩女性記者にそう訊かれても、レイチェルは言葉を返すことができなかった。
永遠に涙が流れ落ちるのだと思った。
胸が痛い。
気が狂いそうだった。
どうして・・・どうして・・・・!
騒がしい廊下の雑音に混じって、聞きなれた声がかすかに聞えた。
「レイチェル!」
レイチェルは涙塗れの顔を上げる。オンボロのソファーから立ち上がって、廊下を覗き込んだ。
「レイチェル!!」
「マックス!」
心配げで必死な顔をした従弟は、レイチェルの顔を見るなりほっとしたのか、安堵の表情を浮かべた。行き交う社員の波を潜って、真っ直ぐに走ってくる。
「レイチェル」
従弟の逞しい腕がレイチェルの小さな身体を包んだ。
レイチェルの胸の痛みが少し和らぐ。
「大丈夫。俺がついてるから・・・」
レイチェルの耳元で、従弟の優しい声が響いた。レイチェルは瞳を閉じた。新たな涙が零れ落ちたが、気分は大分落ち着いてきていた。これからは穏やかな涙を流すことができそうだった。
「マックス・・・・。マックス、どうして?」
ソファーに腰を下ろして、マックスはハンカチをレイチェルに渡した。
「叔母さんから連絡があって。何があったか聞いたよ。叔母さん、凄く心配してた」
レイチェルは溜息をついた。泣きじゃっくりがレイチェルの身体を揺らした。
「きてくれて嬉しいわ・・・。今にもどうにかなりそうなところだったのよ・・・。それにしても、よくここまで入って来れたわね」
「入口のガードマンが俺の顔を知っていて。レイチェルの従弟だっていったら、入れてくれた。新聞社の前は、他社のテレビ局や新聞社が集まってきつつあるよ。こういうことは伝わるのが早いんだね」
「ハイエナだからよ。そいつらも、私も、そして・・・ケヴィンも」
硬い表情でレイチェルは言った。その毒のある台詞に、レイチェルの心の痛みが滲み出ているような気がして、マックスは心を痛めた。レイチェルの手を握る。
レイチェルは、また新たに零れる涙を空いた手で拭って、鼻を啜った。
「きっとケヴィンは殺されたのよ。ええ、そう。間違いないわ。ただの火事じゃない。爆発したのよ。ケヴィンは家ごと吹き飛ばされたの」
マックスは、レイチェルの言ったことに息を呑んだ。
一瞬、マックスの脳裏に空に伸び上がる炎の柱が浮かんだ。
道路に転がる赤い塊・・・。
マックスの強張った表情を見て、レイチェルは頷いた。
「そうよ。これはまた新たな爆弾事件なの」
Amazing grace act.66 end.
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編集後記
さぁ、今週。ついに身内から死者が出てしまいました。どんどんきな臭くなっていく気配です。いやぁ~、どうなっていくんでしょう。本気で国沢にも判ってないんですよ(涙)。やばいっす、マジで。いいんでしょうか。こんなに行き当たりばったりな更新で。
まるで今年のワールドカップの優勝チームを予告するより分からない先行きに、国沢も一喜一憂でございます。
よろしくお付き合いの程を・・・。
[国沢]
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