act.94
セスがその男を連れてきたのは、二日後のことであった。
マイク・モーガンが、マックスの胸骨の具合をチェックしている時に、病室のドアがノックされ、二人連れだって入ってきた。
黒ずくめのその男は、診察の為にパジャマの前をはだけたマックスの身体に残る生々しい傷跡や痣に少し表情を曇らせた。男は努めて表情を押し殺しているようだが、さすがに痛々しかったのだろう。大分快復したといっても、見てくれは相変わらず一人前のけが人だ。顔には細かな傷がまだ残っているし、左腕は無骨なギブスで覆われている。左耳には破れた鼓膜が治るまで保護するためのカバーが掛けられてあった。診断を終えた後、再び胸部を固めるために看護婦が手慣れた様子で硬く包帯巻く様子を見る限り、彼が既に一人で歩けるようになるまで快復しているとは思うまい。
「お気の毒に」
いかにも英国らしい硬い響きの発音で男は言った。
「英国大使館領事のジョイス・テイラーです。初めまして」
全身黒ずくめのスーツが愛しい人を思い起こさせる。だが、その面差しは思ったよりも若い男だ。だが、セスの話だとセスよりも年上らしい。
「ようこそお出でくださいました。どうぞ、かけて」
マックスにとって、テイラーの第一印象は悪くなかった。男の誠実さが伺えたし、感情を押し殺してはいるものの、犯罪に対して強い怒りと憤りを感じていることが伺えた。
マックスが傷ついていない右手を差し出すと、テイラーは黒の革手袋を外して握手をした。少し手のひらが湿っている。緊張しているのはお互い様か。
「早速なんですが・・・。だいたいの話は彼から伺っています」
テイラーが、隣に座るセスをちらりと見て言った。
「正直言って、あなた達の申し出にためらいを感じました。母国で起きた長く暗い時代に生きた人々の話だ。罪のない人を手に掛けてきた人間を養護することは、非常に難しいことです」
マックスはテイラーの言葉にドキリとしてセスを見た。
露骨に不安げな顔をしてしまった。だが、その感情を抑えることができない。そのマックスの腕を、テイラーの手がそっと掴んだ。
「だが、ジェイク・ニールソンが絡んでいるのなら話は別です」
マックスはハッとしてテイラーを見た。テイラーのブラウン色の瞳が真摯にマックスを見つめていた。
「ジェイク・ニールソン。ご存じの名前ですね」
ああ、忘れるものか。
忘れられるはずがない。
愛する人を、身体ばかりかその心までズタズタに引き裂いた男・・・。
マックスの瞳に、静かな怒りの炎が浮かび上がるのを、テイラーは見逃さなかったようだ。彼はゆっくりと頷きながら、「そうです。あの非道の限りを尽くした悪魔のような男。私が追っているのは、そのニールソンなのです」と囁くように言った。
「本当なんですか。その男がこの街にいるというのは・・・」
テイラーはすっと身を引いた。
「いるでしょう。・・・いや、いると信じたいといったところでしょうか。実際のところ誰も分かっていない。本人以外にはね。・・・いや・・・あなたの大切な人はそれを確信していたようですが」
マックスは再びセスを見た。テイラーはどこまで知っているのだろう。自分とウォレスのことを・・・。
だが、セスは必要最低限の情報しかテイラーに渡していないようだ。テイラーは、黒いブリーフケースの中を探りながら、「あなたの命の恩人らしいですね。なんでも会社内で暴漢に襲われたところを救ってもらったとか。例え相手がどのような凶器を持っていたとしても、彼ならいとも簡単にあなたを救うことができたでしょう」と話し続けた。
テイラーがモノクロの写真をマックスの前に広げる。
「アレクシス・コナーズ。ジェイク・ニールソンのグループの中で最も優秀だった彼の手下です。様々な爆破事件や暗殺計画に荷担していた」
黒い雑踏の中、古めかしい車に乗り込む男の陰にかいま見えている少年の白い顔。
少し眉間に皺を寄せているその横顔は憂いに満ちていて、あどけなさが残っているだけに余計痛々しく見えた。真っ黒光のない瞳。彼はこの時、何を見ていたのか・・・。
マックスは息を吸い込むと、右手で口を覆った。傷ついた胸は骨折のせいだけでない痛みに襲われた。
マックスの知らないウォレス。マックスの知らない男。
「彼についての情報はあまり残っていません。彼は非常に頭が良く、証拠を残さなかった。当時の捜査当局も、このあどけない少年が恐ろしい犯罪にかり出されてるとは最後まで思っていなかった。ただの取り巻き連中だと、信じて疑わなかったのです。だが、彼はニールソンの片腕として、一番困難で汚い仕事をさせられていた。そして彼は従順にそれに従っていたのです」
マックスの目の前に、瓦礫の山が映し出された写真が一枚差し出された。
その写真の内容に、セスがテイラーを非難する声を上げる。マックスは「大丈夫」と咳払いをした。
写真には死体等は映し出されていなかったが、ここで多くの人々が命をおとしたのだろう。
「現実とは残酷なものです。あなたの大切な人は、少なからずこのような犯罪に荷担していた。もっと血なまぐさい写真もあります。それでも、彼を救いたいと思うのですね」
写真を持つマックスの手が震えた。
二つの写真を見比べる。
そのマックスに畳みかけるようにしてテイラーは言う。
「彼を救うということは、ひょっとするとあなたの中のパンドラの箱を開けることになるのかもしれない。今より辛い思いをするのかもしれない。それでもあなたは、続けるというのですか?」
マックスは瞳を閉じた。
いろんなウォレスが目の奥に浮かんで消える。
廊下に差し込む光の中で静かに佇むウォレス。怒りにまかせてナイフを投げつけたウォレス。時には顎に手を当てて窓の外を悲しげに眺め、時には背筋が凍るほどの冷たい光を瞳に湛え、相手を圧倒した・・・。
「あなたの大切な人が抱えている秘密は、とても大きく辛い。ひょっとしたら彼は、あなたが思っているように親切な人間ではないかもしれない。そういう一面を知ることになっても、あなたは耐えられますか?」
「おい、テイラー、言い過ぎだぞ」
セスがテイラーを押さえても、テイラーはやめなかった。
「大事なことなんだよ、ピーターズ。「こんなはずじゃなかった」では困るんだ。これから彼が関わろうとしていることは、貴様だって知らない領域のことなんだ」
テイラーはマックスの肩を掴んで揺さぶった。
「それでももしあなたが頑張れるというのなら、私は喜んであなたに手を貸そう。いや、こちらの方がお願いしたい。ジェイク・ニールソンを捕らえるために、ぜひ協力して欲しいと。・・・どうです?」
マックスの中に感情の嵐が起こり渦巻いていた。それは、今まで無理に押し殺してきた事件のトラウマだった。
自分の部屋が爆発した時の衝撃。光。ばらばらに吹き飛んだ少年。振動。
テレビで見た自分の家だった瓦礫の映像。
灰色の画面。まるで戦場のような風景。
その瓦礫の山の上に黒いコートを着たウォレスが突然現れる。
まるで白昼の悪夢。
痛い妄想の嵐。
止まらない。止まらない・・・。
マックスは右手で顔を覆った。
負の映像は消えることがない。
音が聞こえないはずの左耳から轟音が聞こえてくる。
まるで竜巻の中にいるような、暴風が吹き荒れるような音が。
テレビの画面の向こうに立つウォレスがマックスを見つめる。
灰色がかった白い肌。赤く充血した瞳。
かっと目を見開き、その両手をゆっくりと翳す。
真っ赤に血塗られた両手。
どんどん若返っていくウォレスが、声にならない怒号の声を上げ、牙を剥く。
やまない轟音。
もうやめて。もう許して。
「マックス! マックス大丈夫か?! テイラー! やりすぎだぞ、お前!」
ベッドに蹲るマックスの様子を見て、セスは彼の背中をさすった。鋭くテイラーを責める。さすがにテイラーもバツが悪そうな顔をして「すまない」と小さく断った。
だが、マックスの悪夢は終わらない。
あなたはウォレスなのか?
それとも俺の知らないアレクシスという男?
血塗れのウォレスの手が、爆風に吹き飛ばされた少年の足を掴む。そして高らかに笑う・・・。
胸が張り裂けそうに痛い。
マックスの身体は痛みにあえぐ。
その先にあるのは、ただ真っ赤に染めらた血の記憶だけなのか?
俺は、耐えることが出来る?
ウォレスの足の下の瓦礫に埋もれているのは、パパとママ。
あまりに幼い時にお別れをしたから、顔すら定かでない・・・。
かわいそうなパパとママ。
かわいそうな人々。
その上に立つ少年は、高らかに笑い続ける。
お前は、本当は一体誰?
轟音がぴたりと止む。
少年が、マックスの方に顔を向ける。
その白くあどけない面差しに、深紅の涙がこぼれ落ちた・・・。
Amazing grace act.94 end.
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編集後記
先頃アップしたイラストの影響なのかなんなのか(汗)。今週はくら~いっす。どうもごめんなさい。
それもこれも、テイラー君のおかげです(笑)。堅物なんで・・・。皆さんに嫌われそうですね、彼。真面目なのがあだになっているのかしら(大汗)。
そろそろ明るい話を書きたくなってきました。←自業自得。
そういえば話は変わりますけど、今年面白そうな映画が目白押しですねぇ。どれが一番とは言い難いですが、近いところですと、「レッド・ドラゴン」っすかねぇ。「羊たちの沈黙」がヒットする前にB級映画っぽい感じで制作されていたようですが、リメイクしても、さすがアンソニー・ホプキンスがレクターとして出てくると、格調高くなるようです(笑)。
でもね、そんなことで注目している訳じゃないんですよ。なぜ注目しているかと言えば、そう!今回の悪役!!
レイフ・ファインズが出ているんです~~~~~~!!!
なんでも、今回の役のためにかなりワークアウトして身体を引き締めてきたとか。久々にスリムなレイフが拝めるんでしょうか。
しかしそれにしても、生粋の悪役ってレイフ珍しいです。「シンドラーのリスト」以来じゃないか??
今回は残念ながら髪も真っ黒く染めて、顔にも傷つけちゃってますが(あのきれいな顔に・・・)、燃え立つ役者魂を感じます。
でも美しいレイフもみたいのよねぇ~。演技だけで十分やっていけるシェイクスピア俳優なんですけど。(欧米では、シェイクスピアの芝居が出来ると一人前とされているようです)でも、もう随分いいお年になっちゃったんで耽美路線は無理そうです・・・。初代「生身のマックス像」だった彼だけに、ちょっぴり寂しい・・・。でも好きです!ずっと好きです!!好きなんだよぉ~~~~~!!好きが高じて、わざわざ生を拝みにシェイクスピアの日本公演、大枚はたいて見に行ったし。それほど好きです。
(今はちょっと、ヒュー・ジャックマンに浮気してるけどもさ)
ちなみに、耽美な頃のレイフが拝める映画は、「ロレンス1918」「シンドラーのリスト」(わざと身体太らしてるけど、顔は壮絶に美しいと思います)「クイズ・ショウ」って感じかな。
皆さんもお一ついかが?
[国沢]
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