act.149
まるでデ・ジャブのようだった。
あの日マックスがウォレスの手からナイフを取った時のように、今マックスの手から暴力の象徴であるナイフがウォレスの手によって取り除かれたのである。
最初俄にウォレスがそこにいるということが信じられなかったマックスだったが、ウォレスに頬を撫でられて、ようやく実感が沸いてくる。
新たな涙を滲ませるマックスにウォレスが囁いた。
「今まで一人にしてしまってすまなかった。もう心配ない」
身近に愛おしい人の声を聞いて安心したのだろうか、マックスはあの日のウォレスがそうだったように、がっくりと膝をついた。
ウォレスはジェイクを視界に捕らえつつ、キングストンの身体をマックスの腕から引き離すと、自分が今身につけているSWAT隊員の制服のポケットからワイヤーを取り出して素早くキングストンの両手と両足を拘束した。
その鮮やかな手並みを見て、ジェイクが満足そうな笑みを浮かべる。
ウォレスは、その不適な笑みを睨み付けながら立ち上がる。
今まで晒された恐怖に今更ながらガタガタと身体を震わせるマックスの身体を庇うように自分の後ろに退かせながら、ウォレスは真正面からジェイク・ニールソンと対峙した。
かつて、自分の中で絶対的な存在として君臨し続けた男。
そして、自分の人生ばかりか数多くの人々の人生を破壊し続けてきた男。
絶対的な悪の象徴であるかのようなその男は、十数年前より随分年を取った印象を与えたが、その瞳は未だあの頃のままのように静かな狂気を湛えている。
口火を切ったのは、ジェイクだった。
「ロイは最後にこう言った。『あんたが、あんな男に拘る意味が分からない』、と」
その一言がウォレスを一気にあの時代へと引き戻す力があることを、ジェイクは十分分かっているのだろう。
ジェイクはゆったりとした余裕を漂わせて、淡々と続けた。
「恐らく、そこにいる坊やもそう思うだろう。正気の沙汰ではないと。だが俺とアレクシスの絆は、丁度磁石のようなものだ。反発しあいながらも、結局は求め合う。それは『理解』するものではない。本能で『知る』ものだ。あの愚かなロイは、それすら分かろうとはしなかった」
事実、口にするのもおぞましい男の名は、ウォレスの中で封印した傷を疼かせる。
かつてウォレスとシンシアの母リーナを軟禁して、ウォレスの身体ばかりか男としてのプライドまでも痛めつけた殺し屋のロイ。彼の最後は随分悲惨な様子だったと聞く。そこにジェイクの手が加わっていることは、証拠がなくても明らかだった。
ロイという青年もまた、ジェイクとアレクシスという二人の男の間にある『磁場』に巻き込まれ、惑わされた犠牲者でもあるのだ。
マックスが、ウォレスの横顔を見上げる。
その横顔は、ジェイクの台詞に少なからず動揺していることが伺えた。
ウォレスはあくまで冷静を装っていたが、眉間に深く刻み込まれた皺は、蘇ってくる重く痛い過去の風に翻弄されているようだ。そのことが、マックスにはよく分かった。
ジェイクは続ける。
「もはや運命という言葉ですら、陳腐に感じる。ここまで辿り着くのに十八年もかかった。冷たい牢獄の中で、お前に再会する時だけを思って、俺はそこに全てを注いだ。それ以前だって、そうだ。俺は、この俺の人生をかけて、お前を思ってきた。幼い頃から共に同じ時と苦しみを味わい、全てを分かち合ってきた。お前と俺は『完璧』だったのに、お前はそれをなぜ否定する?」
ジェイクの声が冷静であるだけに、マックスの中の恐怖は余計に募った。
ジェイク・ニールソンという男の、ウォレスに対する執着をまともに見せつけられて、自然に背筋が凍った。
やはりこの男は、静かな狂気に取り憑かれているのだ。
淡々と足下から忍び寄る影のように『異常』な精神が心を蝕んでいく。
思いこみがやがて危険な思想に傾いていく瞬間を、この男は止めることができなかったのだ。
それにしても、その一人の男の偏った考え方により、どれだけの尊いものが失われていったのだろう。
人、物、時間。
涙を流すには、あまりにも悲しみが大き過ぎて、想像すらできない。
この大きな負の力を『愛情』とするならば、自分のこの気持ちは、その大きさで叶うのだろうか?
一瞬、マックスは己の中に沸き上がってきた不安を、押し殺すことができなかった。
こんな状態で不謹慎だとは思いながらも、縋らねば床が崩れ落ちてしまいそうで、マックスは思わず目の前にあったウォレスのズボンを少しだけ掴んだ。
ウォレスが、ハッとしてマックスを見下ろす。
視線があったのは、ほんの一瞬。
それでもその一瞬には、大きな意味があった。
ウォレスは、再びジェイクに視線を戻す。
そして静かにこう言った。
「あなたが追い求めているアレクシスは、もうここにはいない。ここにいるのは、昔の罪を悔い改めたいと願う罪人がいるだけだ。その男の人生に、あなたがいる場所はどこにもない」
ジェイクの瞳が訝しげに細められる。
ウォレスは続けた。
「あなたがいない間に、私はあなたの手の届かない世界にやっと辿り着くことができた。そして掛け替えのないものを得ることができた。私はそれを命がけで守る」
ウォレスが再びマックスを見つめる。その絶対的な信頼を寄せる瞳に、マックスはがっしりと支えられている自分を知った。
マックスは、自分の不甲斐なさを呪った。
一瞬でも弱気になってしまった自分が恥ずかしかった。
対照的に、今度はジェイクが苦悩の表情を浮かべる番であった。
ジェイクのぎょろりとしたスカイブルーの瞳が、顰められる。
「・・・そんな言葉を聞きにきた訳じゃない。お前は、俺のものだということがなぜ分からない?! 既にこのビルには、倒壊するだけの爆薬を仕掛けてきた。警察の介入ももはや手遅れだ。最初の進入路に仕掛けてあった爆弾すら解体できなかった奴らに、それを無事解体することは不可能だよ。警察の目を欺ける脱出路は既に構えてある。お前と俺ならば脱出できる筈の経路だ。警察はそこに寝転がってるバカが仲間を連れ立って起こした、金目当ての復讐劇だと思い込んでいる。とんだ茶番劇だよ。そんなに足がつきやすい金に、誰が手を出すものか。奴らが、解体に失敗して爆弾を起爆させる方が早いか、俺がこのビルから脱出して起爆装置を作動させるのが早いか。いずれにしても、このビルが倒壊することは間違いない。その前に、脱出するのだ。また昔みたいに、お前と俺で」
ウォレスが、首を横に振る。ジェイクの声が、益々ヒステリックにヒートアップしていった。
「今も身体には、俺の残した傷が残っている筈だぞ、アレクシス! 『お前は、俺の物だ』だと。その傷が消せないように、俺の存在も消すことはできないのだ。さぁ、行こう。何もかもを自由にできる世界が待っている。すぐ、そこまで」
ウォレスが、再度首を振った。
その時、床に転がっていた警察無線がガーガーとなって、何か男女の会話が聞こえてきたが、周波数が若干ずれているのか、会話の内容は詳しく聞き取れなかった。ジェイクが、無線機を拾い上げる。しかしその間も、ジェイクとウォレスの視線が外れることはなかった。
互いに、相手の動きは熟知している。
隙をつくれば、相手に攻撃させるチャンスを与えることを互いに知っていた。
キングストンが要求を伝えた段階で、警察側はチーム内の通信周波数を変えたようだった。犯人側に警察の動きを悟られる訳にはいかないとの配慮だろうが、ジェイクには優しいテスト問題のようなものだった。目を瞑ってでも解決できる。
ジェイクは、ウォレスを見据えたまま、無線機を操作した。
長年の経験と勘で、あっさり変更後の通信周波数を突き止めると、直に再び警察無線が室内に響き渡った。
『隊長! 報告のあった爆弾のひとつを我々も発見しました・・・・』
そう報告した隊員の背後では、男達の絶望的な呻き声が聞こえていた。報告する隊員の声も、恐怖で打ち震えている。
作戦本部から、『冷静になれ』と繰り返し返されている間も、隊員達の動揺を表した息遣いや声が無線機から漏れてくる。その中に携帯電話のベルや作戦本部のガタガタと人が動き回る音が混ざって、現場の混乱が手に取るように分かる。
しばらくして、再度きちんとした言葉が聞こえた時は、また別の男が無線機を使っていた。
『爆弾処理班オリバーです。今確認しました・・・・。私も爆弾処理に長年携わってきましたが、こんな起爆装置はお目にかかったことがありません・・・。どこをどうしていいものか・・・』
マックスの身体から、力が抜けていく。
オリバーとは、セスの上司で爆弾処理班のチーフだった。マックスも会ったことがある。
長年現場叩き上げの実力派で、FBIの新人養成カリキュラムでも教鞭を取ってくれと依頼されるほどの人物だ。そのオリバーを持ってしても、太刀打ちできない爆弾を他に誰が解体できるというのだろう。
俄に、ジェイクの言ったことが現実のものとなりつつあった。
警察が、解体に失敗して爆弾を起爆させる方が早いか、ジェイク・ニールソンがこのビルから脱出して起爆装置を作動させるのが早いか・・・。
これでウォレスも悠長に構えられなくなった。
「ジェイク。もう十分だろう。これ以上、悲劇を重ねる必要はない」
ウォレスが一歩足を踏み込む。
ジェイクも同じように一歩後ろに下がりながら、ニヤリと笑みを浮かべた。
「そんな言葉は効果がないことを、お前は知っているだろう。俺がこの先自由に生きていくためには、このビルが爆発しないと意味がないのだ。警察の不注意で犯人もろともビルは爆発。ここは瓦礫の山となるだろう。それを掘り起こしたところで、遺体の判別などつきはしない。どれが犯人なのかどれが被害者なのか、全てを明らかにするのはまず不可能だ。だが警察はやがてキングストンの薄汚れたねぐらで見つけることになる。キングストンとあのジェイク・ニールソンとに繋がりがあったという証拠をな。そしてジェイク・ニールソンは二度目の死を迎える。それを俺は、どこか遠い場所で知るのだ。飲み屋の片隅にあるテレビのニュースでかもしれない。駅の屑籠に捨てられた新聞でかもしれない。だが、それは俺にとって既に他人の男の死だ」
絶対的な自信だった。
これまでこの男は、この世から、確実にジェイク・ニールソンという存在を消す為に用意周到に準備をしてきたのだ。
自分達が知らない間にキングストンをコントロールし、少しずつ爆薬の材料を集め、ウォレスの周囲の人々の動きを観察し、ビルに侵入して下調べができる環境を整え、壮大なストーリーを頭の中で作り上げていたのだ。
望めばすぐにウォレスの前に姿を現すこともできた筈だ。だが、ジェイクはそれをせず、じっと外堀を埋めるように水面下で動いていたのだ。
今更ながらに、そのしたたかな怖さを肌で感じることになり、ウォレスの全身に震えが走った。
そのやり方は、若い時分から身に付いてきたやり方だった。
決して忘れた訳ではなかったのに、気づいた時が遅すぎた。
「迷うことはない。お前はついてくるだけでいい。・・・なに、お前が首を縦に振りやすいようにしてやろう」
ジェイクが高圧的に言い放つ。だがなおもウォレスは首を横に振った。それを見たジェイクは上着の懐から、小さなボックスを取り出した。
ウォレスが顔を顰める。
「それが起爆装置か。それを今押せば、あなただって生きてはおれない」
「誰が起爆装置だって言った?」
ジェイクが小首を傾げる。そしてマックスを見た。
「彼には、これが何なのか、分かっているようだぞ・・・・」
面白げに目を細めるジェイクとは対照的に、マックスの顔は吹き出た汗がタラタラと滴り落ちていた。
ジェイクが今手にしている箱は、まるで煙草のケースのような形をしていて、赤い小さなランプが灯っている。それはまさに、床の上に転がっているマックスに着せられていた殺人ベストの発火装置とまったく同じ形をしていた。
ということは・・・。
マックスは、窓際で未だ静かな寝息を立てるシンシアを見つめた。
Amazing grace act.149 end.
NEXT | NOVEL MENU | webclap |
編集後記
うは~、今午後11時50分です!!
なんか、さっきからパソコンの動きが鈍くて非常に怖いです(汗)。ううう、このままどうかちゃがまってくれるなよ~とお願いしつつの更新作業です。うわぁ、間に合うかなぁ。
いよいよアメグレ直接対決です。
といっても、ほとんど会話のみで今回終了(汗)。十八年もの積年の恨みが募ると、語りも長い(大汗)。相変わらずカメの歩みでごめんなさい。
来週は、シンシア争奪合戦になりそう・・・というところなのですが、生憎とミッチー(元)王子に会いに行くことになっております!!お隣の県まで突進していくので、土曜アップはおそらく無理・・・ってことで一応日曜アップということにしておきますが、ホントに出来るかどうかは神のみぞ知る・・・・(脂汗)。すみません、相変わらずチャランポランで(滝汗)。
[国沢]
小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!