act.152
マックスは、「ジム! ジム!」と繰り返し叫びながら、窓際に近づいた。
中庭を覗き込もうとしたが、身体が酷く強ばってそこから動かなくなった。
自然と身体が拒否をしてしまったのだ。
割れた窓の下を覗き込むのが怖い。
さっき、自分の死を覚悟した時よりもずっと。
そこにある光景が、もし真っ赤な炎に巻かれるウォレスとジェイクの姿だとしたら・・・。
「・・・嫌だ・・・嫌だ・・・・」
もはや囁くような声しか出ず、膝がガクガクと震え、床に両手をついた。絨毯にボタボタと涙が落ちた。
こんなこと、認めたくない・・・認めたくない・・・!!
極度のショック状態に陥ったマックスは、頭を抱え、引きつけを起こしたように喉をヒューヒューと鳴らした。
その瞬間。
「・・・う、うぅ・・・」
窓際から、極々小さな呻き声が聞こえてくる。
それは間違いなく、ウォレスの声だった。
「ジム?!」
マックスは這いずるようにして窓際に近づくと、下を見下ろした。
丁度下の階との境目にある壁面の凹凸に、ウォレスが右手の指先だけで捕まっていた。マックスが手を伸ばそうにも、およそ届きそうにない。ウォレスの身体の向こうには、紅蓮の炎が巻き上がっている。ウォレスの力が尽きれば、十数メートル下の地面に叩き付けられるばかりか、中庭の木々を燃やし尽くしている炎に巻かれてしまうことだろう。そこに待っているのは、明らかなる『死』だ。
正に紙一重の状況だった。最初の死の危険は回避したものの、限りなく『死』の奈落は近い場所にある。
ただでさえ最悪な状況なのに、次の瞬間、マックスは驚愕に打ち震える光景を目の当たりにすることになる。
ウォレスの身体がぶらりと揺れ、彼の左側にくっつくようにぶら下がっている陰が炎に照らし出された。
マックスは、「ヒッ」と息を飲む。
ジェイクだった。
ジェイク・ニールソンがウォレスの左袖を掴み、辛うじて落下を免れていた。
「!!」
マックスは声にならない悲鳴を上げた。
ウォレスは大の大人二人分の体重を、右手の指先だけで支えていた。
その指先は明らかにブルブルと震え、今にも落ちてしまいそうだ。
堪らずウォレスも呻き声上げた。ギュッと歯を食いしばっている。
マックスはカッと目を見開いた。
いけない。俺がしっかりしなきゃ。震えている場合じゃない。俺が、助けるんだ。
マックスは両目に浮かぶ涙を袖口でグイッと拭うと、自分を励ますように、両頬をパンパンと平手で叩いた。先程までの頼りなさげな表情が消え、まるで緊急手術に立ち向かう医師時代の顔つきに変わった。
マックスは立ち上がって周囲を見回す。
何か・・・何かいい方法があるはずだ・・・。
マックスは、社長のデスクや戸棚を開け放ち、中の物を放りだした。とにかく、ロープ状の物があればいい。長くて、細くて、丈夫な・・・。
その時、マックスの視線の先に映ったのは、床の上の黒い塊。
どぐろを巻いて焦げ臭いにおいを放つそれは、ジェイクがどこからか調達してきた小型カメラだった。
マックスは飛びつくようにしてそれを広い、強度を確かめる。
カメラのワイヤー部分を保護しているゴムのカバー部分が焦げ付いていて、鼻を刺すような悪臭を放ってはいるが、芯の部分は流石に丈夫でちょっとやそっとでは切れそうにない。長さは十分とは言えないが、それでも上手に使えばロープの代わりになりそうだ。
これだ。これしかない。
マックスは、割れた窓の隣にある取っ手を掴んで隣の窓を開けると、窓の桟に硬く撓るカメラを結わえ付けた。全体重を掛けて、しっかりと結びつける。そして解けてしまわないようにと余りに部分を自分の身体に巻き付けた。そして反対側の先を窓の外に放り投げる。窓の外を覗き込んだ。
「ジム! それ、掴めますか?!」
カメラの先は上手いことウォレスの身体のところまで垂れてフラフラと揺れていたが、片手だけで体重を支えているウォレスの今の状態では、掴むことができない。それを掴むためには、左腕を自由にしなければ到底無理だ。そのためには、ウォレスの左腕にぶら下がっているジェイクが邪魔だった。
ということは・・・。
一瞬で、その場の三人が同時にそのことを考えた。
マックスとジェイクの視線がカチ合う。
ジェイクは、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
・・・俺がこうしていることが悔しくて堪らないんだろう。おあいにく様。
ジェイクの瞳は、そう雄弁に語っていた。
ジェイクが、ウォレスの腕を伝って自分の身体を持ち上げようとした正にその瞬間、
「掴め!」
マックスが叫んだ。
「あんたが掴め!」
ジェイクは、目を見開いてマックスを見た。
その表情は正しく、意表を突かれた表情だった。
しかしマックスは、そんなジェイクなどに構っていない。動揺するジェイクに追い打ちをかけるかのように怒鳴る。
「あんたなら掴めるだろう! そしたら、ジムの手が自由になる! 二人とも助かる!!
こっちでこれが解けないように踏ん張るから、早く掴んで!!」
マックスが、桟の根本に足を引っかけるようにして体勢を整える様子が見える。
ジェイクの口が戦慄いた。
マックスのその光景を見ても、本当に自分に対してそう言われたのかどうか、信じられなかった。
この男は本気でそんなことを・・・?
今だかつてお目にかかったことのないタイプの人間をジェイクはまじまじと見つめた。
その翡翠色の瞳は真摯な光を浮かべており、必死の形相で自分を見下ろしている。この状況で、とても偽りの言葉を吐いているようには見えない。
得体の知れない恐怖に怯えるように顔を歪ませるジェイクを見下ろして、ウォレスは淡々と言った。
「あれが彼なんです。死を迎えようとする人間に勇気と希望を与えてくれる絶対的な存在。それがマックス・ローズなんです」
ジェイクが、ゆっくりとウォレスに顔を向ける。
その動揺するスカイブルーの瞳を真っ直ぐ見て、ウォレスは言った。
「奪うことからは、何も始まらない」
ジェイクの目が見開かれる。ウォレスは続けた。
「彼と出会って、私はそのことに気づいた。きっとあなたも、気づく時が来るでしょう。今からだって、遅くはない」
ジェイクの口が再び大きく戦慄く。
「さ、早くそれを掴んで」
ウォレスが目で顔先をブラブラと揺れるカメラを指し示す。
ジェイクは、カメラとウォレス、そしてマックスを代わる代わる見た。
一体これはどういうことだ・・・・・どういうことなんだ・・・?
その時、一階の窓ガラスが割れる音がして、中庭の炎に向かって棒状の水が打ち付けられた。
次々にガラスが割れる音が続き、男達の怒鳴り声が響く。
「爆弾は解除された! 爆弾は全て解除された!!」
中庭に飛び込んでくる突入隊に混じって、一際背の高い普通の警官の制服を着た男がそう叫びながら中庭に走り込んでくる。その声は、セス・ピーターズだった。
消防隊の放つ放水のシャワーに濡れながら、なおもセスは叫ぶ。
「ジム! マックス!! 爆弾は何とか無事解除し終わった!! もう少し堪えろ!! 今救助チームがそっちに向かってる!!」
閉じこめられていた社員の歓声が下の階から順々に湧き上がってくる。一階の廊下に、逃げまどう社員の姿がちらほらと見え始め、次第にその人数は多くなっていく。
確かに、先程ジェイクが起爆装置のスイッチを押した時には全く反応を見せなかった。
その時はすでに爆弾の解体が全て終了していたということだ。
そんな、そんなまさか。
俺の爆弾を解体できる人間が、アレクシスの他にいただなんて。
ジェイクが、信じられないといった顔つきでセスを見る。そのセスの隣には、黒いスーツの上から市警のウインドブレーカーを着た男が静かに立っていた。盛んに動き回る消防隊や警察関係者のただ中で、ピタリと止まり上を見上げているその姿は、明らかに雰囲気が違っていた。その場違いな男の胸には、イギリス大使館員の証であるバッジが輝いている。男はただひたすら、自分がこれまで長いこと追いかけていた男の姿を目の当たりにした静かな興奮を漂わせていた。
ジェイクは、その時全てを理解する。自分はもう逃げ場のないところまで追いつめられたのだと。
「何をしてるんです?! 早く掴んで!!」
再び、マックスの声が頭上から降ってくる。
ジェイクは、蒼白の顔を上げ、天を仰いだ。
「・・・さぁ、早く帰りましょう」
ウォレスが促すようにジェイクの手を左手で掴んだ。
ジェイクが再び、ウォレスを見る。
その顔は、さっきまでの酷く動揺した彼ではなく、恐ろしいほど落ち着いた普段のジェイクの顔つきだった。
「・・・俺に帰る場所などない」
ジェイクはそう言うと、ウォレスの身に付けているSWAT隊員の装備の中から小型のナイフを引き抜き、ウォレスの前に翳した。
赤黒い闇の中で、ナイフの切っ先が不気味にキラリと光った。
Amazing grace act.152 end.
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編集後記
いよいよ!いよいよです!!
おそらく、多分、ほぼ間違いなく、来週アメグレ、最終回!!!
来ました・・・来ましたね・・・。
長い、長かった、本当に・・・。←まだ最終回書き終わってないけど(汗)。
先週一週間お休みして、皆さんをヤキモキさせましたが、いよいよ最終回ですよ!!
この二週間の間、窓の外にへばりついたまま頑張ったウォレスおじさんの運命や如何に?!!!
今のところ、仕事の予定は入ってないので恐らく大丈夫だと思います。ああ、無事に最終回迎えたいです。
[国沢]
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