act.43
定光が店主にお礼を言って店を出ると、既に羽柴の姿はなかった。
まるで夢の中の出来事のようだが、自分の手には羽柴が選んでくれたワインとオマケで持たせてくれたチーズのオイル漬けがある。
定光は気を取り直して、スタジオに戻った。
丁度いい具合に滝川のアイデアスケッチも終わりを見せていたようで、滝川はぼんやりとタバコを吹かしているところだった。
定光がいない間、理沙が滝川の世話をやいてくれていたようで、いつもなら床に散乱しているはずの紙くずや灰皿にうず高く積まれていく吸い殻もキレイに片付けられていて、なおかつコーヒーまで出してもらっていた。
「理沙さん、すみません。こんなことまでさせてしまって・・・」
定光が理沙にそう謝ると、理沙は「いつもショーンから同じような目に合わされてるから慣れてるわ」と笑顔を浮かべた。
滝川はゆっくりと煙を吐き出しつつ、定光を見上げ、カサカサに乾いた声で「どこ行ってた?」と言った。
アイデアスケッチに没頭し過ぎて寝起きのような状況になっているのか、はたまた仕事を終えた時に定光がいなくて気分を害したのか、その口ぶりはすこぶる機嫌が悪い。
「今夜の夕食の差し入れを買ってきたんだよ」
定光がそう答えてワインボトルを目の前に翳すと、滝川は「ああ」と気だるげに返事してハァと大きくため息をついた後、両手で顔を擦った。
どうやらただ単にスケッチに夢中になり過ぎて、疲れているらしい。
定光は、ローテーブルの片隅に買ってきたものを置くと、テーブルの上に散らかされたアイデアスケッチに軽く目を通しながら、テーブルの上のものを片付けた。
「あー、急にシッコに行きたくなった。お腹痛い」
滝川が突然そう呟くので、定光はスケッチに目を落としたまま、「早く行ってこいよ」と答える。
「面倒くさー。ミツが行ってきて」
「俺が行って出したって、状況は好転しないぞ」
定光がそう言うと、滝川は何が面白いのか、ヒッヒッヒと引き笑いをしながら再びタバコを咥えて、ふらりと部屋を出て行った。
「まったく、変なヤツ」
「ホントに。彼、変わってるわね」
理沙と顔を見合わせて、思わず苦笑いする。
そして定光は理沙と一緒に、完成した絵コンテの内容に目を通した。
あんなに短期間なのに、もう既にPVの全体像はかなり煮詰まっている様子だった。
ショーンの実家周辺での撮影に加え、その他のロケ地でないと撮影できないような内容も盛り込まれ、メインのモデルはショーンではなく、赤毛の若い女性だった。
おそらく、赤毛の女性はショーンの母親をイメージしているのだろう。
シングルカットされる曲は、嘘を繰り返す相手に翻弄されながら別れるべきかどうか揺れ動く主人公の姿を表現した歌詞だ。
英語の主語表現に男女の区別はないのでショーンが歌えば男性目線の曲となるが、それを滝川は女性目線で捉えたのだろう。
ショーンがアルバムのコンセプトとしてショーンの両親と自分の出生について取り上げたと話していたので、滝川はこの曲をショーンの母親目線の歌だと捉えたのだ。定光が知らない間にショーンと仲を深めて行く中で、ショーンの両親に何があったか聞き及んでいたのかもしれない。
ショーンはPVの中で赤毛の女性を見守る守護天使のようなイメージで登場するようだ。あのクラシカルな衣装で。天使が人間界に降りてくることを題材した名作映画『ベルリン天使の歌』を彷彿とさせる雰囲気だ。
もし赤毛の女性がショーンの母親をイメージしているのであれば、ショーンはいずれ彼女のお腹から生まれてくる子どもな訳で、その彼が彼女を守っているイメージというのはどこか因縁めいていて、心を動かされる内容だ。
曲の最後で主人公は、相手に対する悲しみの心を吐露しながら別れを決意するように見えるが、結局実際のショーンの母親はビルと別れられずにショーンを産む。その事実を知っているファンなら、更に何とも言えず心を乱されるPVとなるだろう。
内容がなかなか精神的にハードな内容なので、果たしてショーンが了承するのかわからなかったが、定光はこのPVが完成したところを見てみたいと強く思った。
ただただ美しい映像を繋ぐだけの刹那的なPVと違って、とても意味深いPVとなるだろう。
それは理沙もそう感じてくれたらしい。
「こんな短時間で、ここまでのことを考えられるなんて、脱帽だわ。これを本当に撮ることができたら、とても興味深いものになるでしょうね」
「アイツ、日々の生活態度は相当ちゃらんぽらんだけど、仕事に関してはちゃんしてるんですよね……」
定光がそう呟いた時、スタジオ側のドアが開いて、ショーンが出てきた。
「あれ? アラタは?」
ギターを立てかけ、コーヒーを注ぎながら、ショーンが訊いてくる。
「今、トイレ。長い間トイレ行くの忘れていたから、長くかかると思う」
定光が辿々しい英語でそう答えると、ショーンはテーブルの上の絵コンテに目を落としながら、「ひょっとしてあれからずっとトイレにも行かずにこれ描いてたの?」と言う。
「そう。アイツ、夢中になるとそれしかしなくなるから」
定光がそう答えると、ショーンはチラリと定光を見た後、笑みを浮かべ、また絵コンテに目を落とした。
「僕も没頭したら割とのめり込むタイプだけど、トイレ行くのは忘れないなぁ」
ショーンはそう呟いた後、絵コンテに見入りながら眉間に皺を寄せた。
定光は内心ヒヤヒヤする。
絵コンテの内容が内容だけに、ともするとショーンの気分を損ねるかもしれないと思ったからだ。
理沙は「興味深い」と言ってくれたが、ショーンのパーソナルな過去を刺激する内容なので、彼がどう捉えるかはわからない。
「……これは……」
ショーンはそう呟いたきり、黙り込んでしまう。
定光の額にたらりと冷や汗が流れた時、滝川がトイレから帰ってきた。
「おー、ショーン」
滝川は悠然とショーンに声をかけると、ショーンの斜め隣のカーペット上に腰を下ろし、ショーンの顔を覗き込む。
「な、これいいだろ? これでやろ!」
絵コンテの内容とは程遠いほど軽い声で偉そうにそう言う。
「お、おい、新……」
定光は日本語で窘めたが、滝川の耳には入ってないようだ。
「撮る場所とか出る俳優とかいろいろ手配しないといけないことたっくさんあって面倒臭いけど、これでやろ!」
呆れるぐらい、言ってる内容と口調が完全に一致していない。
「内容過酷で、メンタル的に厳しいとは思うけど、これでやろ!」
終いにショーンがブッと吹き出し、身体を反り返らせて笑い始めた。
「You're amaging!」
ショーンはそう叫んだが、定光にはそれがいい意味で言ったのか悪い意味で言ったのか判別できなかった。
滝川は動ずることなく、新たなシガレットを取り出し火をつけると、ドヤ顔でそれを吸った。
「まったく、君には敵わないよ、アラタ。これで行こう。理沙もいいと思うよね」
「ええ、異存はないわ」
定光は、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、次にショーンが言い出したセリフに、その場の空気が一転する。
「ここまで原案ができてるんだったらさ、もういっそのことこのまま本番撮影しちゃったら?」
「いっ!?」
理沙が何とも言えない悲鳴を上げる。
ショーンはそんな理沙を見て、「何でそんな反応になるわけ?」と口を尖らせた。
「だって考えてもみなさい。撮影スタッフも機材も、それにメインモデルの女の子すら今この町にはないのよ!」
「そんなの、NYに一本電話すりゃ片がつくじゃん。エレナの旦那様に俺が電話すれば解決する話でしょ。スチールは、シンシアがベイビーをベルナルドんとこに預ければいい話だし。赤毛の女の子は、エニグマの情報網と財力を費やせば、あっという間に決められるんじゃない?」
「あなたそう簡単に言うけど、肝心の滝川くんや定光さん達のスケジュールだってあるでしょ?」
理沙がそう言いながら定光達を見てくる。
「え、ええと……」
定光が言い淀んでいる隣で、くわえ煙草の滝川が悠長に腕でOKサインを出した。
定光が顔を顰める。
「お前、完全に無計画でそのポーズしてるだろ」
ショーンが「いつまでに帰らなきゃならないの?」と訊いてくる。
ショーンのその質問に、滝川はドヤ顔のまま定光を見てきた。
定光は呆れた顔で「明後日」と英語で答えると、ショーンが爆笑する。
「そりゃダメだ。準備すら間に合わない。アラタ、なんでさっきオッケーサイン出したの?」
ショーンにそう言われ、滝川が無表情のままタバコの煙を鼻から吐く。
都合が悪い時に滝川がよくする顔つきだ。
定光は横目で滝川を見ながらがカバンから手帳を取り出した。
「まぁ厳密に言えば、日本に帰る必要があるのは俺だけなんだけどね・・・」
定光はそう呟く。
直近で外せない予定としては、明後日に前の仕事でお世話になった先方の社長やスタッフの方々にお礼がてら納品後どうだったかの話を聞きに行くことになっていた。
パトリック社では、納品後に自分達の納めた仕事が実際にどのような効果があったのか、もしくは効果がなかったのかをプロダクションマネージャーが聞きに行くことを常としている。
そうすることによって、次の改善点や仕事に活かすべき点は何なのかを分析し、蓄積していくことで顧客数をジリジリと増やしてきた実績がある。
一見他愛のないスケジュールだったが、とても大切な仕事と言える。
その他にも、細々とした書類仕事や今後のジャケット撮影で訪れる海外のロケ先への渡航準備があり、更に今回滝川がPVのプランを変えたことによる予算の組み直しやノート側への説明とエニグマとの打ち合わせ内容の報告も行わなければならない。
定光が次にアメリカに戻ってこれそうなタイミングとしては、早くても一週間後だ。
滝川が定光の手帳を覗き込み内容を確認すると、ふーんと呟いた後、「お前だけ帰りゃいいじゃん」と言い放った。定光は派手に顔を顰めて、滝川を睨みつける。
「はぁ? じゃ、俺がいない間、誰がお前の面倒をみるんだよ?!」
定光は日本語で怒鳴ったが、なぜかショーンにもそのニュアンスが伝わったらしい。
滝川はおろか、ショーンも同時に理沙を見つめた。
「え? 私?」
理沙が彼女自身を指さす。
「理沙なら大丈夫! 困難な状況になればなるほど、燃えるタイプだから!」
ショーンが笑いながらそう言う。
定光は顔を青くした。
「い、いや、だってさすがにそれは・・・。それに明日の帰りの便の航空チケット、わざわざ取ってもらってるのに・・・」
「そんなの、キャンセルすればいいじゃん」
間髪入れずそう言い放ったショーンが、今しがたの滝川を思い起こさせて、定光は一瞬眩暈を覚えた。
「り、理沙さん・・・」
定光が恐る恐る理沙を見ると、理沙は諦めたような顔つきで苦笑いした。
「大丈夫。滝川くんのチケットだけキャンセルしておくわ。こんなの、いつものことよ」
それは定光も度々よくする"プロダクションマネージャーならでは"の表情だった。
その後理沙を通じて、エレナに事の顛末を報告した。
絵コンテの内容は、スマホで撮影した画像で確認してもらった。
エレナも絵コンテの内容は気に入ったようで、彼女自ら映像カメラマンを手配すると宣言した。
エレナには心当たりが既にあるのか、今から話をつけるから少し待ってと電話を切った。
エレナの電話を待っている間、理沙が呟く。
「エニグマでは写真カメラマンのお抱えはいるけれど、映像カメラマンとなると外部に発注する決まりなの。おそらく旦那様の関係筋で探してくるでしょうから、なかなかのスキルを持ったカメラマンが手配できるんじゃないかしら」
定光はそれを聞いてゴクリと喉を鳴らした。
他人事ながら背筋がぞわぞわとする。
今回の自分の仕事の難易度と比べても、滝川の仕事の方がより難しい。
エレナとの電話での打ち合わせで、定光が携わるアルバム・ジャケット用の写真は、定光が一旦日本に帰国し仕事を済ませてから再び渡米するタイミングでアメリカ国内で撮影する分を撮る段取りとなった。
しかもショーンが指名したカメラマン、シンシア・ウォレスはショーンがソロ・デビューを果たした頃からずっと彼を撮影しているカメラマンで、しかもショーンのスタジオの一階下の階に住んでいるとのことなので、比較的スムーズに仕事が進められる。
滝川の方は、当初ノートに報告していた様々な絶景画像のつなぎ合わせ案を滝川自身が粉砕してしまったので、その分段取りも複雑になってしまった。
しかも動画は静止画より何十倍ものことを考えなければならないし、撮影規模も必然大きくなる。それに、初めてのカメラマンと組んでの仕事というだけでハードルが高くなり、そこに著名なカメラマンという要素まで付け加わってくると、映像監督として余計にプレッシャーがかかる状況だった。なぜなら、生半可なことではカメラマンに認めてもらえず、撮ってもらえない事態になる。ようは相性が合わない場合と仕事が成立しない可能性だってあるし、カメラマンの眼鏡にかなわなければ、それがショーンやエレナの、ひいてはエニグマ内の滝川に対する評価に繫がるということだ。
あのエレナのことだ。
無意識にこの状況を彼女が作るとは考えにくい。おそらく彼女は、滝川の度量をこれで試す気でいるに違いない。
自分なら、この状況を受け入れるのに数日……いや、数週間かかるだろう。このスピードでは、気持ちの準備が整わない。
ショーンの軽いノリから端を発した状況であるが、この結果如何によっては、滝川がこのプロジェクトから切られる可能性だってある。敏い滝川なら、定光以上にこの状況の困難さはわかっているだろう。
定光は不安げに滝川を見たが、とうの滝川はけろりとした顔つきだった。
じきにエレナから電話がかかってくる。どうやらカメラマンの手配がついたらしい。
「理沙、ジョシュを捕まえられたわ。彼、明日の朝エニグマのオフィスに来てくれるそうだから、今晩中にNYに帰ってちょうだい。ジョシュの身体が開いてるのは、直近では明日明後日の2日だけよ。明日の午前中にジョシュを連れてとんぼ返りでショーンのスタジオに戻れば、午後には撮影現場を見てもらいながら打ち合わせができるでしょ。その後ジョシュが他の仕事を片付けている間に、赤毛の子のオーディションをすればいいわ」
展開の早さに定光は目を白黒とさせた。
しかし理沙はもう慣れっこなのか、エレナとの電話が終わるとNYまでの最終便の手配をして、早々に荷物をまとめ始めた。
「理沙は、コウの作ったディナー食べてる場合じゃないね」
ショーンがそう言うと、「この借りは必ず返してもらわよ」と彼女は言い放ち、「明日の午後イチには巨匠カメラマンを連れて帰ってくるから、覚悟してね」とスタジオを出て行った。
明日の午後イチとなると、丁度日本に帰る定光とぎりぎり会えるか、ともすると入れ違いになる。
こんな急な展開で、滝川を一人置いて帰ることに一抹の不安を覚える定光だった。
この手を離さない act.43 end.
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編集後記
あ〜、ついに3月に入っちゃったわ〜(汗)。
年度末が恐ろしい国沢です。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
相も変わらず年度末の忙しさが怒涛で、小説を書く脳味噌の隙間がまったくない状態でございます。
なんだかいつも愚痴みたいなことばかり書いちゃってごめんなさい・・・。
なんとか、更新は頑張りたい所存ですが、今後どうなるかわからん(汗)。
あ、でも、「おてて」はラストシーンがすでに思い浮かんでいるので、最後まで書けない、といったことはなさそうです。
あとはラストまで、どんなふうに右往左往するかを詰めていくのみ。
(↑ようするに、中間部分が未定という、それはそれで怖い状況)
さて、国沢の見苦しい愚痴はおいておいて。
本日は『スター・ショーン』がお付の人を振り回す暴れっぷりをご披露いたしました。
あの謙虚だったショーンも、成長とともに面の皮が厚く・・・ごほごほっ。
でも、彼の中の純粋さはいまだ変わらないイメージです。
屈託がないというか。
ショーンも30歳目前というお年ごろですが、そういうところは母も嬉しく思うなぁ。
ただ、オイラが理沙さんの立場なら、ドロップキックをお見舞いしてやったやもしれません(笑)。
そしてシンシアの近況も出てきました。
彼女は無事にルイ・ガルシアと結婚して、赤ちゃんを産んでいるようです。
そして住居は、ショーンのスタジオの下の階。
まるっきりご近所です。
ミラーズ社の社長だったベルナルド・ミラーズも、今は会長職に隠居して、ミラーズ社は副社長のスミスさん(だったと思うけど・・・)が継いでいます。
むろん、ウォレスはいまだ社長秘書室室長!
それではまた。
2017.3.4.
[国沢]
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