irregular a.o.ロゴ

この手を離さない title

act.23

 グラフィック制作部の壁際にある大きな作業テーブルの片隅で、ノートパッドにアルバムジャケットの構想を手書きスケッチしている定光の向かいに座り、身を乗り出してそれを覗き込んでいるのは、この部屋には本来いるはずのない滝川新その人だった。
「1LDK」
「2DK」
「じゃ〜あ〜。すげぇ広い1LDK」
「2DK、風呂トイレ別」
「なんだよ、お前。別々の部屋に寝かせようって魂胆か?」
 ムッとした声でそう言う滝川の頭を、定光はバシッとチョップした。
「声が大きい。こんな会話、他の誰にも聞かせられねぇだろうが」
 滝川が周囲を見回し、室内にいる他のデザイナー三人を次々睨みつけた。
「だってアイツら、イヤホンして音楽聴きながら仕事してんだから、俺らの話が聞こえるわけねぇじゃん」
 また定光にチョップを見舞われる。
「皆お前に怯えてるんだよ。ここは映像制作部と違って、お前慣れしてないメンツばっかなんだから」
 滝川はおもむろに椅子から立ち上がると、一番側のデスクにいた富岡の肩に腕を回して、「俺のこと、怖くなんかねぇよなぁ? 同じ会社の社員だもんなぁ?」と声をかける。
 富岡は、「は、はい。こ、怖くなんかないです!」と答えたが、滝川にギロリと睨まれ、「お前、音楽聴いてたんじゃねぇのかよ。なんで俺の言ってること、聞こえてんだ?」と言われ、顔面蒼白になった。
 定光は滝川の耳を摘むと、そのまま作業テーブルまで滝川を引っ張って行った。
「イデデデデデ」
「うるさくするなら、この部屋から出てけ」
 定光がそう冷たく言い放つと、滝川はしゅんと身体を小さくして、スゴスゴと元いた椅子に座った。
「いやぁー、噂の定光慶の真骨頂を初めて見たわ」
 グラフィック制作部の部長・横谷が感心したように呟く。
「とにかくお前、自分の仕事しろよ」
 定光は再びスケッチに戻りながら、そう言った。
 しかし滝川は、テーブルの上にべたぁと身体を伏せ、「次の仕事まだ決まってないもーん」と言い放つ。
「決めてない、の間違いだろ? 三日前営業かけたやつだって、本当なら昨日返事がくるはずだったのに来なかったって笠山さん言ってたぞ。なんの仕事狙ってたのか知らないけど、早く見切りつけて、次の仕事選べ。選べる仕事がある内が華だぞ」
「その発想。お前、本当に身体の隅々まで日本人らしいよね」
「お褒めに預かって光栄です」
 定光が気のない声でそう返事して、手元のポータブル音楽プレイヤーに手をかけ、イヤホンを耳に着けようとすると、その片方を滝川がサッと奪って耳に嵌めた。
 定光が再生ボタンを押す手を止める。
「なんで押さねぇんだよ」
 滝川が定光の手元を見て、口を尖らせた。
 定光は眉間に皺を寄せながら、
「これは極秘音源なんだよ。ショーンの新しいアルバム制作に関わる人間しか聴けないことになってる。いくらお前でも無理。聴かせられない」
 と言った。
 滝川ますます唇を尖らせる。
「そんな顔をしたって、ダメなものはダメ」
「 ── じゃせめて、1LDKにして」
「それとこれとは話が別」
「クッソ!」
 滝川がテーブルの上で手をバタバタとさせる。
「うるさいなぁ」
 そんな様子を見て、横谷が定光に声をかけてきた。
「おい、ミツ」
「はい」
「誰がどう住むんだかしらないが、もう1LDKで手打ちしろよ」
「は?」
 定光が顔を顰めた時、グラフィック制作部のドアが開いた。
「呼ばれて飛び出て、ジャジャジャジャーン!」
 笠山が大きな声を上げて、室内に入ってくる。
 横谷が「映像制作部の連中はクッソうるさいヤツらばっかだな」と頭を抱える。
 しかし笠山はそんな横谷の呟きを完全無視して、声高らかにこう叫んだ。
「ショーン・クーパーの次のシングル曲PVのお仕事、見事、滝川さんがゲット致しました〜!」
 比較的大人しいグラフィック制作部の連中でさえ、このニュースにうぉぉぉぉーと声を上げ、皆席から立ち上がった。
「えぇ……」
 さすがの定光もぽかんと口を開けて、滝川を見る。
 滝川は史上最強のドヤ顔を浮かべ、定光の手元にあるプレイヤーの再生ボタンをおもむろに押したのだった。


 定光と会った時に、ショーンは滝川の仕事に興味を持っていたようだが。
 パトリック社がPVの仕事まで受注するのは、高い壁があった。
 前作までのPVは全て、ロンドンにある映像制作会社にて制作されていたからだ。
 ノートは、かなりの部分日本国内でのアルバム制作に拘っており、そのためジャケット制作は定光のデザインに白羽の矢が立ったわけだが、さすがにPV制作ともなると、アメリカ本国でショーンのマネジメントの役割を果たしていたエニグマ編集部が首を縦に振らなかった。
 当時、日本国内にはショーン・クーパーに相応しい実力のある映像制作会社が存在するとは判断されなかったのだ。
 "世界"で勝負するためには、中途半端なものは作れない。
 エニグマ編集部の言ってきたことは辛辣だったが、ショーンの音楽生命がかかった大事な仕事でもあった。
 ショーンはバルーンとの問題でアメリカ本国のレーベルとは契約できず、苦肉の策で日本のレーベルと専属契約を交わすことになったわけだが、アルバム販売市場はむろん世界を見越していた。
 日本国内での洋楽市場は非常に小さく、またエニグマ編集部としても世界中で売れなければ、アメリカで勝負することはできないと捉えていたのだ。
 実際、ロンドンで制作されたPVは高い評価を受け、結果アルバムの世界的ヒットを導き出した。
 そして今は、以前にも増して手軽に、そして好きな時に動画が簡単に見られる時代である。PVの果たす役割は、更に増していると言える。
 例えショーンが滝川の仕事に興味を持ったとしても、エニグマが納得しなければ実現は不可能だと思われた。
 滝川がスーツを買ってまで営業に行ったのは、iコンシューマ社だった。
 iコンシューマ社は、ノートの母体である総合エンターテインメント企業で、エニグマとノートの縁を結んだのもiコンシューマ社を介してのことだった。
 そのiコンシューマ社にエニグマ編集部の女帝エレナ・ラクロワが来日すると聞きつけて、取るものも取りあえず、滝川と笠山は乗り込んだのだった。
 滝川がラクロワと会えるように持てる人脈を駆使したのは笠山で、ラクロワを説得したのは滝川自身だった。

 

この手を離さない act.23 end.

NEXT NOVEL MENU webclap

編集後記


なんだか冒頭の駄々こねをしている新がようやく可愛く思えてきた国沢です。

え、何をいまさら?とおっしゃる皆さんのお顔が浮かんだりしますが、自分で書いておきながら、実は新はリアルでいれば多分国沢は苦手と思うタイプの男だろうな、と思ったりします。
いい加減だし、行動が読めないし、なにせ他人に迷惑かけまくりだしwww
基本、他の人に迷惑をかける人はキライな国沢にとっては、できれば側に寄らないでおこう・・・と思うタイプの人間。
なのにそんな男を自分の小説の、しかも主人公に持ってくるっていう・・・(汗)。
我ながら無茶してますが、それもこれもスコットのせいなんだろうなぁ(笑)。
自分の中のない部分を総動員して(笑)お送りしております「おてて」でございます。

さて、今週は懐かしい名前がまた出てまいりました。
エレナ・ラクロワ。
「プリセイ」でほんのちょっとだけ登場したエニグマの編集長です。
イメージとしては映画にもなったVOGUE誌の名物編集長といったところですが、エレナの場合、彼女よりはもっと冷静で落ち着いた女性というイメージです。
ルックスについての明確なモデルはいないのですが、その雰囲気的なイメージはハリウッド女優のジュリアン・ムーアかな。


じゃぁもうジュリアン・ムーアでいいじゃんって思うけど、ジュリアンよりエレナはもっと年配だし、第一白髪のジュリアンは思い浮かばないので、あくまで雰囲気ってことで。
ボトックスやヒアルロン酸注入が当たり前に行われているハリウッド界で、一切整形には興味ない、と断言している彼女。50も過ぎてきてシワも増えてきてるけど、それでもなお美しい、素敵な女性です。
若く見せることだけが美しさを保つ方法ではないことを実践していますね。
お肌がつるつるでなくとも美しいだなんて、鬼に金棒じゃん!!
ということで、次週はシワがあっても美しいエニグマの女帝・エレナが出てまいります。
「プリセイ」読んだ方は、新VSエレナの対決がどうなるのか、お楽しみに〜。

さてさて。先週のnew topicでも書きましたが、秋になると何かと新しいことにチャレンジしたくなる季節(?)。
国沢、この年にしてヨガを始めることになりました。
いや、ヨガっていっても、めちゃめちゃ簡単なゆったり系のヨガだけど・・・(汗)。
国沢、基本オタク体質だから、身体メチャクチャ硬いし、体幹の筋肉も退化してるから、簡単なポーズでもぐらついてしまってお恥ずかしい限りなんですが・・・(脂汗)。
友人の鍼灸師に「このままだと筋肉なさすぎで、むくみは酷くなる一方だし、年寄りになると身体が維持できなくなって縮んでなくなるぞ」と突っ込まれ、「ヨガをやれ」と言われるがまま、始めることとなったのでした。
ま、でも週一ヨガで筋力がつくとは思えないが・・・。
でも「やらないよりはまし」との強い一言に、とりあえず続けられるよう頑張ろうと思います。

ではまた〜。

2016.10.9.

[国沢]

NEXT NOVEL MENU webclap

小説等についての感想は、本編最後にあるWEB拍手ボタンからもどうぞ!

Copyright © 2002-2019 Syusei Kunisawa, All Rights Reserved.