act.56
濃密な情事の後、ゆっくりバスタブに溜まったお湯に浸かりながら、滝川は背後の定光に身体を凭れさせ、ハァと心地好さげに吐息をついた。
「なんかこうしてゆっくりと2人で湯船に浸かるの、初めてだよな」
滝川がそう言うと、少し間が空いて、「確かにそうかもな」と返事が返ってきた。
過去何度か一緒に風呂には入ったが、いつも滝川が定光にちょっかいを出して、ゆっくり風呂で身体を休めるだなんてシチュエーションはなかった。
「何もせずにこうしているのも、気持ちいいわ。 ── 落ち着く」
滝川がそう言うと、定光が微笑んだのが空気の動きでわかった。
滝川の濡れた髪を定光の手が梳いていく。
滝川は目を閉じた。
こうして全身の力を抜いて誰かに身を委ねるなど、一生縁がないことだと思っていた。
これまで遊んできた女達とは絶対に一緒に風呂には入らなかったし、気を許したことなど一度もない。いつも脳裏に母親の姿が浮かんできて、いつ叱責されるのか、いつ強制的にアソコを触られて無理やり勃起させられるか、ビクビクしていた。
そして何より嫌なのが、いつも母親から触られて気持ち悪いと思っているのに、いざ触られると勃起してしまうことだ。
そのことは、自分が恥ずかしく淫乱な子どもで、嫌だと思いつつも身体は嫌がってないんだという醜く捻れた感情を滝川に植えつけた。
だから女達との逢瀬を楽しめなかったわけではない。自分はそういう男だし、感情なんか関係なくても身体はセックスを楽しんでいると思っていた。それが当たり前のことで、心なんか伴わなくても、いくらでもできる。そう思っていたからこそ、来るもの拒まずで数多の女性とセックスをしてきた。
── だが、定光とのセックスは……。
本当に身体の奥底から打ち震える。
まるで今までしてきたセックスと感じる感覚も違うし、感じる場所も違っているような気がする。そしてなにより驚きだったのは、定光に触れられて勃起しても不思議と自分に嫌悪感を感じないことだ。
理由はわからなかったが、定光には滝川の「闇のスイッチ」を押す要素がひとつもなかった。
定光と抱き合っている時は、一切母親のことは脳裏に浮かばない。
そして今、こうして裸でいても、"何も奉仕しなくていい"ことを許してもらえているという状況が、こんなにも安らぎを感じられるのだとは思ってもみなかった。
自分にもこんな穏やかさを味わえる時が許されるなんて。
「 ── なぁ、ミツ……」
「ん?」
「そこにいてくれて、ありがとな」
滝川が思わずそうボソボソと呟くと、定光は何も言わず、背後からギュッと滝川を抱き締めてくれたのだった。
その日の夜、定光は中途半端な時間に目が覚めてしまった。
2人で風呂から上がった後、ロドニーの店に昼食を食べに降りてから、幸せな疲労感と満腹感も手伝ってか、長い昼寝をしてしまったせいだ。
定光が夕方昼寝から目を覚ますと、滝川はリビングでパソコンに向かい、タバコを咥えつつ画像データの下処理を行なっているようだった。
滝川は、ああ見えて実は勤勉な男だ。
休みと普通の日の区別をあまりつけないタチなので、休みの日もこうして仕事をすることはよくある。
結局そのまま滝川の作業する姿をしばらく眺めた後、2人で再びロドニーの店に降りて行って、酒を嗜みながらゆっくりと夕食を味わった。
ロドニーは、滝川が好みの味付けでないと一切口にしないのをしっかりと学習してくれたのか、同じ食材でも他のテーブルとは違った味付けや料理法で出してくれた。アメリカに来て、滝川の体型がしっかりしてきたのは、ロドニーのお陰だ。定光がトイレで中座した帰りに厨房を覗いてロドニーに直接そのことを告げ礼を言うと、ロドニーは強面に少しばかりの微笑みを浮かべて、「客が食えないものを出したって、意味がないからな」とダミ声で言った。
部屋に戻った後、定光は滝川と揃って床に着いたのだが、真夜中にパチリと目を覚ましてしまった。
本来ながら、体力のある定光は一度寝付くと朝までぐっすりコースなのだが、長い昼寝が睡眠のリズムを狂わせていた。
── 明日にはアルバムジャケットの写真を撮影するというのに……
定光はアッパーシーツの中で軽く溜め息をつくと、隣のシーツがひんやりしていることに気がついた。
滝川がいない。
定光はベッドの上に身体を起こし、闇の中で目を凝らした。
よくは見えないが、室内に人の気配がするので滝川だと思った。
次第に目が慣れてくると、やはり滝川の背中が見えた。
バスルームのドアに向かって立っているので、最初はトイレに起きたのか、と思った。
だが、いつまで経ってもそこに突っ立っているので、定光は不審に思う。
もう一度隣のシーツに手を滑らせると、随分前から滝川は起き出していたのか、シーツからは滝川の温もりは完全になくなっていた。
「 ── 新?」
定光はベッドから降りて、滝川の隣に立つ。
横から顔を覗き込むと、滝川は半分目を開けてぼんやり前を見ていたが起きているかどうかわからなかった。そして両手を盛んに動かしているので、よく見てみると、左手でドアノブを掴み、右手で何度も何かを捻る仕草をする。
右手の動作の後ドアノブを捻るとドアが開いてしまうので、再度鍵をかける仕草を繰り返している……といった様子だった。
鍵はバスルームの中からしかかけられないので仕方がないのだが、滝川はそれに気づくでもなく、ずっとそれを繰り返している。
「 ── 新、お前、何やってんだよ……」
定光がそう声をかけると、滝川がぼんやりしたまま、こう呟いた。
「……早くしないと……ママが来る……」
定光は目を見開いた。
少なからずショックを受けた。
滝川の様子はまるで夢遊病患者のようで、今も定光の目の前で同じ動作を繰り返す。
定光は、背後から抱きすくめる様に滝川の両手をそれぞれの手で握った。
手はひんやりとしている。
どれくらいの時間、かかることのない鍵をかけようとしていたんだろう。
定光は奥歯を噛み締めた。
ひょっとしたらこれは、ずっと以前から起こっていたことかもしれない、と思った。
朝起きる時はベッドに帰ってきているとはいえ、夜中の大半をこうしていたら、確かに心身とも十分な睡眠が得られているとは思えない。
これが原因でいつも滝川は寝起きが悪く、寝たんだか寝てないんだかわからないような顔つきで朝を迎えていたんだとしたら。
滝川と一緒に住み始めてからしばらく経つのに、やっとこのことに気がついた自分の愚かさを定光は悔やんだ。
もっと早くに気づいてあげられていたら、なんとかできていたかもしれないのにと思う。
しかし、実際にはどうしていいか定光は戸惑った。
とにかく今は、ベッドに戻すのが先決だ。
「新、鍵は俺が閉めておくから。さ、もう寝よう」
定光がダメもとで声をかけると、意外にも素直に滝川はベッドに戻った。
滝川がベッドに横たわるのを確かめて、定光も隣に身体を滑り込ませると、再び滝川がベッドを離れようとしたので、定光は背後から優しく滝川を抱き締めた。
「鍵は俺が閉めた……。だからもう大丈夫だよ」
定光がそう耳元で囁くと、滝川はようやく安心したのか、スヤスヤと眠り始めた。その晩定光はうつらうつらとしながらも気にかけて様子を伺っていたが、定光が抱き締めている間はずっと穏やかな寝息をたてて滝川は眠っていたのだった。
翌朝、何度も欠伸を咬み殺す定光を見て、ショーンが苦笑いをした。
「昨夜、新に寝かせてもらえなかったの?」
確かにそれはその通りだったが、ショーンが思っている理由は多分違う。
定光は顔を顰めた。
「昼寝したせいで眠りのリズムが狂ってしまって」
「そうだよ。俺は昨夜、めっちゃ熟睡だったもん」
ソーセージが突き刺さったフォークをぶん回して、滝川が軽い口調でそう言う。定光は滝川を見つめる。やはり夜中の奇行は覚えていないのだ。
「 ── なんだよ」
自分をじっと見つめて来る定光に、滝川が怪訝そうな声を上げた。
定光は一瞬言葉に詰まったが、すぐに「ソーセージの油が飛び散るから、振り回すのやめろ」と答えた。
滝川は口を尖らせつつ、ソーセージを齧る。
再び通常の朝食風景に戻りはしたが、定光の内心は複雑だった。
昨夜のことを滝川に話すべきか、それとも黙っておくべきか……。
いずれにしても、すぐに答えが出せそうにない。
「 ── 今日の撮影が終わっちゃったら、2人とも日本に帰るんだよね。とても寂しいよ。もういっそこっちでずっと仕事しちゃえばいいのに」
「面白そうだけど、さすがにそれはうちの社長が許しそうにねぇなぁ。一応俺ら、しがない会社員だからな。 ── なぁ、ミツ」
「え? ん?」
生返事の定光に、滝川とショーンが同時に怪訝そうな顔で定光を見つめてきた。
「お前、マジで大丈夫か?」
「具合、悪いんじゃない?」
「ああ、違うよ。今日の撮影の段取りを考えてただけ」
「なんだ、そのこと」
ショーンがニコニコと微笑む。
「それについては一切心配しなくていいよ。段取りなんか考えている間がないうちに全てが終わってしまうから」
定光は目を丸くする。
「え? それってどういう……」
「言っておくけど、私シャッターは3回しか切らないから」
シンシア・ウォレスのそのセリフに、定光の背後で滝川がブッと吹き出した。
この手を離さない act.56 end.
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編集後記
二週ステルス更新を明けての通常更新でございます。
通常更新をお待ちくださっていた方々、お待たせいたしました。
とはいえ。
通常更新といえども、序盤は二人でラブラブお風呂デート・・・。
おもいっきり裸ん坊だという(笑)。
ま、小説なんでそこら辺はR指定しなくても、許されるのではないかと思ったり。
大丈夫かな???
ちょっと大事なシーンなので、このシーンは通常更新にしました。
あと、今週は新の寝起きが悪い理由が明らかに。
新の抱えている傷は、本人に自覚があまりないようですが、意外に深刻かも・・・という。
今後、どこまでそこを消化できるかが国沢の課題なのですが、いかんせん最近小説を書くモードになっていないという・・・(汗)。
やばいよ、やばいよ〜(By 出川師匠)。
ストックはもうさほどありません(ワラ)。
誰か我のやる気スイッチを押してください(←結局は他力本願)。
それではまた。
2017.6.24.
[国沢]
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