irregular a.o.ロゴ

この手を離さない title

act.98

 手紙を読むにしては長い間、滝川が仏間から帰ってこないので、定光は心配になって仏間を覗いた。
「 ── なんだ…………」
 思わず定光は、ほっと表情を緩ませる。
 滝川は、手紙を左手に握りしめたまま、身体を丸くして眠っていた。
 充代が定光の横から部屋を覗き込む。
「あらあら、まぁまぁ。子どもみたいな顔して…………」
 充代がふふふと笑いながら、そう呟いた。
 定光もつられるように笑顔を浮かべる。
 充代は、定光を見上げた。
「このまま起きるまで、そっとしておいてあげましょう。今日は主人も友人宅を訪ねて帰りは遅いですから、気にしないで。なんなら、夕飯食べて行ってください」
「すみません。ありがとうございます」
 結局、滝川は常盤家の夕食の時間になるまでぐっすり眠っていた。
 まるで人生丸ごと寝不足だったのを取り戻すかのような、深い眠りだったようだ。
 超絶ぼんやりとした寝起きの滝川は、まるで幼い子どもが食事をしながら眠るような様子で常盤夫婦の笑いを誘っていたが、食事が終わってお茶を出してもらった頃には、ようやくきちんと目が覚めてきたらしい。滝川の作品のファンだという常盤のご主人と制作秘話をいろいろと話していた。
 2人は、夜に知らない道をバイクで走るのは危険だと言われ、翌朝帰ることになった。
 2人の布団は定光の希望で仏間に敷かれたが、驚くことに滝川は昼間あんなに寝たのに、夜もきちんと眠りについて、またも呆れるぐらい爆睡したのだった。
 
 
 週明けから、滝川の仕事のスピードが格段に上がった。
 村上・井上コンビがやっと滝川の感覚に慣れてきたということもあったが、滝川の中で迷いがなくなり、滝川が無理に関わることで無駄に時間を食っていた部分もあっさりと編集の井上に任せるようになって、制作工程がスムーズに進むようになったのだ。
 それと合わせて定光も、フルタイムで仕事に復帰した。
 ショーンの仕事は滝川のPVが仕上がるまでは待機の状態だったが、滝川がショーンの仕事一本に絞っているため、他のディレクターの仕事が例年より混み合っており、由井と藤岡の仕事も多忙を極めていた。定光はそのサポートを申し出たのだ。
 その日、定光がパソコンに向かって書類仕事をこなしていると、村上がバタバタと事務所に駆け込んできた。
「ミツさん、ミツさぁ〜ん!!」
 定光は、まさか滝川が今更ながらに癇癪を起こしたのか、と身構えたが、どうもそうではないらしい。
 村上は頬を上気させながら、満面の笑みを浮かべた。
「できました! できました!! PV仕上がりました!!」
 定光は、ガタリと席を立った。
 
 
 その日の午後は、社内にいるほとんどのスタッフ達で滝川が村上・井上と共に仕上げたPVの試写会を行った。
 ショーンの幻想的で大地の広がりを感じさせる曲に合わせた滝川のPVは、人間の姿がまったく画面に出てこない大自然の景色の空撮をただひたすら繋いだものだった。
 一見すると手法は極シンプルなものに見えたが、滝川の作品を見慣れている定光には、恐ろしく繊細な作業でこのPVが制作されたことがわかった。
 曲調や歌詞の雰囲気にあわせ、画像の色合いや画面が流れていく速度、風景の角度やトリミングの仕方を細かく変え、まるで見ているものが鳥のように空中を飛んでいるような浮遊感を演出していた。見方によっては、夢の中で空を飛んでいるようなファンタジックな雰囲気も醸し出している。
 天然極彩色の美しい風景の数々に、鳥肌が立った。
 シシーを使って物語調で撮影したPVも素晴らしかったが、その真逆の手法で仕上げられたこのPVも胸に迫る仕上がりとなっていた。
 あれだけ膨大な素材画像の中から、印象深い映像ばかりをよくぞ4分半にまとめ上げたと思う。
 試写会が終わると、井上は達成感からか、感動して涙を流していた。
 それにつられて、いく人ものスタッフもまた涙を流し、拍手をした。
 滝川は相変わらず飄々とした顔をしていたが、彼もまた右手のハンデを乗り越えて仕上げられたことに深い感慨を覚えたのだろう。
 部屋の片隅でタバコを吸う滝川の左手は小刻みに震えていた。
 定光の目から涙が溢れたのは、その滝川の左手を見た時だった。
 ── これでもう大丈夫だ。何もかも。
 それは今日という日が、滝川の母親の呪縛から完全に解き放たれた解放日であり、滝川が人生において次のステージを歩み出した日に他ならなかった。
 
 
 滝川のPVの仕上がりを受けて、ショーンの新譜がメディアに公開された。
 前作のシングルカットから随分間が空いた、些かイレギュラーな発売プロモーションとなったが、先の映画のサントラ効果もあって話題沸騰となった。
 しかも今回はシングル曲とアルバムが同時発売ということで、滝川の新作PVは益々印象深く、アルバム全体を象徴するPVとして扱われた。
 定光は、ノート側の要請を受けて、急遽滝川のPVをモチーフにした5種類のポスターを制作するよう依頼された。
 定光が1週間という驚異の期間で仕上げたポスターは、駅や書店、ネット広告の世界を席巻した。
 息を呑むほど美しい大自然の風景に、繊細で華奢なフォントによってデザインされたアルバムロゴが銀色のインクで添えられた芸術性の高いそれは、どの年齢層にも興味深く受け入れられ、全世界的に話題になった。
 ポスターはショーンの姿が一切出ていないにもかかわらず、ショーンのアルバムの売り上げは爆発的に伸びた。
 昨今、ショーンのルックスの良さに焦点が寄り気味だった音楽業界に、ショーンの作品重視の姿勢を強く訴える形となった今回のプロモーション展開が、通常のファン層以外の支持も集めたようだ。
 一方、逆に注目を集めてしまったのは定光だった。
 元々滝川は既に世界でも少しは名の知れた存在になっていたが、今回はそれよりも定光が注目される形となった。
 時には海外メディアの取材を受けることもあり、定光が先のTVG社のコマーシャルに出演していた美しい謎の青年だということも判明して、メディアは益々ヒートアップした。
 そんな騒動を受けて、定光と滝川が別スケジュールで動くことが増えたが、滝川は常盤家を訪れて以来、無駄な癇癪を起こさなくなっていたので、2人の関係はなぜか以前より穏やかで揺るぎないものとなっていった。
 以前の滝川なら、世間に注目される定光の姿にヤキモキして不機嫌になっていただろうが、今回の滝川は、どこか定光の世間からの評価を喜んでいる節が伺えた。
 
 
 ショーンと理沙がアメリカから日本に飛んできたのは、アルバム発売後1週間が経ってのことだった。
 全米でのプロモーションを終えた ── ショーンはもう誰の気兼ねもなく母国でプロモーションを行えるようになった ── ショーンが、次に選んだのが極東アジアでのプロモーションだった。もちろん、日本を重点的に行う予定だ。
 だがショーンの本当の目的は、定光や滝川を始め、ノートの社員を含む日本のスタッフの労をねぎらいたいとのことだった。
 ショーンへの取材依頼は殺到していたが、来日の最終日は完全に取材をシャットアウトして関係各社を周り、夜には関わったスタッフ全員を呼んでのパーティーがホテルの広大な広さを誇るスィートルームを貸し切って行われたのだった。
 
 
 「ちょっと音を止めて、止めて!」
 突如ショーンが大声で怒鳴った。
 室内にはショーンの新譜が大音量でかけられていたのだが、村上が慌ててオーディオのスイッチを押しに行った。
 会場内の日本語や英語が入り混じった話し声が、音楽と共に収まった。
 ショーンが窓際中央の目立つ位置に立つと、その場にいた全員の目が彼に注がれた。
 パーティー参加者には、エニグマやノート、パトリック社の社員はもちろんのこと、定光や滝川と共に長い撮影旅行に参加したメンバーも多数同席していた。旅費はショーンが全員の分を出したらしい。このパーティーの資金も併せ、相変わらずショーンは、金の使い方に躊躇いがない。
 だがショーンは、今回のアルバムのこの売れ方なら、こんな金はすぐに端た金になる、と彼らしからぬセリフを吐いて、冗談としていた。しかしそれは、早々に事実となることだろう。
「ミツとアタラはどこにいるの?!」
 ショーンが2人を探す。
「あ、ここ、ここ」
 定光達の周囲の者が、次々と2人を指差す。
 2人は押し出されるように、ショーンの元まで出て行った。
「 ── んだよ、ショーン。面倒クセェな。ゆっくり飲ませろよ」
 口をへの字に曲げながら流暢な英語でそう言う滝川の尻を定光が反射的に蹴った様が、皆の朗らかな笑いを誘った。
 滝川は癇癪を起こさなくなったが、口の悪さは相変わらずだ。
 ショーンは2人に向き合うと、「まずは君達に直接お礼が言いたかったんだ。素晴らしい仕事をしてくれて本当にありがとう」と言った。
 ショーンは代わる代わる、定光と滝川を抱き締める。
 そしてショーンは、理沙から手渡された包みをひとつずつ2人に手渡した。
「これはどうしても直接君らに手渡したかった。だから今回日本に来たんだよ」
「オイオイ、プロモーションはついでかよ。クボウチッチが気絶しちゃうじゃん」
 滝川がそう言うと皆の視線がノートの久保内に集まり、久保内は白目を剥いて気絶する振りをしてまた笑いが起きた。
 彼もショーンの撮影旅行に同行してから、大分柔軟な態度を取るようになった。今では多少困難なトラブルに出くわしてもどっしりと構えて対応してくれる頼もしいパートナーだ。
 ショーンは久保内の白目に腹を抱えるほど笑っていたが、「早く開けて、開けて」と2人を促した。
 2人で同時に包みを開けると、今回のショーンのアルバムCDが出てきた。
「ん?」
 思わず定光と滝川は顔を見合わせる。
 ショーンの新譜アルバムは、パトリック社でもノート側から10枚程度支給されていた。だから定光も一枚自宅に持ち帰っている。
「中見て、中」
 ショーンがワキワキした表情でCDを指差す。
 ショーンに導かれるように定光がパッケージを開けると、滝川は定光の手元を覗き込んできた。
 ブックレットも特に変わった点はない。
「 ── ん? なんだ?」
 定光が思わず日本語で呟きながら、CD盤を持ち上げると下から出てきたベースのラベルに印刷されていた写真を見て、「あっ」と声を上げた。
 本来なら、そこにはスカイ島で撮影された美しい原野の風景写真が嵌め込まれているはずだった。
 しかし定光が手にしているものには、あのクラシカルな衣装を身に纏ったショーンと同じ格好をした定光と滝川が、ショーンを真ん中にして左右に並んで撮影された記念写真が印刷されていたのだ。
 その写真は、今日ここにいないシンシア・ウォレスが撮影したもので、本来ショーンが被っているはずのシルクハットは無精髭ズラの滝川が被り、ショーンの赤毛と定光の鳶色の髪がスカイ島のファンタジックな景色と共に夕焼けの光に照らされて、美しく輝いていた。
 ショーンの衣装はもしもの時の予備も含め3着制作されていたので、スカイ島でふざけて着てみたついでにシンシアが写真を撮ってくれた、というものだった。
 ショーンも定光も穏やかな笑顔を浮かべていたが、滝川だけが仏頂面で写っている。
 かなりクラシカルな洋装だったが、なぜか不思議なことに一番日本人の顔立ちをした滝川が最も似合っていた。
「いい写真だろ? 僕もこの写真引き伸ばして、今家の壁に飾ってる」
 定光が滝川をチラリと見て、「お前のこの顔といったら…………」と笑うと、滝川は「なんだよ。一番男前に写ってんじゃねぇか」と口を尖らせた。
「ミツさぁん!こっちにも見せてくださいよぉ」
 村上にそう言われ、定光はパッケージを皆に翳して見せた。
 わぁーと歓声が上がる。
「どうせなら、それをそのまま正式なパッケージとして採用すればよかったのに」
 どこからともなく声が上がったが、ショーンは首を横に振って「そうなるとミツの考えたデザインが狂っちゃうからさ」と答えた。
「だから、僕の手元にある1枚を含めて、世界で3枚だけの特別仕様だ」
「えぇ〜?! ミツさんお願いです、それ、コピーさせてくだせぇ!!」
 村上がそう言ったが、空かさず滝川から「無理。却下。ありえない。例えコピーしても、可及的速やかに燃やす」と言われ、彼はマジ泣きしながらカーペットに蹲ったのだった。
 
 
 パーティーが跳ねて。
 皆がそれぞれ帰宅の途につくと、定光も帰り支度をしてショーンに別れの挨拶をしに行った。
「これでしばらくは会えないね。次ショーンがアルバム出すのは、また四年後、かな?」
 定光がショーンと握手をしながらそう言うと、ショーンは「確かに次アルバム出すのはいつになるかわからないけど…………」と呟いていたが、すぐに定光に視線を合わせ、「でもまたすぐに会えると思うよ」と言った。
「?」
 定光が首を傾げると、パーティーの間中理沙とずっと話し込んでいた滝川が、「おい! 帰るぞ!」と声を上げた。
「あ、ああ…………」
 ショーンに言葉の真意を問えないまま、定光は滝川と帰宅の途についた。
 タクシーを降りて、まだ少しある家までの道を歩きながら、定光は滝川に言った。
「そういえばさっきショーンが、“またすぐ会える”って言ってたよ。お前、ショーンのとこに旅行に行くか何かの約束、したのか?」
 ふいに滝川が足を止めたので、数歩歩いた定光は滝川の方を振り返った。
「なんだ?」
「ショーンのとこっていうより、エニグマの編集部っていうのが正しいな」
「え? ああ、それでお前、理沙さんとあんなに長く話し込んでいたのか…………」
「ああ。近々、エニグマに世話になるってな。 ── お前が」
 定光は一瞬滝川が何を言っているかわからず、眉間に皺を寄せ、じっと滝川を見つめた。
「は? それってどういう…………」
「お前がエニグマ編集部に就職するって話だ。もうエレナから二つ返事は貰ってるし、うちの社長にも話を通した。理沙さんとは、お前の雇用条件や住む環境のことなんかを相談してた。破格の条件だぞ。エレナも引退する直前に、いいスタッフを編集部に招くことができてよかったと喜んでた」
「え? え? お前、一体何を言ってるんだ?」
「こうやって外堀を埋めねぇと、お前はその重い腰を上げねぇだろうが。エレナには、今回のお前の仕事が世界的に評価をされたら、パトリックからお前を引き抜いてくれと前から頼んでおいた。 ── 世界に出ろ、ミツ。もう俺のお守りはやめて、お前の思うがまま、仕事の手を広げろ。エニグマの編集部に行けば、音楽系以外の仕事もわんさかある。やりごたえはあるはずだ」
「ちょっと待て。お前、お前は?」
 滝川は肩を竦めた。
「俺? 俺か。俺は行かねぇ。お前1人で行け」
 滝川は、そんな重大なことをあっさりとした口調で言い放ったのだった。

 

この手を離さない act.98 end.

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編集後記


「おてて」の更新、なんだかんだで約一ヶ月開いてしまいましたね(汗)。
すみません(大汗)。
一体どれほどの方が、まだこのサイトにお越しくださってんのか・・・。
うちのChromeが古いバージョンのせいか、Google解析の画面がよく見えないからわからないwww
取り敢えず、訪問数が0にならない限りは、サイトを続けていこうと考えてますが、訪問数が見えないんじゃ、判断しようがないじゃんねwww
パソコンのOSを上げろということか。
アドビ問題であげられねぇってのに(笑)。

ま、そんな愚痴はおいておいて。
最近更新がこんなにへなちょこなのは、台風からのぉ偏頭痛やら、TWDの二次創作との同時更新が困難になってきたっていうのもあるんですが、一番の原因はこれ。


今更ながら、
『進撃の巨人』に
ハマるっていう・・・(脂汗)。



いやね。
前から会社の同僚とかに「アンタは絶対にハマる」と言われ続けて早幾年月。
なぜか食わず嫌いでここまで来ましたが、偶然にシーズン3のアニメを深夜見てしまいまして。ええ。
それで、「なんじゃこりゃ、まったく事情がわからねぇ」と吹き出して、ちゃんと事情を把握しよう!と思ったのが運の尽き。

今はあれですね。便利ですね。
Huluでシーズン1と2、全話放映してくれてんだもん。
ついでに同僚のお子さんから、コミックスも全巻借りましたわよ、年甲斐もなく。

オタクって、腐女子って、

年取っても
治らないんですねwww


もういい加減落ち着かなきゃって思ったりもするんですけど、その辺どうですか?
1970年代生まれの腐女子のお姉さま方。
いるかな?
・・・・・・。
い、いない・・・・???


なぜか国沢、「進撃の巨人・若者グループ」(主役周辺のキャタクター達)にはほっとんど興味を示さず、ひたすら「進撃の巨人・大人グループ」に萌えを感じて、現在絶賛ブーム中です。

団長!団長!!
兵長!兵長!!
ミケ!ミケ!!


妄想が過ぎると、40越えても脳味噌の萎縮が起きませんwwwww
脳味噌のCT(MRIだったかも)をとっても、隙間が一切なかった(笑)。ちょっとした脳梗塞も全然なかった!!(笑笑)

妄想は脳味噌の劣化を抑えます。
皆さん、妄想しましょう。


さて、脳味噌の老化話はさておき、今物凄い勢いで妄想話を書いてるから、近々二次創作のメニューが増えてしまう予感・・・(汗)。
くそぉ。それもこれも、TWDの流れが興ざめしすぎるせいだ・・・(←なんとか人のせいにしたい)

まぁ、人生一度切りだもの。
やりたいことは一先ずやらなきゃ。

ではまた。

2018.8.19.

[国沢]

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