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この手を離さない title

act.19

 定光が滝川のいない家に帰って、膝を折っている頃。
 ある男が、南青山のショットバーのドアを開けた。
 男が店内に入ると、オーナーの溝渕が「久しぶり」と声をかけてきた。
「お久しぶりです。僕もこんなに開けて来るつもりはなかったんですけど」
「連載小説書くので大変なんだろう? 僕も毎週読ませてもらってるよ」
「ありがとうございます。それで……、あの暴れん坊、来てます?」
「ああ、一番奥のテーブル席にいるよ」
 溝渕に指を指され、男はその指先に視線を向けた。
 溝渕が言った通り、一番奥のテーブル席でその"暴れん坊"はオジーオズボーン柄のTシャツの袖口から炎の刺青を覗かせつつ、ビールをチビチビと飲んでいた。
 男は奥のテーブルに近づくと、コツンとテーブルの脚を蹴って、こう言った。
「君がビールなんて珍しい。初夏だというのに雪でも降りそうな珍事ですね、滝川新」
 滝川新は、先生に叱られた少年のような顔つきで男を見上げると、
「そういうそっちは相変わらずの色男だこと。たまには鼻毛のひとつでも出して現れてみろよ、成澤千春」
 と答えたのだった。


 千春は注文を取りに来た若いバーテンにマッカランを注文すると、滝川を見て追加注文はないか?と目で尋ねた。滝川は、もうぬるくなってしまったビールをまたチビリと口に含みつつ、首を横に振った。
「本当に一体全体どうしたの? 新らしくない」
 千春は、滝川が自分に匹敵するほど酒が飲める男だということを知っている。ただ、千春と滝川の決定的な違いは、千春は最後まで酒に呑まれたりしないが、滝川は必ず最後に酒に呑まれるということだ。
 だから、千春から言わせてみれば、滝川がビールだけをチビチビ飲んでいること自体、十分珍事たり得る。
 滝川は、バツが悪そうにタバコを吹かしつつ、タバコを挟んだ手で額をカリカリと掻くと、「最近、胃が痛い」と答えた。
 千春は目を丸くする。
「本当に?」
「嘘ついて何の得になる」
「確かに。 ── まぁ新は、自分が思っている以上に繊細にできてるから、そう驚きはしないけど」
 千春がそう言うと、滝川はテーブルの上に肘をつき、行儀悪くその手に頭を乗っけて、明後日の方向を見遣った。
「俺のこと繊細だなんて言うのは、ミツか千春ぐらいのもんだ」
「ミツ? ああ、いつも君の尻拭いしてる人か。確かハーフなんだよね?」
 滝川が首だけカックンと折って、返事をする。
 千春が滝川と知り合ったのは、四年前のことだった。
 丁度千春が最良の伴侶を得て、夜遊びから完全に足を洗ったのと前後して、夜の社交界に華々しくデビューした"暴れん坊"がこの滝川だった。
 その飲み方といい、その傍若無人ぶりといい、荒れていた頃の澤清順 ── つまり成澤千春にそっくりだと言われ、一時期は「澤二世」とあだ名をつけられていたらしいが、澤清順より女の遊び方が酷い……といっても澤清順は男遊びが酷かったわけだが……と言われ、今では澤時代を凌駕する勢いと囁かれていた。
 その当時、千春は完全に夜の世界から足抜けしていたから、本当は滝川との接点はなかった。
 しかし、千春の腐れ縁友達の赤坂儀市が「面白いヤツなんだ」と儀市の飲み会に滝川を連れてきたことで、付き合いが始まった。
 千春と儀市の周囲の人間はゲイやバイセクシャルの人間が多かったが、滝川は珍しく完全にストレートの男だった。
 千春ほどではないにしても、そこそこ身長が高く、少年臭いやんちゃそうで可愛げのある顔つきに筋肉質の身体をしている滝川は、むろん女にもモテたが、ゲイやバイセクシャルの連中にもとてもモテた。
 千春とはまったく違うタイプの男だったが、彼もまた自然と人目を惹き寄せてしまうオーラを持っていた。
 だが、一度男から言い寄られると、英語のスラングで怒鳴り散らしながら、もれなく殴り倒して行くので、やがてゲイやバイセクシャルから敬遠されるようになったのだが、千春や儀市のように、そういうのは抜きで付き合うと、滝川は実に面白い男だった。
 年齢も千春と滝川は同い年。それにどうも育ってきた環境も似ているところがあるようで、彼の問題児振りが、育ちからきていることは経験者である千春にはよく理解できた。
 滝川の方も、千春にはそういうシンパシーを感じたらしい。
 いつしか儀市抜きで会うようになり、こうして静かな店でなら千春も滝川の酒に付き合うようになった。
 派手なクラブで飲み明かしている滝川は、ガシャガシャとした飲み方をしているそうだが、こうして二人サシで飲む時の滝川は、普段の滝川を知っている者なら目を剥くぐらい、大人しい。
 だが千春は、この大人しい滝川こそ本当の彼の姿だと確信していた。
「で? なんで胃が痛いの? そういや最近、女性関係を整理して回ってるって噂だね。胃が痛いのはそのせい? よく見たら、左頬も少し腫れてるし」
「胸には引っ掻き傷もあるぜ。見るか?」
「結構」
 滝川は両手で頭を抱えて、「Tシャツも一枚破られてダメにしたわ……」と呟いた。
 千春は、短く燃えて滝川の髪を焦がしそうになっていたタバコを取り上げて、灰皿に押し付けると、「なんで女の整理してるの? アメリカに帰るとか?」と言って、すぐに「違うな」と呟いた。
「アメリカに帰るのなら、整理もせずに高跳びしそうだもんな、君は。 ── さては本命ができたな」
 頭をモミモミとしていた滝川の動きがぴたりと止まった。
「図星か」
 千春はニヤニヤと笑いながら、琥珀色の液体を喉に落とし込んだ。
「胃が痛いのは、女の整理のせいじゃなくて、本命とうまくいってないからだろう?」
 千春が指摘すると、滝川はボサボサの髪の間からギョロリとした目を覗かせ、「監視カメラでも仕掛けてたか?」と言った。
「カメラなんか仕掛けなくても、すぐにわかるよ、それくらい。それで? 何がうまくいってないの?」
「そいつ、いつもの女達と全然違うんだ」
「まぁ、君が惚れるくらいの相手だからね」
「最初した時は気持ちよさそうにしてたのに、その後警戒されちまってさ。俺、完全に何か間違ったスイッチ押しちゃってる訳さ」
「ふーん……」
「なんかドギマギしてるアイツ見てたら気の毒になっちまって。そっとしといた方がいいのかなぁとか思って距離を置いてる訳よ。今は」
「……それ、距離を置いてるというより、どうしていいかわからないから何もできてないっていう間違いじゃない?」
 千春が滝川を指差すと、滝川はワーッと髪の毛を掻きむしった。
「そうだよ! スゲェむずいんだよ! 今までの俺の経験じゃ、全然歯が立たないんだって!」
 千春はにっこりと笑った。
 数年前の自分を見ているようだった。
  ── 自分も昔は、葵さんや儀市にこんな風に食ってかかってたっけ。
 それだけに滝川が"本物の相手"を見つけられたのだと嬉しく感じた。
「それで胃が痛くなってる訳だ。可愛いとこあるじゃん」
「うるせーわ。マジ腹痛い……」
 そういう滝川のために、千春は溝渕に言って白湯を作ってくれと頼んだ。
「とにかく、余計なこと考えないでさ、相手を大切に思う気持ちをストレートに伝えればいいんじゃないの?」
「うん……」
 千春はバーテンが持ってきてくれた白湯を差し出しながら、「それで? 相手はどんなコなの? 一般の人?」と訊いた。それに滝川は、「お前も知ってると思うわ。直接会ったことはないけど」と答えてくる。
「僕も知ってる人? 芸能人? 女優?」
 滝川は白湯を飲みながら、「TVGのCMに出てたヤツ」と答えた。
「ん?……え? ── えぇぇぇぇ!」
 思わず千春は大声を上げ、周囲の視線を集めてしまう。
 千春は周りに「すみません」と謝りながら、勢いよく滝川を振り返った。
「男じゃん!」
「お前だって男と付き合ってるだろうが」
 滝川がふてぶてしく口を尖らせる。
「そ、そうだけど……。今まで男、嫌いだったじゃないか」
「男が嫌いっていうんじゃなくて、俺にいやらしく言い寄ってくるキモい男が嫌いだったの」
「今度は言い寄られたんじゃないんだ?」
「どちらかというと、俺の方から言い寄って、最後は相手の弱みにつけ込んだ」
 千春はハハハと乾いた笑い声を上げる。
「相変わらず汚いね」
「そういう俺が好きなんだろうがよ?」
「まぁね。いやぁ、今年まだ半分ぐらいしか経ってないけど、今年の10大ニュースの第1位に決定」
 千春がそう言うと、滝川は鬱陶しそうに顔を顰めた。
「彼、名前なんていうの?」
「定光慶」
「サダミツ……? ミツ?」
 滝川は、うーんとお腹を摩りながら、背を伸ばし、「そ」と短く答えた。
「新の尻拭いしてる人?」
「そ」
「え? いつから好きになったの?」
「四年前」
 千春はパクパクと口を動かした。
「さ、最初からじゃん!」
「あー、腹いてぇわー」
 滝川が今度はテーブルの上に突っ伏す。
「なんだぁ。最初から好きで、それが叶わないから別の女に走ってたのか……。なんとも素直じゃないね」
「俺も男好きになったの初めてだったから、どうしていいかわかんなかったんだよ」
 滝川が顔を千春の方に向けてそう言うと、千春はその顔に自分の顔を近づけて、再びにっこりと笑った。
「初めて男を好きになったんじゃなくて。初めてまともに人を好きなったから、戸惑ってるんだろう?」
 滝川はブッスーと唇を尖らせ、「千春はなんでも見通しちまうから怖いわ」と呟いた。
「でも、一回はさせてもらえたんだろう? きっと相手も君みたいに生粋のゲイじゃなかろうから、脈はあるじゃん」
「俺もそうは思うんだけど……」
「だからね、意外と問題はシンプルなんだよ、新。そこがちゃんとあるべき姿に収まれば、万事うまくいく」
「その問題がわかんねぇんじゃん……」
「僕に訊いたってわかるわけないよ。そのミツさんとやらに訊きなよ」
「う、うん……」
「大丈夫。君はなかなかいい男だって、レンジの狭い僕ですらそう思うんだから、勇気を持って」
「うん……」
「まぁそれにしても、随分身近に美人がいたもんだ。TVGの彼、ハーフだったんだね。瞳が青かったから、全然そんな風に見えなかった」
「あれ、カラコン」
「なるほど。まぁ彼……、凄くピュアそうな人だもんね。新が惚れるのもわかる気がするよ。ということは、あのTVGのCM、新のラブ光線がダダ漏れであんなにキラキラ輝いたCMになっちゃったんだ」
「変なキラキラ処理は入れてない……」
「そういう意味じゃなくて。あんなシンプルな画面であれだけ人の心を揺さぶるのは、見る人が新と同じ視線でミツさんを見つめることができたからなんだと思うよ。なるほどねぇ……。あのCMの力の源をやっと理解できた」
 一人うんうんと頷く千春の袖をちょいちょいと滝川が引いて、テーブルに伏せた格好のまま、滝川はこう言った。
「CMのこととかどうでもいいけどさ。ゲイセックスのやり方、おせーて?」
 千春は表情を消して、滝川を見る。
「お前、結局それ目的で今夜僕を呼んだな」
 千春の冷たい一言に、滝川はテヘヘと舌を出して笑ったのだった。

 

この手を離さない act.19 end.

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編集後記


今週もスペシャルゲストの登場でございます。

ドS王子降臨!!

成澤千春こと、ちー様のご登場でございます。
ちー様は、つい最近まで書いてたから、特に意識しなくともキャラブレの心配なしwww
彼は、本サイトに公開中の「All You Need is Love」「Here comes the sun」に出てくるキャラクターです。
そちらを読まずともことは足りますが、読んでいただいた方がじんわりと面白さの出汁が加わる感じになるかと思います(笑)。
「へ〜、千春と新って、友達だったんだぁ〜」的な感じw
ま、その程度のものなんですけどね(汗)。

この二人が友達、というネタは、先のTVGのCMに出たがっていた女性タレントがラ・トラヴィアータで酔いつぶれていた・・・という下りを書いた時に思い浮かびました。
遊んでる店が同じなら接点ありそう、と思って。

だって、この二人が友達だったら面白そうじゃないですか?

ということで年表データに入力してみたら、チー様が夜の世界から足抜けしたタイミングで新が日本に来ていたという事実を発見。

接点すれ違いやんけw

・・・・。

まー、そこはほら。母(作者)は何とでもできますので、儀市くんを共通の友人ということにして、無理矢理接点つくったったw

ではまた〜。

2016.9.11.

[国沢]

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