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act.02

 街の中心には大きな噴水がある。その噴水を中心として、緑の森が広がっていた。ニューヨークのセントラルパークほどの規模はなかったが、市民の愛する公園である。その周辺には車椅子が5台並んで通ってもまだ余裕があるほどのゆったりとした道幅の歩道が取り囲んでおり、街路樹が生い茂っていた。歩道には上品な造りのベンチが程良い数並べられ、大抵の日はあちらこちらでホットドッグや安いペーパーブックを並べた露天商が店開きをしている。
  客観的に見てもC市の中心部は、美しい景観を持つ街である。これはひとえに、ミラーズ社の影響だ。現在のスポーツ業界市場の発展(それは主に一般市民に関する市場においてであるが)に、ミラーズ社の残してきた功績は大きい。自然と健康と最新科学の共存を理想に掲げ日夜躍進を遂げるミラーズ社は、C市をその理想モデル都市にしたてようと、様々な施設建設に投資を行っている。街中に緑が多く配置されているのも、その投資の力によるところは大きい。
  C市の市長は、まず選挙で当選すると、ミラーズ社社長ベルナルド・ミラーズに真っ先に挨拶をしに行くという噂話は、あながち冗談ではないだろう。
 噴水を中心にしたセントラルパークの北側に面したところに、ミラーズ本社は建っている。
 ミラーズ本社は6階建ての3つの建物で構成され、周囲のハイテクな高層ビル群の中では、少々異質のクラシックな雰囲気を湛えていた。だが一歩エントランスを入ると、その外観とはがらりと変わる雰囲気に、訪れるものは驚かされる。
 5階まで吹き抜けた明るいロビー。その吹き抜けに面した廊下やオフィスにはガラスや観葉植物が多用されており、非常に開放的な空間づくりがされている。各部屋は理路整然とシンプルに配置されており、社員の動線がスムーズに運ぶよう配慮されている。壁にはこっくりとしたミルク色の壁紙が張られてあって、和やかな空気を演出していた。
 ここを訪れる人間は、スポーツ業界最先端の会社に来たというよりは、まるで厳粛な図書館にでも来たかのようなアカデミックな印象を受ける。そして夜になると、この建物は更にドラマチックな空間を作り出のだ。様々な箇所に多用された間接照明は暖かな色の光で壁を照らし出し、品のいい美術館さながらの雰囲気を醸し出す。世界的にも著名な建築家レオナルド・マーシャルの代表作ともなっているミラーズ本社の建物は、様々な業界からも注目をされており、本社建物内でミニギャラリーやパーティー、有名スポーツ選手や芸能人のチャリティーオークションが開催されることも多々あった。
 社長のベルナルド・ミラーズは、急成長を遂げるパワフルな会社のイメージとは裏腹に、非常に大らかな人物である。会社で仕事をするよりは、海にぽっかり浮かぶ小さな島の別荘で釣り三昧の日々を過ごしたいと常に思っている老人だ。だから他社の人間は、ベルナルド・ミラーズの人となりを知ると、どうしてミラーズ社にはあんなにも優秀な人間が集まってくるのだろうと首を傾げるのだった。
 実際に会社の経営を行っている副社長のビル・スミスを始め、斬新な製品の研究企画開発者のウィリアム・ウィンストとエマ・ジャクソン、広報のエキスパートであるキャサリン・グッテンバーグ、強力な営業戦略を立てるロッド・オースティン、そして堅実な企画管理を行うエドワード・バーンズなど、毎月発刊される経済誌やその他の専門誌などに頻繁に顔が登場するような、他社が喉から手が出るほど欲しがる人材がたくさん社内に溢れているのだ。
 だが、意外に外部には知られていない事実だが、ミラーズが最も信頼を置いている人間は、上記に上げた人物の中にはいない。社内の円滑な運営、今後の会社の方針、営業計画、その他有能な人物のヘッドハンティングなど、あらゆる面でミラーズ社に貢献しているのは、社長秘書室首席秘書のジェームズ・ウォレスであった。
 社長がいつものごとく雲隠れした時、副社長のビル・スミスが最終判断を下すことになっているのだが、スミスは必ずウォレスの判断をそれに取り入れた。ミラーズ社の社員は誰もが、ジェームズ・ウォレスの動向に常に注目し、彼の指示を待った。社長秘書という肩書きは、あくまで肩書きに過ぎず、ミラーズ社を実際切り盛りしているのは、明らかにジム・ウォレスであった。
  ミラーズ社に勤め始める新入社員がまず最初に持つ疑問は、この表舞台に一切立とうとしない才能の固まりのような男が、なぜ社長秘書なんて肩書きを持っているのか、ということだ。大抵その疑問は、社長はそれほどまでしてウォレスを手元に置いておきたいのだろう、ということで解決された。(実際社長のスケジュール管理をしているのは、社長秘書室次席のエリザベス・カーターであるし、なんとウォレスには、ウォレスのスケジュールをフォローする彼専用のアシスタント・・・つまり秘書の秘書だ・・・がつけられているのだ)
 だが、この事実は、社外には殆ど知られていない。ミラーズ社と取引のあるごく限られた範囲の人間だけがウォレスの名に驚異を感じているのだった。


 ウォレスのオフィスは、コの字型に並ぶ3つの建物に囲まれた中庭が望める中央ビルの最上階にある。むろん社長室のすぐ隣にあり、廊下に出なくても社長室に入れるように、オーク材の重厚なドアで2室は結ばれていた。
「すみません、ウォレスさん。お話があります」
 短いノックの後、秘書室長室に企画管理部のマーサーが入ってきたので、ジェームズ・ウォレスは電話の相手に「また後で電話をする」と断って電話を切り、手元の書類から目を上げた。
 性急なノックの音から想像すると、あまりよい話ではないらしい。案の定、ウォレスが上げた目線の先には、そばかす顔のマーサーの苦み切った表情があった。
「すみません、あの・・・」
 やたら早口にそう切り出すマーサーに、ウォレスは人差し指を立てて見せた。それを見てマーサーは口を噤む。ウォレスはその指でマーサーに目の前の椅子に座るように指示すると、デスクの後ろのカウンターにおいてある水差しからグラスに水を注ぎ、それをマーサーに手渡した。マーサーは少しそれを口に含むと、大きな深呼吸をひとつした。
「すみません、ウォレスさん」
 先ほどよりは幾分落ちついた声で3度マーサーが謝ると、ウォレスは唇の端だけ上げて微笑んで見せた。
「さぁ、話を聞こうか」
 ウォレスがまるで子どもに問いかけるような柔らかい声でそう切り出すと、マーサーはもう一度深呼吸をしてみせた。
「あの・・・。実は、新素材のポリテノックに関することなんです」
「体温管理のできる通気性の高い素材だったな」
「はい。ポリテノックは、従来出回っている類似製品より通気性を更に50パーセント向上させようとする新素材です」
「確か、それについては今日、開発委託会社のストラス社と打ち合わせがあるだろう」
「え、そんなことまでご存じなんですか?」
 マーサーがギョッと目を剥くと、ウォレスはまた再びシニカルな笑みを浮かべ、マーサーを斜に見つめた。
「社内を歩き回っていたら、それぐらいは分かる。バーンズがストラス社にかなり手を焼いてるってことも」
 この人は、どこまで社内の情報を網羅しているんだろう・・・。マーサーは正直背筋が寒くなるのを感じていた。ミラーズ社は、社員数が本社だけでも1000人を越える大会社である。社長秘書室室長という立場にあるとはいえ、一部署のその日の細々した打ち合わせの日程までを把握しているなんて、マーサーから見れば正気の沙汰ではない。ウォレスの頭の中には、全社員の顔と名前が完全にインプットされているらしいという冗談めかした噂話は、あながち嘘ではないのかもしれない。
  マーサーは、40を目前にしたすこぶる優秀なこの男が、なぜ黙って社長秘書という地位に甘んじているのかが分からなかった。マーサーがもし、これほどの情報処理能力と柔軟で的確な判断力を備えていたら、もっと重要なポストを望むか独立を決め込んでいただろう。
 この会社にとってジェームズ・ウォレスは、単なる社長秘書という肩書きを越えて、あらゆる問題のトラブルシューターとして、また社員と社長とのパイプ役として、カリスマ的な存在感を発していた。
 北欧の血筋を深く感じさせる彫りの深い顔つきと静かな森林の静寂を思わせる落ちついた雰囲気を持つこの男は、ミラーズ社のありとあらゆる課や部署に強い影響力を持っていた。しかも、大抵ウォレスの下す判断は正しかったので、社内でウォレスを厄介者と思っている一部の人間達(それは主に、ロッド・オースティンと並んで営業部の権力者として君臨しているトニー・キングストンの一派だ)も口が出せずにいる。
「それで? 今打ち合わせが終了したというところかな?」
 少し鼻にかかった深くてハスキーな声。単語の語尾を強く発声する独特の癖があるこの声に参っている女子社員も多い。
 マーサーは、ウォレスの言葉に首を横に振った。
「いや、今その真っ最中なんです。バーンズ部長がトラスト社の社長のマイルス氏と激しくやりあってるところです」
「どうやら問題は性急なことらしいな」
「・・・はい、そうなんです。ポリテノックの開発がほぼ7割方進んだ今の段階になって、突然ストラス社が開発から手を引きたいと言い出したんです。契約を破棄したいと。こちらとしては、もう何がなんだか・・・。賠償金は払うと言ってるんですが、ポリテノックの開発は、我が社の研究スタッフとストラス社の研究スタッフとの合同チームで行われていました。うちが持っているデータ以上に、ストラス社所有のデータも価値が大きいんです。しかも未だ解決のついていない問題もあるし、開発部のウィンスト部長の見解では、今あるストラス社のデータをうちで引き継いだにしても、完成まではとても無理だとのことです。他社にも、ストラス社ほどのレベルの開発を手がけられるところはありませんし、他社の動向をみても、代わりの開発会社を探している時間はないんです」
「ストラス社の動向を把握できていなかったのは、バーンズのミスだな」
 今まで穏やかだったウォレスの瞳が鋭い光を灯したのを、マーサーは見逃さなかった。マーサーは、手のひらにじっとりと汗が浮かぶのを感じながらも、こう答えた。
「はい・・・あの、いえ、僕達のミスです。僕達が部長をうまくフォローできなかったんです。バーンズ部長に全責任があるわけではありません」
 マーサーは、自分でも自分の声が微妙に震えていることが分かった。なにせあのミッドナイトブルーの瞳が、自分をじっと射抜いているのだ。口元に手をやって自分を黙って見つめる恐ろしくストイックでハンサムなウォレスの姿は背筋がゾクゾクするほど様になっていて、こんな状況だというのにマーサーは、彼に見とれている自分を感じていた。
 ウォレスはスッと息を吸い込むと、頭の後ろに両手を組み、背もたれに寄り掛かった。それを見たマーサーはビクリと身体を震わせたが、次の瞬間にウォレスが穏やかな微笑みを浮かべるのを見てほっと胸を撫で下ろした。
「バーンズはなかなかいい部下を育てているな。・・・マーサー、すまないがストラス社の打ち合わせをあと30分引き延ばしてくれないか。ストラス社には現在、W&PC社が粉をかけているとの情報がある。ストラス社が急に態度を翻したのはそのせいだ。W&PC社は来年の1月にポリテノックと同様のタイプの素材を使用した商品を発売させる予定らしい。勿論、ポリテノックの性能には低く及ばないものらしいが。W&PC社としては、新商品発売後に他社がそれ以上の性能を持った商品を発売するのは、当然おもしろくないことだ。計画がぽしゃるようにストラス社を買収したあげく、その開発データも頂戴しようというところだろう」
 ウォレスが淀みなく言ったその言葉に、マーサーは開いた口が塞がらなかった。いつの間にそんな情報を・・・。マーサーは何も口に出せずにいたが、その表情は言葉より雄弁に語っていたのだろう。ウォレスがマーサーを見て、今度は明らかに破笑してみせた。
「私も今さっき知ったばかりだよ。このことがもっと早く分かっていたのなら、バーンズにも忠告できた」
 そう言ってウォレスは、手元の資料をマーサーに見せた。その書類には、ストラス社周辺の動きが事細かに調査してあった。それにしてもよく調べてある。これにはマーサーも舌を巻いた。
 そんなマーサーを余所に、ウォレスは続ける。
「この問題は、いち早く情報を収集できなかった私のミスでもある。いいか、マーサー。私が打ち合わせ室に現れるまで、絶対に相手を帰すな。そしてバーンズに下手には出るなと伝えてくれ。後は私が何とかするとバーンズに言うだけでいい。社長とビルには、私から話を通しておく。おそらく社長もビルも、今回の処理を私に一任することで承諾がもらえるはずだ」
「はい」
 マーサーは、急に溺れていた海から引き上げられたかのような感覚に襲われた。ウォレスの言葉は、まるで魔法である。どんなに厳しい状況でも、また不可能だと分かっていることでも、ウォレスが何とかすると言えば、なんとかなるような気がする。絶対的な説得力がウォレスの言葉にはあった。
 マーサーが、深々と頭を下げて部屋を出て行く。それと同時に、ウォレスは電話の受話器を取った。プッシュフォンを押すウォレスの顔つきは、先ほどの穏やかなそれとは違い、獲物を見つけた瞬間の鷹のような目つきだった。
 電話の相手は、2コールの後、受話器を取った。
「ウォレスだ。さっき言っていた件、やはり進めてほしい」
  『手配は粗方ついてるよ』と相手が答えてくる。ウォレスは満足げに頷いた。
「それならいい。だが、少々急いでほしい。30分後にまた電話する。その時までに全てを完了させていてほしい」
 ウォレスのこの言葉に、相手は度肝を抜かれたらしい。「うへぇ」と声を上げる。
『いやにすっ飛ばしてるな。どう頑張ってみても一週間はかかる仕事だ』
「じゃあ新記録を作ってもらおう。金に糸目はつけない」
『はいはい。分かりました。他ならぬアレクシスの頼みだ』
 相手のこの言葉に、ウォレスは露骨に顔をしかめる。
「その名前で呼ぶのはやめてくれ。じゃあな、頼んだぞ」
『OK』
 電話が切れる。ウォレスは部屋を出た。


 約30分後、ウォレスは企画管理部の会議室の前にいた。会議室はバーンズの個室の隣にあり、ウォレスはバーンズの秘書が座るデスクの電話を取って、プッシュフォンのボタンを押した。片方のポケットに手を入れ、「ウォレスだ」と言う彼を、バーンズの秘書は熱い瞳で見つめた。(彼女だけでない、このフロアにいる人間のほぼ全員が、ウォレスの動向に注目している)
  「できたか?」というウォレスの問いに、相手は『まだだ。あと10分くれ』と答えてきた。
 ウォレスは、「あと5分だ」と言って電話を切り、会議室のドアを叩く。ウォレスは室内からの返事を待たずに、ドアを開けた。
 一斉にウォレスに視線が集まる。今にも死にそうな顔をしたマーサーと、多少顔色が悪いものの毅然とした顔つきのバーンズがいた。その向かいには、この間世代交代したストラス社の若き社長のデビッド・マイルスと厳つい顔をしたまるでボディーガードのような男が座っていた。
 ウォレスがドアを閉めると、バーンズが席を立ってウォレスのところまできた。よほど急いていたらしい。ウォレスの腕を掴むバーンズの手は小刻みに震えていた。
「すまない、ウォレス」
「いや。大したことじゃない」
 ウォレスのその言葉に、バーンズも舌を巻く。こんなに緊迫した状況がこの男にとって大したことがない出来事ならば、このウォレスという男は、一体どんな修羅場を今までくぐり抜けて来たというのだろう・・・。バーンズは、隣に悠然と腰掛けるウォレスを見てそう思った。
「初めまして、マイルスさん。私は・・・」
「名乗らなくても分かるよ。ジム・ウォレスだろう。親父から、耳にタコができるほど名前を聞かされてた。お前も早くあんな男になれって」
「名前を覚えていただいているとは光栄です。先代にはとてもお世話になりました。先代はお元気ですか? 心臓の具合が芳しくないとか」
「流石に耳が早いね。親父はホスピスに入ってもらったよ」
 明朗活発な声でマイルスが言う。ウォレスはそれを聞いて、一瞬無表情になったが、すぐに口元だけで微笑んだ。
「そうですか・・・。さて、前置きはここまでにしましょう。ここにいるマーサーから話を聞いたところ、今回ストラス社は、ポリテノックの開発から手を引きたいとか」
「ああ、そうなんだ」
 まるでメジャーリーグの勝敗を聞かれた時に答えるような軽い口調で返事が返ってきた。
「バーンズさんにも説明いたしましたが、ミラーズ社との契約金額では、とてもじゃないけれども開発費が維持できない」
 マイルスの隣に座る大男が口を挟む。ウォレスが目を細めて男を見つめると、男が手を差し出してきた。
「秘書のステッグマイヤーです」
 W&PC社との手引きをしたのは、どうやらこいつらしい。蛇のような目をしていやがる。ウォレスは ステッグマイヤーの手を握り返しながら、そう思った。
「ではいくらが妥当だと思うのです? たとえ何があろうと、ストラス社はミラーズ社と手を切ると言われるのですか」
「のんびりしていた親父の跡を引き継ぎ、僕は我が社の価値というものを再確認しただけさ。我が社の開発技術は、トップクラスだ。正直言って、その甘い汁をミラーズばかりに吸わせておく手はない。最近は引く手あまたなんだよ。僕は親父と違って移り気でね」
「W&PC社から、魅力的な誘いがあったんですね」
 ウォレスが落ちついた声でそう言うと、バーンズが歯ぎしりする音が聞こえた。
「なんだ、知っていたのか。なら話は早い。W&PC社は君達の倍の金額で契約してくれるそうだ」
 マイルスの異様に血色のいいハンサムな顔が、屈託なく微笑む。ウォレスの知る限り、父親であり先代社長のケビン・マイルスとは、いい意味でも悪い意味でも似てもにつかない。
「・・・困りましたな」
 ウォレスが机を指でトントンと叩きながらそう呟くと、一瞬マイルスとステッグマイヤーがお互いに顔を見合わせてほくそ笑んだように見えた。
 だがその笑みは次のウォレスの一言に、堅く強ばることになる。
「残念なことにW&PC社は、もうすぐなくなってしまいますよ」
 この言葉には、マイルスとステッグマイヤーばかりか、バーンズやマーサーにも衝撃を与えた。ウォレスは、7人の反応を十分楽しんだ。
「何を、バカなことを」
 ステッグマイヤーが、笑い混じりに声を荒げる。だが、その顔には一切余裕がなかった。会議内の空気は、ウォレスの先ほどの一言によって完全に形勢が逆転していた。
「ご説明しましょうか。こうしてあなた方と話している間に、W&PC社の株の約60%を我が社と我が社の関連会社が所有することになりました。したがって、近々W&PC社は、我が社の子会社であるクラウン社に吸収合併されます。あなた方がいくらW&PC社と契約をしようとしても、いずれは我が社の傘下である会社になるのです。しかも、下手をするとW&PC社は約束の金額を支払えない可能性だって出てくる」
「そんな・・・。急にそれほどのことができる訳がない。はったりは通じないぞ!」
「嘘だと思うのなら、電話で確認されるといい。今頃、そちらの会社にも連絡が届いている頃かもしれませんね」
 ウォレスが、机の上の電話をマイルスに向かって差し出した時、ステッグマイヤーの携帯電話が鳴った。「失礼」と言ってステッグマイヤーが電話に出る。その様子を悠然と見守るウォレスの横顔を、バーンズとマーサーは、信じられないものを見るかのような、驚愕の表情で見つめた。もし、ウォレスの今言ったことが現実に起こっていることならば、文字どおりウォレスは、不可能を可能にする男ということになる。
 ステッグマイヤーが電話を切る。その様子からして、ストラス社の悪夢は現実味を帯びてきたようだ。
「社長・・・。どうやらウォレスの言っていることは本当のことのようです。どうしましょう」
 マイルスがうなり声を上げる。彼らには最早、選択の余地はなかった。
「分かった。ミラーズ社との契約を生かすことにしよう」
 マイルスのこの言葉に、ウォレスは釘を差した。
「いいえ、マイルスさん。間違っていただいては困る。あなた方がW&PC社と手を結ぼうとした時点で、以前我が社と結んだ契約は無効です。また改めて契約を結んでいただきます」
 今度こそ本当に、マイルスとステッグマイヤーの顔から血の気が引いた。
「どういうことだ」
「今度の契約は、契約金額を前回の80%にダウン。そして、ストラス社のデーターの権利をミラーズ社が完全に買い取るという形にします。ポリテノックに関する特許は、すべてミラーズ社一社のみの所有とし、その件についてストラス社は全権をミラーズ社に一任するということにします。話し合いは以上。質問は一切受け付けません。バーンズ部長、先ほど言った条件で契約書を作成しなおしてください」
「分かりました」
 バーンズが、メモを取りながら答えるのを聞いて、ウォレスは席を立つ。
「待ってくれ、ウォレスさん! 話を聞いてくれ!」
 マイルスが立ち上がる。その拍子に椅子がバタンと後ろに倒れた。
 ウォレスは聞く耳も貸さず、会議室のドアを開ける。
「騙されたんだよ! この男に騙されたんだ!」
 マイルスの悲鳴じみた声に、ウォレスは振り返った。マイルスに突然責めたてられた格好になったステッグマイヤーは、口を戦慄かせながらマイルスを見上げている。その様子を見てウォレスは、溜息をついた。
「マイルスさん。私は下手な言い訳は聞きたくありません。大人しくお引きとりください。私が、あなたの会社を潰すことをしなかったのは、あなたのお父上に恩があるからだ。これ以上騒ぎ立てると、私も少しこのプランを考え直さねばならない。あなたもみすみす会社を失いたくないでしょう。確かにあなたの会社の開発力はトップクラスなのだから」
 ウォレスの静かな瞳に見つめられ、マイルスはその場にすとんとへたりこんだ。今にも気絶しそうな顔色だった。
「マイルスさん。身体の調子が芳しくないようですね。我が社にも医務室があるが、生憎と専属の常勤社医が丁度退職したのですよ。気分がすぐれないようであれば、救急車でもお呼びしますが」
 ゆったりとそう言うウォレスに、ステッグマイヤーが今にも噛みつかんばかりの形相でこう言った。
「あんた・・・、あんたはなんて冷酷な男なんだ・・・」
 ウォレスは、その言葉に答えることなく、無表情のまま部屋を後にした。


 ミラーズ社が事実上W&PC社を吸収合併したというニュースは、瞬く間に経済界に知れ渡ることとなり、その日の夜のニュースでは各媒体が挙ってそのニュースをトップで伝えた。その扱い方は、ニュースがあまりにも突然のことで各社とも情報のない中での報道だったので、各媒体とも実に淡泊にありのままを伝えるだけにとどまった。だが、それだけでもミラーズ社の脅威的に素早い機動力と圧倒的な手腕が伝わるには十分だった。どの媒体とも、W&PC社の強引な勇み足に対する当然の報いという判断を下していたものの、ミラーズ社に対してまったく非難がなかったという訳ではない。ただどんな非難があったにせよ、ベルナルド・ミラーズを始め、ビル・スミスやエドワード・バーンズ等のミラーズ社首脳陣がいつもと変わらず平然としていたこと、また、ミラーズ社の広報担当責任者であるキャサリン・グッテンバーグによるマスコミに対しての誠実な対応によって、さほどのダメージにはならなかった。(キャサリン・グッテンバーグは、昨年度の最も信頼できる企業人トップ50人の中の上位にノミネートされている)
 この一件はウォール街にも少なからず影響を与えたが、ミラーズ社はアンタッチャブルにしておいた方がいいといった雰囲気が改めて市場を埋め尽くす形となり、改めてミラーズ社の力を世に知らしめることとなったのである。

 

Amazing grace act.02 end.

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編集後記

度々くりかえしますが、この話、めちゃめちゃ読みにくいでしょ? ホントにごめんなさい。第一、この編集後記も読んでいる方がいるかどうか・・・(アワアワ)。しかも、主人公の二人。いつ出会うんだって感じでしょ?一応、読み進めて頂けると、そのうち恋愛関係に発展するはずなんですけど(汗)。なんか、読者の忍耐力に挑戦するこのエセ小説。最後まで行き着いていただいた読者の方々には、「名誉・読者賞」を進呈せねばなるまいなぁと思っています。最後まで、どれぐらいの読者が生き残っているのか・・・。まさに、サバイバルっすね。(え? そりゃ違う?)

[国沢]

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