act.58
契約日がいよいよ間近に迫ったせいか、短いバケーションから返ってきたベルナルド・ミラーズは、朝早くから会社に姿を見せるようになっていた。最近は、朝ダイナーで若いウェイトレスに相手に小粋な会話を楽しむこともせず、秘書のカーターに黙って行方を眩ますこともしていない。
そんなミラーズが自分のオフィスにウォレスを呼んだのは、USパワー・ジャーナル誌発売の翌日のことだった。
「おはようございます、ベルナルド」
「おはよう」
ウォレスは、ベルナルドの前にココアの入ったカップを置くと、契約に向けての細かな連絡事項を伝えた。
「ああ、その件なら君とビルに任せているから、君らで決断してくれていい」
「分かりました」
「そんなことより、君はこれをもう読んだかね」
ベルナルドが引出しから出してきたのは、真新しいUSパワー・ジャーナルだった。ウォレスは「ええ」と頷く。
「印刷に掛かる前のゲラの段階で、キャサリンから内容を一応確認してくれるようにと依頼がありましたので」
ベルナルドは、自分の会社の若くて勇敢な社医の記事に目を通しながら、満足そうな微笑を浮かべた。
「先ほどもね、グッテンバークくんによく尽力をつくしてくれたと伝えたところだ。聞けば、なかなか苦労して雑誌社に交渉したそうじゃないか。よくできた記事だよ。これで暗い雰囲気は無事払拭できたといっていだろう。私の身の回りでも早速昨夜から評判になっているよ。好条件のまま契約日を迎えられる。広報部は素晴らしい働きをしてくれた」
「広報部の者達も、さぞ誇らしく思うことでしょう。スケジュール調整などが大変だったそうですから・・・」
デスクの脇に控えたウォレスを、ミラーズは雑誌越しに見上げた。
「広報部の連中もそうだが・・・。この記事の主人公にも感謝せねばなるまいな。彼は、事件の被害者を救おうとしただけじゃなく、結果的には我々の会社も救ってくれたことになるのだから。・・・彼の駆け引きのない素朴な人柄でこそできたことだ」
ウォレスは、返事を返さず少し微笑む。
昨日の昼、ウォレスが少し席を外した隙にミゲルと軽い口論になったらしいマックスは、こともあろうか公衆の面前でウォレスの腕を掴み、「この人は俺のものです!」と言ってしまったのだ。
もちろん、その後慌てふためいたのはマックス自身で、かわいそうなほど顔を青くしていた。その場の強張った空気をなんとか収めてくれたのはミゲルだった。
さすがスター記者というところだろうか。マックスの発言を、うまいように冗談のように言いくるめて、レストラン中をウィットの飛んだ笑いに包んでくれた。そのせいでなんとかその場は笑い話という形で収まったのだが、やはり後先を考えない言動をしてしまったと思いつめたマックスは、会社に帰ってからも浮かない顔つきをしていた。
「すみません。俺、つい見境がなくなっちゃって・・・」と何度もウォレスに謝った。
そんに自分を責めなくてもいい・・・。
ウォレスはそう思ったものの、結局うまくそれをマックスに伝えられなかった。マックスは、ウォレスを目の前にすると時々ひどく緊張したような顔つきをすることがある。二人きりの時はそうでもないのだが、公衆の面前だとウォレスが自分と関係を結んでいることで彼に迷惑をかけたくないと過剰に思い込んでいる様子なのだ。
おそらく、マックスにそう思わせてしまう自分が悪いんだとウォレスは思っていたが、互いが相手を思いやる気持ちが大きすぎるために、時に空回りしてしまう時がある。ミゲルは、そこを見逃さなかった。
本社に帰らなければ、と昨日のうちに空港へとんぼ返りをしたミゲルだったが、ウォレスと別れの挨拶を交わす間際、「あなたは確かに情熱的で素敵な人物ですが、僕が電話で言ったことに間違いがないことが分かりました。今日はここで一端引きますが、僕は負けを認めたわけじゃない。あなた方の恋愛は、酷く不器用すぎる・・・」と耳元で呟いたのだった。
経験が豊富で、己の生き方をオープンにしているミゲルは、すべてお見通しのようだった。
感情が溢れ出すぎて不安感に苛まれているマックスの心。どこかでやはりすべてをマックスに曝け出せないでいる自分。周囲の人全てから祝福を受けるには難しい二人の関係・・・。
「何か困ったことがあったら、僕に電話をして」
ミゲルはそう言って、名刺の裏に自分の携帯電話のナンバーを書いてマックスに手渡した。最初はあからさまに拒絶をしていたマックスだが、レストランで助け舟を出してもらった手前、結局それを胸のポケットにしまうことになった。
そのやりとりをみても、ミゲルとマックスは学校の同級生のように無邪気で、ミゲルを前にしたマックスは、彼独特の裏表のない溌剌とした性格が正直に出ていた。
今回のミゲルの訪問は、ウォレスにとっても様々なことを考えさせられることになった・・・。
「ところで・・・」
ふいに力強い声でミラーズに声をかけられ、ウォレスはハッとして顔を上げた。 「昨夜、ジョエルのパーティーに呼ばれてね。なかなかこざっぱりとしたいいパーティーだったんだが」
「はい」
「そこでも、ローズ君のことは話題に上っていたよ。去年のクリスマスパーティーで彼を見かけた者達も多く顔を出していてね、特に若いご婦人方の話題の的だった。あの容姿で、人間的に素晴らしい勇敢さも持ち合わせている。隠したりしないで、もっと社交界に出すべきだと色んな悪い大人連中達に迫られて、少々閉口したよ」
ミラーズはおどけた口調で言う。ウォレスは、曖昧な微笑を浮かべた。
「私にしてみれば、君こそ社交界のスターになりえる人材だと思うのだが、あいにく君は社交界が嫌いときている。そんなんじゃ、再婚相手も見つからないぞ。・・・それとも、パートナーは既に見つけているのかな?」
ウォレスは眉を潜めてミラーズを見た。ミラーズは、いらずら好きの少年のような目つきでウォレスを見上げていた。
「まさか・・・」
ウォレスがそう呟くと、ミラーズは笑い声を上げた。
「そう、昼間のローズ君の発言が、社交界でもう噂になって流れていたよ。いろいろ聞かれて閉口したというのが本当のところだ。君は知らないだろうが、社交界ではやっぱり君も話題の的なのだよ。話題の二人の穏やかでない噂話は、火の粉が飛び移るより早く伝染するものだ。もちろん、噂は推測の域を越えることはないがね」
ウォレスは、ミラーズに頭を下げた。
「申し訳ございません。ご迷惑をおかけしました」
ミラーズは笑っていたが、状況を冷静に判断すると大事な契約間近にでる噂としてはあまりよくないことには違いない。ウォレスも、まさかそんなところにまで昨日の昼間の話が飛び火しているとは思ってもみなかった。マックスはともかく、自分もその世界にそれほどまでに注目されているとは思っていなかったのだ。
「軽率でした」
マックスを責めるつもりはなかったが、やはりビジネスマンとして会社に迷惑をかけるようなことになってはならない。やはり。
ミラーズは、ウォレスの感情を感じ取ったのだろう。 「別に、それほど謝る事ではないのだが・・・」と断わった上で、「でも、時期が時期なだけに、もう少し慎重に行動してもらわなければならんな。君たちは自分達が思っているほど目立たない存在ではないのだから」と釘を刺したのだった。
再度「すみません」と謝るウォレスに、ミラーズは質問を投げかけてきた。
「ところで、その噂はどこまでが本当なのだい? 話によると、その場は表現の使い間違いによる笑い話ということになっていたが・・・」
ウォレスは、真っ直ぐにミラーズを見た。
この人には隠し事を一切しないと心に誓っている。
「噂は、本当です。・・・つまり、彼が口にした台詞は」
ミラーズがほうと目を見開いた。
「本当かね」
「・・・ええ。ご報告するようなことではないので、今まで黙っていましたが。私達は互いにそういう気持ちで二人の時間を共有しています。驚かれるかと思いますが・・・」
ミラーズの顔が険しくなっていくの見つめながらも、ウォレスは正直に先を続けた。
「本気なのかね?」
「はい」
「そうか・・・」
ミラーズの表情を見て、次には責められるとウォレスは思っていた。だが、ミラーズの口から返ってきた言葉は、意外な言葉だった。
「そうかね・・・・。それはよかった」
「は?」
思わずウォレスは聞き返した。食い入るようにミラーズを見つめる。
「なんだね。私の顔がそんなにおかしいのか?」
「え、いや・・・」
ウォレスは彼にしては珍しく顔を少し赤らめながら俯いた。
「あなたが、もしやそんなことを言うとは思っていなかったので・・・」
ミラーズが立ち上がり、ウォレスの肩を叩く。ウォレスが顔を上げると、穏やかな瞳があった。
「前々から、君には君自身を本当に愛してくれる人間が娘以外にも必要だといつも思っていた。だが君は頑固者で、自分から人を愛そうとしない。・・・もちろんそれは、一概に君だけのせいではないのだが・・・」
「ベルナルド・・・」
ミラーズの顔が綻ぶ。
「これでも私は、君のことを我が息子のように心配しているのだよ。君はもっと、幸せに対して貪欲になるべきだ」
ウォレスは、何も言えなくなった。ただただ、深く頭を下げたのだった。
Amazing grace act.58 end.
NEXT | NOVEL MENU | webclap |
編集後記
白状します。
更新遅れた理由。
正直に言います。
「アタック・ナンバー・ハーフ」見てました(汗)。
何気におもしろかったです(汗汗)。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが。タイかどこかの国の実際にあったお話で、オカマちゃんのバレーチームが全国大会で見事優勝しちゃったっていう物語です。
書いてる合間に見てたので、ウォレスのシリアスな雰囲気と映画のあまりにもウサギちゃん色の雰囲気とのギャップが激しくて、ちょっと困りました(汗汗汗)。
嗚呼・・・。こんな国沢、見捨てないで・・・ね?
今度の水曜日はいよいよ「触覚」最終回です。
こちらは順調に更新の予定ですので、お楽しみに。
[国沢]
小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!