irregular a.o.ロゴ

この手を離さない title

act.25

 今やグラフィック制作部の作業テーブルを、七人の男が頭を突き合わせて、ギュウギュウにひしめき合いながら、取り囲んでいた。
「それにしても笠やん、そんな厳しい状況、どう打開した訳?」
 グラフィック制作部の部長・横谷が身を乗り出してそう訊くと、グラフィック制作部のデザイナー三人が同時にうんうんと頷いた。
「いやぁ、相手もなかなかシブチンでさぁ。最初はホンットに認めない訳。ミラーズ社のCMを例のチーフディレクターが撮ってないこと」
「そりゃそうだろう。そんなこと世間にバレたら、会社の信用問題に関わる」
「そこをどう認めさせたんですか?」
 定光が訊くと、笠山はニヘラと不気味な笑みを浮かべた。
「エレナ・ラクロワには見抜かれてるぞ、と言ってやった」
「うわっ、コワッ」
 富岡が身体を震わせる。
 グラフィックデザイナーにとっては、ラクロワがファッション雑誌界で如何に優れていて、恐ろしい存在なのかは、よく耳にする話だった。
 笠山は不気味な笑みを浮かべたまま、「ただしラクロワは、その点について公的に指摘するつもりはない、と発言していることも伝えると、態度が変わった訳よ」と続ける。
「え? ラクロワはそう言ったんですか?」
 定光が再度訊くと、笠山は首を横に振って、
「いや。俺からそうしてもらえるように後から頼んだの」
 とあっけらかんとした口調でそう言った。
「笠やん、そんなことあの女帝に頼んだのか……」
 さすがの横谷も笠山の発言に恐れをなしている。
「で、どんな風に態度が変わったんですか?」
 今度は富岡が身を乗り出してくる。
「違約金払えって言うのよ。あの時、滝川に口封じをするため、相場以上の金額を滝川に払ったって言う訳よ。契約違反だって言うの」
 一瞬皆の視線が、片隅でダラリと片肘をついている滝川の方を見る。
 滝川はニカッと笑った。
「お前、そんなに金貰ったのか」
 横谷が眉間に皺を寄せて滝川を見ると、滝川は笑ったままVサインを出した。
「なんだ、そのVサイン。たくさんもらってイエーイってことか」
「いや、二千万貰ったっていう意味」
「二千万!」
 笠山以外のその場にいた全員がドン引きした。
「あ、ミラーズのCMだけじゃないよ。他のもろもろの仕事を合わせての二千万」
「道理てマンションが買えるはずだ……」
 今度は定光が身体を震わせる。
「で、払うことにしたの、笠やん」
 横谷が笠山に詰め寄る。
 笠山は中年おばさんのように手を身体の前で上下に振った。
「払える訳ないじゃないのぉ。そんな金額を一気になんてぇ。今期のうちの決算が大変なことになっちゃう」
「じゃ、どうしたの?」
「だから言ってやったわよぉ。あんた達、滝川と"その点について公表しない"って誓約書、ちゃんと交わしてないでしょって」
「 ── なんでそこでおネェ口調なんっすか……」
 富岡のツッコミはスルーされて、笠山の話は続く。
「相手も書類の証拠が残ったらマズイって思ってたのね。だから口約束で、こんないい加減な男に二千万も手渡しちゃってた訳よ」
「イエーイ」
 滝川がVサインを左右に振る。
「だから、ミラーズのCM作った証拠をうちが提示できないのと同じで、あっちも滝川に二千万渡したって証拠を正々堂々明らかにできないわけよ。だからうちとしたら、ようはエニグマ側がミラーズ社のCMを滝川が作ったと納得しさえすれば手打ちでいいんだから、お金を払わなくっても、うちの目的は達成できる訳ぇ」
 笠山が懐から、ボイスレコーダーを取り出して、再生ボタンを押す。
 どうやら男二人が英語でやり取りを交わす音声が流れてきた。
 滝川以外の英語ができない連中は、皆一様にぽかんとした顔をした。
 それを見て、笠山がさも面白そうに「あら! あんた達、英語わかんない下等生物だったわね」と笑いながら、再生を止める。
「つまり、違約金払えって向こうが言ってるこの音声さえあれば、うちはもうOKな訳よ。これをラクロワに聞かせりゃいいんだから。だから、うちが払うつもりはありませんって言って向こうが逆ギレしても、誓約書がないんだし、訴えるような騒ぎ起こしたら会社の信用問題に発展するんだから、訴えられるはずもないってわけ。むしろそんなことしたら、ミラーズ社から怒られちゃうでしょ。向こうの会社が」
「……きったねぇー……」
 富岡が笑いながらそう呟く。
「汚いもなにも、誓約書交わしてない方が悪いんだもん。向こうはなんでも契約社会なんだよ? 日本と違って」
 笠山が口を尖らせる。
「しかし笠山さんも、詳しいですね」
 定光が感心したように言うと、笠山はウフフと笑って、「だって俺、ニューヨーク州の弁護士資格持ってるもん」と言った。
「ハァッ?!」
 滝川以外の全員が、同時に驚愕の声を上げた。
 笠山はニマニマといやな笑みを浮かべながら、滝川と同じようにだらしなく片肘をついた姿勢を取ると、「あ、でも日本での弁護士資格はないのよ」と付け加えた。
「ひょっ、ひょっとして、さっきの電話のやり取りって……」
「片方は笠やんの声か?!」
 横谷が立ち上がると、「えー? 声聞いたらわかるじゃぁ〜ん。なんで気づかないの?」と笠山が顔を顰める。
「笠山さんが英語喋れるだなんて、し、知らなかった……」
 定光がテーブルの上をじっと見つめてそう呟くと、富岡が「いや、それよりもアメリカでの弁護士資格持ってることの方が驚き大きいでしょうが……」とツッコんだ。
「笠やん、でもじゃぁなんで、音楽映像制作会社でプロデューサーなんかやってんの?」
「え?」
「え?じゃないよ。向こうで弁護士やっててもおかしくない訳だろうが」
「いやだって。女は日本人の方が断然可愛いくておいしいし、この業界の方が若くて可愛い女の子と知り合えるチャンスが多いじゃん」
「えー……」
 その笠山のセリフを聞いて、今度は滝川も含め、その場の全員が百メートルほどドン引きしたのだった。


 翌日。
 ラクロワが帰国する直前ギリギリで、ラクロワ立会いの下、無事にパトリック社はノートとPV制作の契約を交わした。
 これで滝川と定光は二人してショーン・クーパーの新アルバムに関するアートワークに取り組むこととなり、そのサポートにはプロデューサーの笠山とプロダクションマネージャーの由井が入ることとなった。
 制作管理については、合理化を図るため、メインのビジュアルイメージは定光が作り、ジャケット制作のための写真撮影をするのと同時にPVもそれに則って同時に撮影していくという計画が決定された。これによって一層定光の責任は重くなったが、定光は不安を感じていなかった。なぜなら、前の時とは違って、定光のすぐ隣には滝川がいるからだ……。


 「こちらの物件ですと南側に大きい窓もありますし、駅からも近いですよ」
 不動産屋さんのカウンターで、定光は「これ、いいんじゃない?」と隣に座る滝川を見た。
 滝川はブッスーとした顔つきでオススメ物件の資料を見下ろしている。
 明らかに不満気な顔つきだ。
 店員が引きつった笑顔を浮かべる。
「あ、あのー。なにかお気に召さない点が……」
「部屋数が多い。そして風呂場がちっさい」
 滝川は腕組みしながら踏ん反り返り、そう言う。
「ええと……2DKですから、そんなに部屋数が多いという訳では……」
 店員がそう言いながら、ハハハと笑う。
「す、すみません……」
 思わず定光が謝った。
 元々、2DKの物件を見せてくれと言ったのは、定光側の方だ。
「ダイニングと部屋が二つでどこが部屋数多いんだよ?」
 定光がそう言うと、店員も"ルームシェアで住むなら、これが適してる"という風な表情を浮かべる。
「駅近で2LDKとなると、築年数がやたら古くなるか、家賃が一気に高くなるんだよ。俺は仕事が遅くなって帰宅する時に二十分も三十分も駅から歩きたくないんだって」
 定光がそう言うと、「だから1LDKでいいって言ってんじゃん」と滝川が答える。
「あのー、お客様。1LDKですと、リビングダイニングの他、お部屋が一室しかなくなりますから、別々に寝室を構えることが困難になります……」
「誰が寝室をふたっつ構える必要があるっつった?」
 定光が慌てて滝川の口を手で塞ごうとしたが、後の祭りだった。
 定光と店員が同時に固まる。
 これ幸いとばかりに、滝川が店中に響き渡る声で言った。
「風呂も二人で入れるぐらいおっきくないと意味がないの!」
 定光は目をギュッと閉じて、カウンターの上に突っ伏す。その様子を店員がどこか同情心のこもった目つきで見つめてきた。しかし滝川は、そんな様子もどこ吹く風で、まだ「DKだとラブソファーも満足に置けねぇじゃん!」だなんて吠えている。
 定光はよろよろと身体を起こし、両手で頭を抱えると、「お前といると、気がおかしくなりそうだ……」と呟いた。店員もなぜかウンウンと頷いてくれる。
「なんだよ、その反応。この店はドーセイカップルに1LDKを薦めていねぇのか?」
 滝川がそう言いながら、店員を指差す。
 店員はなぜかスッキリした表情を浮かべると、「そういうことでしたら、私共は絶対の自信があります」とキッパリと言う。
「あ、あの……」
 そう呟く定光を置いて、店員はテキパキと別の物件ファイルを広げ始める。
「あのちなみに、ドーセイというのは"同じく住む"という意味でしょうか? それとも"同じ性"、という意味でしょうか?」
「リョーホー」
「うまく韻を踏んでますね」
 真顔で店員がそう言うと、滝川が一転「あんた気に入った。あんたから借りるわ」と機嫌良さそうに言った。
「ありがとうございます」
「い、いや、さっきの、韻とかじゃないんじゃ……」
 定光が更にか細い声で指摘するが、店員は「腕がなります」と呟きつつ、テキパキと物件を選別していく。
「残念ながら、物件の中には、未だ大家さんが同性カップルに理解がないものが多い現状です。しかしご安心ください。私共がこれからご案内する物件は、どれもその点を完全にクリアしたものばかりで、なおかつアツアツの同棲生活を演出できる1LDKが目白押しでございます」
「あ、あの、アツアツである必要は……」
 定光がそう言うと、滝川が定光に肘鉄を食らわせた。
「アツアツじゃねぇのかよ」
 定光は顔を歪めて、「これからお前なんかと一緒住むとなったら、絶対にケンカになること請け合いだよ。そうなった時に逃げ場がなくなるのが嫌なんだよ、俺は」と愚痴た。
 あまりの展開に、定光自身既にこの部屋探しが"同棲"であることを認める発言をしていることに気づいていないのだが、店員は滝川と定光を見比べて、「わかりました。そんなお二人に最適の物件がございます」と言う。
「もうこちらしかございません」
 店員が示したのは、メゾネットタイプのデザイナーズマンションで、玄関を入ってすぐのところに螺旋階段があり、その奥に寝室と水回りがレイアウトされていて、螺旋階段の上が広いリビングダイニングとなっている物件だった。
「こちらですと、ケンカをした時でもその気になれば寝室に篭った側とリビングに篭った側が互いに顔をあわせることなくお仕事に出かけることが可能です。ただし、おトイレはリビングダイニング側に一つしかありませんから、ケンカ中でも適度に顔をあわせる形になりますので、仲直りするチャンスも得られます」
「あんた、凄腕だな……」
 滝川が感嘆の声を上げる。
「キッチン部分は五畳、リビング部分は十五畳ですが、一間続きですから実質は二十畳の広さとなります。階下にある寝室は八畳程度ですが、広いバルコニーが寝室側にもついておりますし、最上階で見晴らしもよろしいので、開放感もあります。お風呂も標準サイズではありますが、お二人で入ることは可能ではないかと思います。駅からも徒歩五分圏内ですし」
 その上、インターネット使用料無料にエアコン・駐車場・室内乾燥機付きという至れり尽くせりの物件だった。
 だが、その賃貸料を見て、定光が思わず「高っ!」と声を上げる。
「さ、三十万超えてる・・・」
 そんな定光の頭を滝川がバシッと叩く。
「イテッ」
「そんなしみったれたことを言うもんじゃない」
「だって俺、精一杯頑張っても十万ぐらいしか出せねぇぞ」
「お前が出さなくても、俺が出せば済む話じゃねぇか」
「あ? そ、そっか・・・?」
「お前はただ、裸エプロンで俺の目を楽しませてくれてれば、それでいい」
「あぁん?」
「ではこれで決まり、ということで結構ですね? 内見はいつになさいますか?」
「これからすぐにでも。それでよけりゃ、その場でハンコ押しちゃうぜ。ただちに入れるんだろうなぁ」
「もちろんでございます。即決なら、仲介手数料もサービスいたします」
 定光を余所に、テキパキと契約を進めていく二人に、定光はガタリと立ち上がって大声でこう叫けんだ。
「俺、ぜってー裸エプロンなんかしねぇからな!!」

 

この手を離さない act.25 end.

NEXT NOVEL MENU webclap

編集後記


「ヒヤカム」ではあんなに主人公二人の同棲までハードルが高かったのに、この二人に関してはあっさりと乗り越えちゃいました(笑)。
いやぁ、ほんっとにキャラが違えば、アプローチもまったく違う。
「おてて」の二人については、まだ”友達感覚”が残ってるせいか、はたまた新の図々しさが功を奏しているのか、めちゃめちゃハードルが低かったwww
なんだかんだ言って、ミツさんもあっさり受け入れてるし。
今までになかったパターン。

あと、25話では、笠山さんが意外と頭がいい人だったっていうのが判明するところが割と好きです。
笠山さん結構腹黒いから、現実に身近にいるとどうなんだろう?って思うんですけど、書いている分に関しては、なかなか憎めない不思議キャラです。
自分の能力は高いけど、己の欲望を満たすためにそれが必要なければ、その能力に固執しないっていうアッサリした考え方なのもいいのかもしれない。
この人、過去国沢のお話の中で出てきた登場人物の中でも一番素直な生き方してる人かもしれないwww
あと、パトリック社で働いている人達は、割とどんな人も好きですね。
村上くんも好き。
もちろん現実にはない会社ですが、こんな会社に勤められたら、仕事は大変そうだけど楽しそうだと思う。クリエイティブな仕事に関わるのが大好き!っていう純粋な人達ばかりが集まっている感じがするし。
やっぱり、企業は人なり、ですね。

ではまた〜。

2016.10.23.

[国沢]

NEXT NOVEL MENU webclap

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

Copyright © 2002-2019 Syusei Kunisawa, All Rights Reserved.