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act.39

 終業時間を告げるブサーが工場内に鳴り響く。
 他の作業員の溜息を聞きながら、俺は血まみれになったナイフを作業台の背後にある流し台できれいに洗い清め、流しの傍らに設けられたナイフ立てに立てかけた。
「やれやれ、今日もやっと終わった」
 いつも隣で作業をしているハントさんが立ちっぱなしの作業で痛む腰を叩きながら、大人の男の腕ほどある魚が大量に入ったコンテナを持ち上げようとする。
「俺が持っていきますよ」
「ああ、すまないな、ダニエル」
 俺はハントさんの手からコンテナを取って、大きな冷蔵室までそれを運んだ。翌日には塩漬けにされ、缶詰にされる。
 冷蔵室から帰ってくると、さっきまで魚の内臓を取り出す作業で真っ赤に染まっていた作業台は、同じ班の40代で中堅どころハントさんとオニールさん、そして
62歳引退間近のポルターさんの手で洗い流されていた。俺は素早くデッキブラシを掴むと、作業台の下に流れる汚水を側溝まで押しやった。
 この魚加工工場に勤め始めて半年。早朝、魚の水揚げの時間から夕刻まで立ちっ放しで魚の内臓を掻き出し続ける重労働の上に給料も最低ランクの部類だったが、ダニエル・オーウェンと名前を偽って生活を続けなければならない俺のような人間に取って、職業斡旋所の紹介文もいらず、簡単な面接だけですぐに採用してくれたこのようなところはありがたかった。
 工場長が歩いてくる。その手には、作業の出来高のチェック票が挟まれたバインダー。今日の工場長は機嫌がいい。
「お疲れさん。最近一体どうしたんだ? お前さん達の班の仕事量といったら、他の班とは比べ物にならない。品質も申し分ないしな」
「それもこれも、このルーキーのおかげさ」
 ハントさんが汚れたビニール手袋を外した手で俺の肩を叩いた。
「なんせダニエルは、俺達が1匹裁いている間に、3匹捌いてる。ナイフ捌きは、工場一に違いないよ」
 工場長の目が俺に向けられる。
「ようやく、仕事にも慣れまして・・・」
 俺が肩を竦めると、工場長は笑みを浮かべた。
「こりゃ、来月の給料には色をつけてやらにゃいかんな。若いのはこの工場ではお前さん一人だ。頑張ってくれよ」
 はいと俺が返事すると、作業台を挟んでポルターさんが大声を上げ始めた。
「今時の若いもんにしちゃ珍しく働き者だ。今時の若いもんときたら、やれ戦闘だぁ、共和軍の粛清だぁと血の気の多いことばかりで、働こうとせん。お高く止まって、こぞって軍隊に入ろうと躍起になっておる。こんな魚臭くて辛い仕事はバカのすることだだなんて酷いことを言いよる。大体わしらのような人間がいるからこそ、国というものが・・・」
 ポルターさんお得意の講話が始まった。1日1回は、女王様の国の政治について論じないと気がすまないのだ。大概誰も聞き流しているのだが、それでも彼はお構いなしに話し続ける。 工場長は、やれやれと頭を横に振って、余所の班に声をかけに行こうとする。去り際、「今日は給料日だぞ! 事務所に寄って帰るのを忘れるな」と言い残して。
 ありがたい。これでしばらくの間はいい食事ができる。きっとリーナも喜ぶ。
「本当にお前はいい青年だ! 孫に爪の垢をせんじて飲ませてやりたい」
 一際大きい声でポルターさんが言う。それを皆で苦笑いして聞き流しながら、ロッカールームに向かう。
 ロッカールームの隣にあるシャワー室で身体についた汚れを洗い流すが、魚特有の生臭さは完全に取れない。ここで働く人間は、あえてそのことには触れないが、皆そうだ。 ハントさんから石鹸を受け取り、ムダだと判っていても、身体にそれを擦りつけた。 色々な経験をこれまでしてきたが、この臭いだけは正直閉口している。
 それに毎回、皆で一緒にシャワーを浴びる度に身体のことをからかわれることも閉口していた。おそらく、工場で働いている中でも20歳だなんて年齢は俺ひとりだし、殆どが40代以上の中年男女が揃っているから、若い身体が羨ましいのだろう。
 いつも笑ってそれらをやり過ごし、事務所で給料袋を受け取ると、素早く私服に着替えて足早に工場を後にする。
 給料日の日には、パブに誘われることも多かったが、皆俺が早く帰宅したがる理由を知っている。工場に入りたての頃は、経理や事務の女の人にしつこく誘われもしたが、俺が帰る家に、俺を待ってる家族がいることを知ると、皆口惜しそうに諦めていった。
 今日は、リーナの為にチーズを買って行ってやろう・・・。
 痛いほど寒い北風にジャケットの襟を合わせながら、下町のチーズ店を目指した。 リーナは決して裕福でない生活の中で、文句も言わず赤ん坊に母乳をやっている。そのお陰か、産後からみるみる痩せてしまって、見ている方が辛い。たまには栄養になるものを食べなければならない。
 ふと背後で船の霧笛がなった。
 反射的に振り返る。ゆっくりと霧の中に消えていく船の姿を見ると、なんともいえない気持ちになる。
 あの船は、島へ向かう船だ。船の上には、一般客に混じり英国の武装した兵士が乗り込み、デッキで雑談をしている。
 俺はギュッと目をつぶって深呼吸をした。これまでの嫌な記憶が脳裏に浮かんでは消えていった。
 ・・・もう血を見るのは沢山だ。俺はずっと騙されてきた。
 国の為に、共和国独立の為にと信じて、血の制裁にも携わってきた。正義は自分達にあると信じて、物心のついていない僅か9歳の頃から、村の大人達に人間の殺し方を教わってきた。
 最初の時期は確かに、共和国軍の信念の元の誇り高き戦闘だった。なのに今ではその神聖な戦いが、金儲けの為の手段に落ちぶれている・・・。
 そのことを思うと、胸がむかついた。
 自分の行いは、例えその内容を偽って知らされていたとはいえ、単なる犯罪行為であったのだ。醜く、卑怯で、他人の命ばかりか時にはその財産まで奪い、その家庭の幸せを奪った。
 そして俺は判ったのだ。 人の命を奪ったって、何も変らないと。多くの悲しみが世の中に溢れている限り、本当の幸せは訪れることはないということを。
 だから逃げる他なかったのだ。自分の命やリーナと赤ん坊の命、そして島に残っている家族の命を危険に晒すと判っていても、逃げざるを得なかった。もはや、あの人達と無駄な殺戮を繰り返す訳にはいかなかった。
 ジェイクの手から逃げたことは、間違いではない。・・・間違いではない。
 俺は自分の心にそう言い聞かせ、港に背を向けるとチーズ店に入った。
 陶器の入れ物に入ったスチルトンチーズとレスターチーズ300グラムを、冷蔵ショーケースの向こうの店員に頼む。チーズを切り分けてもらっている間、ショーケースに映る自分の顔を見つめていた。
 きつい風に掻き乱され、ぼさぼさに乱れた黒髪。青い目の下の皮膚は、どす黒いくまができている。疲れた顔。
 だが、今の慎ましやかな生活には満足している。
 爆弾や拳銃、ナイフとは無縁の普通の生活。
 11年目にして、やっと手に入れることができた、本物の人間の生き方。
「お待ちどうさま」
「ありがとう」
 給料袋から直接支払いを済ませ、チーズの入った紙袋を小脇に抱えて家路へと急いだ。
 リーナや赤ん坊の姿は、俺の心を和ませてくれる。自分が神の子として生きていることを実感させてくれる。
 今日もあの子は笑顔を見せてくれるだろうか。赤ん坊のシンシアは、ご機嫌な時と不機嫌な時の差が激しい。夜中もよく泣くので、リーナと交代でアパートの周辺をグルグルと抱いてあやしながら歩き回ることもあった。
 だが、ひとたび笑い声を立て始めると、宝石のような笑顔を向けてくれる。まさにひまわりが咲いたような笑顔だ。泣いている時も笑っている時も、赤ん坊は精一杯の力を使って、生きている力を表現している。どんなことをしても守っていかなければ、と思う。
 ダウンタウンの住宅密集地の一角にある細長いレンガ造りの建物が、今住んでいるアパートだ。
「今、帰りかい」
 2階下のコルドーさんにいつも声をかけられる。コルドーさんは、夕方のこの時間、新聞をアパートの入口の脇にある花壇の脇に座って読むのが日課なのだ。
 軽く笑って会釈をして、狭い階段を上った。
 ここの住んでいる住人・・・いや、ダニエル・オーウェンとして俺のことを見知っている人間全ては、俺が過去、幼いながら名を馳せたアレクシス・コナーズという名前の暗殺者だったということを知らない。皆、イギリスのブルーカラー出身の青年であると思ってくれている。北アイルランドの方言も口を付いて出ないように、イギリスの下町特有のしゃべり方をするように心がけている。
 階段ですれ違う人達に挨拶をしながら、4階まで上がる。途中、隣の部屋のマイトさんが、すれ違い様食い入るように自分の顔を見ていたことが気になった。
 何だろう。
 俺は、4階のフロアまで上がって、足を止めた。
 静かだ。不自然な程。
 身体の奥底に閉じ込めていた敏捷な感覚が、再び戻ってくることを感じていた。嫌な雰囲気だ。
 身体が勝手に足音を忍ばせている。自然と身についたことだが、俺は気配を消すことができる。
 4階フロアの真中の部屋。そこがリーナとシンシア、そして俺の小さな生活の場所。
 魚眼レンズに身体が映らないように身体を移動させながら、ドアに手を当てた。室内からは、物音が聞こえない。
 自分の心配は、取り越し苦労であってほしい。自分の予感は、的中して欲しくない。
 ドアに当てた両手は、無様なほど震えていた。
 穏やかな生活。平穏な毎日。貧しいが、人を傷つけることなく生きていける日々・・・。
 両目を固くつぶった。祈るように、額をドアに擦りつけた。
 頭の片隅で、アレクシス・コナーズが「もうおしまいなんだ」と声を上げている。「いくら違うと思っていても、このドアの向こうには、お前を連れ戻しにきた連中がいるんだ。判っているんだろう?」と。
 逃げろ・・・逃げろ・・・。
 あの恐ろしい連中のことを考えろ。
 一度組織を裏切ったら、生きてはおれないぞ・・・。
 目の奥がじんわりとした。
 逃げる訳にはいかない。ドアの向こうには、リーナとシンシアがいる。愛すべき家族が。
 俺は、意を決してドアを蹴り開けた。ドアの傍らで拳銃を構えていた男の顔面を殴り、鼻を潰して昏倒させた後、前から襲い掛かってくる男にチーズの入った紙袋を放り投げ、男が紙袋を受け取った隙を突いて首根っこを掴み、反転させた。頭を両腕でぎりぎりと押さえつける。男がうめき声を上げて、紙袋を床に落とした。陶器の容器がゴトリと音を立てる。
 俺は、部屋の奥にいる3人目の男に向かって、「動くな!この男が死ぬぞ」と怒鳴りつけた。男が動きを止める。
 傍らで鼻から多量の血を噴き出しながら失神している男は見たことがあったが、他の2人は知らない男だった。2人とも、俺よりは年が上だろうが、まだ若い。俺が組織を去った後に入った人間か。
 目の前の男は、人間が素手で人を殺せるはずがないと思っている。目つきで判った。
 だが、彼は知らない。俺は今まで、拳銃やナイフ、様々な道具を使って殺しをしてきたが、一番多く使った手段は、素手だ。これは自分で体得してきた。武器類を持たない人間に対しては、どんな人間も無防備になる。そうして暗殺対象者に近づき、笑顔を浮かべながら何度も首の骨をへし折ってきた。人間の身体の作りは、一旦学んでしまえば、弱点ばかりであることが判る。簡単なのだ、人間の命が消えるのは。その簡単さを尊ぶことこそが、本物の人間たらしめる条件なのだ。今の時代、そのことを知らない人間が多過ぎる。かつて自分がそうであったように。
 目の前の男が、ナイフを構える。血気盛んな目つき。俺の若さを見て、見下すような素振りを見せる。男が足を一歩踏み出した。
「やめろ」
 柱の向こうから、新たな男の声がした。
 全身に鳥肌が立った。額には、脂汗が浮かんだ。
 間違いない。この冷たく響く声。
 柱の影から出てきた男は、紛れもなくジェイク・二―ルソンだった。
 事実上の組織の独裁者。悪魔の思想家。いや・・・彼には、思想なんてない。
そこにあるのは、欲だけだ。
「その男は、お前が思っているほど楽な相手じゃないぞ。お前が持っているナイフなんかじゃ、ハンディにもならない」
 目の前の男は、不服そうな表情を見せながらジェイクを振り返る。
 ジェイクは、嬉しそうに目を細めて、俺を見つめている。
「相変わらずの腕で嬉しいぞ、アレクシス。よく俺達が中にいると判ったな」
「リーナと赤ん坊は、どうした」
 自分の声ではないようだった。酷く獰猛な声で、自分の方が驚いた。
 ジェイクは、質問に答えず、粗末な造りの室内を眺めた。その顔には薄笑いが消えることはない。
「なかなかの暮らし振りだな。まるで新婚家庭のようじゃないか。慎ましく堅実で、限りなく普通の。・・・こんな暮らしをしていたら、やがて自分の中の血が浄化されるとでも思ったのか? ん? どうだ、アレクシス」
「リーナと赤ん坊はどこだ」
「なんで組織から逃げ出した? リーナに唆されたか」
 ジェイクは、テーブルの上に置かれた陶器の皿を手に取る。きっとリーナは、この連中が部屋に乗り込んできた時、夕食の準備をしていたに違いない。
「我が妹ながら、始末におえない。だから女は困るんだ。すぐに情に走る。組織のことを考えた試しがない。純粋だったお前の心を濁らせたんだ!」
 ジェイクが皿をテーブルの角に打ち付けた。室内に神経質な皿の割れる音が響く。
「ジェイク! リーナはどこだ!」
「ここさ」
 俺が男を押さえ込んでいる体制とよく似た恰好で、男がリーナを押さえつけたまま、柱の影から姿を見せた。皿の割れた音に反応して、奥の部屋から赤ん坊の泣き声がし始める。
 リーナは、声を出せないように口に布巾を突っ込まれ、大きなテープで口を押さえつけられていた。その目は恐怖に震えている。
 リーナを押さえつけている男は、どこか俺とよく似た雰囲気があった。
 濃いブラウンの髪。ブルーグレイの瞳。一寸の隙もなく、冷酷。そして最も若い。
 まるでかつての俺のようだ。おそらくこの男は、俺と同じような経験を積み重ねているに違いない。ジェイクの命とあらば、簡単にリーナの命を奪うだろう。
「ジェイク、あんたの妹じゃないか?!」
 俺の言ったことに、ジェイクは笑って見せた。
「そうさ、妹だ。そんなこと、お前に言われなくても十分判っている。だが、この妹は、組織を裏切って、お前を唆した。お前をたぶらかしたんだ」
「そうじゃない! これは、俺自身が決めたことだ!」
「違う!」
 ジェイクが怒鳴った。依然と変らない迫力があった。その自信に満ちた声は、多くの若者を惑わせてきた。絶対的なリーダーとしてのカリスマ性がジェイクにはある。
「リーナに一緒に逃げてと言われなければ、お前は逃げなかった。リーナが、組織は間違っているとお前に言わなければ、お前は疑問を持たなかった。事実それは、持たなくてもいい疑問なんだよ。お前達はまだ若い。20歳に22歳。まだまだ誰かの導きが必要なんだよ、お前達には」
「少なくとも、それはあんたの導きじゃないさ」
「口答えをするな!」
 大声を上げた後、軽く溜息をついて、ジェイクは肩を竦めた。
「捕まえろ。ただし、命は奪うな」
 ジェイクがナイフを持った男に命令する。男は、俺が捕まえている友人を思って躊躇いを見せた。ジェイクが男の頭を叩く。
「いいから早くしろ」
「でも・・・」
「アレクシスだってバカじゃない。自分が男を殺したら、リーナや赤ん坊がどうなるかってことぐらい、判っているさ。それに奴はもう、人殺しはしない。ん? どうだ? そう誓ったんだろう、アレクシス」
 俺は奥歯を噛み締めた。
 リーナを見る。
 涙を一杯に溜めた彼女の瞳は、俺に逃げてと言っていた。
 自分のことはいいから、早く男を放り出して逃げてと。
 リーナを掴む背後の男の冷酷な目。
 ジェイクの薄ら笑い。
 男がちらつかせるナイフ。
 自分が掴んでいる男の呻き声。
 腕から伝わってくる、死に対する恐怖、怯え。
 リーナの涙。
 赤ん坊の泣き声・・・。
 俺は、ゆっくりと男を解放した。
 身体の力が抜け、その場に座り込んだ。
 男2人が俺を後ろ手に素早く掴み、床に押し付けた。
 リーナが、残虐なアサシンから解放される。
 ガムテープを外したリーナが、赤ん坊に負けないくらいの泣き声で泣いている。
「なぜ逃げなかったの?! どうして!!」
 そんなこと・・・できるはずがない・・・。
 肉を殴る音がして、リーナの悲鳴が上がった。
 赤ん坊の泣き声が一際大きくなる。幼くても母親の危険を感じているのだ。
「やめろ、ジェイク。リーナには手を出すな」
 汚れた床だけが見える視界に、ジェイクの靴が入ってきた。昔と変らない靴。
「お前が、お願いできる立場にあると思うのか?」
 ジェイクに髪の毛を捕まれて、引き上げられた。
 ぎょろりとした目が、敗北者である俺の痛みに歪んだ顔を映していた。
「アレクシス。お前は俺のものなんだよ」


 ウォレスは、ハッと眼を覚ました。
 全身、じっとりと嫌な汗が滲んでいた。
 ゆっくりと身体を起こす。
 髪を掻き上げる手は、目に見えて震えていた。
 久しぶりに見た夢だった。
 アメリカに来たばかり頃、よく見ていた夢。あの頃は、毎日夢にジェイク・二―ルソンが亡霊のように出てきていた。
 十分に睡眠を取った筈だが、身体はいつになく疲労していた。
 疲れた身体を無理やり持ち上げて、ベッドから抜け出る。
 朝の光を完全にシャットアウトした分厚いカーテンも開ける気がしない。
 ウォレスは額の汗を拭うと、しっとりと湿った寝服のまま、部屋を出た。眩しさに目を瞬かせる。
 階段の下からは、メイドが朝食を用意する音が聞こえてきていた。
 廊下の奥の浴室に向かおうとするところで、丁度部屋から出てきたシンシアと出くわした。
「おはよう、パパ。・・・どうしたの? 顔色が悪い・・・」
 心配げな淡いスカイブルーの瞳が疲れたウォレスの姿を映していた。
「ちょっと徹夜仕事の疲れが出たかな。もう年だしね」
 努めて明るくそう言うと、シンシアが笑顔を浮かべた。
「パパはまだ十分若いわよ! クラスでも評判なんだから。でも無理はしないでね」
「判っているよ。さ、朝食を食べなさい」
「は~い」
 すっかり素直になってくれた娘は、制服のスカートを閃かせ、階段を下りていく。
 揺れるプラチナブロンドの髪。母親にそっくりな。
 ウォレスは、深呼吸をして浴室に入った。服を脱ぎ、シャワーのコックを捻る。
 下を見下ろすと、嫌でも身体につけられた無数の傷が目に入る。
 ウォレスは、背後の鏡に映る自分の後ろ姿を返り見た。
 腰の付け根の傷。
 もし適うならば、その皮膚をこそぎ落としたいと思った。

 

Amazing grace act.39 end.

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編集後記

今回は、のっけから一人称だったので、皆さん随分「?」なことだったでしょう・・・。
ついにウォレスの若い時代のことが明らかになって参りました。どうでしたか? ハタチのピチピチ・ウォレスは。
シンシアも生まれたばかりの頃です。
今後も、ぼちぼちとこの一人称なんかで、ウォレスの過去が次々と明らかになっていく予定・・・。
これからも目が離せませんぞ。

[国沢]

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