ジャドはムシャクシャしていた。
　どうしてこの俺様が、よりにもよって体育館の片隅で一人きりポツリと立ち尽くしているのだろう。
　体育館の中では、創立記念の盛大なパーティーの真っ最中。今も華やかな照明に彩られた即席のダンスフロアで、学生や父兄達が思い思いにダンスを楽しんでいる。
　それなのにジャドときたら、ライトの当たらない場所で立ち尽くすしかないのだ。
　本来ならば、ジャドは校内でも注目度の高い生徒だった。誰もが暴れん坊のジャドに頭を下げ、日々使いっぱしりに不足することはない。
　危険な魅力いっぱいのジャドに黄色い声を上げる女達もたくさんいたし、銃を撃ったことがあるジャドは、悪ガキ達の羨望の的・・・のはずだった。
　それなのに、今の有様はどうだ。
　なんでこんなことになってる？　なんでこんなことに？！
　それもこれもアイツのせいだ・・・。
　ジャドは、ダンスフロアの中央に視線を走らせた。
　パーティー会場の中の誰もが、一組のペアの様子を伺っている。その目は、男女問わず熱に浮かされたような目つきであり、浮き足立っているのが手に取るように分かる。 　本来ならば、その視線の真中にいるのは、自分のはずだった。
　まさしくプリンセスというに相応しいシンシアの手を取り、男連中が股間を押さえ込むほど熱烈なダンスを繰り広げるはずだった。
　なのになんだ。どういうことだ、これは。
　パーティー会場の入口で、出会い頭にズボンのチャックのことを指摘され、皆の笑いものにされたせいですっかり頭に血を上らせたジャドは、アルコールが弱いにもかかわらずビールをガブ飲み。ますます乱暴者に拍車がかかったおかげで、いつもの取り巻き連中でさえ、すごすごとジャドの周りから身を引いていった。
　「あっちへ行け！！」 と怒鳴り散らしたのはジャドだったが、本当に行けという意味ではなかった。
　分かれよ、それぐらい、と悪態をついても後の祭りである。
　ジャドは、ビールに濡れた口元を父親から借りたスーツの袖でぐいっと拭い、懐を探る。
　よし、よし。念のために持ってきてよかったぜ。
　手に当たる冷たい金属の感触に、ジャドは人知れず、邪悪に微笑んだのだった。


　レシートに残された指紋は、一体誰のものなのか・・・。
　ドーソンは、眉間に皺を寄せながら土曜日の新聞社に姿を見せていた。
　爆弾の材料がずらりと並んだレシートに付着していた指紋が、ベン・スミス・・・つまりジェイク・ニールソンのものでないとするならば、もうひとつの可能性としては、いつも控えめで地味なあの青年ということになる。
　ニールソンが潜伏している倉庫の借主、ジェイコブ・マローンだ。
　ドーソンは、マローンの指紋を採取するために、本来自分は休みの日のはずの新聞社に来たのだった。
　配送係の他に、最近では清掃員として働いているらしいマローンは、社内の清掃員事務所の中に彼専用のロッカーを持っていた。
　マローンは、事務所のドアをノックして清掃員が皆出払っているのを確認すると、ドアを開けて中に入った。いつもここのドアが開いていることは知っている。
　事務所の一番奥にあるロッカーにマローンの名前が書いてあった。鍵がかかっている。
　ドーソンは薄手の手袋をはめると、針金を腰のポケットから取り出し、苦労してロッカーの鍵をこじ開けた。いつ事務所に人が戻ってくるか分からない。出入り口はロッカーの陰の向こうなので直接姿は見えないが、内心はヒヤヒヤものである。
　音を殺しながらロッカーのドアを開け、中を覗きこむ。
　清掃員の制服がぶら下がっている。下には、長靴が無造作に置かれてあった。家族の写真などは皆無である。母親のために仕事の時間を調節し仕事量を増やしているほどのマローンが、母親の写真をロッカーに飾っていないのが不思議に思えた。
　ドーソンは再度ロッカーの中を見回す。
　マローンしか触れない可能性が高い物を何か手に入れなければならない。ふいになくなっても、気にも止めないようなもの。
　ドーソンは、ロッカー内の上の棚を探った。
　ふいに上の棚のものが手に当たり、バサバサと下に落ちてくる。
　雑誌、新聞、紙袋・・・。
　紙袋？
　ドーソンは、なんの変哲もない皺くちゃの紙袋を再度目の前に翳した。
　と、事務所入口のドアが開く。
　ドーソンはハッとして、マローンのロッカーの中に入ると、極力音を立てずにロッカーの戸を閉めた。


　「もう、あいつらったら許せない」
　折角淑女のように美しく化粧をしたシンシアが、口を突き出してそう言った。
　そんな表情を見ていると、まだまだ子供だなとマックスは思ってしまう。微笑ましい。
「友達のことをそんなに言うのはよくないね」
　湧き上がる笑いを噛み殺しながらマックスが言うと、シンシアはマックスの胸元を軽く押した。
「もう、マックス。皆あなたを手に入れようと躍起になってるのよ。少しは自覚を持ってほしいわ」
　パーティーのメイン会場からシンシアとマックスを探す声が聞えてきて、シンシアはマックスの腕を取ると更に人影のない校舎の中庭にマックスを引っ張って行った。
「今ここに大きな鏡があるなら、あなたの前に突き出したい。マックスったら、自分がドンドン恰好よくなっていくのが分かってないの？　これじゃ、パパよりも私の方が心配で困っちゃうんだから」
　本気で怒り顔のシンシアが愛おしくて、マックスはハハハと笑いながらシンシアを後ろから抱きしめる。
「ジムに君のような素敵でしっかり者の娘さんがいてよかった。正直、君のパパも俺も、君がいなくちゃ全然駄目なのかもしれないな」
　シンシアは憮然とした顔つきで、後ろから抱きすくめるマックスの腕に手を置くと、ぽつりと呟く。
「ヤキモチ焼こうにも、そんなこと言われちゃどうしようもないわ。このままじゃ私、二人のことが心配で、パパより早く老けちゃう」
　マックスは、ユーモラスな表情を浮かべるシンシアを勢いよく抱き上げ、身体を振り回す。シンシアがケタケタと笑い声を上げた。
「やっと笑った！」
「笑ってなんかないもん！」
　まるで本物の兄妹がじゃれあっているかのような光景に、突如水を差すものがいた。
「随分と仲がいいんだな。それにしちゃ、色気もへったくれもねぇが」
　芝生に下ろされたシンシアが腰に手を当てため息をつく。
「・・・ジャド」
　溜息と共に吐き出されたその声は、「もううんざり」といったところだろうか。
「おいシンシア、そんなイギリスのお坊ちゃまみたいな男が好みなのか？　随分と趣味が変ったんだな」
　ビール瓶片手に、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。
「本当なら、身体の奥から燃えさせてくれるようなヤツがいいんじゃないのか？　ん？」
「シンシア？」
　マックスが、怖い顔をしてシンシアを見る。
　シンシアはマックスが心底自分を心配して、昔の交友関係を諌めているのが分かった。
「大丈夫よ、マックス。ジャドとはキスしただけよ。こいつ、結局手が出せなかったの。出す前に、射撃場でパパにこてんぱんにされたから」
「ジムに？」
「うるせぇ！！」
　ジャドが地面にビール瓶を叩きつける。神経質な音がして瓶が粉々に砕け散った。シンシアの足元までビールが弾けて、シンシアが悲鳴を上げた。マックスが、シンシアを自分の身体の奥に隠す。
　瓶が割れる音に反応してか、どこからともなく野次馬が現れ始める。酒に溺れ気味のジャドは、まったくそのことにも気づかない。
「何だ、お前。ちゃらちゃらした顔しやがって。どこで何やってるやつか知らねぇが、銃も撃てない情けないやろうなんだろうが」
　そう言って懐から鋭い光りを放つナイフを取り出す。周囲から悲鳴が上がった。
「ジャド！！　どうしてそんなものを！！」
　シンシアが叫んだ。
　入口で荷物検査があるはずなのに、どうしてそれを掻い潜ることができたのか、シンシアも信じられないような顔つきでジャドの握っているものを見る。
　さすがのマックスも表情を強張らせた。ジャドの握っているナイフが、殺傷能力の高い製品だということに気がついたからだ。ＥＲ時代にはよくお目にかかっていた代物である。
「は、見ろよ、シンシア。こいつ、ナイフをみたら動けなくなってやんの。どうせこの程度の男だよ」
「バカな真似はやめて！」
「シンシア、男の中の男はなぁ、こんなものにビビってちゃ駄目なんだよ」
　ジャドはナイフを持った手を振り回しながらクダを吐く。
「お、おい、誰か先生呼んで来い！！」
　ただ事でない空気を読んだ生徒の幾人かが、体育館に向かって走る。ジャドの興奮状態に反比例して、周囲の酔いは急速に覚めていった。
「なんだよ、お前。小便ちびったか？　図体デカイくせに、情けねぇなぁ、お前。男だったら、向かってこいよ！」
　シンシアがマックスの腕を掴む。
「あんなヤツの挑発に乗らないで、マックス」
　マックスは、チラリとシンシアを見ると笑顔を浮かべた。
「俺が酔っ払いの与太話に付き合うと思う？」
「そうだけど・・・」
　マックスは、ジャドに向き合うと手のひらをジャドに向かって差し出した。
「言っておくけど、これは君のためにならないことだよ。そんなことしたって、君の株は上がらないし、そんなものは男らしさの証明にはならないんだから。大人しく、ナイフを渡した方が賢い」
　周囲が息を詰めて二人を見つめる。
「さぁ」
　マックスが一歩ジャドに近づいたのを見て、周囲がどよめいた。
　ジャドはギリギリと歯を噛み締める。
「お前も俺のことバカだと言うんだな。俺はバカなんかじゃないぞ」
「ああ。分かってるよ。バカじゃなかったら、ナイフを人に向けるとどういうことになるかも分かるはずだ」
「バカっていうな！　お前がバカっていうな！　どうせお前なんて、女をとっかえひっかえ遊んでいるようなやつなんだろ。いいカッコしいの、チャラチャラしたナルシストなんだ。男なら、売られたケンカを買え！」
　マックスは溜息をつく。
「俺は君のその汚い挑発に乗るほど子供じゃないんでね。それに、君は武器を持っていて、俺は手ぶらだ。こんなケンカ、フェアじゃないと思わないか？」
　ジャドがへっと笑う。
「ケンカにフェアもくそもあるか。これだからお坊ちゃまはよぉ！！」
　ジャドがナイフを突き出してくる。
　ふいっとマックスがそれを避けた。
　そもそもジャドは酔いが回っている。いくらボクサー生活とは縁遠くなったとはいえ、 この程度の動きなら、マックスは見切れた。
「なんだ、この！」
　ジャドがナイフを振り回す度に悲鳴が上がり、マックスがすいっすいっと避けて行く。
「チクショ！　向ってこいよ！　腰抜け！」
　ゼイゼイと臭い息を吐きながら、ジャドが怒鳴る。
「お前も、シンシアのオヤジも、俺がケンカを売ると皆そうだ。俺を怖がって、俺を避ける。皆腰ぬけなんだよ！」
「何よ、ジャド！！　パパにあっさり拳銃を奪われたのは、あんたじゃないの！」
「うるせぇ！　拳銃を向けた時のアイツはビビってた目をしてた。慌てたから、あんなことになったんだ」
「ちょっと待て」
　静かな声が遮った。マックスだった。
「ジムに、銃口を向けたって？」
　ジャドが、マックスを見る。
　さっきまで柔和な表情を浮かべていた男とは別の人間がそこに立っているようだった。
「本当に、そんなことをしたのか？」
「え・・・、あ・・・。そ、そうだよ！」
　ジャドがそう言った瞬間、気づくとジャドは鼻から血を噴出して仰向けに倒れ込んでいた。
「マックス！」
　そんなに殺気立ったマックスの表情を見たことがないシンシアは、思わず両手で口を覆った。
　ジャドが、う～んと唸る。マックスは、ジャドを見下ろし一言言った。
「今度、シンシアや彼女の父親に対して妙な真似をしてみろ。人間の骨は意外に折れやすいことを教えてやる」
　ジャドが涙ぐみながら鼻血を手で押える。 周囲の野次馬もこんなに姿が美しい青年から、こんなに鋭いパンチが繰り出されるとは誰も思っていなかったのだろう。皆、ポカンとして彼を見ていた。
「シンシア、行こう・・・。ここは、もういい」
　少し正気に戻ったのか、自分が暴力をふるったことに少し後悔の念を見せるマックスが呟く。
　シンシアは慌ててマックスの腕をとった。
「どうした、何があった？！」
　遅ればせながら駆けつけた校長先生の脇をすり抜けながら、マックスが言う。
「少し彼と揉めてしまって。今はアルコールのせいで出血量がやや多いですが、タオルか何かで押えておけば、すぐ治まります。骨が折れているわけではないので・・・。本当に申し訳ありません。穏便に済ませようと思ったんですが、つい熱くなってしまって・・・・」
「彼は悪くないわ！　ジャドが先にナイフを出したのよ！　皆見てたわ」
　シンシアが校長に訴えると、野次馬の中から同意する声が口々と上がった。
「ナイフ？！　ジャド！　また君はバカな真似を！！」
　顔を青くした校長の台詞に、意識朦朧のはずのジャドが反応した。
「バカっていうな！！」
「キャー！！」
　ジャドがナイフを投げる。
「危ない！」
　周囲の叫び声と共にマックスは校長を突き飛ばすと、自分はシンシアを庇って身を翻した。
　あてずっぽうに投げた割には確かな位置に飛んで来たナイフは、群集を飛び過ごし、記念樹にぷっすりと突き刺さった。
　周囲の男子生徒がジャドを取り押さえる。
　地面に投げ出された校長は、ずれた眼鏡の位置を直しながら、か細い声で「皆、大丈夫か？」と周囲に声をかける。
「マックス？！」
　マックスの腕に抱かれていたシンシアは、白い手袋に覆われた自分の指先が赤く染まるのを見て、ギョッとする。
「大丈夫。大丈夫だから」
　右腕の上の身を少し裂かれたマックスは、冷静な声でそう言う。
「だ、大丈夫ですか、あなた！！」
　自分の学校の生徒が、部外者に傷を負わせたという事実に顔を青くしながら、校長はマックスの腕に追いすがる。
「あいててて・・・」
「校長先生！！」
　シンシアに責められて、校長は慌てて手を離した。
「も、申し訳ない・・・」
　胸のポケットにあるチーフを取って、禿げ上がった頭の汗を拭きながら校長が言う。
　マックスは、後ろで羽交い絞めされてもがいているジャドを少し見て言った。
「ケンカ両成敗ですよ。俺も彼を殴った訳だから。どうせあれだけ酔っているんだ。明日になったら、自分がなんで鼻血を出したのかも忘れているでしょう。ただ、お願いがあります」
「な、ななななんでしょう」
　緊張の面持ちの校長に向って、マックスはウィンクをしながら言った。
「彼の前でもう二度と、バカという言葉を使わないようにしてもらいたい。その度にこれでは、いくつ命があっても足りないですからね」

　

Amazing grace act.61 end.

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