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この手を離さない title

act.11

 定光が一階ロビーまで降りていくと、淡いピンクのワンピースに身を包んだ上品そうな女性がロビーのソファーに座っていた。
 定光は女性に近づいて、挨拶をした。
「失礼します。私、新さんの仕事をサポートしております、定光と申します」
 定光が名刺を差し出すと、女性はゆっくりとした動作で立ち上がり、名刺と定光を見比べた。
 例の"外見と名前が一致しない"現象に捉われている様子だ。しかも女性は、「貴方は、あの宣伝の……」と呟いた。早速気づかれたらしい。
 定光は苦笑いしながら、身振りで女性に座るように促すと、その向かいに腰掛けた。
「まぁ、あれにはいろいろ事情がありまして……」
「貴方、新さんの何なんですの?」
「は?」
 一瞬、定光は自分が何を言われたか、理解できなかった。
「ただ息子の仕事を手伝っているだけですか? それとも、私生活まで入り込んでいるの?」
「あのー……、ええと……」
 定光はそう言い淀みながら、"滝川の母"だと名乗る女性を眺めた。
 最初に見た時から、滝川の母親にしては若い、と思った。
 四十代前半から半ば頃に見える。
 もしそれが本当なら、随分若い時に滝川を産んだ計算になる。
 それに、彼女はあまり滝川に似ていなかった。
 ひょっとしたら滝川は父親似なのかもしれないが、それにしても滝川とは異質の雰囲気を醸し出している。
 滝川は、十代の早い時期から単身で渡米し、親と離れて暮らしていたから、そのような雰囲気の違いを生むのだろうか。
「貴方、一体何人なんですか? 随分と日本語が流暢でいらっしゃるけど。まさか新さんがあちらから連れて帰ってきたんじゃないでしょうね?」
「あ、いえ、僕は……」
「まぁ、どうでもよろしいんですけど。貴方、新さんの生活を荒らさないでいただけますか?」
  ── なんだろう。確実に俺、敵意を持たれている。
 滝川の母と名乗る女性は、ろくに定光の話を聞こうとせず、頭ごなしに定光が滝川の私生活を汚していると思い込んでいるようだ。
 女性からこのようにのっけから敵意を持たれることが初めての経験だっただけに、定光は面を食らってしまった。
「とにかく。新さんを早く連れてきてください」
「は、はぁ……。今別の者が社内を探しているところで……」
「本当に? 随分待たせますこと。まさか、私と新さんを会わせないおつもりですか?」
「いえ、そんなことは……」
 服装や口調からして、それなりに裕福な家庭に育った箱入り娘のようなイメージを受ける。とても子供を産んで育ててきたような雰囲気はない。
 定光が怪訝そうに女性を眺めると、「何ですか、貴方。その不躾な目は。私は確かに滝川新の母です」と断言した。「お疑いになるなら、戸籍を取ってきてもよろしいんですよ」とまで言い出す。
「わ、わかりました。そこまでしていただかなくて結構です。新……いや、息子さんがここに来られたらすぐにわかることですし」
 定光がそう言うと、女性はこくりと頷いた。
 その時、エレベーターの扉が開き、「俺の母親がこんなところに来る訳ねぇだろ」という滝川の声が響いてきた。
「あ、でもそう名乗っていたそうですよ……。あ! あのミツさんと一緒にいる人じゃないですか?」
 滝川は村上とガヤガヤ会話しながら、ロビーに入ってきた。
 滝川は村上が指し示した方向を見た瞬間、ピタリと足を止めた。
「新さん! ああ! 逢いたかったのよ!」
 滝川の母がパァッと表情を明るくし、席を立ち上がると、滝川に向かって走り出した。
 母親が自分の身体に縋り付いてくるその瞬間、滝川は身体を避けて、距離を置いた。
 女性を見る滝川の顔は真っ青で、強張っていた。
 定光も初めて見る滝川の表情。
「新さん……」
 母親が泣きそうな顔つきをして、再び滝川に近づこうとするが、滝川は彼女を避けるように、身体を次々と避けた。
「新! こっちに来なさい!」
 ロビー中に、母親が上げる金切り声が響いた。
 受付嬢達はおろか、ロビーを出入りしていた業者や社員がギョッとした顔でこちらを見た。
 定光は母親と滝川の間に立って、滝川に背を向け、母親に向き直った。
「お母さん、落ち着きましょう」
 定光がそう言うと、母親がカッとした表情を浮かべ、定光の左頬をビンタした。
「クソババア!」
 滝川が逆上した声を上げる。
 定光は、母親に飛びかかろうとする滝川を背中で止めた。
 横目で背後の滝川を見ると、滝川は完全に正気を失った目つきをしていて、さっきまであんなに避けていた母親に掴みかからんと必死の様子だった。
 こういうケースは過去似たようなことが幾つもあったが、今回はそれまでのケースと違う、ということを定光は肌で感じ取った。
 滝川が、母親の手に握られていた定光の名刺に気づき、手を伸ばして叩き落とす。
「村上!」
 定光は、あまりの出来事に固まっていた村上を怒鳴りつけ、滝川を抑えるように目配せをした。
 正気に戻った村上が、滝川を後ろから羽交い締めにして、引き離す。
「ババア、さっさと帰りやがれ! 出て行け!」
「なんてことを言うの? 折角やっと貴方を見つけ出せたというのに、なんで母親の私にそんなことを言うの?」
 滝川の母親は、ボロボロと涙を流しながら、そう言った。
 それは芝居でも嘘泣きでもなく、本気で号泣している様子だった。
 一方、滝川は「てめえを母親と思ったことは物心ついてから一回もねぇ!」と怒鳴り散らしている。
「貴方のせいね! 貴方が息子を唆したのね!」
 母親がヒステリックにそう叫んで、定光の左頬を引っ掻いた。思わず定光が頬に手をやると、手のひらに少し血がついた。
「ババア! 殺してやる!」
 滝川の顔つきは本気で母親を手にかけそうな勢いだった。
 定光と村上二人かがりでも、滝川の暴走は止められるかどうか自信がなかった。
 それに加え滝川の母親は、必死で滝川を止める定光の背中を、持っていたエナメル製の硬いバッグで、何度も殴った。「穢れた手で、息子に触れないで」と叫びながら。
 その頃になると、下の騒ぎを聞きつけた他の社員が、どんどん駆けつけてきてくれた。
 最終的には社長の山岸まで出てきて、その場をなんとか収めた。
 まず滝川を編集室に隔離し、滝川の母親は社長室に連れて行かれた。
 定光は、傷の手当をすべく出演者控え室に行くように言われたが、定光はそれを断って、滝川が連れて行かれた編集室へと向かった。
 編集室に入る前に、後から追いかけてきた瀬奈が、袋に氷を入れたアイシングを持ってくる。
「ミツさん、頬が腫れてきてます。これで冷やしてください」
「ああ、ありがとう。でも袋に血が……」
「血はついても構いませんから。本当は傷を精錬水で拭って、ガーゼ被せたいんですけど……」
「そこまで大袈裟にしてくれなくてもいいよ。大したことないから。それより、今は新の方が気になるから」
 定光がそう言うと、瀬奈がウンウンと頷く。
「新さん、すごく興奮してたから、気をつけて」
「ああ、わかってる」
 定光が第一編集室の前まで行くと、村上がドアの前に立っていた。
「中にいる?」
 定光が声をかけると、村上は心配そうに定光の顔を見た。
「うわ、ミツさん、頬、真っ赤になってますよ」
 定光は苦笑いをする。
「俺は肌が白いから目立つだけだよ。見た目ほど痛くない」
 本当はズキズキと痺れるような痛みがあったが、今はそうも言っていられない。
「中に誰がいる?」
「速水さんとノムさんが」
 二人とも、パトリック社きっての穏健派だ。
「ひとまずベストな人選だな」
 定光は頷いて、ドアをノックした。
「ほーい」
 速水の返事が聞こえてくる。
 定光はドアを開けて、中を覗き込んだ。
「定光です」
「おお、ミツか」
 定光の声を聞いた途端、椅子に座って項垂れていた滝川が、顔を上げた。
 定光の傷ついた顔を見て、彼は泣きそうな表情を浮かべた。
 定光は自分が滝川の感情を再び興奮させてしまうかもとも思ったが、定光自身が今の滝川を放ってはおけなかった。
「すみません、新と二人きりにしてもらえますか?」
 定光がそう言うと、速水も野村も心配気に定光と滝川を見比べたが、滝川が「もう暴れたりしねぇよ……」と低い声で言ったので、二人は部屋を出て行った。
 定光は滝川の前に空いている椅子を引き寄せ、座った。
「痛むか?」
 開口一番に滝川にそう訊かれる。
「大したことないよ」
 定光がそう答えると、滝川は下から定光を睨み付けてきた。
「お前、俺には嘘つくなっつったよな?」
「……本当はズキズキ痛む」
 滝川が定光の手からアイシングの袋を取り上げて、定光の左頬に当てる。
「引っ掻き傷はもう血が固まってきてる」
 滝川の冷静な声に、定光はホッと胸を撫で下ろした。
「他に痛むところないか?」
 そう訊かれ、定光はうーんと唸った。
「背中がなんとなく痛む」
「ジャケットとTシャツ、脱いでみろ」
 定光がゆっくりとした動作で上を脱ぐと、後ろに回った滝川が顔を顰めたのが、空気の動きでわかった。
「酷いことになってる?」
 定光が思わずそう訊くと、滝川がため息をついて、しゃがんだ。
 背中にひんやりとしたものが当てられる。
「顔より酷い有様だ。あのアマ、力の限りあのカテェ鞄で殴りやがったな。アイシング、ひとつじゃ足らねぇぞ。 ── おい、村上!」
 滝川が怒鳴ると、すぐさまドアが開いて、村上が顔を覗かせた。
 村上にもチラリと定光の背中が目に入ったのか、うわ〜と顔を顰める。
「もっと広範囲に冷やせるものを持って来させろ。あ、そうだ。仮眠室に持ってこい」
 滝川がそう言うと、「了解です!」と言って、村上が走って行く。
「ミツ、仮眠室に行くぞ」
「仮眠室に?」
「うつ伏せになって冷やさなきゃ、話になんねぇ。ほら、ボサッとすんな」
 定光の肩にジャケットをかけて、二人は編集室を出た。
 エレベーターホールで、笠山と鉢合わせする。
「ミツ、ケガしたんだって?」
「見たらわかっだろ」
 滝川がふてぶてしく答える。笠山も定光の腫れた頬を見て、顔を顰めた。
「定光、写真、撮らせて」
 笠山が即座にそう言ったので、定光と滝川は顔を見合わせた。
「どういう意味です?」
 定光がそう訊くと、笠山はチラリと滝川を見て、「滝川、お前また興奮すんなよ」と怯えた顔つきでそう言った。
「だからもう暴れないって言ってんだろ」
 滝川がもうウンザリといった表情を浮かべる。
 笠山はひとつ頷くと、「お前の母親と名乗ってるオバさんがまだ社長室で粘ってる」と言った。
 滝川が眉間に深い皺を寄せる。
 笠山は"落ち着け"とでも言うように手のひらを上げると、こう言った。
「あのオバさんを追い返すためにも、定光のケガの写真がいる。場合によっちゃ、警察を呼ぶことになるかもしれないからな」
「 ── わかりました」
 定光が頷いて白い壁の前に立つと、笠山はスマホを取り出し、定光の顔の正面からと左頬のアップ写真を撮った。
「背中にもあるぜ」
 滝川がそう言う。
「背中もか」
「バッグで殴られただけなんですけど……」
 笠山に背中を向けて定光がジャケットを肩から取ると、「うわー、なんじゃこりゃ」と笠山が声を上げる。
「そのバッグの中に、金槌でも入ってたの?」
「あのクソババア、硬い角で何度も殴りやがった」
 笠山が何枚も写真を撮る。
「定光、もういいぞ」
 定光が前向くと、その肩に滝川がジャケットを素早くかけた。
 笠山は写真を確認すると、スマホをぐっと握り締めた。
「本当は、病院の診断書も取っておいた方がいいんだが」
 これには定光が首を横に振った。
「ことを大きくしたくありません」
「ま、そうだな。今は時期が時期なだけにな」
 笠山が、大きく顔を顰める。
 定光の顔が町中に溢れている今、身体中に傷をこしらえて病院に行くのは、他のリスクの方が大きい。
「ま、でも、この写真があれば、一先ずそのクソババアとやらを追い返すことはできる。俺に任せておけ」
 笠山が胸を叩いて言った。
 笠山にしては珍しく、ひどく真面目な顔つきだ。
「こういうのは俺の得意分野だ。はっきり言って、俺の腹黒さを能力として遺憾なく発揮できるこんな機会は、そうそうないからな。いいか、俺は、こういうことに関しては、びっくりするほど腕がいい。マジで。触れたら火傷をするほどだ。 ── じゃ、行ってくる」
 笠山がハードボイルド映画に出てくる俳優のようにニヒルな表情を浮かべ、そう言った時、丁度タイミングよくエレベーターの扉が開いた。
 笠山が「いざシュツジ〜ン!」と雄たけびながら箱に入って行く。
 定光と滝川は一緒にエレベーターに乗ってもよかったのだが、なんとなく気が引けて、定光は箱の内側の閉まるボタンを押した後、箱から出て、拳を突き上げたポーズを取る笠山を見送った。
「きっとあの人なら、うまくやってくれるよ……」
 定光が横に立つ滝川を見てそう言うと、滝川はエレベーターのドアを見つめたまま、「俺、初めてあの人のことを肯定的に捉えることができたわ」と呟いたのだった。

 

この手を離さない act.11 end.

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編集後記


新の母親は、めっちゃ粘着質のオカンだった、の巻。

しかも、かなりヘビーな形の粘着質者・・・(大汗)。
国沢、久々に『完全なる悪い人』キャラに挑んでいる気がする・・・。

これまでも『問題あり』キャラは度々描いてきましたが、根っからの悪人って、考えてみればあまりいないんですよね。
問題キャラっていうのは、物語をドラマチックにする上で、とっても大切な存在です。
「おてて」に関しては、今回終盤大活躍を見せる(笑)笠山さんも、どちらかといえば『悪人キャラ』。
けれど笠山さんあたりは、悪いけれどもどこか憎めない面があります。
他のお話でいえば、「プリセイ」のイヤン・バカランとか、「nothing〜」のユカリンとか、「神様」ではまりあちゃんとか。「オルラブシリーズ」の川島やスーパーの店長なんかも、それに当たると思うんですよね。

でも今回の新のオカンは、ガチンコでヤバイ。
国沢にしては珍しく、「この人の生き方おかしい」と言える人です。

実はこういうキャラは割とステレオタイプなので、書くのは簡単なのですが逆にそれが難しい。
国沢の中で、若干罪悪感を感じながら書いていくイメージですね。
人間、生まれた時からの悪ってあまりいないから、その人がそうなってしまった悲哀みたいなのをうまく書いてあげられるかが罪滅ぼしのような気がしますが、今回はうまくそれができるかどうか、まだ自信がない・・・。
てか、全然自信がない・・・(汗)。
「アメグレ」のジェイク・ニールソンは、最後の最後でそこら辺を消化できたように思うのですが、今回はそこまでできるかなぁ・・・と考えあぐねています。

なんだか堅苦しい話になってしまいましたが、今の新がなぜあんなメチャクチャな行動を取るようになったのか、の根本には、このお母様の存在があるので、国沢にとっては、とても大切なキャラクターです。
うまく活かせればいいなぁと切に願います。

頑張れ、ミツさん!
滝川親子の負の呪縛を解き放つのは、
ホワイトナイトの君にしかできないのじゃ!!


ということで、最後にお手本ツーショッツのほっこり写真でお別れ。


ではまた〜。

2016.7.17.

[国沢]

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