act.96
ミゲルの瞳は、まるでマックスの心を見透かしてしまうかのように澄んでいて、しかも鋭かった。やはり彼は生粋のジャーナリストである。そこに真実が隠されていると察知する力は、何よりも優れている。
彼は、マックスが心の奥底に暗い陰を抱えていることなど既にお見通しなのだ。
ミゲルは、冷えたマックスの手を優しく握ってくる。
「君はすぐにやせ我慢をするんだね。そこがいじらしいところでもあるけれど。でも今はそんなこと必要ないと思うな。君は傷ついていて当然なんだから」
マックスを見つめてくる瞳から、鋭さはもうなくなっていた。彼は優しげで温かい色を瞳に浮かべながら、柔らかな微笑みを浮かべる。
「苦しい思いまでして、自分を抑え込む必要がどこにあるんだい? 君一人の力で傷を癒すのは不可能だというのに」
「それについては、心配ありません。今だって、俺を助けてくれる人はたくさんいるから」
マックスがそう返すと、ミゲルは苦笑を浮かべて頭を横に振った。
「僕が言っているのは、そういうことじゃないよ。今助けてくれている人の中に、君の心の傷や悩みまで癒してくれる人がいるかという話だ。例えば・・・君の想い人」
マックスの顔がこわばり、彼はミゲルの手から自分の手を引き抜こうとした。だがミゲルの手がそれを許さない。
ミゲルはマックスの前に跪くと、今度は両手で彼の手を包んだ。
「現実から目をそらしてはいけないよ。そうすることで人は未来への一歩が踏み出せるのだから。彼は自ら君に別れを告げ、姿を消したそうだね。彼に一体どんな過去があるかは知らないが、彼はそうすることで君を守ろうとしている。その彼の気持ちを、君は知らない訳ではないだろう? その思いを、素直に受け入れることも必要なんじゃないか?」
マックスの目から、ふいに涙がこぼれ落ちた。
ウォレスの気持ちは、痛いほどよく分かっていた。
自分が、ウォレスを守ろうとしてこの事件に首を突っ込むことを彼が望まないことも承知していた。
だけど・・・。
ミゲルは再びマックスの隣に腰掛けると、マックスの頭を優しく抱き寄せた。
「ミスター・ウォレスの思いを受け入れることが、君の取ってどんなに辛いことなのかは想像できる。だが、自分のことを思い続けてくれることで自分の愛する人が危険な目に遭うことがどれほど辛いことか、君は想像しただろうか。もし自分がその立場だったら?」
マックスは、ぐっと瞳を閉じた。新たな涙がこぼれ落ちる。
今ミゲルの言ったことは、マックスがずっと避けていたことであった。
自分の思いを押し通すためには、決して目を向けてはならなかった場所。
もし自分がジムの立場だったら・・・。
自分のせいでジムの命が失われてしまうことになるのだったら、自分もきっとジムと同じ事をしただろう。そして彼に安全で幸せな生活を送って欲しいと願ったはずだ。彼がそれを手に入れるために自分の存在が邪魔になるのなら、自分はきっと、進んで身を引く決意ができる・・・。
「・・・クソ!」
マックスは小さく汚い言葉を吐き出すと、包帯で固められていない右手で顔を覆って泣き始めた。
ミゲルの広い両腕が、マックスの肩を覆い包む。
「ミスター・ウォレスを救うことは、君を助けてくれる人にゆだねられた。きっと彼らは、いい結果を出してくれるだろう。もし自分もその手助けが出来るのなら、僕だって出来る限りの協力する。君は、自分の身の安全だけを考えていればいい。それが、ミスター・ウォレスの一番の願いだろうから」
ミゲルはそう言って、マックスが泣きやんで落ち着くまで、ずっと側にいた。
最初はちょっとだけですよと言っていた警官も、遠巻きながらにマックスの痛々しい姿を見るにつけ、その場を遮るようなことはしなかった。
両の目と鼻先を真っ赤にしたマックスは、大きくため息をつくとゆっくりと顔を上げた。
痛いほど美しい青空を見上げる。
自分が、このままジムを思い続けるのは、自分本位で我が儘なことなんだろうか・・・。
今、この空の上で神が自分を見下ろしているというのなら、すぐさま正しい裁きを下してもらいたい。そう思った。
ミゲルが、その横顔をじっと見つめて言う。
「退院したら、どこか行く当てはあるのかい?」
マックスは、ミゲルを見る。
そんなこと考えてもいなかったといった表情だった。
やっぱりと、ミゲルが軽くため息をつく。
「もしよかったら、ニューヨークにこないか。僕のアパートメントに。広さは十分ある。君が増えたって窮屈な思いはさせないよ。そこでしばらくゆっくり静養して、心の整理をつけるといい。爆弾犯はまだ捕まってないんだ。君はこの街を離れた方がいいと思う」
マックスが、戸惑った目をミゲルに向けた。
ミゲルが、コミカルな微笑みを浮かべて肩を竦める。
「別に取って食おうとしてる訳じゃないよ。母に誓ってそんなことはしない。僕が君を囲おうとしている訳じゃないんだ。向こうで落ち着けば、君だけの別の部屋を探したっていいし、生活費を援助されるのがいやだって思うなら、貸しということにしてもいい。君が元気になれば、新しい仕事だってすぐ見つかるだろうから」
「でも・・・」
「すぐに答えは出さなくてもいい。退院までもう少しあるし、警察との兼ね合いもあるだろうからね」
ミゲルは立ち上がる。そして握手するために手を差し出した。
マックスがその手をそっと握る。ミゲルの手は、強い力でぐっと握り返してきた。その仕草は、マックスの隙をついて口説き落としてやろうという感じよりは、彼も心底マックスのことを心配してくれているということが伝わるものだった。
「ありがとう・・・・」
マックスはそう言って、ようやく小さな微笑みを浮かべたのだった。
ランチで込み合う老舗のイタリアンレストランに、黒ずくめのスーツ姿が姿を現した。
セスが一番奥の席から手を挙げると、男は颯爽とした足取りでやってくる。
その硬い足取りは、男の几帳面さをよく表しているようだ。この雑多な店の雰囲気とは全くそぐわない。だがセスは、頑固だが誠実なイギリス人を気に入っていた。もっともC署内でそんなことを思うのは、セスだけだが。
「待たせたようだな。すまない」
テイラーがセスの向かいの席に座ろうとする。セスは手をテイラーの前に翳してそれを止めた。セスが、店の主人らしき恰幅のいい髭面の男に目配せをする。男は、セス達を奥の部屋に案内した。厨房の後ろの通路を通り、店主の私室に通される。
「昼飯はいつものメニューでいいな、セス」
「ああ、頼むよ」
親しげな会話が交わされ、店主は出ていった。
テイラーは店主のデスクを横に眺めながら、チープなスプリングの応接セットのソファーに腰を下ろした。
「ここ、俺のおじさんが経営するレストラン。この街一安全なところだよ」
冗談とも本気とも取れない口調でセスが言う。
だがテイラーは、セスの面立ちを見て何となく納得した。セスには、確かにイタリアン系の血が混じっているようだ。
「それにしても、よく抜けられてきたな」
テイラーが自分の傍らに置いた黒のブリーフケースを開こうとしながらそう言うと、セスは再びテイラーの動きを止めた。どうやら、食事が運ばれてくるまでは、関係資料を出すなということらしい。
「抜け出す理由は幾らだってあるさ。同僚を煙に巻くことだってお茶の子さいさい」
セスはのんびりとした口調だったが、それが事実であることはすぐに分かった。セス・ピーターズという男は、爆弾処理班という警察官の中でも特殊で専門的な職に就いている割に、その辺の刑事より刑事らしいことをする。爆弾処理の仕事に就く者にそういう資質が備わっているものなのか、彼が特別なのか。非常に冷静で慎重、そして時に大胆。爆弾処理だけの仕事をさせるのはもったいない人材だ。しかし、C署のお偉方は、そんなことにも気づいていない。本人がわざとそれを隠しているのかもしれない。
そうこうしているうちに、ランチメニューが運ばれてきた。
大降りのトレイの上に、ピザ・マルガリータが二切れとショートパスタに茹でた野菜。トマトとビーンズのスープに、豪快に盛られたカットフルーツが添えられている。なかなかのボリュームだ。
「う~、やっと本物の飯にありつける」
毎日署内でデリバリーのさめたピザかチャイニーズを食べているセスに取っては、湯気の立ち上るプレートはたまらなく魅力的に見えるらしい。テイラーはといえば、むせ返るようなトマトの香りに少々閉口した。テイラーはトマトがあまり得意でない。
「食べないの? 奢るよ?」
ピザを頬張る目の前の男に弱みを見せたくなくて、テイラーは彼がするのと同じように、猛然とピザを口に突っ込んだ。
あっという間にプレートを空っぽにし煙草を吹かすセスに、遅れて何とか食事をし終わったテイラーは、紙ナプキンで手と口元を拭いながら・・・いかにもイギリス出身のホワイトカラーの青年がしそうな仕草だ・・・、ブリーフケースを開けた。
「それで、マックスの様子はどうだい?」
セスがそう訊く。最近では、テイラーの方がマックスに会っている時間が多い。
セスが肩を竦めて言う。
「今日もハドソンから、睨まれたよ。最近、あのイギリス野郎がマックスの病院を訪れているらしいが、何か心当たりはないかってね」
セスは、テイラーをマックスに引き合わせた張本人だが、建前上はセスが捜査本部に復帰した時点でテイラーとの交流は絶ったということになっている。
テイラーは、不機嫌そうに顔を顰めた。
「私が彼の元を訪れているのはあくまで見舞いだ。見張りの警官達も、その先は詮索できないさ。事実本当にお見舞いに行っているしかないのだから」
テイラーがそう言うと、セスがソファーの背もたれから身を起こした。
「マックス、具合悪いのか」
テイラーは複雑な表情を浮かべた。
「本人は大丈夫だと言っているが、どうかな・・・」
マックスのPTSD発症の引き金を図らずも引いてしまうことになったテイラーとしては、何とも苦々しいことだ。
「もし本当にジェイク・ニールソンが関わってるとして、その捜査結果を彼に知らせるのが彼のためになるのか・・・私には分からない」
マックスがこのまま捜査協力を断ったとしても、テイラーはもちろん捜査を続けるつもりでいた。ようやく掴んだ有力な情報だ。逃す手はない。だが、気分的にはあの美しい翡翠色をした瞳の青年を傷つけたくなかった。できれば彼の合意に上で捜査を進めたかったし、謎多きアレクシス・コナーズの側にいた彼の協力が得られるのなら、それにこしたことはなかった。だが、本国に詳しい資料を照会するに従って、この事件に彼をこれ以上巻き込むのは彼のためにならないような気がしてきたのだ。
その一番の理由を、彼はセスの前に差し出した。
それは黄色い封筒に詰め込まれた書類だった。
セスがいぶかしげに書類を取り出す。
「君は知っていたのか。彼の両親のことを」
「え? 彼が幼い時に亡くなっていることはレイチェルから聞いてはいるが、それが・・・」
セスは、そう言いながら書類に目を落とした。
書類の中に、古びた家族写真が添えられている。マックスとよく似た顔つきの美しい女性が赤ん坊を抱き、その女性の肩をロイドメガネのスマートな紳士が優しく抱いている。
「これ・・・マックスの?」
セスが写真に目を落としたまま訊くと、テイラーは「ああ、そうだ」と答えた。
セスは眉間に皺を寄せる。なぜ、マックスの両親の資料がテイラーの手元にあるのだ・・・。
しかしその疑問の答えは、手の中の書類にあった。
被害者リスト・ナンバー105
アレン・ローズ。サリー大学英語学研究所勤務、32歳。
マーガレット・ローズ。27歳。
1976年、イギリス・ギルフォード市内の高級レストラン・ガーネットにてIRAテロ活動の一部と見られる爆破事件で死亡。
アレンとマーガレットの身元調査書の上に、「死亡」という赤い判子が押されていた。
封筒に一緒に入れられているのは、レストラン爆破事件の詳細報告であり、この穏やかで幸せそうな若い夫婦は、結婚記念の特別な日を祝う場所としてあの高級レストランを選んだ。そして二度と残された家族の元に生きて戻ることはなかった。彼らは、非道な爆弾テロの巻き添えになったのだ。
資料の最後には、彼らのひとり息子・マックス・ローズが、母方の叔母に引き取られたことが記されてあった。つまり、レイチェルの母親・パトリシア・ハートの元にだ。
セスは、我知らず呼吸を振るわせながらテイラーを見上げた。
「まさか、この事件に・・・」
セスの心に嫌なものが拡がる。だがすぐにテイラーがそれを否定した。
「実際はどうか分からないが、その事件にニールソンの一味が関与している記録はない。ま、これが不幸中の幸いとでも言うのか・・・。いや、そういうのは不謹慎だな。ローズ君の両親が非道なテロ犯の犠牲になっているのは事実なんだから。ローズ君のあの取り乱しようは尋常じゃなかったし、それに彼の話す言葉には、少しだがイギリス訛りがあった。まさかと思って本部に問い合わせてみたら、やはり彼に関するレコードが出てきたんだ。彼は、両親を爆弾事件で失ったばかりか、今回は自分までもその標的になってしまったのだよ。この事実はあまりにも辛すぎる」
セスは思わず唸り声を上げた。
マックスを翻弄する運命をセスは呪った。
テイラーは、セスの手元から煙草を奪うと、苛立ったようにプカプカとそれを吹かした。セスが目を丸くする。
「禁煙したんじゃなかったっけ?」
「煙草を吸わずにいられるか。禁煙なんてもうやめだ」
テイラーは、まるで自分に不幸が降りかかったかのように苛立ちを露わにした。そして彼らしからぬアメリカナイズされた酷い悪態をついて、自分の指で煙草の火をもみ消したのだった。
Amazing grace act.96 end.
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編集後記
(映画話なので、例のごとく長いっす。ご注意)
ど~も~。火球を拝んでどうやら今年の運気を使い果たしてしまった予感にさいなまれる国沢です。(早すぎる・・・)
でも、ほんっとにびっくりしたんですよ。でっかい流れ星。あんなの見るの、一生のうち一回あるかないかですよね。宇宙のスペクタクルじゃ~~~~!!とにわかに盛り上がってみたり。国沢のいい加減な人間性が疑われますが(汗)。
この間、久々にDVDをレンタルしてきました。えーと、題目は、「スパイダーマン」(ありがち)と「パニックルーム」(これもありがち)と「ローラーボール」(伏兵)と「バンド・オブ・ブラザーズ」(しつこい)。
ま、バンド・オブ・ブラザーズは、近々公開の「ドリームキャッチャー」を受けて見たくなったんですけど、それは掲示板の日記を読んでもらうとして、今日はどこら辺のやつ言っときましょうかね。全部書くと本気で長くなるので定番の「スパイダーマン」をひとつ。(←本当に映画の話になったら、喜んでほいほい書きます。ホントは全部のレポート書きたいけど)
ま、ようは蜘蛛男の話なんですが(なんじゃそりゃ)、なんせ普通にトビーがかわいいっすから(笑)。ハリーポッターのドビーじゃなく(笑)←でもあのぎょろめは似てるかも。主役のトビー・マクガイヤ。かのブルース・ウェーバーも被写体に選んだかわいこちゃん。
あんなにナイーブ系少年役が多かった彼が、全身タイツの蜘蛛男をやると知った時は、気絶しかかりました。マジで。だって、ありえないもの?!!あのトビーが筋肉隆々だなんて!!!って叫びながら映画館に行ったら、見事にトビー、筋肉隆々になってましたね(笑)。あのベビーフェイスとその体つきがアンバランスで見てるこっちが照れちゃいました。
でも、彼がやって正解でしたね。
アメリカンヒーローモノって、ついつい筋肉だけの単純明快なストーリーってイメージがしますけど、彼がすることでちょっと陰りができたりしてよかったです。
バットマンもそうですが、最近のアメリカンコミックヒーローモノは、暗い陰をしょった主人公に仕立てるのが流行(?)のです。多分きっと、名(迷)監督ティム・バートンのお陰だろうな~。彼が最初のバットマンであんなに暗い世界を作り上げ常識を打ち破った功績が多分にあると思います。(ああ、ティムについても語り尽くしたい・・・でも我慢)
それから(まだ続くのか)、次に驚いたのはヒロインの女の子。
ま~、こんなにかわいくないヒロインを選ぶのも珍しい・・・と思いつつ(いや、この女優さんが嫌いなのではありません。むしろ好き)、どこかで見たことあるなぁと首を傾げてたら、彼女の以前の出演作を思い出して転げました。本気でびっくりして。この女優さん、あのアン・ライスの名作「インタビュー・ウィズ・バンパイア」のあのちびっちゃい女の子じゃあ~りませんか!!(またチャーリー浜)ええ!!!こんなに大きくなったの??!!!いろんな意味で・・・・(脂汗。ホント、バストおっきいですよね・・・)。あの天然八重歯が、自前ドラキュラの牙を彷彿とさせた彼女。その八重歯は今も健在でした(笑)。月日が流れるのは早いですね・・・。「トム・クルーズがレスタトだと~~~~????」と怒り狂っていたあの頃。(その後映画を鑑賞して、その意見は撤回しました)女の子はあっという間に大きくなるモノです。
最後に、悪役のデフォーちゃんは相変わらずのアクだったので安心しました。
[国沢]
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